腐女子令嬢は再婚する

青葉めいこ

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「愛人にしてください!」2

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 ハークの素っ頓狂な叫び声の後、ミュケーナイ侯爵家の中庭は恐ろしいほど静まり返った。

 何とも言えない微妙な空気が流れている中、ウラニアが笑った。鈴を転がすようなという表現がぴったりな笑い声は普段なら誰もが楽しい気分になるものだろう。

 当然ながら今は到底そんな気分になれるはずもなくリノスがウラニアに怒鳴りつけた。

「笑っている場合じゃないでしょう!? お母さん!」

「……だって、『結婚してください』じゃなく『愛人にしてください』だなんて。なんて、この子らしいの! そう思うと、おかしくて!」

 それだけ言うとウラニアは、またころころと笑いだす。

 笑い転げている母親ウラニアは放っておく事にしたらしい。リノスは、ずんずんと妹に近づくと彼女の頭を上から押さえつけ強引に頭を下げさせた。

「……愚妹が質の悪い冗談を言ってしまいました。どうかお許しください」

 リノス自身も呆然としているハークに向かって頭を下げる。

「……あ、いや、大丈夫です」

 ハークは何とかそれだけ言えたという感じだ。

「冗談じゃないわ! 私は本気よ!」

 兄の手を振り払うとイオレは叫んだ。

「尚悪いわ!」

 リノスも叫び返した。何だか血管が切れそうだ。

「『子種をください』じゃあんまりだと思ったから『愛人にしてくだい』にしたのよ! 私はハーク様との子供が欲しいの!」

 ……何だかさらなる爆弾発言を聞かされたような気がする。そう思ったのはエウリだけではないだろう。ハークは、いまや魂魄が飛び出しそうになっている。

「何を言うんだ!?」

 リノスは目を瞠った。

「ハーク様に惚れたわ! でも、将来の帝国の宰相夫人なんて面倒なのは絶対に嫌! 子供だけ与えてくれればいいの!」

 イオレは再び両手を胸の前で組むとハークを見上げた。女性のこういう姿は男性には可憐で美しく見えるものらしい。まして彼女は絶世の美女。誰もが見惚れるだろう。ただし、今までの発言を知らなければ。

「子供さえ与えてくだされば迷惑はかけません。贅沢はさせてあげられないけど子供と二人生きていくだけの稼ぎはありますし。子供に会いたければ、いつでも会いに来てくださって構いません」

「……レディ・イオレ」

 ようやく我に返ったらしいハークは何ともいえない複雑な表情でイオレを見つめていた。

 父親オルフェほどでなくてもハークは同世代の青年達よりは余程冷静だ。それは、将来の宰相として厳しく育てられたからだろう。文官の長となる宰相だ。常に冷静で冷徹、理性的でなければならない。そうでなければ帝国と皇帝を支えられないのだから。

 それでも、初対面の親戚の女性から次々と爆弾発言を聞かされたのだ。ハークでなくても混乱する。

「イオレで構いませんわ。両親は貴族ですけど私は平民ですから」

 名前の前にレディを付けられるのは未婚の帝国貴族の女性だけだ(結婚すると姓の前にレディになる)。

「あなたの血筋を考えるとプリンセスと言ってもいいくらいですよ」

 ハークの言う通り、イオレは血筋を考えれば公式に知られていなくてもフェニキア公国の公女プリンセスだ(エウリもだが)。

「……私は平民として一生を終えるつもりなので、どうかイオレと呼んでください。後、敬語はなしで」

 思いの外強い口調でイオレは言った。「帝国の宰相夫人など面倒」と言い切った彼女だ。オルフェの言うように地位や権力に全く興味はないのだろう。

「……では、イオレ。私には結婚を決めている女性がいるので、あなたの望みを叶える事はできない」

 年上の女性だからだろう。ハークはイオレの望み通り呼び捨てで敬語も遣っていないが彼女を「あなた」と呼んでいる。

「帝国は一夫多妻でしょう? あなたが他に妻や愛人を持っても構わないのでは?」

 イオレは、きょとんとしている。

「……帝国の法ではそうだが、私が・・許せないんだ」

 ハークは苦渋に満ちた顔で言った。

「……彼女を妻にする事さえ申し訳なく思っている。彼女が私を愛していなくてもだ。あなたが私を愛しているのなら尚更そういう関係になる事はできない」

 ハークはエウリを愛している。いくら帝国では一夫多妻が許されていても自分に愛する女性がいるのに他の女性を(その女性が自分を愛していなくても)妻や愛人にするなど不誠実この上ないと思っているのだろう。こういう潔癖で優しいところも父親オルフェに似ている

「あなたがメガラ様と結婚しようとしている事、あなたに愛する方がいるのは知っています」

 イオレの科白は思いがけないものだった。

「……なぜ、知っているんだ?」

 ハークは驚きのあまりか、かすれた声で訊いた。

 エウリも驚いた。なぜ、初対面のイオレがそれ・・を知っているのだろう?

