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本編
23 帰ろうとしたら彼女と遭遇した
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「……あの、よろしいですか?」
今まで黙っていたエリックが言った。
「王女殿下と明日学院でお話したいのです。勿論、私一人ではなくロバートとローズマリー嬢にも同席してもらいます」
エリックは、なぜかアーサーを気にしながら言っている。先程のエレノアと同じだ。
「話があるなら今聞くわ」とは言えない。アーサーとの会話で疲れたのだ。とてもエリックの話まで聞く余裕などない。エリックもそれが分かっているから「明日学院で」と言ったのだ。
親友であるロバートだけでなく彼の婚約者で私の親友でもあるローズマリーにも同席してもらうのは、密室で男二人に女一人では妙な誤解を招くと思ったからだろう。彼の愚弟(あんなの義弟ではなく愚弟で充分だ)と王女が騒動を起こしたのだ。そうするのは当然だ。
「……ごめんなさい。本当は、あの時、私と話したかったのよね?」
中庭で二人きりになった時だ。婚約者の事だけで一杯一杯だった私に話しても無駄だと思ったから黙っていたのだろう。
「いえ。あの時は、王女殿下とは分かりませんでしたから」
王女の謝罪にエリックは慌てて言った。
「……そう、あなたは気づかなかったのよね」
私のすぐ傍にいたエリックは「御大層な変装」をした王女に気づかなかった。
だのに――。
「エリオット。どうして、あなたは変装していた私に気づいたの?」
ロクサーヌが気づいたのは私を嫌いだからだ。気になるから嫌う。気になるから大嫌いな私を注意深く見ていた。変装などで、ごまかされたりしないのだ。
だが、エリオットと私は公式の場で挨拶をする程度の仲だ。好意や嫌悪を抱くような関係ではないのに。
エリオットが考える素振りを見せたので、私はどんな答えを聞かされるのかと身構えてしまったのだが――。
「……偶々です」
「……そうなの」
私はエリオットの答えに拍子抜けした。
「……まあ、私の演技同様、変装も下手だったって事ね」
エリオットの言う通り、偶々気づかれてしまったのだと納得した私だが――。
「それで納得するんですか!?」
ロクサーヌが信じられないと言いたげに私を見ていた。
「ロクサーヌ」
アーサーが従姉の名を呼んだ。彼女に向けられた目は「余計な事を言うな」と言っていた。
それだけでロクサーヌの細い肩がびくりと震える。普段の彼女はアーサーに対しても強気な態度に出られるのだが、先程の彼の気迫にまだ当てられているのだろう。
「……えっと、ロクサーヌ。あなたはエリオットが私の変装に気づいたのは、偶々ではないと思っているのね?」
私は尋ねた。なぜ、彼女がそう思ったのか興味があったのだ。
「……申し訳ありません。わたくし、命が惜しいので言えません」
ロクサーヌは婚約者と似たような事を言ってきた。
「どうして命が惜しいとか言うのよ?」
「……アーサーが怖いんです」
私の純粋な疑問にロクサーヌが溜息交じりに答えた。「なぜ気づかないの?」と言いたげだ。
私は思わずアーサーを見てしまったが、彼は涼しい顔で立っているだけだ。
何とも気まずい空気が流れた。
「……あの、実はロバートとローズマリー嬢には、まだ明日の同席の件を頼んでいないので、今から頼みにいってきます」
エリックは言った。明らかに、この場から離れるための口実だ。
「兄上、今度は、ゆっくりお話ししましょう」
伯父の養子になったエリックは、実の兄弟とはいえ、あまりエリオットと交流する機会がないようだ。
「ああ。今度は父上や母上とも話そう。勿論、伯父上も交えてな」
「はい」
兄の言葉に頷くと、エリックは優雅に一礼した。そして、そそくさとこの場から離れた。
「……エリオット様、わたくし、あなたにお話がありますわ」
ロクサーヌはエリオットに近づくと、どこか挑むような眼差しで彼を見上げた。
「ロクサーヌ、私、先に帰るわ。今日は付き合ってくれて、ありがとう」
エレノアは婚約者と二人きりで話したいらしいロクサーヌに気を遣って「先に帰る」事にしたらしい。
「悪いわね。一緒に帰れなくて」
親友の気遣いにロクサーヌは申し訳なさそうな様子だ。
「だったら、私とアルバートと一緒に帰らない?」
