11 / 86
本編
11 妾妃が語る私の婚約者
しおりを挟む
私がケイティと自室に戻ると、そこには妾妃がいた。居間で紅茶を飲み我が物顔で寛いでいる。
私の自分への嫌悪を分かっているだろうに、私の自室で飲食する事を彼女はためらわない。絶対に殺されない自信があるからだ。
王女の侍女が私のために妾妃に毒を盛ってくれるはずがないし……何より私に彼女は殺せない。誰より嫌悪している女でもできないのだ。絶対に。それを彼女は分かっている。全く忌々しい。
私の心情を抜きにしても妾妃は毒に体を慣らしているため大抵の毒は効かない。それに強力な毒消しを常に携帯している。どちらにしろ毒では殺せない。
「……王女様が出て行かれた後、メアリー妃がいらしゃったのです」
侍女長が困った顔で告げてくる。
私がいないと分かっても「戻るまで待つわ」と居座ったらしい。私の妾妃嫌いは周知の事実なので対応に困っただろう。
私を見ると妾妃はソファから立ち上がり誰もが見惚れる微笑み(ただし私は除く)を浮かべた。
「お帰りなさい。王女」
ここまではいい。
「アーサー様と結ばれたようで、おめでとうございます」
「帰れ!」
私は真っ赤な顔で、これ以上はないという大音量で妾妃に怒鳴りつけた。
侍女長とケイティはぎょっとしたが妾妃は平然としている。
「帰れったら帰れ!」
子供のように地団駄を踏み喚く私とは対照的に妾妃は微笑んだまま穏やかに言った。
「王女と二人で話があるの。あなた達は出て行って」
王女の侍女長は妾妃の命令にも反発せず、そそくさと出て行った。今朝から怒り心頭の王女の傍にいたくなかったのだろう。
ケイティはさすがに「今の主は貴女です」と言うだけあって元の主の命令に従わなかった。ただ困り顔で王女にお伺いを立ててきた。
「……姫様、どうしましょう?」
私は溜息を吐いた。いくら私を騙していたからといって今の主と元の主の間で冷や汗をかく彼女を見て楽しむほど意地悪ではない。
「……いいわ。出ていて」
ケイティは安堵した顔になると一礼して部屋から出て行った。
「噂は嘘のようね」
元部下の事などどうでもいいらしく妾妃は彼女については何も言わない。
「当たり前だ! いくら怒っていてもアーサーは婚前こう……そんな事はしない!」
私は、あやうく「婚前交渉」と言いかけて言い直した。アーサーの口から聞きたくなかったが自分でも言いたくない。
「その意見は賛同しかねるけど、本当にアーサー様が抱いていたら、アーサー様に怒鳴り込みに行ったり、わたくしに怒鳴れる体力など残ってないわね」
……アーサーも似たような事を言っていた。
「……噂の真相を確かめるためなら、もう分かっただろう? 帰ってくれ」
「抱いてしまえばよかったのに」
妾妃がぽつりと言った。
「あ?」
私は思わず王女らしからぬ、どすの利いた声を出してしまった。
「抱いて本当に孕んでしまえば、あなただってもう婚約破棄するなんて言えないでしょう? そう周囲に思わせるだけで、あなたに何もしなかったなんて、案外アーサー様は、へたれなのかしら?」
儚げな美貌からは考えられない科白の数々だった。
今更、妾妃の顔と合わない言動に驚きはしないが愛する婚約者への侮辱は我慢できない。
「……いくら婚約者でもアーサーは無理矢理そんな事はしない」
「あなただってアーサー様を愛している。だったら無理矢理じゃないでしょう?」
「アーサーは私を愛していない。昨夜のあれは私を脅すだ」
「私を脅すだけで本気じゃなかった」という言葉の途中で私は黙った。妾妃が信じられないといいたげに私を凝視していたからだ。
「……何よ?」
「……気づいてないの?」
「何が?」
きょとんとする私に構わず妾妃は、いつかの王妃のように脱力したようにソファに座り込んだ。
「……嘘でしょう。全く伝わってないの? あんなに分かりやすいのに?」