「私、メガラ様と仲がいいんです」

「ああ、従姉妹だったな」

 イオレの答えにハークは納得したようだ。

「時々、ムニア伯母様とエラト伯母様と一緒に公国の我が家にいらしてくださいます」

 エラトも義母の妹の一人だ。ウラニアのすぐ上の姉がムニアことポリヒムニア(メガラの母親)、そのすぐ上がエラトだと後で義母が教えてくれた。ポリヒムニアとエラトは姉妹の中でも特に仲が良く今でも行動を共にしているという。

「メガラ様とは手紙のやりとりはしょっちゅうだし。それで、メガラ様があなたとの結婚を考えている事、あなたに愛する方がいる事を知りました。さすがに、どなたかまでは書いてきませんでしたが」

 メガラもさすがにそこまでは、いくら仲良しの従姉でも教えなかったようだ。

「その時は、あなたに一欠けらも興味がなかったのですが」

 実際に会ってイオレはハークに「惚れた」のだ。

「私はメガラ様とあなたの結婚を邪魔する気は毛頭ありませんし、あなたに他に愛する方がいても構いません。ただ、あなたとの子供が欲しいのです。それ以上は何も望みません」

 ハークはイオレには何を言っても無駄だと悟ったようで、はっきりと疲れた顔になった。この一か月、皇宮に泊まり込んでの仕事で、ただでさえ疲労が溜まっているところに、この爆弾発言だ。彼が受けた精神的打撃は、かなりなものだろう。

「……部屋に戻ります。それでは、失礼します」

 侯爵令息として叩き込まれたからか、ハークの所作は、いつでも見惚れるほど美しい。それは、疲れて精神的打撃を受けたこんな時でも変わらず、優雅に一礼すると彼はさっさとその場を後にした。もうこれ以上イオレの傍にいたくないのだろう。

「あっ、ハーク様!」

 ハークの後を追おうとするイオレをリノスがとめた。

「やめておけ。あの方は今、混乱しているんだ」

「混乱していても構わないわ。やる事やって子供を与えてくれれば」

「……若い娘がそんな事言うな」

 今まで黙っていたティオが嫌そうに言った。

「カリオペ姉様とオルフェ様は、どう思ってらっしゃるの?」

「どうって? ウラニア」

「ウラニア叔母上?」

 義母とオルフェはウラニアの質問の意図が分からなかったのだろう。二人とも首を傾げている。

「私はイオレが望むなら妻でも愛人でも構わない。子供を作るのもいいわ。私が生きている間はイオレと子供の面倒は見る。世の中に絶対はないから絶対に迷惑をかけないとは言えないけど、できるだけ、あなた方に迷惑をかけたりしないわ」

「お母様!」

「お母さん!?」

 イオレは嬉しそうに、リノスは信じられないと言いたげに母親ウラニアを見ていた。

「……ああ、貴女は、そういう方ですよね」

 オルフェは遠い目になっていた。

「結婚もせず子供を産んで育てている女よ。私は。娘が私と同じ道を歩むというのなら力になるわ」

 ウラニアは恋愛に奔放な女性だという。だから、帝国ではなく公国に住んでいるのかもしれない。公国は恋愛大国と言われている。家のために結婚する貴族ばかりでなく平民でも不倫は日常茶飯事だ。未婚の母も多いので彼女達に厳しい目を向ける帝国よりは生きやすいだろう。

「他の子のように両親が揃ってなくても、俺もイオレも幸せだ。お母さんが結婚を望んでないというのもあるけど、お父さんは権力争いに俺達を巻き込みたくなくて戸籍上は他人になった。それでも、時々は会いにきてくれる。いつも想ってくれているのは知っているから、それで充分だった」

 リノスは、そこまで言うと真摯な顔になった。

「でも、イオレとイオレの子供には、夫と父親がいる『普通の家庭』を築いてほしいんだ」

「矛盾してない? 両親が揃ってなくても幸せだと言ったのに、私と私の子供には『普通の家庭』を望むの?」

「矛盾しているのは分かっている。でも、兄として妹に『普通の家庭』を望むのは当然だろう?」

 双子の会話にティオが割って入った。

「それにだ。ハーク様は今まで君が付き合っていた男達とは全然違う。あの方は君のように割り切った考えはできないと思うよ」

 会話を聞いただけで、ティオはハークという人間を理解したようだ。

「……二人次第ね」

 義母がぽつりと呟くと、この場にいる全員が怪訝そうに彼女を見た。

「妻でも愛人でもイオレがハークを説得して関係を持つのなら反対はしないわ。子供が出来ても構わない。ちゃんと面倒は見るわ。ただし強引な真似は絶対に駄目よ?」

 義母は笑顔で口調も柔らかい。けれど、目だけは笑っていなかった。

 射貫くように強い眼差し――。

 孫がいても若々しく可愛らしい印象の義母からは想像できない眼差しは、どんな極悪人も裸足で逃げ出すような凄味があった。

 傍で見ているだけなのに、エウリは背筋が寒くなる気がした。

 エウリがそうなのだから直接そんな眼差しを向けられたイオレは、強張った顔に何とか笑みを作り「……勿論ですわ」と言うのが精一杯な様子だった。









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