26 / 113
第一部 ジョセフ
26 前世の玲音
しおりを挟む
「……前世のあなたも男の子なのよね?」
こうして話すまで私は疑いもしなかった。前世のレオンは女の子だったのだと。長い髪にリボンとレースのついたひらひらしたワンピースがよく似合っていた。美しい幼女にしか見えなかったのだ。
けれど、この短い時間、レオンと接して分かった。前世のレオンも男の子だったのだと。
いくら男の子の記憶と人格を吸収したとはいえ、前世が女の子で、その前世の人格のほうが表に強めに出ているのなら女の子っぽい言動になったはずだ。
けれど、フランソワ王子や私に対する言動は、どう見ても男の子のそれだった。
「……うん。あんな恰好だったから貴女が誤解したのは無理ないけど、前世の僕も男だよ。藤條玲音《れおん》、それが前世の僕の名前だ」
レオンは空に前世の自分の名前を書いた。
「前世も『レオン』なのね」
「うん。前世では大嫌いな名前だったけど、今生は、お祖父様が付けてくれた名前だから同じ『レオン』でも大切に思える」
レオンは、ふと暗い顔になった。
「……せっかく貴女に助けてもらった命だのに、僕は令和になった翌日、五歳の誕生日に死んだ。……殺されたんだ。前世のクズで下種で最低最悪な父親に」
レオンは最後は吐き捨てるように言った。
「前世のレオンは天寿を全うしなかったのでは?」という私の予想は当たっていた。けれど、それは私が思う以上に悲惨な結果もたらされたのだと今のレオンの言葉だけでも分かる。
「……話したくないのなら話さなくていいのよ」
今の彼は「藤條玲音」ではなく「レオン・ボワデフル」だ。つらかった前世を蒸し返す事はないだろう。
「……不愉快な話だけど、どうか聞いてほしい。貴女は、この世界で前世の僕を唯一知っていて、前世の僕を救ってくれた人だから」
レオンの「救ってくれた」という言葉には、ただ単に「命を救ってくれた」という以上の深い意味が込められているように思えた。
「……前世の僕の三歳の誕生日に母が出て行った。浮気相手と駆け落ちしたんだ。それから、父は、おかしくなった。愛する妻である母に裏切られて出て行かれた事がショックだったんだろう。
母に似た僕の髪を伸ばさせ女の子の格好をさせるようになった。母のように振る舞うように強要したんだ。……名前も『玲音』ではなく母の名前『礼音』と呼ばれるようになった。家に閉じ込められ父の『おもちゃ』でしかない人生だった」
レオンは何でもない事のように淡々と語っているが、聞いている私は胸が痛くなった。
前世のレオン、藤條玲音が、なぜ、あんな虚無的な目をしていたのか、ようやく理解できた。
物心ついた頃にはもう藤條玲音(前世のレオン)は、人間として扱われていなかったからだ。家に閉じ込められ、唯一接触する人間である父親は、彼を彼としてではなく出て行った愛する妻の身代わりとしてしか扱わなかったのだ。
今度こそ人生を謳歌してやる!
そう思っていた自分を私は恥じた。
復讐に身を捧げた人生であっても私は不幸ではなかった。他の誰でもなく私自身として生きられたのだから。
誰よりも今生で人生を謳歌すべき人間は目の前のレオンだ。
私ではない――。
「父が仕事で数日家を留守にしたのを幸い僕は家を出た。別に逃げようとか考えたんじゃない。そんな事、思いつきもしなかった。……前世の僕は父の『おもちゃ』としての人生しか知らない。それ以外の生き方ができるなんて考えもしなかったんだ」
レオンは自嘲の笑みを浮かべた。
前世の、父親の言いなりでしかなった自分を嘲っているようだが、それ以外の生き方しか知らなかったのなら無理もない。
彼が自分を嘲る必要などないのに――。
「ただ外を見たかったんだ。父が家にいる時はできないから」
外に出歩いて、そして、前世の私に出会う事になったのだ。
「……トラックが目の前に迫った時、最初に感じたのは『これで、あの男から自由になれる』という安堵と歓喜だった」
トラックが目の前に迫った時、玲音は確かに微笑んでいた。あれは、父親の「おもちゃ」でしかない人生を終わりにできる安堵と歓喜故の微笑みだったのだ。
「でも、貴女が命と引き換えに僕を助けてくれて考えが変わった。父親の『おもちゃ』でしかないこんな僕を助けて死んだ人がいる。だったら、貴女の分まで生きなければと思ったんだ。だのに――」
レオンは底冷えするような冷たい瞳になった。
「あの事故の後、僕も病院に送られた。男の子だのに女の子の格好……加えて、体には明らかな性的虐待の跡。お陰で家に帰されずに済んだ。取りあえず病院で過ごす事になったのだけれど……何をどう調べたのか、父がやってきて僕を取り戻そうとした。
病院の医者や看護師、職員の人達は必死に僕を渡すまいとしてくれたんだけど、母に出て行かれてからの父は正気じゃない。病院で暴れ回って、病院にいる人達を何のためらいもなく傷つけ始めた。僕と同い年くらいの女の子に刃物が向けられているのを見て目の前に飛び出した。それが、前世の僕の最期の記憶だ」
「その女の子を庇って死んだのね」
私の確認にレオンは頷いた。
「……せっかく貴女に助けられた命だのに、天寿を全うできなくて、ごめんなさい」
「私に謝る事など何もないわ」
私が勝手に彼を庇って死んだのだ。その命を彼がどう使おうと彼の勝手だ。何より、彼だって死にたくて死んだ訳ではない。
「でも、そうね。私に済まないと思っているのなら、今生こそ自由に幸せに生きて」
「だったら、お姉さん……ジョゼフィーヌも幸せに生きてほしい。そのためなら、僕は何でもする」
「さっきも言ったけど、前世の事で私に罪悪感や負い目を抱く必要はないの。私のために何かしようとか考えなくていいから」
誰かや何かの身代わりではなく、自分自身として幸せに生きてほしい。
「罪悪感や負い目じゃない。僕は貴女が――」
レオンは何か言いかけて首を振った。
「勿論、僕だって今生は幸せになりたい。そして、貴女にも幸せになってほしい。そのためなら僕は何でもする。それだけは譲れない」
頑なに言うレオンに私は苦笑した。
「分かったわ。困った時には、レオンの力を借りる事にする」
私の言葉に、レオンは嬉しそうに微笑んだ。前世で出会った時の彼からは想像できない本当に子供らしく無邪気な微笑だった。
