1 / 25
第一部 異世界転移
1
しおりを挟む
夫をこの手で殺した時、罪悪感など微塵もなかった。
むしろ、なぜ、もっと早くこうしなかったのかと悔やむ気持ちしかなかった。
だから、許しなどいらない――。
夫を刺し殺した包丁を今度は自分の喉元に振り下ろそうとした時だった。
空気が変わった。
室内のエアコンで調整された気温ではなく外の冷たい空気が身を包んでいる。
それだけでなく取り巻く景色すら違う。
私がいたのはマンションの一室だったのに、今は、どう見ても中世ヨーロッパを思わせる街並みの中にいるのだ。
時間も夜中から昼間になっている。
「……どこよ、ここ?」
手に持っていたはずの包丁がなくなっているが、私は夫の返り血を浴びたままの格好だ。
どう見ても不審者以外の何者でもない女に、周囲にいた人々は怪訝そうな、あるいは、はっきりと恐怖に満ちた視線を向けてくる。
……うん。私も同じ立場なら、そうなるわね。
中世ヨーロッパ風の建物に相応しく道行く人々の服装もヴィクトリア朝だ。さらには色素の薄い髪と瞳で顔立ちも日本人より彫りが深い。
これは、暇潰しに読んでいたネット小説に出てくる異世界転移というやつだろうか?
私が読んだネット小説によると異世界を救う聖女や勇者として魔術師や神官に召喚されるものだが。
私の場合は、どう見ても、それではないだろう。
「……美音?」
信じられないと言いたげなその声は聞き慣れたものだった。
そして、もう二度と聞く事はないだろうと思っていたもの。
「……知高さん?」
振り返ると行方知れずになっていた元恋人、京極知高が立っていた。
周囲にいる人々と比べると明らかに浮いた容姿だが、私と同じ黒い髪と瞳で人種的には似た顔立ち。いかにも人が良さそうな(実際そういう人だ)均整の取れた長身の二十代後半の男性だ。
「その血はどうした!? 怪我をしているのか!?」
元恋人がなぜここにいるのかという疑問や血塗れな恰好の原因を追究するよりも、真っ先に私の怪我の有無を心配する知高さんに(変わっていないな)と思った。
「……私の血じゃないわ。心配してくれて、ありがとう」
夫を殺した事は微塵も後悔していない。
けれど、知高さんにだけは知られたくなかった。
綺麗なままの私だけを憶えていてほしかった。
「……まず、その恰好をどうにかしよう。ついてきてくれ」
「……私が何をしたか見当はついているんでしょう? いいの? こんな危ない女を家に引き入れて」
私はもう、あなたの知る美音ではないのだ。
「この世界の法で転移してきた異世界人は保護しなければいけないんだ」
「私やあなたのように、異世界から転移してきた人間が、この世界には多いのね?」
でなければ、そんな法は作られないはずだ。
「それだけでなく前世の記憶を持つ異世界からの転生者も多いよ」
知高さんは補足すると話を続けた。
「君が元の世界で何をしても、この世界では何の罪を犯していない以上、保護すべき異世界人だから」
夫を道連れにして死のうと思っていたが、異世界転移という現実では起こりえないと思っていた出来事が実際に自分の身に起こった事で、さすがにもう死ぬ気も失せた。
どうしていいのか分からない現状だ。目の前にいる知人である知高さんに頼るしかない。
夫を道連れにして死のうと思っていたのに、なぜか異世界に飛ばされ、行方知れずとなっていた元恋人と再会するとは。
神様も悪戯が過ぎる。
「神の悪戯」は、これだけではないのだと、この時の私は思いもしなかった。
むしろ、なぜ、もっと早くこうしなかったのかと悔やむ気持ちしかなかった。
だから、許しなどいらない――。
夫を刺し殺した包丁を今度は自分の喉元に振り下ろそうとした時だった。
空気が変わった。
室内のエアコンで調整された気温ではなく外の冷たい空気が身を包んでいる。
それだけでなく取り巻く景色すら違う。
私がいたのはマンションの一室だったのに、今は、どう見ても中世ヨーロッパを思わせる街並みの中にいるのだ。
時間も夜中から昼間になっている。
「……どこよ、ここ?」
手に持っていたはずの包丁がなくなっているが、私は夫の返り血を浴びたままの格好だ。
どう見ても不審者以外の何者でもない女に、周囲にいた人々は怪訝そうな、あるいは、はっきりと恐怖に満ちた視線を向けてくる。
……うん。私も同じ立場なら、そうなるわね。
中世ヨーロッパ風の建物に相応しく道行く人々の服装もヴィクトリア朝だ。さらには色素の薄い髪と瞳で顔立ちも日本人より彫りが深い。
これは、暇潰しに読んでいたネット小説に出てくる異世界転移というやつだろうか?
私が読んだネット小説によると異世界を救う聖女や勇者として魔術師や神官に召喚されるものだが。
私の場合は、どう見ても、それではないだろう。
「……美音?」
信じられないと言いたげなその声は聞き慣れたものだった。
そして、もう二度と聞く事はないだろうと思っていたもの。
「……知高さん?」
振り返ると行方知れずになっていた元恋人、京極知高が立っていた。
周囲にいる人々と比べると明らかに浮いた容姿だが、私と同じ黒い髪と瞳で人種的には似た顔立ち。いかにも人が良さそうな(実際そういう人だ)均整の取れた長身の二十代後半の男性だ。
「その血はどうした!? 怪我をしているのか!?」
元恋人がなぜここにいるのかという疑問や血塗れな恰好の原因を追究するよりも、真っ先に私の怪我の有無を心配する知高さんに(変わっていないな)と思った。
「……私の血じゃないわ。心配してくれて、ありがとう」
夫を殺した事は微塵も後悔していない。
けれど、知高さんにだけは知られたくなかった。
綺麗なままの私だけを憶えていてほしかった。
「……まず、その恰好をどうにかしよう。ついてきてくれ」
「……私が何をしたか見当はついているんでしょう? いいの? こんな危ない女を家に引き入れて」
私はもう、あなたの知る美音ではないのだ。
「この世界の法で転移してきた異世界人は保護しなければいけないんだ」
「私やあなたのように、異世界から転移してきた人間が、この世界には多いのね?」
でなければ、そんな法は作られないはずだ。
「それだけでなく前世の記憶を持つ異世界からの転生者も多いよ」
知高さんは補足すると話を続けた。
「君が元の世界で何をしても、この世界では何の罪を犯していない以上、保護すべき異世界人だから」
夫を道連れにして死のうと思っていたが、異世界転移という現実では起こりえないと思っていた出来事が実際に自分の身に起こった事で、さすがにもう死ぬ気も失せた。
どうしていいのか分からない現状だ。目の前にいる知人である知高さんに頼るしかない。
夫を道連れにして死のうと思っていたのに、なぜか異世界に飛ばされ、行方知れずとなっていた元恋人と再会するとは。
神様も悪戯が過ぎる。
「神の悪戯」は、これだけではないのだと、この時の私は思いもしなかった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
水面に流れる星明り
善奈美
ファンタジー
齢千歳の白狐九尾狐の千樹が保護したのは、まだ幼い男の子だった。だだの人間の童だと思っていた千樹。だが、一向に探しにくる人間がいない。おかしいと思い頗梨に調べさせたところ陰陽師の子供であることが分かる。何より、その母親が有り得ない存在だった。知らず知らずのうちに厄介事を拾ってしまった千樹だが、それは蓋をしていた妖に転じる前の記憶を呼び起こす者だった。
今は閉鎖したサイト、メクるで公開していた作品です。小説家になろうの方にも公開しています。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

大草原の小さな家でスローライフ系ゲームを満喫していたら、何故か聖女と呼ばれるようになっていました~異世界で最強のドラゴンに溺愛されてます~
うみ
ファンタジー
「無骨なドラゴンとちょっと残念なヒロインの終始ほのぼの、時にコメディなおはなし」
箱庭系スローライフが売りのゲームを起動させたら、見知らぬ大草原に!
ゲームの能力で小屋を建て畑に種を撒いたりしていたら……巨大なドラゴンが現れた。
「ドラゴンさん、私とお友達になってください!」
『まあよい。こうして言葉を交わすこと、久しく忘れておった。我は邪黒竜。それでも良いのだな?』
「もちろんです! よ、よろしくお願いします!」
怖かったけど、ドラゴンとお友達になった私は、訪れる動物や魔物とお友達になりながら牧場を作ったり、池で釣りをしたりとほのぼのとした毎日を過ごしていく。
神による異世界転生〜転生した私の異世界ライフ〜
シュガーコクーン
ファンタジー
女神のうっかりで死んでしまったOLが一人。そのOLは、女神によって幼女に戻って異世界転生させてもらうことに。
その幼女の新たな名前はリティア。リティアの繰り広げる異世界ファンタジーが今始まる!
「こんな話をいれて欲しい!」そんな要望も是非下さい!出来る限り書きたいと思います。
素人のつたない作品ですが、よければリティアの異世界ライフをお楽しみ下さい╰(*´︶`*)╯
旧題「神による異世界転生〜転生幼女の異世界ライフ〜」
現在、小説家になろうでこの作品のリメイクを連載しています!そちらも是非覗いてみてください。
髪の色は愛の証 〜白髪少年愛される〜
あめ
ファンタジー
髪の色がとてもカラフルな世界。
そんな世界に唯一現れた白髪の少年。
その少年とは神様に転生させられた日本人だった。
その少年が“髪の色=愛の証”とされる世界で愛を知らぬ者として、可愛がられ愛される話。
⚠第1章の主人公は、2歳なのでめっちゃ拙い発音です。滑舌死んでます。
⚠愛されるだけではなく、ちょっと可哀想なお話もあります。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる