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アザミの花事件
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伊川隼人は、特に依頼のない日は社屋内にある食堂の運営を任されている。立てこもり事件から二日後、どうしても菓子を作りたかった隼人は、「来客用の茶請け」という名目でクッキーを作っていた。
シンプルに作ったクッキー生地を大小二つのかたまりに分け、大きい方のかたまりはチャック付きのフリーザーバッグに入れて冷凍庫で保存する。こうすることで、食べたいときにすぐ焼くことができる。小さい方のかたまりは冷蔵庫で寝かし、その後、ひと口サイズに丸め、オーブンで二十分ほど焼く。
──あとは冷まして、できあがり。
焼きあがったばかりのクッキーを、カウンターの上に置く。冷ましている間に洗い物を──と隼人がカウンターに背を向けたとたん、視界のはしで、カウンターの下からニュッと手が伸びるのが見えた。
「……焼きあがったばかりですから、まだ熱いですよ?」
振り返ってそう言った隼人の言葉に反応し、クッキーへと伸びていた手がヒュッと引っ込む。盗み食い犯は猫舌のようだ。
隼人は苦笑しながら、カウンターの下をのぞき込む。案の定、そこには逃げ遅れた赤川の姿があった。
「あなたはなぜ、いつもいつも盗み食いしに来るんです?」
「えーと、えーと……いいにおいがしたから、つい……だから、そう怒らないでくれよ。私は泣くぞ?」
「どうぞ、勝手に泣いてください。僕は洗い物があるので」
冷たく言い放ち、流し台へ向かおうとする隼人を、赤川は焦った様子で引き留める。
「今のは冗談! 冗談だから! それより、君に話がある」
「話……ですか」
「ああ、そうだ。二日前の立てこもり事件のこと、覚えているだろう? そのことについて、大和さんから電話があったんだ」
隼人はエプロンを脱ぐと、テーブルにつく。赤川も、彼の正面に座った。
「まず、立てこもり犯は大和さんの言っていた殺人犯と同一人物だった」
「まあ、能力が一緒ならば、同一人物でしょう」
「つぎ、立てこもり犯の持ち物を調べると、こんな感じのピンバッチが出てきたそうだ」
テーブルの上に、赤川のスマートホンが置かれた。スマートホンの画面には、丸くて刺々しい花が描かれた、赤色のピンバッチが映っている。
「この花は、ええっと」
「皆に片っ端からきいてみたんだけど、たぶんアザミがモチーフだろうって。花のことはさておき、このピンバッチ、盗聴器だった」
「……へ?」
思わず、隼人の口から間の抜けた声がこぼれる。そのことには構わず、「あと、これは別のところから聞いた話だけど──」と赤川は続ける。
「最近、あの事件のあった付近で、これと似たようなピンバッチを付けた人たちがウロウロしているらしい。そして、彼らは強い能力者を勧誘──いや、誘拐しているって、うわさになっているそうだ」
「待ってください。そのうわさが本当だとしたら──赤川さんと僕が、その人たちに狙われるということですか?」
様々な種類のある能力のなかでも、「能力の頂点」というべきものが存在する。その内の二つが、隼人の持つ「対能力」──他者の能力や空間の状態などの対象とは真逆の性質を持つ能力を使うことができる能力と、赤川の持つ「多重能力」──オリジナルよりも効果は低下するが、存在するすべての能力を使うことができる能力である。
赤川は隼人の言葉にうなずくと、重々しく口を開いた。
「このピンバッチが何らかの犯罪組織の構成員を示すもので、そして、あの立てこもり犯もその組織に関わっていたとすると、私と君の持つ能力は、盗聴器を介して組織の長に知られた可能性が高い。……立てこもり事件自体が、能力者を探し出すための仕掛けだった可能性も、考えられるね」
先ほどの、隼人がクッキーを焼いていたときとは打って変わって、重たい空気が流れる。この空気に耐えきれなくなったのか、隼人が声を上げる。
「じゃ、じゃあ、僕らで調べてみましょうよ。その組織があるかどうかも、まだわからないのですから」
「……君なら、そう言ってくれると思ったよ」
にっこり、赤川が笑顔を作る。
「明日、もう一度あそこへ行ってみよう。何か情報が得られると万々歳だ」
赤川は席を立つと、カウンターの上に置かれたクッキーを一枚口に入れる。そして、グッと親指を立てると、隼人に何か言われる前に食堂を出ていった。
食堂に残された隼人は、すぐに洗い物を始める気にもなれず、いすに座ったまま赤川から聞いた話を頭のなかで整理していた。
──そういえば、なぜアザミなんだろう。
脳内に、赤いピンバッチがよみがえる。赤川は、ピンバッチのモチーフにそれほど興味を持っていないようだったが、隼人にとっては魚の小骨のように気になって仕方がない。
パーカーのポケットからスマートホンを取り出すと、「アザミ 花言葉」で検索をかけた。
検索結果の一番上に表示された記事をタップ。アザミには色別の花言葉もあるようで、試しに赤色のアザミについて書かれたところを読む。
「権威、報復、そして、復讐──」
背後を、冷たい風が吹いていったように感じた。
──いや、待て。本当に今、背後を何かが通っていったような……。
「隼人さん、いまダイジョーブ?」
急に呼びかけられたことにより、いすから転げ落ちそうになった。隣を見ると、いつの間にか少年が座っていた。
「な、なんですか? 純一君」
純一と呼ばれた少年は、「はい!」と折り紙でできた何かをテーブルの上に置いた。
「これ、お守り! さっき赤川さんが、隼人さんといっしょにおしごとに行くって言ってたから」
言われてみると、確かにそれはお守りに似た形をしている。中に何か入れているようで、袋状に折りたたまれた折り紙は、セロハンテープでぐるぐる巻きに固定されている。
お礼を言いながら受け取ると、純一は満面の笑みを浮かべた。
「……そうだ。あそこにあるクッキー、よかったらどうぞ」
「やったー! クッキーだ!」
はずむようにカウンターへと歩いて行って、クッキーを一枚とる様子に、隼人は思わず笑みをこぼす。
しかし。
「ありがとう! それじゃー隼人さん、いい結果を期待してるねー」
食堂から出ていく瞬間。純一の純粋な笑顔がスッと消えたのを見て、隼人は再び背筋の悪寒に襲われることとなった。
シンプルに作ったクッキー生地を大小二つのかたまりに分け、大きい方のかたまりはチャック付きのフリーザーバッグに入れて冷凍庫で保存する。こうすることで、食べたいときにすぐ焼くことができる。小さい方のかたまりは冷蔵庫で寝かし、その後、ひと口サイズに丸め、オーブンで二十分ほど焼く。
──あとは冷まして、できあがり。
焼きあがったばかりのクッキーを、カウンターの上に置く。冷ましている間に洗い物を──と隼人がカウンターに背を向けたとたん、視界のはしで、カウンターの下からニュッと手が伸びるのが見えた。
「……焼きあがったばかりですから、まだ熱いですよ?」
振り返ってそう言った隼人の言葉に反応し、クッキーへと伸びていた手がヒュッと引っ込む。盗み食い犯は猫舌のようだ。
隼人は苦笑しながら、カウンターの下をのぞき込む。案の定、そこには逃げ遅れた赤川の姿があった。
「あなたはなぜ、いつもいつも盗み食いしに来るんです?」
「えーと、えーと……いいにおいがしたから、つい……だから、そう怒らないでくれよ。私は泣くぞ?」
「どうぞ、勝手に泣いてください。僕は洗い物があるので」
冷たく言い放ち、流し台へ向かおうとする隼人を、赤川は焦った様子で引き留める。
「今のは冗談! 冗談だから! それより、君に話がある」
「話……ですか」
「ああ、そうだ。二日前の立てこもり事件のこと、覚えているだろう? そのことについて、大和さんから電話があったんだ」
隼人はエプロンを脱ぐと、テーブルにつく。赤川も、彼の正面に座った。
「まず、立てこもり犯は大和さんの言っていた殺人犯と同一人物だった」
「まあ、能力が一緒ならば、同一人物でしょう」
「つぎ、立てこもり犯の持ち物を調べると、こんな感じのピンバッチが出てきたそうだ」