こうして話すまで私は疑いもしなかった。前世のレオンは女の子だったのだと。長い髪にリボンとレースのついたひらひらしたワンピースがよく似合っていた。美しい幼女にしか見えなかったのだ。
けれど、この短い時間、レオンと接して分かった。前世のレオンも男の子だったのだと。
いくら男の子の記憶と人格を吸収したとはいえ、前世が女の子で、その前世の人格のほうが表に強めに出ているのなら女の子っぽい言動になったはずだ。
けれど、フランソワ王子や私に対する言動は、どう見ても男の子のそれだった。
「……うん。あんな恰好だったから貴女が誤解したのは無理ないけど、前世の僕も男だよ。藤條玲音《れおん》、それが前世の僕の名前だ」
レオンは空に前世の自分の名前を書いた。
「前世も『レオン』なのね」
「うん。前世では大嫌いな名前だったけど、今生は、お祖父様が付けてくれた名前だから同じ『レオン』でも大切に思える」
レオンは、ふと暗い顔になった。
「……せっかく貴女に助けてもらった命だのに、僕は令和になった翌日、五歳の誕生日に死んだ。……殺されたんだ。前世のクズで下種で最低最悪な父親に」
レオンは最後は吐き捨てるように言った。
「前世のレオンは天寿を全うしなかったのでは?」という私の予想は当たっていた。けれど、それは私が思う以上に悲惨な結果もたらされたのだと今のレオンの言葉だけでも分かる。
「……話したくないのなら話さなくていいのよ」
今の彼は「藤條玲音」ではなく「レオン・ボワデフル」だ。つらかった前世を蒸し返す事はないだろう。
「……不愉快な話だけど、どうか聞いてほしい。貴女は、この世界で前世の僕を唯一知っていて、前世の僕を救ってくれた人だから」
レオンの「救ってくれた」という言葉には、ただ単に「命を救ってくれた」という以上の深い意味が込められているように思えた。
「……前世の僕の三歳の誕生日に母が出て行った。浮気相手と駆け落ちしたんだ。それから、父は、おかしくなった。愛する妻である母に裏切られて出て行かれた事がショックだったんだろう。
母に似た僕の髪を伸ばさせ女の子の格好をさせるようになった。母のように振る舞うように強要したんだ。……名前も『玲音』ではなく母の名前『礼音』と呼ばれるようになった。家に閉じ込められ父の『おもちゃ』でしかない人生だった」
レオンは何でもない事のように淡々と語っているが、聞いている私は胸が痛くなった。
前世のレオン、藤條玲音が、なぜ、あんな虚無的な目をしていたのか、ようやく理解できた。
物心ついた頃にはもう藤條玲音(前世のレオン)は、人間として扱われていなかったからだ。家に閉じ込められ、唯一接触する人間である父親は、彼を彼としてではなく出て行った愛する妻の身代わりとしてしか扱わなかったのだ。
今度こそ人生を謳歌してやる!
そう思っていた自分を私は恥じた。
復讐に身を捧げた人生であっても私は不幸ではなかった。他の誰でもなく私自身として生きられたのだから。
誰よりも今生で人生を謳歌すべき人間は目の前のレオンだ。
私ではない――。
「父が仕事で数日家を留守にしたのを幸い僕は家を出た。別に逃げようとか考えたんじゃない。そんな事、思いつきもしなかった。……前世の僕は父の『おもちゃ』としての人生しか知らない。それ以外の生き方ができるなんて考えもしなかったんだ」
レオンは自嘲の笑みを浮かべた。
前世の、父親の言いなりでしかなった自分を嘲っているようだが、それ以外の生き方しか知らなかったのなら無理もない。
彼が自分を嘲る必要などないのに――。
「ただ外を見たかったんだ。父が家にいる時はできないから」
外に出歩いて、そして、前世の私に出会う事になったのだ。
「……トラックが目の前に迫った時、最初に感じたのは『これで、あの男から自由になれる』という安堵と歓喜だった」
トラックが目の前に迫った時、玲音は確かに微笑んでいた。あれは、父親の「おもちゃ」でしかない人生を終わりにできる安堵と歓喜故の微笑みだったのだ。
「でも、貴女が命と引き換えに僕を助けてくれて考えが変わった。父親の『おもちゃ』でしかないこんな僕を助けて死んだ人がいる。だったら、貴女の分まで生きなければと思ったんだ。だのに――」
レオンは底冷えするような冷たい瞳になった。
「あの事故の後、僕も病院に送られた。男の子だのに女の子の格好……加えて、体には明らかな性的虐待の跡。お陰で家に帰されずに済んだ。取りあえず病院で過ごす事になったのだけれど……何をどう調べたのか、父がやってきて僕を取り戻そうとした。
病院の医者や看護師、職員の人達は必死に僕を渡すまいとしてくれたんだけど、母に出て行かれてからの父は正気じゃない。病院で暴れ回って、病院にいる人達を何のためらいもなく傷つけ始めた。僕と同い年くらいの女の子に刃物が向けられているのを見て目の前に飛び出した。それが、前世の僕の最期の記憶だ」
「その女の子を庇って死んだのね」
私の確認にレオンは頷いた。
「……せっかく貴女に助けられた命だのに、天寿を全うできなくて、ごめんなさい」
「私に謝る事など何もないわ」
私が勝手に彼を庇って死んだのだ。その命を彼がどう使おうと彼の勝手だ。何より、彼だって死にたくて死んだ訳ではない。
「でも、そうね。私に済まないと思っているのなら、今生こそ自由に幸せに生きて」
「だったら、お姉さん……ジョゼフィーヌも幸せに生きてほしい。そのためなら、僕は何でもする」
「さっきも言ったけど、前世の事で私に罪悪感や負い目を抱く必要はないの。私のために何かしようとか考えなくていいから」
誰かや何かの身代わりではなく、自分自身として幸せに生きてほしい。
「罪悪感や負い目じゃない。僕は貴女が――」
レオンは何か言いかけて首を振った。
「勿論、僕だって今生は幸せになりたい。そして、貴女にも幸せになってほしい。そのためなら僕は何でもする。それだけは譲れない」
頑なに言うレオンに私は苦笑した。
「分かったわ。困った時には、レオンの力を借りる事にする」
私の言葉に、レオンは嬉しそうに微笑んだ。前世で出会った時の彼からは想像できない本当に子供らしく無邪気な微笑だった。
1
お気に入りに追加
136
あなたにおすすめの小説

