腐女子令嬢は再婚する

青葉めいこ

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前夫と遭遇

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 この日、エウリは本屋にいた。

 花嫁衣裳のデザインは決まり後はお針子が縫うだけだ。最終段階でエウリが試着し細かい直しが入るまで侯爵家に行く必要がない。いくら侯爵家の一員になるとはいえ現在赤の他人のエウリが用もないのに主が誰もいない館に行くのは憚られる。

 アネモネ・アドニスとしての仕事も今のところはない。自分の本が本屋でどのように配置されているのか気になり近くの大型書店に来たのだ。

 そこで意外な人物と遭遇した。

 彼は育児書のコーナーで真剣な顔で本を吟味していた。

 奥方が第二子を妊娠中の彼がこういう所にいてもおかしくはないが、まさか今日この本屋で遭遇するとは。

 思わずエウリが上げた「あっ!」という声に気づいたのか、彼は読んでいた本から顔を上げた。

 今のエウリは深くフードを被ったマント姿。多少怪しく見えるだろうが真冬の今なら珍しくもない恰好だ。

 これならいくらエウリを見知った彼でも分からないだろうという彼女の希望は、あっさりと打ち砕かれた。

「エウリ?」

 反射的に逃げようとしたエウリに、彼は本を放り出して追いかけてきた。

「逃げないでくれ! 君と話がしたいんだ!」

 男女差に加え彼は常に体を鍛えている軍人。すぐに回り込まれてしまった。

「二年前の事なら話す事はありません!」

「違う! パーシー様やノーエから聞いてないのか? 二年前の事なら、私はもう気にしていないと」

「……聞いてます」

 聞いていたのに、つい反射的に逃げてしまうのは、やはり彼に対して罪悪感があるからだ。

 アリスタことアリスタイオス・ラピテース。エウリの二年前に離婚した夫。

 建国以来、代々帝国陸軍第一軍の将軍を務めるラピテース子爵の息子。近衛連隊第一隊の隊長。

 今年で二十歳になる。パーシーと同じ逞しい長身。癖のある金髪。灰色の瞳。そこそこ整った顔立ち。

 男性は羨望を覚え女性は好ましく思う容姿だろうが、それだけを見ればエウリにとってはパーシー同様苦手なタイプだ。幼い頃から彼を知っていなければ親しくなる事もなかっただろう。

「私と話がしたいと仰いましたね。二年前の事でないなら、今更私に何の話があるというんですか?」

 エウリの言葉に、アリスタは寂しそうな顔になった。

「……ノーエとは仲がいいのに、私とは離婚したら、それきりか?」

「確かに離婚しても仲がいい男女もいるでしょう。でも、あんな別れ方をして今更どんな顔で、あなたと会えと? 言っておきますが、二年前の事は謝る気は全くありません」

 謝って楽になるのはエウリだ。謝れば優しいアリスタは許してくれるだろう。自分がどれだけ傷ついていたとしても。だから、謝っては駄目なのだ。

「謝ってほしい訳じゃない。それに、謝らない事が君なりのけじめであり優しさなのも今では分かっているよ」

 やけに優しい眼差しで見られてエウリは戸惑った。

 彼を目にすると、どうしても罪悪感が刺激されて遭遇しそうになる度に逃げ続けた。

 彼の物言いたげな視線を感じていたのに。そこには最初からエウリに対する怒りも憎しみも感じられなかった。逆に彼女を気遣う視線だった。だからこそ余計に彼と向き合う勇気がなかった。

 いっそ憎んでくれればよかったのに。それだけの事を彼にしたのだから。

「……私が優しい? 馬鹿な事を。ノーエ様を利用して離婚するように仕向けたのに?」

「ここで込み入った話はしたくない。私と二人きりが嫌なら、私の家でもパーシー様の家でもいい。そこで話そう」

 アリスタの望み通り話さなければ解放してもらえそうにないと悟ったエウリは、こっそりと溜息を吐いた。




 結局本屋近くの公園で話す事になった。

 ラピテースの家でもパーシーの家でも公園より歩く事になる。さっさと彼と別れたいエウリは、近くの公園を選んだのだ。

「それで、話とは?」

 昼日中、公園はさして人はいなかった。とはいってもエウリが素顔をさらせば注目されるのは間違いないのでフードは被ったままだ。アリスタもそれが分かっているのか「フードを外せ」とは言わなかった。

 素顔で歩けば、よくて男性に「一緒にお茶か食事でも」という誘いか(男性の大半に嫌悪と恐怖を抱くエウリには、それも迷惑だが)悪くて人攫いに遭遇する。運がいいのか大抵は通りかかった人に助けてもらえるが。

 お供を連れて歩けばいいのだろうが、どうしても行動を制限されてしまう。それを嫌ってエウリは一人の時は素顔を隠すようにしているのだ。冬なら、さして問題ないが夏なら完全に不審者だ。夏の外出時は、いつも頭が痛いエウリだった。

「宰相閣下と再婚すると聞いた。本当か?」

 公園の中心にある池。そこで優雅に泳ぐ白鳥を眺めながらアリスタは言った。

「本当です」

「宰相閣下を愛しているのか?」

 どこか思いつめた顔で尋ねるアリスタにエウリは首を傾げた。

「それが、あなたと、どんな関係が?」

「……そう切り返すという事は愛し合って結婚する訳ではないようだな」

「勿論、愛し合って結婚するのですわ」と言えば丸くおさまるのは分かっていたが言う気にはなれなかった。あまりにも白々しい嘘だからだ。

「……二年前、君とノーエとパーシー様が離婚を仕組んだ時は、勿論腹が立った」

「二年前の事は、もう気にしていない」と言いながら話題にしたのは、やはり恨み言を言いたいからなのか、別の切り口からオルフェとの事を訊こうとしているのか、エウリには判断できなかった。

 けれど、彼を傷つけたくせに、ずっと逃げ続けたのだ。恨み言であれ何であれエウリは聞かなければならないと思った。

「でも、今では、それでよかったと思っている。君には、私では駄目だと分かったからだ。どれだけ愛しても、私では『重いもの』を背負っている君を支えられないのだと。

 今、私は幸せだ。私とノーエは愛し合う夫婦ではないけれど、互いに好意を持ち尊重している。何より息子がいて、もうすぐ二人目も生まれる。君が離婚してくれなければ、この現在の幸せはない。だから、別れてくれてよかったんだ」

 ……確かに、エウリでは彼を幸せにする事ができなかった。

 エウリがアリスタと結婚したのは、とにかく男爵家から出たかったからだ。

 養父母に不満はない。出たかった最大の原因は義弟、エウリが養女となった後生まれた養父母の実の息子、アミュクラスだ。

 エウリはグレーヴス男爵夫妻の亡くなった娘の身代わりとして養女になった。この「エウリュディケ」という名前は、養父母の五歳で病死した娘の名前なのだ。

「エウリュディケ」が亡くなったちょうど一年後。その日は、エウリの五歳の誕生日でもあった。

 そんな日に、同じ髪と瞳の色、似通った顔立ちのエウリが現れ、養父母は運命を感じたのだろう。

 荒んだ生活のため見すぼらしい上、素性の知れないエウリを養女とするのに全くためらわなかった。

 だが、エウリを養女にしてすぐに養母の妊娠が発覚し「捨てられるのでは」という不安を抱いたのだ。

 それが、義弟を好きになれない発端だ。その事だけをとれば義弟は悪くない。不安から一方的に義弟を嫌ったのだから。

 今は、たとえ実の子供ができたとしても引き取った子供を無責任にあっさり捨てる養父母でない事は分かっている。

 けれど、その時は不安で仕方なかった。

「仕方ない」とも思ったからだ。

 養父母がエウリに実の娘の面影を見ていたように、エウリもまた養母に実母の面影を見ていたからだ。

 実母は絶世の美女だった。エウリの美貌は実母譲りだ。……その美しさ故に地獄を味わったのだが。

 養母も美しい女性だが実母ほどではない。だが、似通った顔立ちで同じ髪と瞳の色。更には、たおやかで儚い印象も同じだった。

 幼いエウリにとって実母は世界の全てだった。実母が生き返り、また共に暮らせるのなら男爵令嬢として何不自由ない今の暮らしを捨てても構わなかった。実母と一緒なら過酷な生活もきっと耐えられる。

