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第一部 異世界転移
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知高さんによると、この世界は君主制で共和制の国は存在しない。建物も人々も中世ヨーロッパ風だったので見当はついていたが。
エリジウム王国。
それが私と知高さんが転移した国だ。
よりによって、エリジウム(Elysium)、エリュシオンの英語読みを冠した国とは。
エリュシオンはギリシア神話で死後の楽園だ。
死のうとしていた私に対する神様の皮肉かと勘繰ってしまう。まあ、私は神など信じていないけど。
異世界転移してきたのに、なぜか言葉に不自由しないのは、物語ではもはや常識になっているけれど、幸いこの世界でもそうだと知高さんは言っていた。知高さんには日本語だが、この世界の人間や私と知高さんがいた世界とは違う世界から転移してきた異世界人にとっては彼らの母国語になるという。
知高さんが現在居住しているのは、一見すると中世ヨーロッパ風の邸宅だが、中に入ると、それぞれ独立した住居となる部屋が六室ある集合住宅の一室だ。
元いた世界の知高さんの住居に比べると狭くて質素だ。日本を代表するヴァイオリニストであった彼は広くて豪華なマンションの一室に住んでいたのだ。彼自身は今の住居を気にしていないようだが。
この世界は中世ヨーロッパ風だが幸い浴室もトイレも私が元いた世界の現代風になっている。中世ヨーロッパの衛生事情は令和に生きる日本人だった私には耐えられないので、そこは助かった。
知高さんの部屋にある風呂で身綺麗にした後、彼の知り合いの女性に用意してもらったヴィクトリア朝の簡素なドレスを着た。
私が落ち着いたのを見計らうと知高さんは互いの事情を話そうと部屋の片隅、テーブルを挟んだソファに対面で座った。
「僕は元の世界では三ヶ月前から行方不明という事になっているんだね」
「ええ。でも、あなたは一年前からこの世界にいるのね」
私は知高さんが淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。元いた世界では名家の子女だったので無駄に舌が肥えている。今口にした紅茶は今まで口にした物より味が確実に味が落ちるが気にするほどではないのは幸いだった。これからの事を考えると衣食住に関して文句は言ってられない。
それに……元の世界で生き延びたとしても待っていたのは監獄生活だっただろうから。
「元の世界とは時間の流れが違うようだね」
結婚前に別れを告げてすぐ知高さんは行方不明になった。彼が現在所有しているヴァイオリンや荷物などは、その場に残されたまま彼だけが消えたのだ。
時価数十億もするヴァイオリンは放置されたまま知高さんだけが消えたので、最初は、あの男、父が彼に何かしたのかと疑った。あの男がその気になれば人間一人を人知れず抹殺するなど容易いからだ。
けれど、私と知高さんが円満に別れた以上、あの男がそんな面倒な事に労力を使うはずがないと考え直した。代々警察の上層部にいる優秀な人間を輩出してきた《日本の守護神》とさえいわれる豊柴家の当主だ。できるだけ犯罪行為は避けるはずだ。
知高さんの安否は気になったけれど……結婚してすぐ軟禁状態になったので行方知れずとなった元恋人を気にする余裕はなくなってしまった。
まさか私も知高さんも同じ異世界に転移するとは思いもしなかった。
沈黙が落ちた。互いにカップを受け皿に触れさせる音しか聞こえない。
「……私があんな恰好で現れた理由を訊かないのね」
知高さんはヴァイオリンの天才で頭脳明晰であるだけでなく人の心の機微にも聡い。おそらく、おおよその見当はついているのだろう。
「君が話したくないなら僕は無理に聞こうとは思わないよ。ただ」
知高さんは困ったような顔になった。
「異世界人が現われたら役所の《異世界人対策課》に届け出る義務がある。今まで自分の意思で元の世界に帰れた人間はいないらしいから必然的に、この世界で暮らさなければいけなくなる。この世界の人間の安全のために役人は事細かく聞いてくるよ。元の世界での身分や職業……何の罪を犯したのかとかね」
「……まあ当然よね」
「この世界の裁判官が裁くのは、この世界で犯した罪だけだ。元の世界で何をしても裁く事はできないよ」
「……だからって、私がした事がなかった事にならないのは分かっているわ」
そして、その事に後悔もしていないのだ。
