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第一部 ジョセフ

75 婚約者の想い人

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 車から降りるとヴェルディエ侯爵邸の人々が出迎えてくれた。

 その中には私の婚約者となったジャンだけでなく彼の父親、この館の主、アレクシスまでいた。いくら息子の婚約者が正式に挨拶に来たとはいえ、宰相で忙しいはずの彼まで家にいて出迎えてくれるとは思わなかった。

 ジャンの母親は別邸で暮らしている。噂では子供さえ産めば後は好きにしていいとアレクシスが言ったためだという。ゲイで知られる彼に嫁ぐのだ。これくらいの好条件を提示されなければ、いくら王家の親戚であるヴェルディエ侯爵家でも嫁いでくる女性などいないだろう。

「君は!?」

 ジャンは、なぜか婚約者である私ではなく私の隣にいるリリを驚いたように見つめていた。

 ちらっと横目でリリを見ると彼女はジャンの様子に困惑しているようだ。

「婚約者がいらしたんだ。挨拶しなさい」

 アレクシスの言い方は優しかったが、息子ジャンに向けるその目は何とも冷たかった。とても我が子に向けるものではないが彼に抱いていた印象からいえば納得できるものだ。

 父親の冷たい視線にジャンは、びくりと震えた後、私に向き直った。

「……失礼しました。初めまして、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィル辺境伯様。ぼく……私はジャン・ヴェルディエです。これからどうぞよろしくお願いいたします」

 アレクシスやジュール王子に似た金髪碧眼の美少年、今年九歳になるジャン・ヴェルディエは、やや青ざめた顔で一礼した。

「ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルです。ジョゼで構いません。こちらこそよろしくお願いいたします」

 私はスカートを摘まみ上げて完璧で美しい一礼をしてみせた。王妃教育で行儀作法の教師から絶賛された所作には自信がある。

「まずは婚約者同士で話すといい。それが終わったら君と話したい。ブルノンヴィル辺境伯」

 アレクシスはどうやら私と話したいために忙しい中、時間を作ったのだ。

「畏まりました。宰相閣下」

 ちょうどよかった。私も彼に話があったのだ。




 ヴェルディエ侯爵邸の東屋では、すでにお茶やお菓子などが用意されていた。

 ここが婚約者同士の語らいの場になるようだ。

 とはいっても二人きりではなく、給仕のためのヴェルディエ侯爵邸の使用人達、私の傍にはリリとアルマンがいる。

 貴族社会では、いくら幼くても(私は肉体的にだが)、まして婚約者同士であっても結婚前の男女を二人きりにするのはありえないのだ。

「リリが気になるようですね」

 私の声に対面に座ったジャンは我に返った様子だ。彼は、ここに移動する間もずっとリリを見つめていたのだ。

 前世のレオンに酷似した外見のリリは絶世の美少女だ。侍女としてお茶会などで私のお供をする度に多くは同世代の少年から注目されていたが、どうもジャンの彼女を見る目は、それとは違うように思えた。

 私が今生の人格ジョゼフィーヌのまま、もしくはごく普通の貴族令嬢であれば、幼くても婚約者が別の女性を注目するのに不快感を抱いたはずだ。

 ただ私は相手がリリというのが気になっているだけだ。

「……申し訳ありません」

 素直に謝るジャンを見て、やはりこのやしきの使用人達や私が感じた印象通りの子なのだと確信した。

 だからこそ憐れに思った。

 いくら侯爵家に生まれ何不自由ない生活ができても、父親では気が休まらないだろう。さらには、この「私」を婚約者に宛がわれるとは。

「謝る必要はありません。王命によって決められた婚約者。それ以外の感情を私はあなたに抱いていませんし、これからも抱く事はありません。あなたが誰に心奪われようと非難する気は毛頭ありませんが」

 私は、ここで強い眼差しをジャンに向けた。ジャンは、びくりと震えた。

「その相手がリリなら放っておく事はできません」

 前世で私が助けたレオンが助け、今生ではお祖母様が地獄のような境遇から救い出した少女。

 彼女が望んだとはいえ彼女の家を取り潰し侍女として引き取った。

 私は今生の彼女の人生に対して責任があるのだ。

「……あなたは、あなたの侍女となる前の彼女をご存知なのですね」

 ジャンの言葉で彼もまた私の侍女となる前の彼女、モーパッサン伯爵令嬢だったリリアーナを知っているのだと分かった。

 リリはジャンに露骨に警戒心むき出しの視線を向けた。とうにばれているとしても、これでは自分がリリアーナ・モーパッサン伯爵令嬢だったと暴露するようなものだ。私の役に立ちたいと侍女をしながらブルノンヴィル辺境伯家の影の仕事(前世の私のような秘密結社の実行部隊みたいなものだ)も学んでいるのだ。表面上だけでも平静でいるべきだのに。

 リリの露骨な警戒心むき出しの視線にジャンは悲しそうな顔になったが、私は頓着せず会話を続けた。気にしては話が進まないし気に掛けるほどの情を彼に対して持ってない。

「勿論知っています。アルマンも知っているので、気にせず話してください」

 取り潰された伯爵家の令嬢が生きていると知られれば、過激な者は彼女を殺せと言い出すかもしれない。おそらくジャンは、それを心配してくれているのだろう。父親や従兄と違って気遣いができる優しい子なのだ。

 婚約者同士の語らいの場故か、リリとアルマンは私の傍から離れなかったが、ヴェルディエ侯爵邸の使用人達は給仕終わると見える位置だが遠くのほうに控えている。余程大声で話さない限り、彼らに会話は聞こえてこないだろう。

「あなたの五歳の誕生日会に私も参加したのです。その時に、リリアーナ嬢を見かけました」

「今はリリ・ベルトランです。リリアーナと呼ぶのは、やめてください」

 思いがけず強い口調でリリは言った。

 相手はわたしの婚約者で侯爵令息、しかも、わたしとの会話中だ。有能な侍女である彼女なら口を挟むべきではないと分かっているはずだ。

 それでも、そうせずにいられないほど我慢できなかったのだろう。無理もない。「リリアーナ」は、彼女を性的虐待していた今生の父親、最期は領民に焼き殺されたモーパッサン伯爵が付けた名前なのだ。二度と絶対呼ばれたくないだろう。

「リリ。気持ちは分かるが、今の君はジョゼフィーヌ様の侍女だ。分をわきまえろ」

 アルマンの厳しい声にリリは我に返った様子で、メイド服のスカートを摘まみ上げるとジャンに向かって一礼をした。やはりただの侍女とは思えない何とも美しい所作だ。

「……失礼いたしました。ジャン様」

「いや。僕こそ悪かった。君にとって『リリアーナ』と呼ばれていた過去は思い出したくもないものなのだろう」

 ジャンはリリの様子から、それが分かったようだ。

私の過去リリアーナを知っているとばらして、結局あなたは何をしたいんですか?」

「は?」

 リリの質問は思ってもいなかったものだからだろう。ジャンは目を瞠った。

「取り潰されたモーパッサン伯爵家の娘が生きていてブルノンヴィル辺境伯家の侍女をしている。知られれば、私は勿論、ブルノンヴィル辺境伯家もただでは済まないでしょう」

 リリの懸念は尤もだが杞憂になると私には分かる。

 けれど、分からないリリは、ここでジャンにきつい眼差しを向けた。とても主の婚約者に向けていい視線ではない。

「婚約者になる方に対して優位に立ちたいと考えていらっしゃるなら、あなたが宰相様のご子息だろうとジョゼ様の婚約者だろうと、私はあなたを絶対に許さない」

 普通に考えて弱味を握られているのはリリなのだが、なぜか彼女はジャンに対して強気に出ている。実際、ジャンに対して優位に立っているのはリリなのだ。彼女は気づいていないだろうが。

「そんな事、考えてもいない!」

 ジャンは、その優しげな容姿からは考えられない強い口調で否定した。

「僕は、ただ君が無事に生きていてくれて嬉しかったんだ!」

「は?」

 今度はリリが目を瞠った。
























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