異能力正義社

アノンドロフ

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アザミの花事件

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 この世界には、特別な「能力」を持った「能力者」と呼ばれる者たちが存在している。彼らが所有している能力は一つだけであり、全く同じ能力を持った能力者は存在しない。また、能力を使うためには何らかのアイテムが必要で、多くの能力者は自分に合ったアイテムに出会わぬまま、──自身が能力者であるということに気付かぬまま、生涯を終えることになる。
 特別な能力を持つ彼らは、戦争の道具として扱われたり、実験によって命を失ったりと、散々な目に遭(あ)ってきた。……異能力正義社が設立されるまでは。
 異能力正義社──S県の中心部に社屋を構えるその組織は、社長の赤川頼朝をはじめとする社員全員が能力者だ。地域のボランティア活動から要人警護まで、幅広く活動をおこない、能力者たちの社会的地位の向上を目指している。
 その異能力正義社に勤めている伊川隼人の朝は、ベランダのカーテンを開けることから始まる。
 ──今日は、快晴だな……。
 雲の量が少ないほど、彼の表情は不機嫌そうなものへと変わる。今日のように、雲一つない青空では、特にそうだ。
 開けたばかりのカーテンを閉め直して、朝食の準備を始めた。冷蔵庫からバターロールと飲みかけのカフェオレを取り出し、朝の情報番組を見ながら胃に流し込む。ちょうど、「今日の運勢」のコーナーが始まるところだったようで、星座別に占いの結果が流れていく。
『7位はしし座のあなた!』
 ピタ、と隼人の手が止まる。
『急な予定が入ってしまうかも! 焦らずに落ち着いて行動してくださいね』
 しし座の隼人は、頭の中にあるスケジュール帳を開く。
 ──今日は休みだから、前から気になっていたマカロンを作ってみよう。本当は買い物にも行きたかったけれど、こんなに晴れた日は外に出ていきたくない。よし、買い物は明日にしよう。
 今日の日付のところに赤いペンで「お菓子作り。買い物は明日」と書きこんで、心の中で「誰にも邪魔されませんように」と手を合わせて祈る。……何とも言えない不安が押し寄せてくるが、隼人の「何が何でも予定を実現させる」気持ちがおおい隠した。
 朝食をはやく済ませようと、バターロールの最後の一口を放り込む。そのとき、番組が突然切り替わった。
 そびえ立つ白い壁。それを取り囲む複数人の警官。マイクを握ったリポーターが、口を開く。
『M県S市のコンビニエンスストアで、立てこもり事件が発生しました。犯人は店員数名を人質に取り、現金を要求しています。警察が説得を試みていますが──』
 ちゃぶ台の上のスマートホンが鳴る。画面には、赤川頼朝の名前が表示されている。テレビの音量を下げて、電話にでた。
「はい。伊川です」
『もしもし隼人君。こちら赤川だ。今どこにいる?』
 どこか、切羽詰まったような声色。
「今? 自宅ですけど……」
『なら良かった。すまないが、すぐに会社の方まで来てくれ。依頼が入った』
 隼人は、テレビの画面をちらりと見た。
「もしかして……立てこもり事件ですか?」
『よくわかったね。もしかして、ニュース見ていたのかい?』
「ええ。今から急いで準備します」
『ああ、わかった』
 電話を切って、隼人はため息をついた。
 ──お菓子作りは来週にしよう。

 バタバタと身支度を整え、会社まで全速力で走る。幸いなことに、会社の社屋と隼人の住む社員寮は、それほど離れていない。
 社屋の前には、中折れ帽にTシャツ、チノパンと、動きやすそうな服装をした赤川が待っていた。
「さて、隼人君。早速だが件のコンビニまで飛ぶよ」
「え? 待ってください、先に説明──」
 説明を求めようとしたが、赤川に声は届かなかったようだ。隼人は赤川にがっしりと肩をつかまれると、そのまま二人は音もなく消え去った。
 こうして、隼人は何の説明もないまま、赤川頼朝とともにM県S市の地面を踏みしめることとなる。