テーブルの上に、赤川のスマートホンが置かれた。スマートホンの画面には、丸くて刺々しい花が描かれた、赤色のピンバッチが映っている。
「この花は、ええっと」
「皆に片っ端からきいてみたんだけど、たぶんアザミがモチーフだろうって。花のことはさておき、このピンバッチ、盗聴器だった」
「……へ?」
思わず、隼人の口から間の抜けた声がこぼれる。そのことには構わず、「あと、これは別のところから聞いた話だけど──」と赤川は続ける。
「最近、あの事件のあった付近で、これと似たようなピンバッチを付けた人たちがウロウロしているらしい。そして、彼らは強い能力者を勧誘──いや、誘拐しているって、うわさになっているそうだ」
「待ってください。そのうわさが本当だとしたら──赤川さんと僕が、その人たちに狙われるということですか?」
様々な種類のある能力のなかでも、「能力の頂点」というべきものが存在する。その内の二つが、隼人の持つ「対能力」──他者の能力や空間の状態などの対象とは真逆の性質を持つ能力を使うことができる能力と、赤川の持つ「多重能力」──オリジナルよりも効果は低下するが、存在するすべての能力を使うことができる能力である。
赤川は隼人の言葉にうなずくと、重々しく口を開いた。
「このピンバッチが何らかの犯罪組織の構成員を示すもので、そして、あの立てこもり犯もその組織に関わっていたとすると、私と君の持つ能力は、盗聴器を介して組織の長に知られた可能性が高い。……立てこもり事件自体が、能力者を探し出すための仕掛けだった可能性も、考えられるね」
先ほどの、隼人がクッキーを焼いていたときとは打って変わって、重たい空気が流れる。この空気に耐えきれなくなったのか、隼人が声を上げる。
「じゃ、じゃあ、僕らで調べてみましょうよ。その組織があるかどうかも、まだわからないのですから」
「……君なら、そう言ってくれると思ったよ」
にっこり、赤川が笑顔を作る。
「明日、もう一度あそこへ行ってみよう。何か情報が得られると万々歳だ」
赤川は席を立つと、カウンターの上に置かれたクッキーを一枚口に入れる。そして、グッと親指を立てると、隼人に何か言われる前に食堂を出ていった。
食堂に残された隼人は、すぐに洗い物を始める気にもなれず、いすに座ったまま赤川から聞いた話を頭のなかで整理していた。
──そういえば、なぜアザミなんだろう。
脳内に、赤いピンバッチがよみがえる。赤川は、ピンバッチのモチーフにそれほど興味を持っていないようだったが、隼人にとっては魚の小骨のように気になって仕方がない。
パーカーのポケットからスマートホンを取り出すと、「アザミ 花言葉」で検索をかけた。
検索結果の一番上に表示された記事をタップ。アザミには色別の花言葉もあるようで、試しに赤色のアザミについて書かれたところを読む。
「権威、報復、そして、復讐──」
背後を、冷たい風が吹いていったように感じた。
──いや、待て。本当に今、背後を何かが通っていったような……。
「隼人さん、いまダイジョーブ?」
急に呼びかけられたことにより、いすから転げ落ちそうになった。隣を見ると、いつの間にか少年が座っていた。
「な、なんですか? 純一君」
純一と呼ばれた少年は、「はい!」と折り紙でできた何かをテーブルの上に置いた。
「これ、お守り! さっき赤川さんが、隼人さんといっしょにおしごとに行くって言ってたから」
言われてみると、確かにそれはお守りに似た形をしている。中に何か入れているようで、袋状に折りたたまれた折り紙は、セロハンテープでぐるぐる巻きに固定されている。
お礼を言いながら受け取ると、純一は満面の笑みを浮かべた。
「……そうだ。あそこにあるクッキー、よかったらどうぞ」
「やったー! クッキーだ!」
はずむようにカウンターへと歩いて行って、クッキーを一枚とる様子に、隼人は思わず笑みをこぼす。
しかし。
「ありがとう! それじゃー隼人さん、いい結果を期待してるねー」
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