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本編

15 エリック・ヴォーデン

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「……後ろ姿だと見分けがつきませんね」

 私を迎えに来たアルバートは並んでいる私とケイティを見て、そう言った。

 体型が同じなので栗色の鬘を被っている私と栗色の髪のケイティは、弟の言う通り後ろ姿からならば見分けがつかないだろう。

「……アーサー様や王子様とご一緒なら妙な事にはならないでしょうが、どうかお気をつけて」

 ケイティもどうやら弟が言っていたような仮面舞踏会の危険を知っているらしく弟と馬車に乗る際、心配そうに見送られた。

「……確かに、これなら、まず貴女だと分かりませんね」

 私の今の格好は、アルバートに言った通り長い栗色の鬘を被り、顔の大半を隠す極彩色な鳥の羽根やら宝石やらがついた派手な意匠の仮面をつけている。ドレスの色も、いつもは瞳の色に合わせた紫だけど今日はピンクだ。これだけで、まず私だと分からないはずだ。

「……それでも、アーサーは見抜くと思いますけどね」

 アルバートの小さな呟きは私には聞こえなかった。

 これから会うアーサーの事だけで頭がいっぱいだったのだ。

(……今日の私は王女わたしじゃない。どっかの見知らぬ令嬢よ。素の私としてアーサーと話すの)

 必死に自分に言い聞かせる。

 最後に彼との間に、いい思い出を作りたかった。

 馬車を降りる際、アルバートが手を差し伸べてくれたのだが――。

「どうしました? 姉上」

 固まったまま馬車から降りないわたしをアルバートは当然ながら不思議そうに見ている。慌てて弟の手を取り馬車から降りた私は摑んだままの彼の手をまじまじと見つめた。

「姉上?」

「……あなたの手、間近でじっくり見た事なかったから気づかなかったけど……アーサーに似ているのね」

 長い指を持つ美しい手。その特徴はアーサーと同じだ。今の今まで気づかなかった。

 ……顔は似ていないのに、こういう体の一部など些細な所を受け継いでしまうのだ。……私と同じように。

「……それは、仕方ありません」

 アルバートにとって王妃は、どうでもいい存在だ。大嫌いな妾妃おんなの息子として王妃から睨まれ、どれだけ皮肉や嫌味を言われても全く気にしない。

 だから、私のように忌々しく思わず「仕方ない」と受け入れる事ができるのだ。

 ……アルバートのようにどうでもいいと思われるのと、私のように心底嫌われてもまだ意識されるのと、どちらがいいのだろう?

「……これを言うと貴女は嫌がりそうですが、貴女の手はメアリーに似てますよ」

 私が「手が似てる」と言ったからか、アルバートは、こんな事を言いだした。

「……知っているわ」

 忌々しい気分を振り払って私はアルバートと共にダドリー伯爵邸に入った。

 きょろきょろ見回したくなるのをこらえて(王女だとばれなくても令嬢を演じている以上、常に優雅な所作を心掛けなくてはいけないのだ)視界に入る範囲で必死にアーサーの姿を捜す。

「……まだアーサーは来ていないのかしら?」

 仮面をつけていても、あれだけの美貌と存在感を隠せるはずがない。彼がいれば、すぐに分かるはずだ。

「……いました」

 アルバートが周囲に気づかれないように指で示すほうに目を向けた私は、途端に不機嫌になった。

 大広間の片隅。本来なら目立たない場所。

 私とは対照的な地味な仮面。そして、飾り気のない黒の礼服。だが、そんなものでアーサーの美しさや存在感が抑えられるはずもなく、まるで花の蜜に群がる蝶のように華やかなドレス姿の女性が数人、彼を取り囲んでいた。

 お陰で、ダドリー伯爵邸で一番華やかな場所になっているだろう。

 ……考えれば分かりそうなものだった。王女わたしという婚約者がいても女性達に遠巻きに見られていたアーサーだ。仮面舞踏会などという無礼講ならば、いつも遠巻きにしていた女性達が彼に群がらないはずがない。

「……帰る」

 私は、くるりと女性達に囲まれたアーサーに背を向けた。

「は? 何言っているんですか? アーサーと普通に話したくて、わざわざ鬘まで被って来たんでしょう。行きますよ」

 アルバートが私の腕を摑むとアーサーに向かって歩き出した。

「嫌よ! あんな女性に囲まれて、デレデレしている男の所になんて行きたくないわ!」

「……デレデレって、どう見ても、アーサー迷惑そうですが」

 冷静になればアルバートの言う通りだと分かるのだが、この時の私は頭に血が上っていた。……アーサーが係ると、どうも私は冷静でいられないようだ。

「とにかく帰るったら帰る!」

 摑まれた腕を振りほどこうとするができなかった。アーサーや国王に比べれば華奢な弟だが私よりは力が強いのだ。

「嫌がる女性を引っ張るのは、どうかと思いますよ。殿下」

 アーサーとはまた違う低音の美声だった。

 声の方向に顔を向けた私は顔が引きつった。……仮面のお陰で隠せていると思うけど。

 やはり仮面をしているが私のような顔の大半を隠すものではなかったので彼が誰か丸わかりだ。

 エリック・ヴォーデン。……エドワードの従兄で義兄、彼と同い年の十八歳。エドワードと同じ金髪にみどりの瞳だが、優男な彼と違って長身で逞しい体格の美丈夫だ。

 現在のヴォーデン辺境伯、エドワードの父親エドガーは、四十になってようやく息子エドワードが産まれたものの、そのため愛妻を亡くした。ようやくできた息子であり愛妻が命と引き換えに産んだ彼をヴォーデン辺境伯は大層溺愛したらしい。彼が愛妻によく似ていたのも拍車をかけたのだろう。

 そのせいなのか、元々の性質か、エドワードは典型的な甘ったれた貴族のお坊ちゃんだ。……自分の分をわきまえず王配を狙い婚約者のいる王女わたしに恋を囁いてきたくらいなのだから。

 そんな彼には王配は勿論、ヴォーデン辺境伯も相応しくない。

 テューダ王国は一族の中で最も優れた人間が家を継ぐのが常識だ。ヴォーデン辺境伯も、そこは考えたのか。器のない愛息ではなく、妹の息子、甥であるエリックを養子にし正式な後継者にした。

 エドワードは自分こそが次代のヴォーデン辺境伯になると思い込んでいたが、国王にも認められた次代の後継者は従兄で義兄であるエリックだ。

「……こちらの問題だ。放っておいてくれ」

 アルバートが素気なく言った。

「どう見ても婚約者ではないご令嬢、しかも嫌がる女性を引っ張る姿を見た以上、放っておけません。たとえ、貴方が王子殿下であっても」

 私は内心感心した。アルバートのつけている仮面は簡素で王族特有の紫眼が丸わかりだ。彼が王子なのは一目瞭然だのに食ってかかるとは、なかなか肝が据わっている。

 確かに、外見だけが取り柄(それすらアーサーには負けてるけど)の馬鹿エドワードよりもエリックのほうが次代のヴォーデン辺境伯に相応しいと、これだけで周囲は理解するだろう。

「……君が思っているような事じゃない。放っておいてくれ」

 アルバートはうんざり顔で言った。

 確かに、エリックが思っているような事じゃない。たぶん、エリックは王子アルバートが嫌がる女性(私)をどこかに連れ込もうとしていると勘違いしているのだろう。傍目には、そう映ってしまったのだ。

「……た、助けてください」

 心の中で弟に謝りながら私はエリックに助けを求めた。

「は? 何言ってるんですか? あね」

 アルバートが「姉上」と言いそうになったので、私は彼の言葉に被さるように、やや大声で言った。

「嫌だと言っているのに、王子様が私をどこかに連れて行こうとしているんです! 助けてください!」

 わたしから放たれた思ってもいなかった言葉に呆気にとられたのか、私の腕を摑む弟の手から力が抜けた。その隙に、私は、その場から逃げ出した。

「……もう大丈夫なようですよ。お嬢さん」

 なぜか私と一緒に逃げたエリックが言った。無茶苦茶に走ったが、どうやら中庭に出たらしい。

「……ありがとうございました」

 一応礼は言う。弟から逃げられたのは、エリックの勘違いのお陰なのは確かなので。

「これに懲りたら一人で、ふらふらと、こういう催しに参加しない事ですね」

「……事情があるのですわ」

 高慢な王女を演じるのをやめたとはいえ、今の私の態度は普段の素の私よりも、ずっとしおらしいものだろう。

 それは、王女ではなく、ただの令嬢として仮面舞踏会に来たからだけではない。話している相手がエリック・ヴォーデンだからだ。

 王配になりてくて婚約者のいる王女わたしに恋を囁いてきた馬鹿エドワードがどうなろうと自業自得だ。だから、私もアーサーとの婚約破棄のために遠慮なく彼を利用した。……結局は失敗したけど。

 婚約破棄騒動くらいなら国王は身内に責任を追及などしない。それでも、エドワードの身内というだけで周囲から陰口を囁かれたり嫌味や皮肉を言われたりはするだろう。だから、エリックやヴォーデン辺境伯には申し訳なく思う。そのためエドワードの義兄エリックを前にすると、どうしてもしおらしい態度になってしまうのだ。

「……エリック様こそ、なぜ仮面舞踏会に?」

 エリック・ヴォーデンは義弟エドワードと違って必要に迫られない限りパーディーなどは参加しない事で有名だ。まして、こんな無礼講な仮面舞踏会になど。

「ロバートに来るように言われたので」

 ロバートは脳筋だが意外と(こう言うのは失礼だけど)頭がよく特Aクラスだ。エリックとはクラスメートで親友でもある。ロバートの婚約者ローズマリーの父親ダドリー伯爵が主催している仮面舞踏会だ。招待された彼が親友のエリックを誘っても不思議ではない。

 納得する私の耳に不穏な音が聞こえてきた。女性の艶めかしい声やら衣擦れやら男性の囁き声など。何だろうと周囲を見回した私は、思わず王女どころか令嬢にも相応しくない「げっ!」という声を上げてしまった。

 中庭の木立の間のあちこちで男女が弟が言っていた「そういう事」と思しき事をしているようなのだ。

 早くこの場から立ち去らなければと頭では分かっている。だが、動揺で体が固まってしまった。そんな私の腕を摑むとエリックは歩き出した。















 








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