本当は二人きりにしてあげたいのだが、婚約者同士でもない男女が一緒に帰れば妙な誤解をされてしまう。アルバートは女性に無体な真似などしない(いくらエレノアが弟を好きでもだ)と、私は分かっているが世間はそう見ないだろう。
「……よろしいのですか?」
エレノアは王子を気にしている。
「……姉上がそうしたいと仰るなら」
アルバートは仕方なさそうに言った。エレノアも一緒でなければ、また私が「一人で帰る!」とごねるのを弟は分かっているのだ。
エリオットとロクサーヌだけがその場に残り、私とアルバートとエレノアは馬車乗り場に向かっていた。
アーサーだけは厩舎に行った。彼は馬車ではなく馬に乗って来たのだ。
……アーサーと帰るなら馬に相乗りする破目になったかもしれない。馬車なら離れて座ってられるが馬ではそうはいかない。まあ、私とアルバートが乗って来た馬車を使えばよかったのかもしれないが。
帰るにはまだ早い時間だというのに、馬車乗り場には人がいた。
「……あ」
彼女は驚いた顔で私達を見ていた。こんな時間に帰るのは自分だけだと思っていたのだろう。しかも、やってきたのは、王女と王子、侯爵令嬢という、この国の高位にいる貴人ばかりだ。
彼女とは違う理由で私とアルバートとエレノアは驚いた。彼女の目は赤く仮面を外した顔は少しむくんでいて涙の跡まである。いかにも「さっきまで泣いてました」と言う顔なのだ。
「……エリザベス・ウォリンジャー」
王妃と王女が「エリザベス」だからか、この国には「エリザベス」という名前の女性が多い。彼女はリジーという愛称を持つ私と同い年の伯爵令嬢だ。
公式の場で遠目で見かけるだけの彼女を憶えていたのは、その名前と愛称、私と共通点の多い容姿のためだ。
長く真っ直ぐな黒髪、淡い青の瞳、小柄で華奢な肢体。ただ私に似た系統の顔立ちながら美しいと讃えられる私と違い彼女は言ってはなんだが平凡だ。
ウォリンジャー伯爵家はテューダ王国でも五指に入る古い家系だ。何度か王族と婚姻関係を結んでいる。彼女が王女に似ていても不思議ではない。
「貴女が謹慎中に結婚したので、今の彼女はウォリンジャー伯爵令嬢ではなくグレンヴィル子爵夫人ですよ」
私が彼女のフルネームを呟いたからかアルバートが教えてくれた。
「まあ、そうなの。それは、おめでとう」
この国では女性は十六から結婚が可能とはいえ今は学院を卒業する十八で結婚するのが多い。だから、ローズマリーもロクサーヌも今は結婚しないのだろう。彼女のように十六になったら即結婚とは珍しい。
「……姉上」
「……王女様」
アルバートとロクサーヌが何とも言えない微妙な視線を私に送ってきた。
「……ありがとうございます」
王女の祝辞に謝意を述べた彼女の顔は少しも嬉しそうではなかった。
その顔を見て気づいた。どうして、アルバートとロクサーヌが私にあんな視線を送ってきたのか、その理由にも。
彼女は当然初婚であるがグレンヴィル子爵は再婚だ。亡くなった前妻との間に彼女より一つ年上の息子もいる。
しかも、彼女の実家ウォリンジャー伯爵家は歴史こそ古いが、あまり裕福ではない。それにひきかえグレンヴィル子爵家は、へたな侯爵家や伯爵家よりもお金持ちである。
親子ほど年の離れた彼女との結婚を条件にグレンヴィル子爵が彼女の実家に援助を申し出たのだと考えればすぐに分かる。グレンヴィル子爵はどうか分からないが、少なくとも彼女には夫に対する愛はないのだと思う。
結婚と聞いて、すぐに祝辞を述べた自分が嫌になった。貴族にとって結婚は愛ではなく義務だと、よく分かっていたつもりだったのに。
謝るのもおかしい気がしたので黙っているが何だか気まずい。
そんな私の気持ちに気づいているのかいないのか、彼女は私が手に持っているけったいな仮面に気づいて息を呑んだ。
「……その仮面!?」
「これがどうしたの?」
仮面を掲げた私に構わず彼女は何やらぶつぶつ呟いている。
「それに、そのドレス……髪は鬘だったのね」
「……えっと……エリザベス?」
同じ名前なので「エリザベス」は言いにくいが彼女の愛称の「リジー」は、さらに言いにくい。
……なぜなら、私と同じ日に産まれ三日後に自然死した異母姉妹の愛称でもあるからだ。
何を考えているのか、妾妃は「彼女」に私と同じ名前を付けたのだ。さすがに愛称までは同じにしなかったが。
……いや、王妃が娘に「エリザベス」と名付けたから、そうしたのかもしれない。
そうしたところで、あの女の自己満足に過ぎないというのに。
今まで黙っていたエリックが言った。
「王女殿下と明日学院でお話したいのです。勿論、私一人ではなくロバートとローズマリー嬢にも同席してもらいます」
エリックは、なぜかアーサーを気にしながら言っている。先程のエレノアと同じだ。
「話があるなら今聞くわ」とは言えない。アーサーとの会話で疲れたのだ。とてもエリックの話まで聞く余裕などない。エリックもそれが分かっているから「明日学院で」と言ったのだ。
親友であるロバートだけでなく彼の婚約者で私の親友でもあるローズマリーにも同席してもらうのは、密室で男二人に女一人では妙な誤解を招くと思ったからだろう。彼の愚弟(あんなの義弟ではなく愚弟で充分だ)と王女が騒動を起こしたのだ。そうするのは当然だ。
「……ごめんなさい。本当は、あの時、私と話したかったのよね?」
中庭で二人きりになった時だ。婚約者の事だけで一杯一杯だった私に話しても無駄だと思ったから黙っていたのだろう。
「いえ。あの時は、王女殿下とは分かりませんでしたから」
王女の謝罪にエリックは慌てて言った。
「……そう、あなたは気づかなかったのよね」
私のすぐ傍にいたエリックは「御大層な変装」をした王女に気づかなかった。
だのに――。
「エリオット。どうして、あなたは変装していた私に気づいたの?」
ロクサーヌが気づいたのは私を嫌いだからだ。気になるから嫌う。気になるから大嫌いな私を注意深く見ていた。変装などで、ごまかされたりしないのだ。
だが、エリオットと私は公式の場で挨拶をする程度の仲だ。好意や嫌悪を抱くような関係ではないのに。
エリオットが考える素振りを見せたので、私はどんな答えを聞かされるのかと身構えてしまったのだが――。
「……偶々です」
「……そうなの」
私はエリオットの答えに拍子抜けした。
「……まあ、私の演技同様、変装も下手だったって事ね」
エリオットの言う通り、偶々気づかれてしまったのだと納得した私だが――。
「それで納得するんですか!?」
ロクサーヌが信じられないと言いたげに私を見ていた。
「ロクサーヌ」
アーサーが従姉の名を呼んだ。彼女に向けられた目は「余計な事を言うな」と言っていた。
それだけでロクサーヌの細い肩がびくりと震える。普段の彼女はアーサーに対しても強気な態度に出られるのだが、先程の彼の気迫にまだ当てられているのだろう。
「……えっと、ロクサーヌ。あなたはエリオットが私の変装に気づいたのは、偶々ではないと思っているのね?」
私は尋ねた。なぜ、彼女がそう思ったのか興味があったのだ。
「……申し訳ありません。わたくし、命が惜しいので言えません」
ロクサーヌは婚約者と似たような事を言ってきた。
「どうして命が惜しいとか言うのよ?」
「……アーサーが怖いんです」
私の純粋な疑問にロクサーヌが溜息交じりに答えた。「なぜ気づかないの?」と言いたげだ。
私は思わずアーサーを見てしまったが、彼は涼しい顔で立っているだけだ。
何とも気まずい空気が流れた。
「……あの、実はロバートとローズマリー嬢には、まだ明日の同席の件を頼んでいないので、今から頼みにいってきます」
エリックは言った。明らかに、この場から離れるための口実だ。
「兄上、今度は、ゆっくりお話ししましょう」
伯父の養子になったエリックは、実の兄弟とはいえ、あまりエリオットと交流する機会がないようだ。
「ああ。今度は父上や母上とも話そう。勿論、伯父上も交えてな」
「はい」
兄の言葉に頷くと、エリックは優雅に一礼した。そして、そそくさとこの場から離れた。
「……エリオット様、わたくし、あなたにお話がありますわ」
ロクサーヌはエリオットに近づくと、どこか挑むような眼差しで彼を見上げた。
「ロクサーヌ、私、先に帰るわ。今日は付き合ってくれて、ありがとう」
エレノアは婚約者と二人きりで話したいらしいロクサーヌに気を遣って「先に帰る」事にしたらしい。
「悪いわね。一緒に帰れなくて」
親友の気遣いにロクサーヌは申し訳なさそうな様子だ。
「だったら、私とアルバートと一緒に帰らない?」
本当は二人きりにしてあげたいのだが、婚約者同士でもない男女が一緒に帰れば妙な誤解をされてしまう。アルバートは女性に無体な真似などしない(いくらエレノアが弟を好きでもだ)と、私は分かっているが世間はそう見ないだろう。