「……いつか人伝に聞くより、私自身の口から話すわ。私が何をしたのか――」
私は知高さんに別れを告げた後、私の身に起きた事を話し始めた。
エリジウム王国。
それが私と知高さんが転移した国だ。
よりによって、エリジウム(Elysium)、エリュシオンの英語読みを冠した国とは。
エリュシオンはギリシア神話で死後の楽園だ。
死のうとしていた私に対する神様の皮肉かと勘繰ってしまう。まあ、私は神など信じていないけど。
異世界転移してきたのに、なぜか言葉に不自由しないのは、物語ではもはや常識になっているけれど、幸いこの世界でもそうだと知高さんは言っていた。知高さんには日本語だが、この世界の人間や私と知高さんがいた世界とは違う世界から転移してきた異世界人にとっては彼らの母国語になるという。
知高さんが現在居住しているのは、一見すると中世ヨーロッパ風の邸宅だが、中に入ると、それぞれ独立した住居となる部屋が六室ある集合住宅の一室だ。
元いた世界の知高さんの住居に比べると狭くて質素だ。日本を代表するヴァイオリニストであった彼は広くて豪華なマンションの一室に住んでいたのだ。彼自身は今の住居を気にしていないようだが。
この世界は中世ヨーロッパ風だが幸い浴室もトイレも私が元いた世界の現代風になっている。中世ヨーロッパの衛生事情は令和に生きる日本人だった私には耐えられないので、そこは助かった。
知高さんの部屋にある風呂で身綺麗にした後、彼の知り合いの女性に用意してもらったヴィクトリア朝の簡素なドレスを着た。
私が落ち着いたのを見計らうと知高さんは互いの事情を話そうと部屋の片隅、テーブルを挟んだソファに対面で座った。
「僕は元の世界では三ヶ月前から行方不明という事になっているんだね」
「ええ。でも、あなたは一年前からこの世界にいるのね」
私は知高さんが淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。元いた世界では名家の子女だったので無駄に舌が肥えている。今口にした紅茶は今まで口にした物より味が確実に味が落ちるが気にするほどではないのは幸いだった。これからの事を考えると衣食住に関して文句は言ってられない。
それに……元の世界で生き延びたとしても待っていたのは監獄生活だっただろうから。
「元の世界とは時間の流れが違うようだね」
結婚前に別れを告げてすぐ知高さんは行方不明になった。彼が現在所有しているヴァイオリンや荷物などは、その場に残されたまま彼だけが消えたのだ。
時価数十億もするヴァイオリンは放置されたまま知高さんだけが消えたので、最初は、あの男、父が彼に何かしたのかと疑った。あの男がその気になれば人間一人を人知れず抹殺するなど容易いからだ。
けれど、私と知高さんが円満に別れた以上、あの男がそんな面倒な事に労力を使うはずがないと考え直した。代々警察の上層部にいる優秀な人間を輩出してきた《日本の守護神》とさえいわれる豊柴家の当主だ。できるだけ犯罪行為は避けるはずだ。
知高さんの安否は気になったけれど……結婚してすぐ軟禁状態になったので行方知れずとなった元恋人を気にする余裕はなくなってしまった。
まさか私も知高さんも同じ異世界に転移するとは思いもしなかった。
沈黙が落ちた。互いにカップを受け皿に触れさせる音しか聞こえない。
「……私があんな恰好で現れた理由を訊かないのね」
知高さんはヴァイオリンの天才で頭脳明晰であるだけでなく人の心の機微にも聡い。おそらく、おおよその見当はついているのだろう。
「君が話したくないなら僕は無理に聞こうとは思わないよ。ただ」
知高さんは困ったような顔になった。
「異世界人が現われたら役所の《異世界人対策課》に届け出る義務がある。今まで自分の意思で元の世界に帰れた人間はいないらしいから必然的に、この世界で暮らさなければいけなくなる。この世界の人間の安全のために役人は事細かく聞いてくるよ。元の世界での身分や職業……何の罪を犯したのかとかね」
「……まあ当然よね」
「この世界の裁判官が裁くのは、この世界で犯した罪だけだ。元の世界で何をしても裁く事はできないよ」
「……だからって、私がした事がなかった事にならないのは分かっているわ」
そして、その事に後悔もしていないのだ。
「……いつか人伝に聞くより、私自身の口から話すわ。私が何をしたのか――」
私は知高さんに別れを告げた後、私の身に起きた事を話し始めた。
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