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました
さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア
姉の婚約者は第三王子
お茶会をすると一緒に来てと言われる
アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる
ある日姉が父に言った。
アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね?
バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た

村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。

妹に婚約者を奪われたので妹の服を全部売りさばくことに決めました
常野夏子
恋愛
婚約者フレデリックを妹ジェシカに奪われたクラリッサ。
裏切りに打ちひしがれるも、やがて復讐を決意する。
ジェシカが莫大な資金を投じて集めた高級服の数々――それを全て売りさばき、彼女の誇りを粉々に砕くのだ。

悪役令嬢?いま忙しいので後でやります
みおな
恋愛
転生したその世界は、かつて自分がゲームクリエーターとして作成した乙女ゲームの世界だった!
しかも、すべての愛を詰め込んだヒロインではなく、悪役令嬢?
私はヒロイン推しなんです。悪役令嬢?忙しいので、後にしてください。

あなたを忘れる魔法があれば
美緒
恋愛
乙女ゲームの攻略対象の婚約者として転生した私、ディアナ・クリストハルト。
ただ、ゲームの舞台は他国の為、ゲームには婚約者がいるという事でしか登場しない名前のないモブ。
私は、ゲームの強制力により、好きになった方を奪われるしかないのでしょうか――?
これは、「あなたを忘れる魔法があれば」をテーマに書いてみたものです――が、何か違うような??
R15、残酷描写ありは保険。乙女ゲーム要素も空気に近いです。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載してます

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる