1 / 46
求婚
しおりを挟む
「……申し訳ありませんが、もう一度おっしゃっていただけますか?」
夜会が開かれたとある貴族の館。
外の風に当たろうと庭に出たエウリことエウリュディケ・グレーヴスの後を追いかけてきたらしいハーキュリーズ・ミュケーナイは彼女が聞き間違いであってほしいと願う事を繰り返し言ってくれた。
「レディ・エウリュディケ・グレーヴス。私と結婚してほしい」
真摯な顔で、もう一度告げるハーキュリーズにエウリは内心頭を抱えた。
(……聞き間違いじゃなかった……)
ハーキュリーズはアルゴリス帝国宰相、ミュケーナイ侯爵の唯一の跡取り息子であり絶世の美青年だ。そんな彼に求婚されたら年頃の貴族の娘は手放しで喜ぶだろう。結婚相手として申し分ないのだから。
ハーキュリーズは十八歳になったばかり(あと二ヵ月でエウリも彼と同じ歳になる)。短いのが何とも惜しい紅玉や鮮血を映したような見事な真紅の髪。最高級の金剛石を思わせる青氷色の瞳。白磁の肌。均整の取れた長身。
整いすぎて作り物めいて見える美貌は性を感じさせず大半の男性に恐怖と嫌悪を抱いているエウリには、かなり好ましいものだ。
「私はグレーヴス男爵の養女で元々貴族ではありません。その上、離婚歴もありますよ」
エウリとハーキュリーズは碌に話した事もない。だが、そんな事は問題ではないのだ。
貴族の結婚など家同士の結びつきであり、碌に知りもしない相手とでも家格の釣り合いだけで決めるのだから。そのせいか他国と違い帝国は一夫多妻だ。
ハーキュリーズがすでに家格と釣り合う女性と結婚していてエウリが第二、第三夫人となるのならともかく正妻にはなれないだろう。
エウリがグレーヴス男爵の実の娘であっても侯爵家と男爵家では格が違うのだから。
実は碌に話した事もない夜会やら園遊会やらで遠目から見かけただけの男性から結婚を申し込まれたのは、これが初めてではない。
エウリは絶世の美女なのだ。輝くばかりの長い金の巻き毛。雨上がりの空のような青い瞳。白磁の肌。女性美の極致の肢体。
「そんな事は気にしない。出会ってから君を忘れた事はなかった。本当なら君がアリスタと結婚する前に求婚したかったが」
エウリが二年前に結婚し即離婚した夫、アリスタことアリスタイオス・ラピテースはハーキュリーズの友人である。
「あの時は私が結婚できる年齢ではなかったからな」
ハーキュリーズは心底悔しそうに言った。
帝国では結婚できるのは男性は十八から女性は十六からだ。二年前なら彼はエウリと同じ十六。確かに結婚はできない。
まあ、それ以前に家格が違いすぎるのだから周囲が結婚に猛反対するだろうが。
「この歳になり周囲が私に結婚しろと圧力をかけるようになった。結婚するなら君しか考えられないんだ」
ハーキュリーズにこう言われれば大半の女性は心を動かされるだろう。たとえ今まで碌に話した事がなかったとしてもだ。
だが、ハーキュリーズにとって残念な事にエウリは「大半の女性」ではないので(……私がどんな人間か知りもしないくせに)と内心で毒づくだけだった。
「まずは私という人間を知った上で私との結婚を受け入れてほしい」
「私の条件を受け入れてくださるなら結婚してもいいです。まず無理でしょうけど」
ハーキュリーズが言い終わった途端そんな提案をするエウリに彼は驚いた顔だ。
普通なら「考えさせてください」とか言って結論を先延ばしにするのだろうがエウリは忙しい。面倒な事はさっさと片付けたかった。
「言ってみてくれ」
「まず私にとって大半の男性は嫌悪と恐怖の対象です。そして、子供は絶対に産みたくありません。なので、子供を作る行為は絶対にしたくありません。
勿論、あなたには跡継ぎを作る義務があるでしょう。なので、子供は私以外の女性と作ってください。私は全く気にしませんから。ああ、それと生まれた子供の養育には一切係わりません。子供は大嫌いなので。
それと私はしたい事を優先するので次代の侯爵夫人としての役割の大半を放棄します」
エウリの予想通りハーキュリーズは呆気にとられた顔だ。その顔ですら美しいので彼女は脳内メモしっかりその顔を描き込んだ。
「……遠回りに私との結婚を断っているのか?」
ようやくハーキュリーズからこぼれた言葉がこれだった。
「そう思われるかもしれませんが他の男性なら条件など提示せず即行で断っています。条件さえ受け入れてくださるなら結婚してもいいと思ったのは、あなたの顔がこの世で二番目に好きだからです」
(それに、あなたと結婚すれば、この世で一番好きな顔も間近で毎日見ていられるし)
エウリは後半は心の中だけで呟いた。
「……顔だけか……」
がっくりきているハーキュリーズにエウリは冷笑した。
「あなただって私の外見だけで求婚したんでしょう?」
(……私がどんな人間か知れば誰も私に求婚などするはずがないのだから)
「それは違う!」
強く否定するハーキュリーズにエウリは醒めた眼差しを向けた。
「とにかく私が提示した条件を受け入れられないのなら結婚は諦めてください」
「……君に何があったんだ?」
「……私のトラウマをあなたに話す義務はないでしょう?」
この場から去ろうとするエウリにハーキュリーズが強い決意を込めて言った。
「君のそのトラウマ、私が治すよ」
「治らなくても私は全く困りません」
「私が困るんだ」
(……えっと、それってつまり?)