 そんな風に考えるエウリが捨てられる事で文句を言えるはずがない。

 幸いというべきか、義弟が生まれても養父母はエウリを捨てる事なく義弟と分け隔てなく育ててくれた。

 最初から知っておいたほうがいいだろうと養父母は義弟にエウリが実の姉でない事を教えていた。それが間違いだとは思わない。いずれ知られただろうし。

 問題は、そのせいなのか、義弟をエウリを「姉」としてではなく「女」として見ているようなのだ。

 赤ん坊の頃は夜泣きがひどく、とにかくエウリにまとわりつく子供だった。エウリの子供嫌いの原因は、この義弟だ。

 義弟はバイオリンの天才だ。今年十三になる義弟は帝国が世界に誇るバイオリニストだ。確かに、その音色は素晴らしいとは思う。

 だが、エウリはバイオリンが大嫌いだ。自らの愚かさを過去を思い出せるから。

 だから、義弟の才能は認めても、義弟自身もバイオリンもその音色も好きになれない。はっきり言えば大嫌いだ。

 エウリがとにかく義弟を嫌いぬき一度も優しくした事はなかったのに、なぜか義弟はエウリを慕ってるようなのだ。さすがに養父母の前では何とか取り繕っているが、それも限界だった。義弟自身も、義弟が奏でるバイオリンの音色にも。

 だから、求婚してきたアリスタを利用した。円満に義弟から離れたい一心で。

 結果、多くの人に迷惑をかけアリスタを深く傷つけた。

「……あなたが今幸せだからといって、私が二年前、あなたにした事が全て帳消しになるとは思っていません」

「子供だけは絶対に作らない」そう決めていても夫婦としての務めは果たすつもりだった。

 アリスタの事は男性としては愛せない。けれど、人間としては好ましく思っている。そんな彼が夫なら男性に恐怖と嫌悪を抱くエウリでも大丈夫だと思っていたのだ。

 ……けれど、無理だった。

 初夜の時「絶対無理!」と泣きながら大暴れしてパーシーの許に逃げ込んだのだ。

 アリスタとエウリが本当の意味で夫婦になった事はない。その出来事でエウリは離婚を決意しパーシーの館で暮らすようになり徹底的にアリスタを避けていたからだ。

 アリスタの両親は最初から息子とエウリの結婚に反対していた。聡明な彼らは彼女が「重いもの」を背負っている事に気づき息子に相応しくないと思ったのだ。エウリの養父母の後押しとアリスタの熱意、彼女の義弟から離れたいという思惑が一致して結婚する事になってしまったが。

 アリスタの母親は息子の嫁にはエウリではなく別の女性を考えていた。それが、アリスタの母親の従妹の娘、アリスタのはとこであるノーエことアウトノエだ。

 だから、彼女を利用した。彼の妻は彼の両親が望み彼のためになる女性にしたかった。それが彼ら家族を引っかき回してしまったエウリができる唯一の贖罪だと思ったのだ。

 ノーエは、はとこのアリスタに好意を持っていても男性としては愛していない。彼女はアリスタの父親、ラピテース将軍を愛しているのだ。

 だから、愛する人の息子であるアリスタと結婚し、愛する人と自分の血の混じった子供を産みたい。それが彼女の願いだった。だから、エウリに協力したのだ。

 義父になる男性を愛している。それが、ノーエの弱味だ。

「生涯妻は君だけだ」と頑なに言い放ち離婚に応じてくれないアリスタ。

 エウリがパーシーの館にいる事は知られていたので乗り込んできたアリスタにパーシーが「エウリに会わせてやる」とかなんとか言いくるめて酒場で彼に睡眠薬入りの酒を飲ませて裸にし、隣に同じく裸のノーエがいる。実際二人の間には何もなかったが充分誤解される状況を作ると、エウリとパーシーがその場に踏み込んだのだ。

 たとえ踏み込まなくてもアリスタの性格上、自分と「何かあった」女性を無責任に放っておくはずがない。それでも念には念を入れて「妻」であるエウリが踏み込んだのだ。

「生涯妻は君だけだ」と言ったのだ。

 酒を飲んで前後不覚になったからだろうと(実際はパーシーに睡眠薬入りの酒を飲まされたせいだが)「妻」であるエウリ以外の女性と肌を重ねたのだ(実際は何もなかったが)。生真面目で真っ直ぐな気性のアリスタだ。自分の言葉を守りエウリと離婚するだろう事は分かっていた。

 離婚した後、ノーエと夫婦になったアリスタは、エウリとノーエ、そしてパーシーに謀られた事が分かっただろう。ノーエの純潔はアリスタとの結婚初夜で散らされたのだから。

 だが、すぐにノーエとの間に息子が生まれたのだ。エウリに協力したノーエに思うところがあったとしても別れられるはずがない。

「恨むのなら、どうか私だけに。

 ご両親は最初から私との結婚に反対していた。あなたの妻は私よりもノーエ様が相応しいと思っていました。実際その通りだったでしょう?

 パーシー……ティーリュンス公爵様も、ノーエ様も、私に協力してくださっただけです」

「もう恨む気はない。これでよかったんだと言っただろう?

 今の私は君よりも家族が大事だ。将来の将軍として子爵として、ノーエの夫として、何より子供達の父親として恥じない人間でありたい。

 今、私は幸せだから、君にも幸せであってほしいんだ。幼馴染として、元夫として、そう願っている。だから、君が宰相閣下と結婚して幸せになれるのなら、ハークには悪いが祝福するつもりだった。でも、愛し合って結婚する訳じゃないんだろう?」

「……私を心配してくださるのですか?」

 あんなに傷つけたのに。

 他人を利用して離婚を画策する女だのに?

「……君が私を何とも思ってないのは知っている。だが、夫婦でなくなっても、君は私にとっては大切な幼馴染だ」

 アリスタの父親とエウリの養父は親友だ。その関係で、グレーヴス男爵の養女となったすぐ後にアリスタと知り合った。荒んだ生活から男爵令嬢という何不自由ない生活に変わっても最初は警戒心を解けなかった。そんなエウリにアリスタは優しく、そして辛抱強く接してくれたのだ。

「……何とも思っていないというのは違います。男性としては愛せなかったけれど、私にとっても、あなたは大切な幼馴染です」

 だからこそ、彼に対する罪悪感で、この二年間逃げ続けたのだ。それは卑怯だと分かっていたのに。

「二年前にと同じになるのではと心配しているのなら大丈夫です。あの方も私を愛して結婚する訳じゃありませんから」

 エウリはオルフェと結婚する事になった顛末を話す事にした。自分を心配してくれる彼には話すべきだと思ったし言い触らす人ではない事も知っているからだ。


「……宰相閣下が何を考えているのか、全く理解できない」

 エウリの話を聞き終わったアリスタの第一声は、これだった。

「言葉通りだと思います。私の見かけが好きだから結婚したいのでしょう」

「宰相閣下は父の友人で私の友人ハークの父親だ。けれど、私個人と親しい訳じゃない。

 それでも、これだけは分かるよ。君は確かに美しく魅力的な女性だけど、あの方が息子と同い年になる女性を、しかも、息子の想い人を『妻』にするなどありえないよ。実際に夫婦関係がないと分かっていても自分の想い人が父親の『妻』、自分の『義母』になるなどハークは耐えられないだろう。

 ハークの言動から宰相閣下が厳しいけれど深い愛情を注いでいる父親なのは伝わってくるし、実際、宰相閣下を見れば、それは確かだと分かる。

 だから、私には、君のとんでもない結婚条件を呑んでまで、息子の想い人である君を『妻』に迎えようとする宰相閣下が理解できないんだ」

 エウリもデイアの言葉からオルフェが自分を「妻」に迎えるのは何らかの思惑があるだろうとは察していた。

 ――君の外見にしか興味がない。

 ――その姿を常に傍で見ていられるのなら。

 それらの言葉は、きっとエウリが考えいたような意味ではないのだ。

「あの方に何らかの思惑があったとしても構いません。条件さえ守っていただけるのなら」

 そうだ。宰相の「妻」である限り誰もエウリに求婚できない。

 そうすれば、アリスタのように自分を愛してくれる「夫」を傷つける事もない。

 もう二度と、あんな事は繰り返したくないのだ。
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