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桐島凧
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薄暗い部屋。その奥にある巨大な水槽。
液体で満たされたその中には、女の身体が漂っていた。頭や首、胸の辺りからは細いコードが伸びていて、水槽の外にある機械へと繋がっている。
「凄い眺めだ……」
水槽の前に立っているのは、研究者らしい二人の男。彼らは、衝撃・畏怖・達成感などをまぜこぜにしたような表情で、女を見つめる。
「まさか……本当に成功するとは」
水槽の中の女は、この研究室の主によって人工的に生み出された存在だ。今まで多くの実験を重ねてきたが、人と同じ形になったのはごくわずか。人の形をとったのは彼女で27番目、そして、身体の機能が正常に動いているのは、彼女が初めてである。
しばらくボーッと水槽を見ていた二人だったが、ふと、右側に立っている方が提案する。
「なあ、先に進めないか? 室長が来る前に」
その言葉に、もう一人は驚きの声を漏らす。
「勝手に進めたら、所長、怒るんじゃ……」
「だけどさ、俺、なんか怖いんだよ。ほら、組織からは男を作れって命令されてたらしいじゃないか。それを勝手に女に変えたのは所長だろ? おまけに容姿も身体能力も、色々理由をつけてごり押してたじゃないか。……今のところ、全て所長の思い通りだ。あいつ、絶対何か企んでるだろ……」
二人の男は黙った。壁に掛けられたアナログ時計の音が、部屋に響く。
何分経っただろうか。二人は、コンピューターの前へと移動する。
「確か、あとは人格のデータを送信するだけだったか?」
「ああ、そうだ。で、どうする? 入れる予定だったNo.4にはしないだろ?」
「もちろん。ええと、そうだなあ……」
人格のデータを作る際、正確に作動するかのテスト用として三つの人格データを作っていた。No.1とNo.2がここにいる男二人、No.3は所長をモデルに構成し、それらのデータを組み込まれた電脳と本人たちが同じ考え方をするのかをテストしたわけだが、三つとも成功していた。そのときのデータは、まだ破棄されていない。
今から新しい人格を構築するには時間がかかるため、これらのなかから所長が最も望んでいない人格を選ぶのが最適だろう。
しばらく悩み、ようやく選んだ人格を送信する。人格のデータはコードを介し、女の電脳へと伝わる。
「よし、これでいいだろ」
二人の男は、視線を水槽へと戻す。水槽の中の女は、人形のように動かない──はずだった。
今まで全く動かなかった女のまぶたが、ピクリと動いたのだ。
男たちに見つめられるなか、彼女はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
そして、──。
「────!!」
女はかん高い声で叫ぶと、自分に繋がれていたコードを引き抜き、水槽を素手で破壊した。
「……え?」
二人の男は、呆然とした表情のまま固まる。その間に、女は水槽から這い出てくると、床の上に座り込んだ。彼女の周りに、先程まで水槽を満たしていた液体が広がっていく。
女は、十代後半の見た目をしていた。長期間液体に浸かっていたために色が抜け、ピンク色に近い茶色になった長髪。茶色の瞳。細く長い手足に、柔らかそうな肉体。
二人の男は、どうしたらいいのか分からず固まったままだ。女は二人を睨み付けたまま、一言も発さない。
この沈黙を破ったのは、突然響いてきた足音だった。
その音はだんだん研究室の方へと近づいてきていて、二人の男は身体を震わせるとドアの方へと顔を向けた。
ドアから現れたのは、若く目つきの悪い男だった。
その男は、割れた水槽、観察するように見つめてくる女、そして身体が震えている二人の男という順に目を移し、そして大体のことを理解した。
「お前ら、所長の俺がいない間に、なぜ勝手に進めてんだ」
「す、すみません!」
「謝るよりも先にやることあるだろうが」
所長であるその男は、不機嫌そうに足音を鳴らしながら歩き、全く動かない二人の間を通り抜け、女の前で止まる。
「ほら、はやく拭くもの持ってこい。あと着るものも」
「は、はい!」
二人の男はあわただしく動き、棚や机の引き出しを順番に開け、ようやくタオルを見つけ出した。
「ありました!」
「遅すぎるわ」
タオルを受け取り、室長は女の身体を優しく拭いていく。
「悪いな。寒かっただろ?」
女は小さく頷くと、何も喋らずに所長の目を見た。その目は、先程よりも柔らかい。
「おい、服はまだか?」
所長は、背後に立っている男たちに尋ねた。男たちは手を振ると
「ありません!」
と、口を揃えて答えた。
「はあ……しょうがねェ」
所長は立ち上がると、ロッカーの中から自分の白衣を出してきて、女に着せてやる。
「悪いが、少し待っててくれ。今から服を買いにいってくるから」
そう言って、所長は歩き出そうとした。が、何かに引っ張られるような感覚があり、足を止める。
振り返ると、女がズボンの裾を引っ張っていた。
「……どうした?」
女は、何も言わずにズボンから手を離す。
「……どうしたんだ?」
「──どうして、」
繰り返された所長の質問に、女がようやく口を開いた。
恨みのこもった、敵意のある声で。
「どうして……どうして俺を作った?」
責め立てるように何度も繰り返されるその質問。
ここでようやく所長──桐島は、自身の過ちに気が付いたのだった。
液体で満たされたその中には、女の身体が漂っていた。頭や首、胸の辺りからは細いコードが伸びていて、水槽の外にある機械へと繋がっている。
「凄い眺めだ……」
水槽の前に立っているのは、研究者らしい二人の男。彼らは、衝撃・畏怖・達成感などをまぜこぜにしたような表情で、女を見つめる。
「まさか……本当に成功するとは」
水槽の中の女は、この研究室の主によって人工的に生み出された存在だ。今まで多くの実験を重ねてきたが、人と同じ形になったのはごくわずか。人の形をとったのは彼女で27番目、そして、身体の機能が正常に動いているのは、彼女が初めてである。
しばらくボーッと水槽を見ていた二人だったが、ふと、右側に立っている方が提案する。
「なあ、先に進めないか? 室長が来る前に」
その言葉に、もう一人は驚きの声を漏らす。
「勝手に進めたら、所長、怒るんじゃ……」
「だけどさ、俺、なんか怖いんだよ。ほら、組織からは男を作れって命令されてたらしいじゃないか。それを勝手に女に変えたのは所長だろ? おまけに容姿も身体能力も、色々理由をつけてごり押してたじゃないか。……今のところ、全て所長の思い通りだ。あいつ、絶対何か企んでるだろ……」
二人の男は黙った。壁に掛けられたアナログ時計の音が、部屋に響く。
何分経っただろうか。二人は、コンピューターの前へと移動する。
「確か、あとは人格のデータを送信するだけだったか?」
「ああ、そうだ。で、どうする? 入れる予定だったNo.4にはしないだろ?」
「もちろん。ええと、そうだなあ……」
人格のデータを作る際、正確に作動するかのテスト用として三つの人格データを作っていた。No.1とNo.2がここにいる男二人、No.3は所長をモデルに構成し、それらのデータを組み込まれた電脳と本人たちが同じ考え方をするのかをテストしたわけだが、三つとも成功していた。そのときのデータは、まだ破棄されていない。
今から新しい人格を構築するには時間がかかるため、これらのなかから所長が最も望んでいない人格を選ぶのが最適だろう。
しばらく悩み、ようやく選んだ人格を送信する。人格のデータはコードを介し、女の電脳へと伝わる。
「よし、これでいいだろ」
二人の男は、視線を水槽へと戻す。水槽の中の女は、人形のように動かない──はずだった。
今まで全く動かなかった女のまぶたが、ピクリと動いたのだ。
男たちに見つめられるなか、彼女はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
そして、──。
「────!!」
女はかん高い声で叫ぶと、自分に繋がれていたコードを引き抜き、水槽を素手で破壊した。
「……え?」
二人の男は、呆然とした表情のまま固まる。その間に、女は水槽から這い出てくると、床の上に座り込んだ。彼女の周りに、先程まで水槽を満たしていた液体が広がっていく。
女は、十代後半の見た目をしていた。長期間液体に浸かっていたために色が抜け、ピンク色に近い茶色になった長髪。茶色の瞳。細く長い手足に、柔らかそうな肉体。
二人の男は、どうしたらいいのか分からず固まったままだ。女は二人を睨み付けたまま、一言も発さない。
この沈黙を破ったのは、突然響いてきた足音だった。
その音はだんだん研究室の方へと近づいてきていて、二人の男は身体を震わせるとドアの方へと顔を向けた。
ドアから現れたのは、若く目つきの悪い男だった。
その男は、割れた水槽、観察するように見つめてくる女、そして身体が震えている二人の男という順に目を移し、そして大体のことを理解した。
「お前ら、所長の俺がいない間に、なぜ勝手に進めてんだ」
「す、すみません!」
「謝るよりも先にやることあるだろうが」
所長であるその男は、不機嫌そうに足音を鳴らしながら歩き、全く動かない二人の間を通り抜け、女の前で止まる。
「ほら、はやく拭くもの持ってこい。あと着るものも」
「は、はい!」
二人の男はあわただしく動き、棚や机の引き出しを順番に開け、ようやくタオルを見つけ出した。
「ありました!」
「遅すぎるわ」
タオルを受け取り、室長は女の身体を優しく拭いていく。
「悪いな。寒かっただろ?」
女は小さく頷くと、何も喋らずに所長の目を見た。その目は、先程よりも柔らかい。
「おい、服はまだか?」
所長は、背後に立っている男たちに尋ねた。男たちは手を振ると
「ありません!」
と、口を揃えて答えた。
「はあ……しょうがねェ」
所長は立ち上がると、ロッカーの中から自分の白衣を出してきて、女に着せてやる。
「悪いが、少し待っててくれ。今から服を買いにいってくるから」
そう言って、所長は歩き出そうとした。が、何かに引っ張られるような感覚があり、足を止める。
振り返ると、女がズボンの裾を引っ張っていた。
「……どうした?」
女は、何も言わずにズボンから手を離す。
「……どうしたんだ?」
「──どうして、」
繰り返された所長の質問に、女がようやく口を開いた。
恨みのこもった、敵意のある声で。
「どうして……どうして俺を作った?」
責め立てるように何度も繰り返されるその質問。
ここでようやく所長──桐島は、自身の過ちに気が付いたのだった。
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