エウリは信じられない思いで尋ねた。
「……男性を顔でしか見ない上、あんな高飛車な結婚条件を出した女ですよ。まだ結婚したいんですか?」
「言っただろう? 結婚相手は君しか考えられないと」
ハーキュリーズは、にやりと笑った。その表情は作り物めいた美貌に人間味を与えるものだった。
それはそれで魅力的だったので普段なら忘れないように脳内メモに描き込むのだが、この時のエウリはなんだか精神的に追い詰められた気がしてそれどころではなかった。
夜会が開かれたとある貴族の館。
外の風に当たろうと庭に出たエウリことエウリュディケ・グレーヴスの後を追いかけてきたらしいハーキュリーズ・ミュケーナイは彼女が聞き間違いであってほしいと願う事を繰り返し言ってくれた。
「レディ・エウリュディケ・グレーヴス。私と結婚してほしい」
真摯な顔で、もう一度告げるハーキュリーズにエウリは内心頭を抱えた。
(……聞き間違いじゃなかった……)
ハーキュリーズはアルゴリス帝国宰相、ミュケーナイ侯爵の唯一の跡取り息子であり絶世の美青年だ。そんな彼に求婚されたら年頃の貴族の娘は手放しで喜ぶだろう。結婚相手として申し分ないのだから。
ハーキュリーズは十八歳になったばかり(あと二ヵ月でエウリも彼と同じ歳になる)。短いのが何とも惜しい紅玉や鮮血を映したような見事な真紅の髪。最高級の金剛石を思わせる青氷色の瞳。白磁の肌。均整の取れた長身。
整いすぎて作り物めいて見える美貌は性を感じさせず大半の男性に恐怖と嫌悪を抱いているエウリには、かなり好ましいものだ。
「私はグレーヴス男爵の養女で元々貴族ではありません。その上、離婚歴もありますよ」
エウリとハーキュリーズは碌に話した事もない。だが、そんな事は問題ではないのだ。
貴族の結婚など家同士の結びつきであり、碌に知りもしない相手とでも家格の釣り合いだけで決めるのだから。そのせいか他国と違い帝国は一夫多妻だ。
ハーキュリーズがすでに家格と釣り合う女性と結婚していてエウリが第二、第三夫人となるのならともかく正妻にはなれないだろう。
エウリがグレーヴス男爵の実の娘であっても侯爵家と男爵家では格が違うのだから。
実は碌に話した事もない夜会やら園遊会やらで遠目から見かけただけの男性から結婚を申し込まれたのは、これが初めてではない。
エウリは絶世の美女なのだ。輝くばかりの長い金の巻き毛。雨上がりの空のような青い瞳。白磁の肌。女性美の極致の肢体。
「そんな事は気にしない。出会ってから君を忘れた事はなかった。本当なら君がアリスタと結婚する前に求婚したかったが」
エウリが二年前に結婚し即離婚した夫、アリスタことアリスタイオス・ラピテースはハーキュリーズの友人である。
「あの時は私が結婚できる年齢ではなかったからな」
ハーキュリーズは心底悔しそうに言った。
帝国では結婚できるのは男性は十八から女性は十六からだ。二年前なら彼はエウリと同じ十六。確かに結婚はできない。
まあ、それ以前に家格が違いすぎるのだから周囲が結婚に猛反対するだろうが。
「この歳になり周囲が私に結婚しろと圧力をかけるようになった。結婚するなら君しか考えられないんだ」
ハーキュリーズにこう言われれば大半の女性は心を動かされるだろう。たとえ今まで碌に話した事がなかったとしてもだ。
だが、ハーキュリーズにとって残念な事にエウリは「大半の女性」ではないので(……私がどんな人間か知りもしないくせに)と内心で毒づくだけだった。
「まずは私という人間を知った上で私との結婚を受け入れてほしい」
「私の条件を受け入れてくださるなら結婚してもいいです。まず無理でしょうけど」
ハーキュリーズが言い終わった途端そんな提案をするエウリに彼は驚いた顔だ。
普通なら「考えさせてください」とか言って結論を先延ばしにするのだろうがエウリは忙しい。面倒な事はさっさと片付けたかった。
「言ってみてくれ」
「まず私にとって大半の男性は嫌悪と恐怖の対象です。そして、子供は絶対に産みたくありません。なので、子供を作る行為は絶対にしたくありません。
勿論、あなたには跡継ぎを作る義務があるでしょう。なので、子供は私以外の女性と作ってください。私は全く気にしませんから。ああ、それと生まれた子供の養育には一切係わりません。子供は大嫌いなので。
それと私はしたい事を優先するので次代の侯爵夫人としての役割の大半を放棄します」
エウリの予想通りハーキュリーズは呆気にとられた顔だ。その顔ですら美しいので彼女は脳内メモしっかりその顔を描き込んだ。
「……遠回りに私との結婚を断っているのか?」
ようやくハーキュリーズからこぼれた言葉がこれだった。