何やらぶつぶつ呟く妾妃に私は苛立った。
「何よ? 言いたい事があるなら言えばいいでしょう」
「王女が婚約者と婚前交渉して、あなたが処女で妊娠が嘘だと周囲に知らしめた。あなたを想ってなきゃ、そんな事しないわよ」
「……婚ぜん……そんな事してないから!」
「……突っ込むのは、そこじゃないでしょう」
思わず真っ赤になって否定する私に妾妃は呆れた視線を向けた。
「実際したかどうかは、この際関係ない。あなたの妊娠発言が嘘だと知らしめるのが目的でしょう。そうやって、あなたの名誉を回復したんじゃないの」
「……名誉、ね。私の評価など最低なものなのに。今更」
私は、ほろ苦く笑った。私の態度が演技だと見抜いている一部の人間以外からは馬鹿で高慢な王女だと思われているのに。
「私のためじゃない。自分の面目のためよ。婚約者を他の男に寝取られて孕まされたなんて、いくらアーサーでも許容範囲を超えたんでしょうね。いつも冷静なアーサーが、ものすごく怒ってたもの」
「アーサー様が怒ったのは、自分の面目を潰されたからじゃないわよ。他人に何を言われても気にする方じゃないもの」
「それ以外の何があるのよ?」
「あなたが自分を貶める事をしたからよ」
「意味が分からない」
国王の命令であてがわれた婚約者だ。その私が何をしても気にしないはずだ。
「自分との婚約破棄のために、あんな下劣な男の恋人になり妊娠したとまで嘘を吐いて。自分を貶めてまで婚約破棄したいのかと憤ったんでしょう」
――姫様が、ご自分を貶めてまで婚約破棄する価値など、あの男にはないです。
ケイティの言葉を思い出した。今なら分かる。彼女は私を心配して言ってくれたのだと。
確かに、最初は妾妃の部下として私を監視していただけかもしれない。けれど、いつの頃からか、妾妃ではなく私を主だと思うようになったのだろう。
「私が公衆の面前で、あんな科白を公言してもダメージを受けるのは私だけ。アーサーが憤る理由などないわよ。自分の面目が潰されたと思わない限りは」
「……アーサー様は、あなたのあの言動が演技だと気づいているわよ」
「……ええ。さっき聞いたわ」
「まあ、気づかないほうがおかしいわね。あなたのあんな下手くそな演技など」
私などよりもずっと年季が入った猫を被った妾妃だ。何も言い返せない。
「アーサーが気づいている事を、なぜ教えない!?」と妾妃に詰め寄る事はできない。私に教える義理などないし、教えてもらったところで信じなかった。彼の態度から私の演技に気づいた事を全く見抜けなかったからだ。
今になって、それを教えたのは彼もまた素の自分として接しようと決めたからだろうか。それほどに、私のあの発言に憤ったのだろう。今までのように私の高慢な言動を受け流すだけでは駄目だと思ったのか。
「アーサー様は出会った時から、ちゃんと素のあなたを見ている。あなたが思い込んでいるように、あなたをどうでもいいだなんて思ってないわよ」
「……それは、私が従妹で王女で国王が決めた婚約者だから」
私という一人の女を想っている訳ではない。
「……それだけだったら、エドワード・ヴォーデンを痛めつけたりしないわよ」
「え?」
「……公衆の面前で嘘とはいえ彼の子を妊娠したと公言したくせに、すっかり存在を忘れているようね」
確かに、妾妃の言う通り、私は、すっかりエドワードの存在を忘れていた。
「あなた同様、謹慎を命じられた後、彼の身に何があったか調べもしなかったみたいだし」
「……意味ありげに言ってないで早く教えて」
「エドワード・ヴォーデンが陛下から謹慎を命じられた後、アーサー様が彼を痛めつけたのよ」
「はい?」
私は妾妃の言葉をすぐに理解できなかった。
――仕事を片付けていたら、こんな時間に。
昨夜のアーサーの言葉を思い出した。
「……まさか仕事って、これだったの?」
エドワードを痛めつける事?
国王が謹慎を命じたのだ。アーサーがそこまでする必要などないだろうに。確かに、誕生日パーティーの騒ぎの元凶は私だけでなくエドワードもだ。私だけでなく彼にも怒りを抱いた?
そうだったとしても、脳筋の王妃はともかく、いつも冷静なアーサーが、そんな事をするとは正直意外だった。
――貴女に私の何が分かるというんだ?
これもまたアーサーの隠された一面という事か?
「あなたが言ったでしょう? 服の上からは分からないように殴る蹴るの暴行をしたって。アーサー様は忠実に、それを実行したって訳ね」
妾妃は笑いながら言った。その笑顔は見惚れるほど美しく鈴の音のような笑い声は耳に心地いいが誰より妾妃を嫌悪する私だけは彼女の美しさに何ら感銘を受けない。
「……嘘なのは明らかなんだから、わざわざ実行しなくても」
――私が同じ事をしても構いませんよね?
昨夜のあれは婚約者以外の男と肌を重ねて子を孕んだと公言した私への仕返しだったのだろう。
私は未遂だったが(……婚前交渉したという噂は流されたけど)エドワードには、ちゃんと仕返しをした訳か。
「それくらいで済んだのは、彼が本当にあなたを抱かなかったからね。本当にあなたを抱いて孕ませていたら、これくらいじゃ済まなかったわ」
「……あなたが、かつてしたのと同じような事をアーサーもしたというの?」
妾妃が最初に産んだ息子、私の兄の一人。表向きは突然死だといわれているが実際は王妃の取り巻きだった当時の高位貴族の貴婦人達に殺されたのだ。
王妃は何の関係もない。彼女達が勝手にしでかした事だ。王妃の息子が死産となれば、妾妃の息子が次期国王になるのは確実だ。
それを王妃が望んでいないと思い込んだ彼女達は兄(妾妃が最初に産んだ息子)の乳母を脅して突然死に見せかけて殺させた。乳母の息子、兄の乳兄弟を人質にとったのだ。
確かに王妃は妾妃の息子が次期国王になるなど、できれば避けたいと思っただろう。けれど、妾妃達は撃退しても愛する夫である国王の子を、愛する男性の子を殺すなど彼女にはできない。せいぜい嫌悪の眼差しを向けるくらいだ。
――主の気持ちを忖度したつもりになって勝手な行動をする部下など敵よりも厄介だわ。
妾妃がそう言ったのは、そういう経緯があったからだ。
この妾妃にも多少の母性はあったのだろう。息子を突然死に見せかけて殺されたと知った彼女は、乳母を脅して殺させた王妃の取り巻きだった貴婦人達だけでなく我が子のために仕方なく実行した乳母も葬ったのだ。世間的には行方不明という事になっていて今も死体は見つかっていない。
……私の推測だが殺すよりもむごい目に遭わせている気がする。この女なら敵をあっさりとなど死なせない。なるべく長く生かして死んだほうがましだという苦痛をたっぷりと味わわせるだろうからだ。
さらには息子の死に直接係わった彼女達だけでなく彼女達の生家や婚家も汚職を露見させたり捏造したりで社会的に葬ったのだから結構えげつない。
兄を手に掛けたとはいえ我が子を人質にとられたのだ。悲惨な末路を辿っただろう乳母には多少同情する。
どんな理由があるにせよ、自分を裏切った人間を妾妃は絶対に許さない。必ず報復する。それも、その人間にとって最も残酷な方法で。自分の主がどういう人間か見抜けなかった乳母の不運だ。
無論、兄を殺させた王妃の取り巻きだった貴婦人達や汚職した彼女達の家族には同情などしない。
けれど、王妃は、お母様は、何の罪もない。
だのに、この女は――。
「……いいえ」
私がアーサーにかこつけて責めているのが分かったからだろう。妾妃は哀しそうな顔になった。
儚げな美貌故に、そういう表情が似合う。彼女の中身を知らない人間が見れば胸が痛くなるだろうが私は何とも思わない。
「……アーサー様なら、わたくし以上に、えげつない事をするわ。あなたは信じないでしょうけれど、あの方は、わたくしと同じ種の人間。いえ、もっと質が悪いもの」
今は否定できない。その気になれば、アーサーは何だってやる。する必要のないエドワードへの暴力もそうだし……婚約者と婚前交渉したと周囲に思わせた事もそうだ。昨夜実際にしなかったのは彼の最後の温情だろう。
「わたくしには大切なものがたくさんあるけれど、あの方には、たったひとつしかない。それのためなら何だってできるし、全てを棄てる事もためらわない。そんな人間には誰も勝てないわ」
「アーサーの大切なものって何?」
私はただ疑問を口にしただけだのに、妾妃は再び信じられないといいたげな顔になった。
「……これだけ聞いておいて、まだ分からないの?」
「……分からないけど?」
妾妃との会話に重大なヒントがあったという事か? けれど、それらしい事を言っていただろうか?
「……あなたは聡明だけど自分に向けられる感情には全く気づかないのね。これでは、アーサー様も苦労するわ」
――貴女は何も分かってない。
アーサーの言葉を思い出した。
「……もったいぶってないで教えて」
妾妃は大仰な溜息を吐いて私を苛つかせた後、衝撃の言葉を放った。
「あなたよ」
私の自分への嫌悪を分かっているだろうに、私の自室で飲食する事を彼女はためらわない。絶対に殺されない自信があるからだ。
王女の侍女が私のために妾妃に毒を盛ってくれるはずがないし……何より私に彼女は殺せない。誰より嫌悪している女でもできないのだ。絶対に。それを彼女は分かっている。全く忌々しい。
私の心情を抜きにしても妾妃は毒に体を慣らしているため大抵の毒は効かない。それに強力な毒消しを常に携帯している。どちらにしろ毒では殺せない。
「……王女様が出て行かれた後、メアリー妃がいらしゃったのです」
侍女長が困った顔で告げてくる。
私がいないと分かっても「戻るまで待つわ」と居座ったらしい。私の妾妃嫌いは周知の事実なので対応に困っただろう。
私を見ると妾妃はソファから立ち上がり誰もが見惚れる微笑み(ただし私は除く)を浮かべた。
「お帰りなさい。王女」
ここまではいい。
「アーサー様と結ばれたようで、おめでとうございます」
「帰れ!」
私は真っ赤な顔で、これ以上はないという大音量で妾妃に怒鳴りつけた。
侍女長とケイティはぎょっとしたが妾妃は平然としている。
「帰れったら帰れ!」
子供のように地団駄を踏み喚く私とは対照的に妾妃は微笑んだまま穏やかに言った。
「王女と二人で話があるの。あなた達は出て行って」
王女の侍女長は妾妃の命令にも反発せず、そそくさと出て行った。今朝から怒り心頭の王女の傍にいたくなかったのだろう。
ケイティはさすがに「今の主は貴女です」と言うだけあって元の主の命令に従わなかった。ただ困り顔で王女にお伺いを立ててきた。
「……姫様、どうしましょう?」