 隼人が目を開けると、テレビで見たものと同様の景色が広がっていた。
 そびえ立つ白い壁に、それを取り囲む複数人の警官──コンビニは、あの壁の向こうにあるのだろう。急なテレポートでボンヤリした状態の隼人でも、なんとなくわかった。
 隼人の肩から手を退けた赤川は、きょろきょろとあたりを見渡している。
「……何しているんです?」
「いやあ、私たちの依頼主はどこかなと思って……あ、あの人だろうか」
 赤川の目線の先には、一人の男性がいた。
 その男性は二人に気が付くと、こちらへと近づいてくる。
「すみません、そこのお二人。異能力正義社の方でしょうか?」
「ええ。私は代表の赤川で、こっちが部下の──」
「伊川です」
 社員証を男性に見せると、男性も同じように警察手帳を二人に見せる。
「警視庁特殊刑事捜査班の大和です。……こちらが依頼したことについてなのですが……」
「はい。あの能力により出現した壁の破壊ですよね? 大丈夫です、お任せください。うちの優秀な部下がすぐに消して見せましょうとも」
 自分が全く知らない話が始まった。隼人は、赤川の服をちょいちょいと引っ張る。
「何かね? 隼人君」
「赤川さん、僕何も聞いてないんですけど。報連相って言葉、知ってます?」
 大きな声にならないように、気を付けながら話す隼人。その言葉を聞いて、赤川は大きくうなずいた。
「ホウレンソウ、おいしいよね」
「──僕は『ボケろ』と言ってないですよ!」
 急な大声に、大和の肩が跳ね上がった。
「……すめません、状況の説明をお願いします」
 我に返った隼人は、咳ばらいを一つすると説明を促した。
「コンビニ強盗だという通報を受け、我々が現場に駆け付けたときにはすでに、あのような壁が建物を取り囲んでいる状態でした。……おそらく通報されたことに気づいた犯人が、立てこもりへと計画を変更したのでしょう。犯人は『今日の正午までに現金三億円を用意しないと、人質を殺害する』と言ったきり、我々の言葉に応じようとしません。犯人への説得は続けていますが、あの壁のせいで人質となった方々や犯人の様子を見ることができないのです。そして、我々のなかには、あの壁に対応できる能力者がいないため、依頼しました」
「なるほど──」
 大和による説明を聞き、一つ疑問に感じたことを口に出す。
「確かに、僕ならあの壁を消すことができます。しかし、急に壁が無くなれば、犯人が興奮状態になるのでは?」
「伊川さんの言う通りです。ですが、先日この付近で殺人事件を起こして逃走した犯人と、あの能力が同じものなのです。同じ能力を持つものはいないと言いますし、仮に同一人物だとすると──」
「正午までに三億円を用意できないと、犯人の言った通りのことが起こりうる、というわけですね」
 赤川の発言に、大和はうなずく。
「壁が無くなったあとのことは、我々警察が行います。お願いできますか?」
「はい。任せてください」
 勇み足で壁へと向かっていこうとする隼人。そんな彼の肩を、赤川は再びつかんで引き留める。
「壁を消す前に一つだけ。あの中の様子なら、私の能力で見えますよ? 先に作戦を立てた方がいいと思いますが」
 赤川の提案により、作戦の決行は三十分後となった。
 その間、大和は待機していた警官たちを呼び集め、赤川が地面に投影したコンビニ内の映像をもとに、作戦会議をおこなっていた。
「君、作戦会議に参加しないの?」
 そこから少し離れたところで待っている隼人に、赤川が尋ねた。
「参加しませんよ。今回の僕の役割は、すでに決まってますし。それに、素人が口出しするわけにいかないでしょ?」
 隼人の返答に、赤川は軽くうなずく。
「そうだね。私も同意見だ」
 隼人も赤川も、立てこもり事件に関する依頼を受けたのは、今回が初めてのことだ。
「それで、なかの様子はどうでしたか?」
 赤川が透視して見たものが、そのまま地面に投影されているのだが、実際に見た場合とは感じたことが違うだろう。
「君に見せた通りだよ。……犯人らしい男性が、刃物を持ってコンビニの出入口付近に立っている。人質は、犯人の正面に座らされている。けが人はまだいない」
 ここで、赤川は眉根をひそめる。
「不思議なのは、犯人が立っている場所だ。なぜ出入口付近なのか。そこだと、壁を突破されると一瞬で捕まえられる」
「……自分の能力に自信があるから、ですかね?」
 隼人の、無理矢理ひねり出したような答え。赤川はしばらく考え込んでいたようだが、作戦会議が終わったため中断した。

 今度こそ勇み足で壁へと向かった隼人は、右手で壁に触れると、反対の手で、胸元で輝くラピスラズリのペンダントを握りしめた。
 ──壁を生み出す能力から、壁を破壊する能力に。
 隼人が少し祈るだけで、その白い壁は一瞬にして塵と化す。これにより、コンビニエンスストアのなかが、ようやく見えるようになった。犯人も、人質の様子も。
 ──あれ?
 何か、違和感があるような、ないような。
 壁に向かって手を伸ばしたポーズのまま、固まってしまった隼人の真横を通って、複数人の警官が犯人を取り押さえるべく、コンビニエンスストアへと突入していく。
 犯人と思われる男は、抵抗することもなく手錠がかけられた。
 ──いや、やっぱり何かがおかしい。
「隼人君? どうしたのかい?」
 顔を上げると、不思議そうな表情をした赤川が立っていた。
「いえ、何もありません」
 もう少しで、何かわかるかもしれなかったのに……という不満を悟られないように気を付けながら、隼人は頭を左右に振った。
「そうかい? まあ、何か気になったことがあるのなら、この赤川頼朝にいつでも言いたまえ」
 不敵に笑いながら、胸をそらす。大きな仕事が終わったために、気が緩んでいるのだろう。隼人は愛想笑いを浮かべるしかなかった。
 その二人のそばを、立てこもり犯の男が警察に連行されていく。
 うつろな目をして、独り言をブツブツとつぶやいているその男の様子を見て、隼人はようやくわかった。
 ──壁を破壊した瞬間、犯人の表情は何も変化していなかった。
 そうだ、違和感の正体はこれだ。普通ならば、驚いた表情をするはずなのに、どうして無表情なのだろうと思ったのだ。
 一人で納得する隼人だったが、結局このことは誰にも明かさなかった。それほど、重要なことだとは思わなかったからだ。
 このときの隼人は、違和感の正体がわかったことによる解放感と、どうやって家に帰るかという悩みでいっぱいになっていた。

 そして、この事件がただの序章に過ぎなかったと気付くには、まだ先のことである。
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