「そう思われるかもしれませんが他の男性なら条件など提示せず即行で断っています。条件さえ受け入れてくださるなら結婚してもいいと思ったのは、あなたの顔がこの世で二番目に好きだからです」
(それに、あなたと結婚すれば、この世で一番好きな顔も間近で毎日見ていられるし)
エウリは後半は心の中だけで呟いた。
「……顔だけか……」
がっくりきているハーキュリーズにエウリは冷笑した。
「あなただって私の外見だけで求婚したんでしょう?」
(……私がどんな人間か知れば誰も私に求婚などするはずがないのだから)
「それは違う!」
強く否定するハーキュリーズにエウリは醒めた眼差しを向けた。
「とにかく私が提示した条件を受け入れられないのなら結婚は諦めてください」
「……君に何があったんだ?」
「……私のトラウマをあなたに話す義務はないでしょう?」
この場から去ろうとするエウリにハーキュリーズが強い決意を込めて言った。
「君のそのトラウマ、私が治すよ」
「治らなくても私は全く困りません」
「私が困るんだ」
(……えっと、それってつまり?)
エウリは信じられない思いで尋ねた。
「……男性を顔でしか見ない上、あんな高飛車な結婚条件を出した女ですよ。まだ結婚したいんですか?」
「言っただろう? 結婚相手は君しか考えられないと」
ハーキュリーズは、にやりと笑った。その表情は作り物めいた美貌に人間味を与えるものだった。
それはそれで魅力的だったので普段なら忘れないように脳内メモに描き込むのだが、この時のエウリはなんだか精神的に追い詰められた気がしてそれどころではなかった。
10
お気に入りに追加
205
あなたにおすすめの小説
誓いません
青葉めいこ
恋愛
――病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?
誓いません。
私は、この人を愛していませんから、誓えません。
小説家になろうにも投稿しています。
【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
果たされなかった約束
家紋武範
恋愛
子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。
しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。
このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。
怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。
※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
異世界で王城生活~陛下の隣で~
遥
恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。
グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます!
※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。
※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。
黄金の魔族姫
風和ふわ
恋愛
「エレナ・フィンスターニス! お前との婚約を今ここで破棄する! そして今から僕の婚約者はこの現聖女のレイナ・リュミエミルだ!」
「エレナ様、婚約者と神の寵愛をもらっちゃってごめんね? 譲ってくれて本当にありがとう!」
とある出来事をきっかけに聖女の恩恵を受けれなくなったエレナは「罪人の元聖女」として婚約者の王太子にも婚約破棄され、処刑された──はずだった!
──え!? どうして魔王が私を助けてくれるの!? しかも娘になれだって!?
これは、婚約破棄された元聖女が人外魔王(※実はとっても優しい)の娘になって、チートな治癒魔法を極めたり、地味で落ちこぼれと馬鹿にされていたはずの王太子(※実は超絶美形)と恋に落ちたりして、周りに愛されながら幸せになっていくお話です。
──え? 婚約破棄を取り消したい? もう一度やり直そう? もう想い人がいるので無理です!
※拙作「皆さん、紹介します。こちら私を溺愛するパパの“魔王”です!」のリメイク版。
※表紙は自作ではありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる