10 / 18
10
しおりを挟む
ゼドゥ国の隣にある小国、イグレック国。
文武両道で美丈夫な国王、彼を支える聡明で美しき王妃。
王妃に似た王女と国王に似た王太子。
王家と国家に忠誠を誓った有能な臣下達。
国土こそ小さいが彼らに治められたイグレック国は平和を享受していた。
「彼」が現れるまでは――。
イレーヌの目は突然現れた魔族に釘付けだった。
人間にはない黒い髪と瞳、尖った耳。人間に似ていながら人間離れした美貌。
イグレック国王宮、玉座のある大広間。
「彼」が国王である父や王妃である母、王太子である弟、そして臣下達を惨殺するのをよそに、イレーヌはひたすら彼を見つめ続けた。
家族や臣下達を目の前で殺されても何とも思わなかった。
あまりの出来事に感情が麻痺したのか。
いや、その時には、もうすでにイレーヌの心は奪われていたのだ。
家族や臣下達を殺し祖国を侵略した魔族セバスチャンに――。
血に染まり多数の死体が転がる大広間。
彼とイレーヌしか生きている者は存在しない。
目の前にやって来た彼をイレーヌは、ただ見つめ続けた。
彼が優美な手をイレーヌに伸ばした。殺されるのだと思っていた。恐怖はなかった。
イレーヌだけを生かしてくれるとは、この時には思わなかったのだ。彼の手にかかって死ぬのなら悪くないとすら思っていたのに。
この時に、殺してくれればよかったのに――。
顎を摑まれ口づけられた。ただ呆然とするイレーヌを彼は床に押し倒した。
「どうした? アイリーン」
元は国王の、父の寝室、その豪華な寝台に腰掛けた黒髪の麗人が部屋の中央に立ち尽くすイレーヌに声をかけた。
セバスチャンと名乗った彼がイグレック国の国王や臣下達を惨殺してから三日経っている。
「……私の名はイレーヌです。アイリーンと呼ぶのは、やめてください」
惨劇の場と化した大広間で彼に抱かれた。その際に「イレーヌ」と名乗ったにもかかわらず、彼はイレーヌを「アイリーン」としか呼ばない。
……「アイリーン」と呼びながらイレーヌを抱くのだ。
彼は魔力でイレーヌを寝台に放り投げた。
「……何を!?」
抗議しようとするイレーヌの両肩を彼は押さえつけた。
「私にとっては『アイリーン』だ」
「違うわ! 私はイレー」
イレーヌは最後まで言えなかった。彼に口づけられたからだ。
今夜も甘くて苦しい行為が始まる――。
イレーヌは気づいてしまった。
彼が、なぜイレーヌだけを生かしたのか。
彼にとってイレーヌは「アイリーン」という女性の身代わりなのだ。
……国を家族を奪った男だのに、それに対する憎しみではなく、身代わりにされた悔しさや悲しみのほうが上回っている。
それに気づいて、イレーヌは愕然とした。
自分は自分だ。どれだけ「アイリーン」という女性に似ていたとしても、イレーヌはイレーヌ以外の何者にもなれないし、なる気もない!
それに彼が気づいて、イレーヌに厭きてくれない限り、殺してはくれないだろう。
彼がイレーヌに厭きて殺してくれるのを待つのは、彼に殺された家族や臣下達に申し訳ない。
イレーヌも本当は、あの時、殺されていたはずだからだ。
たまたま、彼の想い人に似ていたから殺されずにすんだにすぎない。
だから、イレーヌは自らを殺そうと思った。
その時は、簡単にできると思ったのだ。
けれど、何をしても無駄だった。
高い所から飛び降りても、刃物で心臓を刺そうとしても、火と自らの体に点けようとしても。
最初に彼に抱かれた後、胸に押された魔刻印。
それをイレーヌを死から遠ざける。
最初に自殺を試み失敗した後、彼に教えられた。
「私が生きている限り、お前は他殺も自殺も不可能だ。その若く美しい姿のまま生き続ける」
魔刻印を押した彼が死なない限り、イレーヌは死ねないのだ。
イレーヌに彼は殺せない。彼が魔族というのもあるが……心情的に無理だ。
いくら家族と国を奪った魔族だと言い聞かせても、イレーヌに彼を傷つける事はできない。
また、他者が彼を傷つけたり殺したりするなど考えたくもなかった。
この、イレーヌにとっては呪いでしかない魔刻印が消えるのだとしても、彼の死を望む事はできなかった。
彼がいくらイレーヌから全てを奪った魔族だとしても――。
やはり、これは、もう彼に殺してもらうしかない。
そのためには、彼には、さっさとイレーヌに厭きてもらわねば――。
文武両道で美丈夫な国王、彼を支える聡明で美しき王妃。
王妃に似た王女と国王に似た王太子。
王家と国家に忠誠を誓った有能な臣下達。
国土こそ小さいが彼らに治められたイグレック国は平和を享受していた。
「彼」が現れるまでは――。
イレーヌの目は突然現れた魔族に釘付けだった。
人間にはない黒い髪と瞳、尖った耳。人間に似ていながら人間離れした美貌。
イグレック国王宮、玉座のある大広間。
「彼」が国王である父や王妃である母、王太子である弟、そして臣下達を惨殺するのをよそに、イレーヌはひたすら彼を見つめ続けた。
家族や臣下達を目の前で殺されても何とも思わなかった。
あまりの出来事に感情が麻痺したのか。
いや、その時には、もうすでにイレーヌの心は奪われていたのだ。
家族や臣下達を殺し祖国を侵略した魔族セバスチャンに――。
血に染まり多数の死体が転がる大広間。
彼とイレーヌしか生きている者は存在しない。
目の前にやって来た彼をイレーヌは、ただ見つめ続けた。
彼が優美な手をイレーヌに伸ばした。殺されるのだと思っていた。恐怖はなかった。
イレーヌだけを生かしてくれるとは、この時には思わなかったのだ。彼の手にかかって死ぬのなら悪くないとすら思っていたのに。
この時に、殺してくれればよかったのに――。
顎を摑まれ口づけられた。ただ呆然とするイレーヌを彼は床に押し倒した。
「どうした? アイリーン」
元は国王の、父の寝室、その豪華な寝台に腰掛けた黒髪の麗人が部屋の中央に立ち尽くすイレーヌに声をかけた。
セバスチャンと名乗った彼がイグレック国の国王や臣下達を惨殺してから三日経っている。
「……私の名はイレーヌです。アイリーンと呼ぶのは、やめてください」
惨劇の場と化した大広間で彼に抱かれた。その際に「イレーヌ」と名乗ったにもかかわらず、彼はイレーヌを「アイリーン」としか呼ばない。
……「アイリーン」と呼びながらイレーヌを抱くのだ。
彼は魔力でイレーヌを寝台に放り投げた。
「……何を!?」
抗議しようとするイレーヌの両肩を彼は押さえつけた。
「私にとっては『アイリーン』だ」
「違うわ! 私はイレー」
イレーヌは最後まで言えなかった。彼に口づけられたからだ。
今夜も甘くて苦しい行為が始まる――。
イレーヌは気づいてしまった。
彼が、なぜイレーヌだけを生かしたのか。
彼にとってイレーヌは「アイリーン」という女性の身代わりなのだ。
……国を家族を奪った男だのに、それに対する憎しみではなく、身代わりにされた悔しさや悲しみのほうが上回っている。
それに気づいて、イレーヌは愕然とした。
自分は自分だ。どれだけ「アイリーン」という女性に似ていたとしても、イレーヌはイレーヌ以外の何者にもなれないし、なる気もない!
それに彼が気づいて、イレーヌに厭きてくれない限り、殺してはくれないだろう。
彼がイレーヌに厭きて殺してくれるのを待つのは、彼に殺された家族や臣下達に申し訳ない。
イレーヌも本当は、あの時、殺されていたはずだからだ。
たまたま、彼の想い人に似ていたから殺されずにすんだにすぎない。
だから、イレーヌは自らを殺そうと思った。
その時は、簡単にできると思ったのだ。
けれど、何をしても無駄だった。
高い所から飛び降りても、刃物で心臓を刺そうとしても、火と自らの体に点けようとしても。
最初に彼に抱かれた後、胸に押された魔刻印。
それをイレーヌを死から遠ざける。
最初に自殺を試み失敗した後、彼に教えられた。
「私が生きている限り、お前は他殺も自殺も不可能だ。その若く美しい姿のまま生き続ける」
魔刻印を押した彼が死なない限り、イレーヌは死ねないのだ。
イレーヌに彼は殺せない。彼が魔族というのもあるが……心情的に無理だ。
いくら家族と国を奪った魔族だと言い聞かせても、イレーヌに彼を傷つける事はできない。
また、他者が彼を傷つけたり殺したりするなど考えたくもなかった。
この、イレーヌにとっては呪いでしかない魔刻印が消えるのだとしても、彼の死を望む事はできなかった。
彼がいくらイレーヌから全てを奪った魔族だとしても――。
やはり、これは、もう彼に殺してもらうしかない。
そのためには、彼には、さっさとイレーヌに厭きてもらわねば――。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
誓いません
青葉めいこ
恋愛
――病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?
誓いません。
私は、この人を愛していませんから、誓えません。
小説家になろうにも投稿しています。
朝方の婚約破棄 ~寝起きが悪いせいで偏屈な辺境伯に嫁ぎます!?~
有木珠乃
恋愛
メイベル・ブレイズ公爵令嬢は寝起きが悪い。
それなのに朝方、突然やって来た婚約者、バードランド皇子に婚約破棄を言い渡されて……迷わず枕を投げた。
しかし、これは全てバードランド皇子の罠だった。
「今朝の件を不敬罪とし、婚約破棄を免罪符とする」
お陰でメイベルは牢屋の中へ入れられてしまう。
そこに現れたのは、偏屈で有名なアリスター・エヴァレット辺境伯だった。
話をしている内に、実は罠を仕掛けたのはバードランド皇子ではなく、アリスターの方だと知る。
「ここから出たければ、俺と契約結婚をしろ」
もしかして、私と結婚したいがために、こんな回りくどいことをしたんですか?
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
異世界で王城生活~陛下の隣で~
遥
恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。
グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます!
※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。
※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
腐女子令嬢は再婚する
青葉めいこ
恋愛
男性に恐怖と嫌悪を抱いているが腐女子でもある男爵令嬢エウリ。離婚歴のある彼女に宰相令息が求婚してきた。高飛車な結婚条件を出し何とか逃げたものの今度は彼の父親、宰相に求婚される。普通なら到底受け入れられない結婚条件を受け入れてくれた上、宰相の顔が、この世で一番好きな事もあり再婚を決めたエウリだが⁉
小説家になろうに掲載しているのを投稿しています。
完結しました。
【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる