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桐島凧
02
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そんなこんなで、中学一年の最初の三ヶ月は過ぎ、夏になった。
その日の体育は、男女ともに水泳だったのだが、体育の授業には参加しない──いや、参加できない俺には、どうでもいい。
いつものように、一人教室で本でも読んでいようかと思ったのだが、
「桐島君、いる?」
ガラガラガラ、と戸を開けて日向が入ってきた。
「お前、体育は?」
「見学だよー」
「でも、プールに行ってないといけねェよな?」
「んーと、たまにはいいかなーって。それに、それを言うなら桐島君もでしょ?」
こいつ……こんな奴だったか? たしかもっとマジメな感じで……。どうしてこうなった?
……俺のせいか。
勝手にサボって大丈夫なのだろうか……って、どーして俺がこいつの心配を──。
「──ん?」
何か……胸の辺りが痛む。削られているような痛みだ。
嫌な予感がする。
「日向、教室を出ろ。あと、先生を呼んできてくれ」
「え? どうして?」
「いいから出ていけ!」
声を荒げても、日向はその場から動かなかった。どうしていいのか分からない、というような表情で、俺を見ていた。
……こいつの前ではやりたくなかったが、もう耐えられない。
息を大きく吸い込んでから吐くと、空気の代わりに血が飛び出して赤黒い水溜まりを作っていく。息を上手く吸えず、気付けば鼻からも流血していた。
「き、桐島君⁉ 大丈夫?! えっと、消防車じゃなくて、あれ呼ばないと!」
ああ、救急車な、と心のなかでツッコんだが、そろそろヤバい。
喉につっかえていたやつが、口から出た。それは、血溜りのなかでビチビチ跳ね回っている。一匹だけでは終わらず、血を吐く度に増えていく。
日向の悲鳴が聞こえた。小学校のときの、友だちが俺に向けた目を思い出して身震いした。
できることなら……これで終わりにしてくれ……。
目が覚めると、俺はベッドの上に寝かされていた。横を見ると、いつもの医者と俺の母親がイスに座っていた。
息を吸う度に、胸がチクリと痛む。
医者の話によると、今回は肺がやられたらしい。俺は学校で意識を失い、すぐに病院に運ばれて手術されたそうだ。
「そして、しばらく入院か──」
誰もいなくなった部屋で、母親に持ってきてもらった本を漁りながら、一人呟く。
年に何回も入院している俺は、入院生活には慣れている。しかし、それでも嫌なものは嫌だ。ここにある本は全て読み終えているし、薬のせいで眠れない。
カバンの奥底にあったカフカの「変身」を取り出し、数ページ読んだところで部屋のドアが開いた。
入ってきたのは、制服姿の日向だった。
「桐島君、こんちはー」
「お、おう」
思わず、戸惑ってしまう。俺は、こいつの目の前で血を吐いた。いくら相手が気のいい奴だとしても、気持ち悪がるだろう。
なのになぜ、こいつは普段通りの笑顔で、ここにやって来たんだ?
「プリント、いっぱい預かってるよー」
ベッドの横のイスに座った日向が学校カバンから出した封筒を、礼を言って受けとる。
「あ。あとね、これ作ってきたんだけど」
日向は再びカバンのなかに手を突っ込んで何かを出すと、布団の上にそっとおいた。
それは──千羽鶴だった。
「さすがに千も折れなかったけどね」という言葉は、耳に入ってこなかった。
目頭が、熱い。ヤバい、泣きそう。
「あれ? 泣いてる?」
「泣いてねェよ……」
泣いてはいないが、声がもう泣きかけている。
「あ、ありがと……」
「どういたしまして」
こいつの顔を見ていると、ついさっきまでの不安が消え去ったように感じた。そして、拒絶されなかったことの安心感もあった。
だからだろう。こいつに、俺の病気について、話したいと思ったのは。
「……俺の話、してもいいか?」
「うん」
日向は、相変わらず微笑んでいる。
「……俺の体内には、寄生虫がいる」
「えっ……寄生虫って、魚とかにいるあれ?」
「ええと、まあ、そんな感じだな。……ただ、俺に寄生してるのは少し違ってて、寄生した人間の臓器を喰う」
「え? ……ちょっと待ってそれって大丈夫!?」
「ああ、まあ今のところは……重要器官喰われたといっても、ほんの少しだけだ。ただ……いつどこがどれだけ喰われるか予想できないから、……いつ死ぬか分からねェ」
「そ、それじゃ、薬は? 治療法は?」
「……寄生虫の動きを鈍くさせる薬はある。何年か前から飲んでるが、身体への負担が大きすぎるらしい。完全な治療薬は、今研究中らしい」
「──だったら」
日向は俺の手をとって、力のある瞳で俺を見た。
「私が、薬を開発する!」
こいつ……。
「だからなんですけど……桐島先生、宿題教えてください」
思わず、吹き出してしまった。
「いいぞ。いつでも来てくれ。……できれば、なんでもいいから本を貸してくれないか? 入院は、もう暇で暇で」
「うん、いいよ。マンガばっかりだけど。明日持ってくるね」
この日、俺は初めて誰かと明日の約束を交わした。
その日の体育は、男女ともに水泳だったのだが、体育の授業には参加しない──いや、参加できない俺には、どうでもいい。
いつものように、一人教室で本でも読んでいようかと思ったのだが、
「桐島君、いる?」
ガラガラガラ、と戸を開けて日向が入ってきた。
「お前、体育は?」
「見学だよー」
「でも、プールに行ってないといけねェよな?」
「んーと、たまにはいいかなーって。それに、それを言うなら桐島君もでしょ?」
こいつ……こんな奴だったか? たしかもっとマジメな感じで……。どうしてこうなった?
……俺のせいか。
勝手にサボって大丈夫なのだろうか……って、どーして俺がこいつの心配を──。
「──ん?」
何か……胸の辺りが痛む。削られているような痛みだ。
嫌な予感がする。
「日向、教室を出ろ。あと、先生を呼んできてくれ」
「え? どうして?」
「いいから出ていけ!」
声を荒げても、日向はその場から動かなかった。どうしていいのか分からない、というような表情で、俺を見ていた。
……こいつの前ではやりたくなかったが、もう耐えられない。
息を大きく吸い込んでから吐くと、空気の代わりに血が飛び出して赤黒い水溜まりを作っていく。息を上手く吸えず、気付けば鼻からも流血していた。
「き、桐島君⁉ 大丈夫?! えっと、消防車じゃなくて、あれ呼ばないと!」
ああ、救急車な、と心のなかでツッコんだが、そろそろヤバい。
喉につっかえていたやつが、口から出た。それは、血溜りのなかでビチビチ跳ね回っている。一匹だけでは終わらず、血を吐く度に増えていく。
日向の悲鳴が聞こえた。小学校のときの、友だちが俺に向けた目を思い出して身震いした。
できることなら……これで終わりにしてくれ……。
目が覚めると、俺はベッドの上に寝かされていた。横を見ると、いつもの医者と俺の母親がイスに座っていた。
息を吸う度に、胸がチクリと痛む。
医者の話によると、今回は肺がやられたらしい。俺は学校で意識を失い、すぐに病院に運ばれて手術されたそうだ。
「そして、しばらく入院か──」
誰もいなくなった部屋で、母親に持ってきてもらった本を漁りながら、一人呟く。
年に何回も入院している俺は、入院生活には慣れている。しかし、それでも嫌なものは嫌だ。ここにある本は全て読み終えているし、薬のせいで眠れない。
カバンの奥底にあったカフカの「変身」を取り出し、数ページ読んだところで部屋のドアが開いた。
入ってきたのは、制服姿の日向だった。
「桐島君、こんちはー」
「お、おう」
思わず、戸惑ってしまう。俺は、こいつの目の前で血を吐いた。いくら相手が気のいい奴だとしても、気持ち悪がるだろう。
なのになぜ、こいつは普段通りの笑顔で、ここにやって来たんだ?
「プリント、いっぱい預かってるよー」
ベッドの横のイスに座った日向が学校カバンから出した封筒を、礼を言って受けとる。
「あ。あとね、これ作ってきたんだけど」
日向は再びカバンのなかに手を突っ込んで何かを出すと、布団の上にそっとおいた。
それは──千羽鶴だった。
「さすがに千も折れなかったけどね」という言葉は、耳に入ってこなかった。
目頭が、熱い。ヤバい、泣きそう。
「あれ? 泣いてる?」
「泣いてねェよ……」
泣いてはいないが、声がもう泣きかけている。
「あ、ありがと……」
「どういたしまして」
こいつの顔を見ていると、ついさっきまでの不安が消え去ったように感じた。そして、拒絶されなかったことの安心感もあった。
だからだろう。こいつに、俺の病気について、話したいと思ったのは。
「……俺の話、してもいいか?」
「うん」
日向は、相変わらず微笑んでいる。
「……俺の体内には、寄生虫がいる」
「えっ……寄生虫って、魚とかにいるあれ?」
「ええと、まあ、そんな感じだな。……ただ、俺に寄生してるのは少し違ってて、寄生した人間の臓器を喰う」
「え? ……ちょっと待ってそれって大丈夫!?」
「ああ、まあ今のところは……重要器官喰われたといっても、ほんの少しだけだ。ただ……いつどこがどれだけ喰われるか予想できないから、……いつ死ぬか分からねェ」
「そ、それじゃ、薬は? 治療法は?」
「……寄生虫の動きを鈍くさせる薬はある。何年か前から飲んでるが、身体への負担が大きすぎるらしい。完全な治療薬は、今研究中らしい」
「──だったら」
日向は俺の手をとって、力のある瞳で俺を見た。
「私が、薬を開発する!」
こいつ……。
「だからなんですけど……桐島先生、宿題教えてください」
思わず、吹き出してしまった。
「いいぞ。いつでも来てくれ。……できれば、なんでもいいから本を貸してくれないか? 入院は、もう暇で暇で」
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この日、俺は初めて誰かと明日の約束を交わした。
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