腐女子令嬢は再婚する

青葉めいこ

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幸せに生きる

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「……『あの男』に私以外に知られていない子供や孫がいると分かっても、それでも、私は子供を作る気にはなれません」

 まず、やはり男性と体を重ねるのが怖い。オルフェの事は敬愛している。それでも、きっとアリスタの時と同じになるだろう。

 それに、子供は嫌いだ。愛せる自信がない。

 ……エウリは母とは違う。無理矢理で、しかも禁断の行為の末に産まれてきた我が子エウリさえ愛せたあの優しい母のようにはなれない。

「心配しなくても、私は女性が嫌がる事は絶対にしない。いくら君がミュラに似ていても……いや、似ているから、かえって手は出せないな」

「……そうですね。あなたなら絶対に約束は守ってくださるでしょう」

「だが、昨日も言ったが『自分のしたい事を優先する』は無効だ。あれは世間的には『病気療養』で、デイアと皇太子殿下の結婚式が済んだ後、『亡くなる』。そうなれば、君が宰相わたしの正妻だ。その結婚条件だけは認められない。君も、それは構わないと言ったな」

「亡くなった」となると家族は少なくとも一年は喪に服さなければならなくなる。オルフェはエウリとの結婚はともかく数ヶ月後に控えたデイアと皇太子殿下との結婚を滞りなく進めたいのだ。その間だけ正妻を「病気療養」にし、結婚式が無事に済んだ後「亡くなった」事になる。

 実際には、遠方で元皇女でもなく宰相夫人でもない、ただの女として生きるらしいのだが。

 エウリとしては、自分と自分の大切な人達の前にさえ現れなければ、あの女がどうなろうと興味もないため、あの後の顛末は詳しくは聞いていない。

「はい。ご家族が私の全てを知っても家族として受け入れてくださるなら、あなた方とこの家のためにできるだけの事はしたいです」

「……それで、本当にいいの?」

 父親オルフェとエウリの会話が一段落したのを見計らって、そう声をかけてきたのはデイアだった。

「以前も言ったけれど、わたくしはお父様が幸せならそれでよかった。でも、今は、あなたを友人だと思っているから、あなたにも幸せになってほしい。だから、こんな結婚をしてしまって本当にいいの?」

「オルフェ様は『子供を作らない』という結婚条件を守ってくださる上、私を大切にしてくださるでしょう。そうしてくださるのは、私が愛した女性お母様の娘だからだというのはよく分かっています。私自身を想っている訳ではない。でも、それでも構いません」

 侯爵令嬢として何不自由なく育ち、母親以外の家族の愛情にも恵まれたデイアには理解できないだろう。

「私は私にとって最適な生活を与えてくださる方なら夫は誰でもよかった」

 アドニスとして生きた二年間、あんな生活には絶対に二度と戻りたくない。そのためなら何だってする。

「……そう思っていたのに、結局アリスタ様を夫として受け入れられず深く傷つけてしまいました。あんな事は、もう二度としたくない。だから、もし結婚するのなら、私を守れるだけの権力を持ち、なおかつ、あの高飛車な結婚条件を受け入れられる男性にしようと決めていました」

 そんな男性は現れないと思っていたのに――。

「それがオルフェ様なのは、私にとって幸いだと思います」

 エウリにとってオルフェ以上の「夫」は、きっと現れない。

 ハークとデイアは気にしているようだが、オルフェがエウリを愛していない事など、どうでもいい。

 今でも亡くなった母を愛し、エウリを通して母を見ていたとしても構わない。

 そう思えるのは、オルフェの心の中にいるのが他の誰でもなく母だからだ。

 こんな私・・・・を産んでくれた上、愛してくれた幼い私の世界の全てだったお母様。

 抱く想いは全く違っても、オルフェと同じようにエウリにとっても母は「特別」だ。

 だからこそ、自分とオルフェは誰よりも強い絆で結ばれた夫婦となれるだろう。

 それは夫婦のあり方としては、おかしいかもしれない。互いへの想いではなく他の誰かへの強い想い故に結ばれた夫婦など。

 だが、それが何だというのか?

 他人に迷惑をかけるわけでなし、自分とオルフェが納得して幸せになれるなら、それでいいはずだ。

「……だから、心配なのよ」

 デイアは額を押さえて言った。

「今のあなたには何を言っても無駄な気がするから、これ以上は言わない。でも、義理の娘として、友人として、あなたに何かあったら力を貸すと約束するわ」

「ありがとうございます」

 この時のエウリは、デイアが何を「心配」しているのか理解できなかった。だが、彼女の気遣いは感じ取れたので、お礼を言った。

「わたくしは、一応、エウリ様がお父様の『妻』になるのを歓迎できるけれど、お兄様は?」

(……「一応」って事は、心から歓迎してはくれないのね)

 それでも、義理の娘デイアに嫌われている訳ではないのだから、それでよしとするか。

 エウリがあれこれ考えている間にハークが憮然と答えた。

「本当は認めたくない」

 エウリの出自を知っても嫌悪しなかったハークだ。本当の意味で夫婦になる訳でなくても、愛する女が父親の「妻」になるのを黙って見ている事などできるはずがない。だからこそ「君の母親を今も想っている男と結婚しても本当にいいのか?」と訊いてきたのだし。

「だが、私では駄目だというのは分かる。それに、父上ならエウリと本当の夫婦になっても諦める事ができるから」

 デイアにそう言った後、ハークはエウリに向き直った。

「『アドニスだった過去を知っている事で絆されて好きになるとでも?』と君に言われて、あの時は『違う』と咄嗟に答えたけれど……あの後よく考えたんだ。確かに、そんな気持ちもあったなと。過去の君アドニスを知っている事で優越感に浸っていた。そんな卑怯な私を好きになってもらえるはずがないんだ」

 ハークは、ほろ苦く微笑んだ。

「……多少あなたに、そんな気持ちがあったとしても、責める事などできません。好きな人の心を得るためなら人は何でもするものでしょう? ……だから、あんな事を言うべきではなかったと反省しています」

 それに何より――。

「……それに、卑怯なのは、あなたではなく私です」

 母の最期の言葉を言い訳にして助けてくれたアンを見捨てて逃げた。アリスタと離婚するために親友のパーシーやノーエを利用した。

 出自を抜きにしても、こんな人間を好きになったハークが理解できないエウリだ。

「本当の卑怯者は、そんな事は言わないわ」

 義母が言った。

「あなたが過去に何をしても、誰かを傷つけたとしても、それを忘れず罪悪感を抱いているのなら、あなたは卑怯者じゃないわ」

「いいえ。私は私を好きになってくれる人達に何も返せない。利用するだけで、傷つけるだけで」

 最悪なのは、この出自じゃない。自分という人間だ。

「何も返せないとあなたは言うけれど、あなたが幸せなら、それが、彼らの幸せではないの? あなたと係わって好意を抱いた人達は誰一人として、あなたの不幸を望んだりはしないわ。あなただって、そうでしょう? 好きな人達の不幸など望まないでしょう?」

 義母に言われて、エウリは母の最期の言葉を思い出した。

 ――わたしは……あなたたちの……こうふくを……。

 母の死を見届けた幼いエウリは、ずっと思っていた。「あなたたち・・」というのは、聞き間違いだと。

 あの時、傍にいたのは幼いエウリ(アネモネ)と母の主治医だったパイエオン・イオニア。

 我が子エウリに対してならともかく、パイエオンに対して最期に「幸福を」などと言うはずがない。

 我が子エウリを帝国に連れて行くように頼むくらいにはパイエオンを信頼していたとしても、自分が父の「おもちゃ」にされていても見て見ぬふりをしていた人間の一人だ。優しい母は別段、恨んではいなかったかもしれない。だが、最期の最期に彼に対して、あんな事を言うはずがない。

 けれど、今なら分かる。あれは、聞き間違いなどではなかった。

 ――私がこの十八年の人生で愛した二人、貴方と娘の幸福を祈っています。

 オルフェに宛てた手紙にも書かれていた。

「あなたたち」というのは、我が子エウリと唯一愛した男性であるオルフェの事なのだ。

(……私は、貴女を苦しめるだけで、何もできなかったのに……)

 そんな娘を最期まで母は気にかけてくれたのだ。

 エウリが、アネモネがいたから、母は「父」から逃げる事もできず言いなりになるしかなかった。

 娘の存在を盾に取られたから母は死に逃げ込む事もできなかったのだ。

「父」は、前大公は、自分の「罪」を隠すために、母の胎内に宿ったエウリ(アネモネ)を闇に葬ろうとした。

 それを母がとめてくれた。「父」の言いなりになる代わりに、我が子の命の保証を願ったのだ。

 公女として傅かれて育った。しかも、体が弱くほとんどが寝たきりだった。そんな母が「父」の許から逃げ出し、娘と共に「外」で生きるなど到底不可能だ。

 そんな母が「父」を殺して火事騒ぎを起こし娘と共に逃げ出すなどという思い切った事ができたのは、死が間近で迫っていたためだろう。

 ――どんなつらい目に遭ったとしても、あなたは自由に生きて。

(私が自由に生きる事が、幸せになる事が、貴女の最期の願いならと、そう思って生きてきました。お母様)

 だが、それを言い訳にして、たくさんの人を傷つけてきたのも事実だ。

「……私に幸せになる資格などない」

 だが、それでも――。

「貴女の仰る通り、お母様や私の大切な人達が私の幸福を願ってくれているのなら、死ぬその瞬間まで、幸せに悔いのないように生きるわ」

 都合のいい考えなのは分かっている。だが、死ぬ事なら、いつでもできる。だからこそ、生きる事がどれだけ困難であっても諦めたくはなかった。



 







 






 





 





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