○○さんの諸事情。

アノンドロフ

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貞光さんと磯貝くんの場合。

磯貝くんの不調。

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 一月も半分が過ぎた頃。
 駅の近くに新しくできた中華料理店が美味しいらしいから、休みの日に行ってみようと貞光と約束し、その当日。
 磯貝は、風邪をひいた。
 朝起きて、「暑いし寒いし怠いしなんだこれ」となった彼は、身体を引き摺りながら体温計を探しだした。脇に挟んで数分後、映し出されたのは「37.6」の数字。しっかり熱が出ていた。
 冬になれば必ず一度は風邪をひくほど、寒さに弱い体質なのだが、まさか今日熱を出すとは……と、自分の運のなさを呪った。
 貞光との約束は夕方だが、この体調ではいけない。チャットアプリを使って、貞光に連絡を入れると、薬を飲んで布団のなかに戻った。

 変な夢ばかり見て、眠る気が起きなくなってしまった磯貝は、横になったままスマホで時間を潰していた。もちろん、動画もネットニュースも全く頭に入ってこない。
 ただ画面を眺めているだけになっていたが、画面の上部に浮かんだ貞光からのメッセージに、磯貝は慌てて指を動かした。
 メッセージの内容は、「今から家に行っても大丈夫か」といったもの。貞光に会えるのはとても嬉しいが、もし風邪を移してしまったら……と返事が送れないままでいると、玄関のチャイムがなった。
 のそのそと布団から這い出て玄関へと向かう。ドアを開けると、そこには両手に荷物を持った貞光が立っていた。
「よっ、お見舞いにきたぞ」
「あ、ありがとう……」
 かさついた声で礼を言うと、貞光は心配そうな表情を向けた。
「体調はどうだ?」
「朝よりはマシだけど……まだ熱っぽいかな」
「そうか。それじゃ、食欲は?」
「食欲……」
 訊かれて、朝から何も食べていないことに気が付いた。それと同時に、思い出したかのように腹が鳴る。
「ちょっと、空いてるかも」
「なら、ちょうどよかった」
 荷物を流しの上に置いて、貞光は優しい笑みを向ける。
「台所、使ってもいいか?」

 布団に戻った磯貝は、台所で忙しなく動く貞光を眺めていた。料理するのに邪魔だったのだろう。彼が動く度に、一つに束ねられた黒髪がゆらゆらと揺れている。
 窓から射し込む夕日が気にならないほど、磯貝は彼に見とれていた。
 ふと、貞光がこちらを向いた。彼は少し気まずそうにしながらも、器を二つ持ってこちらに来た。
「はい、たまご雑炊。熱いから気を付けてな」
「わ、おいしそう。ありがとう」
 磯貝が器を受け取ったのを確認すると、貞光は布団の端に座る。残った器は、彼の手にあった。
「その……俺も一緒に食べていいか?」
「うん。一緒に食べよ」
 両手を合わせてから、匙を口へと運ぶ。
 味覚が鈍っていてもわかる、優しい味だ。
「おいしいねぇ」
 ふにゃふにゃとした笑みを浮かべながらそう言うと、貞光は目を細めて頷いた。


 腹が満たされたからか、それとも、食後に飲んだ風邪薬が効いてきたからか、磯貝は欠伸を一つする。
「食器洗ってくるから、磯貝は横になっていればいい」
「うん……そうする……」
 言われた通り、大人しく横になる磯貝。控え目に出される水の音を聞いていると、いつの間にか眠りの世界へと堕ちていたようだ。
 彼が再び目を覚ますと、台所からは何も音が聞こえなくなっていた。静かになった部屋に寂しさを覚えながらも、ふと自分の腕が大事そうに抱き締めているものが気になった。
 腕に伝わるサラサラとした感触と、耳を澄ませば聞こえてくる呼吸音──布団を剥いで、磯貝の心臓は止まりかけた。
 貞光絢也が、自分の腕のなかで眠っている。しかも、身体全体を密着させるような状態で。
「さ、貞光さん。起きて、ねえ」
 慌ててその背中を軽く叩くと、貞光はもぞもぞと腕のなかで動き、顔を見せてくれた。
「……おはよ。今何時?」
「今は夜の十一時ぐらいだけど」
「……なんだ。まだ寝れるな」
 そう言ってまた先程の位置に戻ろうとする彼を、磯貝は止める。
「待って。なんで、こんなことになったの?」
「……なんでって……そうか、覚えてないのか」
 どこか不機嫌そうな様子で、貞光は身体を起こす。
「──自分の部屋で寝直してくる。じゃ、また」
「え、うん、おやすみ」
 素っ気ない態度で部屋を出ていく様子に、貞光を怒らせてしまったかもしれないと後悔する磯貝だった。




 鍵を掛ける無機質な音が、誰もいない部屋に響く。
 ようやく一人になれた貞光は、我慢していたものを吐き出すように、ズルズルとドアに寄り掛かりながら座り込んだ。

 話は遡って、貞光が食器を洗い終わった後。
 様子を見に戻ると、磯貝は眠っていた。
「……」
 いい夢を見ているのか、随分と幸せそうな顔だ。暫くの間寝顔を眺め、そして掛け布団を慎重に掛け直そうとして。
 その動作で起きたのか、磯貝の目が微かに開いた。
「すまない、起こしてしまったか……?」
 貞光の問いに、反応しない磯貝。彼は焦点の合わない目でじっと見た後、何を思ったのか貞光へと手を伸ばす。
「なっ、やめっ」
 身を乗り出すように屈んでいた体勢も災いし、貞光の身体は簡単にその腕のなかへと引き込まれる。抵抗しようと身動ぎするが、磯貝の方が力が強く、逆に自分の胸へと押し付けるように抱き締められた。
 そして、頭上から降ってくる微かな寝息。流石に病人を叩き起こすわけにはいかないと、貞光は仕方なく身を任せることを選んだ。

 ……そう、貞光は自分から進んで添い寝を選んだわけではない。
 だというのに、なぜあれほど簡単に眠ってしまったのか。他人の体温と寝息と心音と汗の匂いを感じながら、どうして──。
 心地好いと、思ってしまったのか。
「どうしてしまったんだ、俺は……」
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