「……よろしいのですか?」
エレノアは王子を気にしている。
「……姉上がそうしたいと仰るなら」
アルバートは仕方なさそうに言った。エレノアも一緒でなければ、また私が「一人で帰る!」とごねるのを弟は分かっているのだ。
エリオットとロクサーヌだけがその場に残り、私とアルバートとエレノアは馬車乗り場に向かっていた。
アーサーだけは厩舎に行った。彼は馬車ではなく馬に乗って来たのだ。
……アーサーと帰るなら馬に相乗りする破目になったかもしれない。馬車なら離れて座ってられるが馬ではそうはいかない。まあ、私とアルバートが乗って来た馬車を使えばよかったのかもしれないが。
帰るにはまだ早い時間だというのに、馬車乗り場には人がいた。
「……あ」
彼女は驚いた顔で私達を見ていた。こんな時間に帰るのは自分だけだと思っていたのだろう。しかも、やってきたのは、王女と王子、侯爵令嬢という、この国の高位にいる貴人ばかりだ。
彼女とは違う理由で私とアルバートとエレノアは驚いた。彼女の目は赤く仮面を外した顔は少しむくんでいて涙の跡まである。いかにも「さっきまで泣いてました」と言う顔なのだ。
「……エリザベス・ウォリンジャー」
王妃と王女が「エリザベス」だからか、この国には「エリザベス」という名前の女性が多い。彼女はリジーという愛称を持つ私と同い年の伯爵令嬢だ。
公式の場で遠目で見かけるだけの彼女を憶えていたのは、その名前と愛称、私と共通点の多い容姿のためだ。
長く真っ直ぐな黒髪、淡い青の瞳、小柄で華奢な肢体。ただ私に似た系統の顔立ちながら美しいと讃えられる私と違い彼女は言ってはなんだが平凡だ。
ウォリンジャー伯爵家はテューダ王国でも五指に入る古い家系だ。何度か王族と婚姻関係を結んでいる。彼女が王女に似ていても不思議ではない。
「貴女が謹慎中に結婚したので、今の彼女はウォリンジャー伯爵令嬢ではなくグレンヴィル子爵夫人ですよ」
私が彼女のフルネームを呟いたからかアルバートが教えてくれた。
「まあ、そうなの。それは、おめでとう」
この国では女性は十六から結婚が可能とはいえ今は学院を卒業する十八で結婚するのが多い。だから、ローズマリーもロクサーヌも今は結婚しないのだろう。彼女のように十六になったら即結婚とは珍しい。
「……姉上」
「……王女様」
アルバートとロクサーヌが何とも言えない微妙な視線を私に送ってきた。
「……ありがとうございます」
王女の祝辞に謝意を述べた彼女の顔は少しも嬉しそうではなかった。
その顔を見て気づいた。どうして、アルバートとロクサーヌが私にあんな視線を送ってきたのか、その理由にも。
彼女は当然初婚であるがグレンヴィル子爵は再婚だ。亡くなった前妻との間に彼女より一つ年上の息子もいる。
しかも、彼女の実家ウォリンジャー伯爵家は歴史こそ古いが、あまり裕福ではない。それにひきかえグレンヴィル子爵家は、へたな侯爵家や伯爵家よりもお金持ちである。
親子ほど年の離れた彼女との結婚を条件にグレンヴィル子爵が彼女の実家に援助を申し出たのだと考えればすぐに分かる。グレンヴィル子爵はどうか分からないが、少なくとも彼女には夫に対する愛はないのだと思う。
結婚と聞いて、すぐに祝辞を述べた自分が嫌になった。貴族にとって結婚は愛ではなく義務だと、よく分かっていたつもりだったのに。
謝るのもおかしい気がしたので黙っているが何だか気まずい。
そんな私の気持ちに気づいているのかいないのか、彼女は私が手に持っているけったいな仮面に気づいて息を呑んだ。
「……その仮面!?」
「これがどうしたの?」
仮面を掲げた私に構わず彼女は何やらぶつぶつ呟いている。
「それに、そのドレス……髪は鬘だったのね」
「……えっと……エリザベス?」
同じ名前なので「エリザベス」は言いにくいが彼女の愛称の「リジー」は、さらに言いにくい。
……なぜなら、私と同じ日に産まれ三日後に自然死した異母姉妹の愛称でもあるからだ。
何を考えているのか、妾妃は「彼女」に私と同じ名前を付けたのだ。さすがに愛称までは同じにしなかったが。
……いや、王妃が娘に「エリザベス」と名付けたから、そうしたのかもしれない。
そうしたところで、あの女の自己満足に過ぎないというのに。
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