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第一部 ジョセフ
37 氷人形(アイスドール)も怒鳴る
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後宮の私にあてがわれた部屋で、普段からは想像できない出来事が起こっていた。
「本当に貴女という人は! 前世と違って体は幼女なのだから、ご自愛くださいと私は帰る前に言いましたよね!?」
普段は氷人形に相応しく冷静沈着で声を荒げる事などないアンディだが、この時はベッドに半身を起こした私に容赦なく怒鳴りつけていた。
お祖母様とアンディはブルノンヴィル辺境伯領に帰り、ロザリーだけは後宮で王妃教育を受ける私の許に残ったものの、幼女とは思えない(精神は三十女だけど)鬼気迫る様子で王妃教育に励む私に恐れをなした彼女は、電話でアンディとお祖母様に「お嬢様を何とかしてください!」と泣きついたのだ。
お祖母様とアンディが何とか日程を調整し後宮に到着したのは、ちょうど私が王妃教育の座学の終了を告げられ、ぶっ倒れた時だった。タイミングがいいのか悪いのか。
「……ごめん。アンディ」
一応、畏まって謝った私だが、アンディの怒りはおさまらないようだ。
「前世の《アネシドラ》壊滅前の緊迫した時だって、きちんと食事も睡眠もとっていたのに、どうして今回は、こんな無茶をしたんですか?」
前世では今回のような無茶をしなかったから今回も大丈夫だろうと、アンディはロザリーに私を任せて、お祖母様と共に帰ったのだ。彼は実質家令なので彼がいないとブルノンヴィル辺境伯家は回らないのだ。
「そりゃあ、前世の私は頭ではなく体を使う役割が多かったから、いざという時、動けないと困るでしょう? でも、今回は体ではなく頭を使うから多少無茶をしても平気かなって」
てへぺろという感じで言った私に、アンディの怒りは爆発したらしい。
「貴女は馬鹿か!?」
「馬鹿って失礼ね! 馬鹿なら《アネシドラ》の学園を飛び級で卒業できないわよ!」
前世で私とアンディが所属していた秘密結社《アネシドラ》は初等部から高等部までの学園も創立していた。《アネシドラ》の関係者の優秀な子供と孤児だけが通う特殊な(主に殺人のための)知識と技能を学ばせるものだ。日本に在ったが国の認可などもらっていない(もらえるはずがない。何せ殺人のための知識と技能を授けるものなのだから)《アネシドラ》独自の法で創立された学園だ。だから、飛び級もある。
「私が言っているのは頭の良し悪しじゃない! 無駄に良すぎる頭脳を持っているくせに、なぜ分からないんだ!? 幼い体で、そんな無茶をすれば倒れるに決まっているでしょう!」
これまた無駄に良すぎる頭脳を持つアンディが怒鳴った。
「嫌な事は、さっさと終わらせたかったの! まさかぶっ倒れるとは思わなかったけど王妃の座学は終わらせたんだから、もういいでしょう!」
私の言外の「これ以上ごちゃごちゃ言うな!」が伝わったのだろう。アンディは柳眉を逆立てた。
「よくない! ここできっちり言い聞かせないと貴女は何度だって無茶をするでしょう! その度に私とジョセフィン様がどんな思いをするか、少しは考えてください!」
私は黙り込んだ。ようやく分かったのだ。普段の氷人形の姿をかなぐり捨てて、なぜアンディがこれだけ怒鳴り散らしたのか。彼は無茶をした私を心配して怒ったのだ。
「……ごめん。アンディ。お祖母様にも後できちんと謝るわ」
今度の「ごめん」は適当ではなく心からのものだった。
それが分かったのだろう。氷人形とは思えないほど怒気を放っていたアンディの顔が和らいだ。
「……もう二度と、こんな無茶はしないでください」
アンディの瞳はアイスブルーという冷たい色だのに、銀縁眼鏡はさらにそれを際立たせるのに、彼の瞳には確かに私を気遣う優しさや温もりがあった。
「約束する。だから、あなたも私を守るために命を棄てるような事は二度としないで」
私はアンディの言葉に便乗して言ってやった。今生で彼と出会ってから、ずっと言いたかった。
アンディは私の言葉に虚を衝かれた顔になった。まさか私がこう言うとは思いもしなかったのだろう。
「……以前も言いましたが、前世での事は、貴女のためではなく自分のためにした事です。その事で貴女が私に罪悪感や負い目を感じる必要は」
「ないのですよ」と続けたかったのだろうアンディの言葉を私は遮った。
「分かってる。あなたが私のためではなく自分のために私を守ってくれたのは。あなたは満足して死んだかもしれない。でも、残された私があの後どんな気持ちで生きたか、考えもしなかったでしょう? あんな想いは、もう二度としたくないの」
アンディは、前世の彼、《アイスドール》は、前世の私の両親を殺すように命じた仇だ。
だが、それでも、共に《アネシドラ》を壊滅させようと十年も一緒に行動しているうちに情が移ったのだろう。彼ほどの人が私を主だと認め常に気にかけてくれるのだ。そうならないほうがおかしい。それが、たとえ両親を殺すように命じた仇であっても。
前世では到底認められなかった。両親の仇だから。
けれど、前世の私、相原祥子は死に、ジョゼフィーヌに生まれ変わった事で素直に認められる。
私は《アイスドール》が、アンディが大切なのだ。
これは恋愛感情などではない。そんな代えのきく想いなどではない。
前世で唯一恋した「彼」を殺した事よりも、《アイスドール》を失った衝撃のほうが私には大きかったのだから――。
だから、一ヶ月、何もする気が起きなかったのだ。
あれは復讐をなしとげた虚無感ではなく彼を失ったショックで、ああなったのだと今なら分かる。
「本当に貴女という人は! 前世と違って体は幼女なのだから、ご自愛くださいと私は帰る前に言いましたよね!?」
普段は氷人形に相応しく冷静沈着で声を荒げる事などないアンディだが、この時はベッドに半身を起こした私に容赦なく怒鳴りつけていた。
お祖母様とアンディはブルノンヴィル辺境伯領に帰り、ロザリーだけは後宮で王妃教育を受ける私の許に残ったものの、幼女とは思えない(精神は三十女だけど)鬼気迫る様子で王妃教育に励む私に恐れをなした彼女は、電話でアンディとお祖母様に「お嬢様を何とかしてください!」と泣きついたのだ。
お祖母様とアンディが何とか日程を調整し後宮に到着したのは、ちょうど私が王妃教育の座学の終了を告げられ、ぶっ倒れた時だった。タイミングがいいのか悪いのか。
「……ごめん。アンディ」
一応、畏まって謝った私だが、アンディの怒りはおさまらないようだ。
「前世の《アネシドラ》壊滅前の緊迫した時だって、きちんと食事も睡眠もとっていたのに、どうして今回は、こんな無茶をしたんですか?」
前世では今回のような無茶をしなかったから今回も大丈夫だろうと、アンディはロザリーに私を任せて、お祖母様と共に帰ったのだ。彼は実質家令なので彼がいないとブルノンヴィル辺境伯家は回らないのだ。
「そりゃあ、前世の私は頭ではなく体を使う役割が多かったから、いざという時、動けないと困るでしょう? でも、今回は体ではなく頭を使うから多少無茶をしても平気かなって」
てへぺろという感じで言った私に、アンディの怒りは爆発したらしい。
「貴女は馬鹿か!?」
「馬鹿って失礼ね! 馬鹿なら《アネシドラ》の学園を飛び級で卒業できないわよ!」
前世で私とアンディが所属していた秘密結社《アネシドラ》は初等部から高等部までの学園も創立していた。《アネシドラ》の関係者の優秀な子供と孤児だけが通う特殊な(主に殺人のための)知識と技能を学ばせるものだ。日本に在ったが国の認可などもらっていない(もらえるはずがない。何せ殺人のための知識と技能を授けるものなのだから)《アネシドラ》独自の法で創立された学園だ。だから、飛び級もある。
「私が言っているのは頭の良し悪しじゃない! 無駄に良すぎる頭脳を持っているくせに、なぜ分からないんだ!? 幼い体で、そんな無茶をすれば倒れるに決まっているでしょう!」
これまた無駄に良すぎる頭脳を持つアンディが怒鳴った。
「嫌な事は、さっさと終わらせたかったの! まさかぶっ倒れるとは思わなかったけど王妃の座学は終わらせたんだから、もういいでしょう!」
私の言外の「これ以上ごちゃごちゃ言うな!」が伝わったのだろう。アンディは柳眉を逆立てた。
「よくない! ここできっちり言い聞かせないと貴女は何度だって無茶をするでしょう! その度に私とジョセフィン様がどんな思いをするか、少しは考えてください!」
私は黙り込んだ。ようやく分かったのだ。普段の氷人形の姿をかなぐり捨てて、なぜアンディがこれだけ怒鳴り散らしたのか。彼は無茶をした私を心配して怒ったのだ。
「……ごめん。アンディ。お祖母様にも後できちんと謝るわ」
今度の「ごめん」は適当ではなく心からのものだった。
それが分かったのだろう。氷人形とは思えないほど怒気を放っていたアンディの顔が和らいだ。
「……もう二度と、こんな無茶はしないでください」
アンディの瞳はアイスブルーという冷たい色だのに、銀縁眼鏡はさらにそれを際立たせるのに、彼の瞳には確かに私を気遣う優しさや温もりがあった。
「約束する。だから、あなたも私を守るために命を棄てるような事は二度としないで」
私はアンディの言葉に便乗して言ってやった。今生で彼と出会ってから、ずっと言いたかった。
アンディは私の言葉に虚を衝かれた顔になった。まさか私がこう言うとは思いもしなかったのだろう。
「……以前も言いましたが、前世での事は、貴女のためではなく自分のためにした事です。その事で貴女が私に罪悪感や負い目を感じる必要は」
「ないのですよ」と続けたかったのだろうアンディの言葉を私は遮った。
「分かってる。あなたが私のためではなく自分のために私を守ってくれたのは。あなたは満足して死んだかもしれない。でも、残された私があの後どんな気持ちで生きたか、考えもしなかったでしょう? あんな想いは、もう二度としたくないの」
アンディは、前世の彼、《アイスドール》は、前世の私の両親を殺すように命じた仇だ。
だが、それでも、共に《アネシドラ》を壊滅させようと十年も一緒に行動しているうちに情が移ったのだろう。彼ほどの人が私を主だと認め常に気にかけてくれるのだ。そうならないほうがおかしい。それが、たとえ両親を殺すように命じた仇であっても。
前世では到底認められなかった。両親の仇だから。
けれど、前世の私、相原祥子は死に、ジョゼフィーヌに生まれ変わった事で素直に認められる。
私は《アイスドール》が、アンディが大切なのだ。
これは恋愛感情などではない。そんな代えのきく想いなどではない。
前世で唯一恋した「彼」を殺した事よりも、《アイスドール》を失った衝撃のほうが私には大きかったのだから――。
だから、一ヶ月、何もする気が起きなかったのだ。
あれは復讐をなしとげた虚無感ではなく彼を失ったショックで、ああなったのだと今なら分かる。
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