私は溜息を吐いた。いくら私を騙していたからといって今の主と元の主の間で冷や汗をかく彼女を見て楽しむほど意地悪ではない。
「……いいわ。出ていて」
ケイティは安堵した顔になると一礼して部屋から出て行った。
「噂は嘘のようね」
元部下の事などどうでもいいらしく妾妃は彼女については何も言わない。
「当たり前だ! いくら怒っていてもアーサーは婚前こう……そんな事はしない!」
私は、あやうく「婚前交渉」と言いかけて言い直した。アーサーの口から聞きたくなかったが自分でも言いたくない。
「その意見は賛同しかねるけど、本当にアーサー様が抱いていたら、アーサー様に怒鳴り込みに行ったり、わたくしに怒鳴れる体力など残ってないわね」
……アーサーも似たような事を言っていた。
「……噂の真相を確かめるためなら、もう分かっただろう? 帰ってくれ」
「抱いてしまえばよかったのに」
妾妃がぽつりと言った。
「あ?」
私は思わず王女らしからぬ、どすの利いた声を出してしまった。
「抱いて本当に孕んでしまえば、あなただってもう婚約破棄するなんて言えないでしょう? そう周囲に思わせるだけで、あなたに何もしなかったなんて、案外アーサー様は、へたれなのかしら?」
儚げな美貌からは考えられない科白の数々だった。
今更、妾妃の顔と合わない言動に驚きはしないが愛する婚約者への侮辱は我慢できない。
「……いくら婚約者でもアーサーは無理矢理そんな事はしない」
「あなただってアーサー様を愛している。だったら無理矢理じゃないでしょう?」
「アーサーは私を愛していない。昨夜のあれは私を脅すだ」
「私を脅すだけで本気じゃなかった」という言葉の途中で私は黙った。妾妃が信じられないといいたげに私を凝視していたからだ。
「……何よ?」
「……気づいてないの?」
「何が?」
きょとんとする私に構わず妾妃は、いつかの王妃のように脱力したようにソファに座り込んだ。
「……嘘でしょう。全く伝わってないの? あんなに分かりやすいのに?」
何やらぶつぶつ呟く妾妃に私は苛立った。
「何よ? 言いたい事があるなら言えばいいでしょう」
「王女が婚約者と婚前交渉して、あなたが処女で妊娠が嘘だと周囲に知らしめた。あなたを想ってなきゃ、そんな事しないわよ」
「……婚ぜん……そんな事してないから!」
「……突っ込むのは、そこじゃないでしょう」
思わず真っ赤になって否定する私に妾妃は呆れた視線を向けた。
「実際したかどうかは、この際関係ない。あなたの妊娠発言が嘘だと知らしめるのが目的でしょう。そうやって、あなたの名誉を回復したんじゃないの」
「……名誉、ね。私の評価など最低なものなのに。今更」
私は、ほろ苦く笑った。私の態度が演技だと見抜いている一部の人間以外からは馬鹿で高慢な王女だと思われているのに。
「私のためじゃない。自分の面目のためよ。婚約者を他の男に寝取られて孕まされたなんて、いくらアーサーでも許容範囲を超えたんでしょうね。いつも冷静なアーサーが、ものすごく怒ってたもの」
「アーサー様が怒ったのは、自分の面目を潰されたからじゃないわよ。他人に何を言われても気にする方じゃないもの」
「それ以外の何があるのよ?」
「あなたが自分を貶める事をしたからよ」
「意味が分からない」
国王の命令であてがわれた婚約者だ。その私が何をしても気にしないはずだ。
「自分との婚約破棄のために、あんな下劣な男の恋人になり妊娠したとまで嘘を吐いて。自分を貶めてまで婚約破棄したいのかと憤ったんでしょう」
――姫様が、ご自分を貶めてまで婚約破棄する価値など、あの男にはないです。
ケイティの言葉を思い出した。今なら分かる。彼女は私を心配して言ってくれたのだと。
確かに、最初は妾妃の部下として私を監視していただけかもしれない。けれど、いつの頃からか、妾妃ではなく私を主だと思うようになったのだろう。
「私が公衆の面前で、あんな科白を公言してもダメージを受けるのは私だけ。アーサーが憤る理由などないわよ。自分の面目が潰されたと思わない限りは」
「……アーサー様は、あなたのあの言動が演技だと気づいているわよ」
「……ええ。さっき聞いたわ」
「まあ、気づかないほうがおかしいわね。あなたのあんな下手くそな演技など」
私などよりもずっと年季が入った猫を被った妾妃だ。何も言い返せない。
「アーサーが気づいている事を、なぜ教えない!?」と妾妃に詰め寄る事はできない。私に教える義理などないし、教えてもらったところで信じなかった。彼の態度から私の演技に気づいた事を全く見抜けなかったからだ。
今になって、それを教えたのは彼もまた素の自分として接しようと決めたからだろうか。それほどに、私のあの発言に憤ったのだろう。今までのように私の高慢な言動を受け流すだけでは駄目だと思ったのか。
「アーサー様は出会った時から、ちゃんと素のあなたを見ている。あなたが思い込んでいるように、あなたをどうでもいいだなんて思ってないわよ」
「……それは、私が従妹で王女で国王が決めた婚約者だから」
私という一人の女を想っている訳ではない。
「……それだけだったら、エドワード・ヴォーデンを痛めつけたりしないわよ」
「え?」
「……公衆の面前で嘘とはいえ彼の子を妊娠したと公言したくせに、すっかり存在を忘れているようね」
確かに、妾妃の言う通り、私は、すっかりエドワードの存在を忘れていた。
「あなた同様、謹慎を命じられた後、彼の身に何があったか調べもしなかったみたいだし」
「……意味ありげに言ってないで早く教えて」
「エドワード・ヴォーデンが陛下から謹慎を命じられた後、アーサー様が彼を痛めつけたのよ」
「はい?」
私は妾妃の言葉をすぐに理解できなかった。
――仕事を片付けていたら、こんな時間に。
昨夜のアーサーの言葉を思い出した。
「……まさか仕事って、これだったの?」
エドワードを痛めつける事?
国王が謹慎を命じたのだ。アーサーがそこまでする必要などないだろうに。確かに、誕生日パーティーの騒ぎの元凶は私だけでなくエドワードもだ。私だけでなく彼にも怒りを抱いた?
そうだったとしても、脳筋の王妃はともかく、いつも冷静なアーサーが、そんな事をするとは正直意外だった。
――貴女に私の何が分かるというんだ?
これもまたアーサーの隠された一面という事か?
「あなたが言ったでしょう? 服の上からは分からないように殴る蹴るの暴行をしたって。アーサー様は忠実に、それを実行したって訳ね」
妾妃は笑いながら言った。その笑顔は見惚れるほど美しく鈴の音のような笑い声は耳に心地いいが誰より妾妃を嫌悪する私だけは彼女の美しさに何ら感銘を受けない。
「……嘘なのは明らかなんだから、わざわざ実行しなくても」
――私が同じ事をしても構いませんよね?
昨夜のあれは婚約者以外の男と肌を重ねて子を孕んだと公言した私への仕返しだったのだろう。
私は未遂だったが(……婚前交渉したという噂は流されたけど)エドワードには、ちゃんと仕返しをした訳か。
「それくらいで済んだのは、彼が本当にあなたを抱かなかったからね。本当にあなたを抱いて孕ませていたら、これくらいじゃ済まなかったわ」
「……あなたが、かつてしたのと同じような事をアーサーもしたというの?」
妾妃が最初に産んだ息子、私の兄の一人。表向きは突然死だといわれているが実際は王妃の取り巻きだった当時の高位貴族の貴婦人達に殺されたのだ。
王妃は何の関係もない。彼女達が勝手にしでかした事だ。王妃の息子が死産となれば、妾妃の息子が次期国王になるのは確実だ。
それを王妃が望んでいないと思い込んだ彼女達は兄(妾妃が最初に産んだ息子)の乳母を脅して突然死に見せかけて殺させた。乳母の息子、兄の乳兄弟を人質にとったのだ。
確かに王妃は妾妃の息子が次期国王になるなど、できれば避けたいと思っただろう。けれど、妾妃達は撃退しても愛する夫である国王の子を、愛する男性の子を殺すなど彼女にはできない。せいぜい嫌悪の眼差しを向けるくらいだ。
――主の気持ちを忖度したつもりになって勝手な行動をする部下など敵よりも厄介だわ。
妾妃がそう言ったのは、そういう経緯があったからだ。
この妾妃にも多少の母性はあったのだろう。息子を突然死に見せかけて殺されたと知った彼女は、乳母を脅して殺させた王妃の取り巻きだった貴婦人達だけでなく我が子のために仕方なく実行した乳母も葬ったのだ。世間的には行方不明という事になっていて今も死体は見つかっていない。
……私の推測だが殺すよりもむごい目に遭わせている気がする。この女なら敵をあっさりとなど死なせない。なるべく長く生かして死んだほうがましだという苦痛をたっぷりと味わわせるだろうからだ。
さらには息子の死に直接係わった彼女達だけでなく彼女達の生家や婚家も汚職を露見させたり捏造したりで社会的に葬ったのだから結構えげつない。
兄を手に掛けたとはいえ我が子を人質にとられたのだ。悲惨な末路を辿っただろう乳母には多少同情する。
どんな理由があるにせよ、自分を裏切った人間を妾妃は絶対に許さない。必ず報復する。それも、その人間にとって最も残酷な方法で。自分の主がどういう人間か見抜けなかった乳母の不運だ。
無論、兄を殺させた王妃の取り巻きだった貴婦人達や汚職した彼女達の家族には同情などしない。
けれど、王妃は、お母様は、何の罪もない。
だのに、この女は――。
「……いいえ」
私がアーサーにかこつけて責めているのが分かったからだろう。妾妃は哀しそうな顔になった。
儚げな美貌故に、そういう表情が似合う。彼女の中身を知らない人間が見れば胸が痛くなるだろうが私は何とも思わない。
「……アーサー様なら、わたくし以上に、えげつない事をするわ。あなたは信じないでしょうけれど、あの方は、わたくしと同じ種の人間。いえ、もっと質が悪いもの」
今は否定できない。その気になれば、アーサーは何だってやる。する必要のないエドワードへの暴力もそうだし……婚約者と婚前交渉したと周囲に思わせた事もそうだ。昨夜実際にしなかったのは彼の最後の温情だろう。
「わたくしには大切なものがたくさんあるけれど、あの方には、たったひとつしかない。それのためなら何だってできるし、全てを棄てる事もためらわない。そんな人間には誰も勝てないわ」
「アーサーの大切なものって何?」
私はただ疑問を口にしただけだのに、妾妃は再び信じられないといいたげな顔になった。
「……これだけ聞いておいて、まだ分からないの?」
「……分からないけど?」
妾妃との会話に重大なヒントがあったという事か? けれど、それらしい事を言っていただろうか?
「……あなたは聡明だけど自分に向けられる感情には全く気づかないのね。これでは、アーサー様も苦労するわ」
――貴女は何も分かってない。
アーサーの言葉を思い出した。
「……もったいぶってないで教えて」
妾妃は大仰な溜息を吐いて私を苛つかせた後、衝撃の言葉を放った。
「あなたよ」
0
お気に入りに追加
175
あなたにおすすめの小説
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
王妃さまは断罪劇に異議を唱える
土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。
そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。
彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。
王族の結婚とは。
王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。
王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。
ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。
旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。
アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。
今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。
私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。
これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
【完結】悪役令嬢は婚約者を差し上げたい
三谷朱花
恋愛
アリス・デッセ侯爵令嬢と婚約者であるハース・マーヴィン侯爵令息の出会いは最悪だった。
そして、学園の食堂で、アリスは、「ハース様を解放して欲しい」というメルル・アーディン侯爵令嬢の言葉に、頷こうとした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる