○○さんの諸事情。

アノンドロフ

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須応さんと斑目くんの場合。

斑目くんと幸里さん。

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 斑目は、ただ参考書を買いに来ただけだった。それなのに、どうして──。
「どうして、こうなった?」
「俺の方こそ訊きてーよ」
 幸里書店の店員と、お茶を飲んでいるのだろうか。

 数分前。図書館の帰りに幸里書店に立ち寄った斑目は、参考書を買おうとしていた。
 今日のレジ係もこの間の若い店員──幸里であり、あれから何カ月も経っているにもかかわらず、
「あ、君は里田好美先生の息子さん!」
とバッチリ覚えられていた。
「あの、大声で言うの止めてもらっても……」
 おそるおそる言ってみると、彼はハッと口を押さえる。
「そっかごめん。俺、元々声がでかくて。うるさかったよな」
「や、ただ母親のペンネームを出されるのがちょっとあれだっただけで」
「あと、この間のもごめん。まさか、ずっと応援していた作者さんの息子さんに会えるなんて、思ってもいなくて」
 派手な格好の割に、いい人そうだ。声はでかいが。
 そして、彼の声がよく響いていたのだろう。店の奥からゆっくりと、誰かが現れた。
奏明そうめい、友だちが来たのなら部屋に案内しなさい。ワシが代わるから」
「あ、じーちゃん。この人は別に友だちじゃなくて……」
 現れたその高齢男性は、幸里の祖父のようだ。
 初めて会ったはずだが、なんとなく見覚えがあるような──。
「ああ、君はいつぞやの……」
 斑目が思い出す前に、男性の方が声を発する。
「じーちゃん、知り合いだったの?」
「春頃、この人に助けて貰ってな。ほら、手提げの紐が切れた話、しただろう?」
「……ああ!」
 二人の会話を聞いて、斑目もようやく思い出した。
 斑目が初めて図書館に行くきっかけになった、あのときの男性だ。
「奏明、今日はもう大丈夫だから。自由にしていなさい」
「や、だからこの人は」
「腰のことなら大丈夫だ。今日はすこぶる調子がいい」
 男性の態度に、幸里はため息をつきながら頭をかく。
 そして、斑目の方を向いた。
「……部屋まで案内するから、ついて来てくれ」
「いいんですか?」
「じーちゃん、ああなったら人の話聞かなくなるから」
 ひょいひょいと手招きする幸里について行く。
 幸里店舗の二階は居住スペースになっているようで、店の奥の階段を上った先にある一室に案内された。

 こうして、今に繋がる。

「じーちゃん、去年ぐらいに腰を悪くして。それから講義の空き時間とか暇なときに店番代わってんのよ」
「そうなんですね。……ちなみに、学部ってどこですか?」
「地方創生の四年。斑目くんは?」
「俺は生命科学の二年です」
「はへー。だからキャンパスで見たことないのか」
 こたつの中央に置かれた菓子入れからおかきを取ると、幸里は口の中に放り込む。
「君も食べたいのあったら取れよー」
「あ、じゃあ一つ」
 幸里と同じおかきを取り、食べる。
 少し塩味が強いが、美味しい。
「四年てことは、就活終わったんですか?」
「ああ、俺はここに就職するから」
「幸里書店を継ぐってことですか?」
「うん。うちの親、継ぐ気なさそうだし」
 「意外だった?」という質問に頷くと、幸里は快活に笑った。
「この話したとき、皆びっくりするんだよ。まあ、須応とか付き合いの長い友だちは納得するんだけどな」
「でしょうね。なんとなく、県外に行きそうな感じがして……」
「それもよく言われる。……だけど、俺の夢はここじゃないと叶わないから」
 胸を張って言う幸里。彼の周りが、輝いて見える。
「夢……」
「そう。琴原商店街を活性化させて、好きな子にカッコいいって言ってもらうこと!」
「いや後半」
 幸里の光度が極限まで落ちた。
 明らかに尊敬の念が消えた斑目の様子に気付いたのか、幸里は慌てて弁明する。
「もちろん第一は商店街の活性化だよ! 年々活気がなくなっていくのを幼いころからずっと見てきたから、なんかやんねーとなって思ってきたし。で、そのことを周りに言ったら、そんなことできるわけがないって言われるんだよな」
 過去のことを思い出しているのか、遠い目をする。
「あの子が、初めてだったんだよ。俺の夢を、カッコいいって言ってくれたの」
「そうだったんですね……」
「まあ、その子とは二回ぐらいしか会ったことがないんだけどな」
「マジすか」
「うん。色々あったんだよ……あー、過去の自分をぶん殴ってやりてー……」
 乾いた笑いとともにお茶を飲み、一息つく幸里。
 過去にその人と何があったのか分からないが、「この人も大変なんだな」と同情の目を向けてしまう。
 このとき、斑目はまさか自分に話が振られるとは思っておらず、やや苦味のあるお茶を口に含む。
「俺の話は置いておいて、君の方はどうなの? 須応とどこまで進んだ?」
 吹いた。
「なぜ、そこで須応さんが出てくるんですか」
 咳き込みながら抗議すると、幸里は「へ?」と首を傾げた。
「……俺、てっきり須応のこと好きなんだと思ってたんだけど。あれ? 違う?」
「ノーコメントで……」
 今、ここに手頃な穴があれば、斑目はすっぽりと入り込んでいただろう。
 ──さすがに、こたつには潜り込めないので、斑目は顔を伏せることしかできない。
 しかし、幸里はお構いなしに突っ込んでくる。
「じゃあ、君が今気になってる人の特徴は? 名前は言わなくてもいいから」
「特徴……」
 熱のこもった頭で、あの人の姿を浮かべる。声に髪、顔、佇まい──。
「……ふわふわした美人……」
「ふむふむ、了解。ふわふわした美人と言えば俺の中ではあいつしかいないんだが、まあそれでいこう」
 幸里はニヤニヤしながら前のめりになる。
「そのふわふわした美人は、ビブリオマニアの一歩手前レベルの本好きか?」
「そうっすね……たぶんそうっす」
「そのふわふわした美人は『箱庭のイカロス』シリーズが好きか?」
「あー、と……一番好きだと言ってたシリーズですね……」
「なーるほど。では、この俺が一つアドバイスをしてやろう……その『箱庭のイカロス』、実写映画が今週公開されたばかり。俺も観に行ったんだけど、配役もストーリーも最高で、原作ファンの俺は大満足だった。たぶん、そのふわふわした美人も満足するはずだ。彼を誘っていきたまえ……」
「……や、でも、それならあの人すでに観に行ってるかもしれない」
「大丈夫、それはない。あいつ、俺が誘っても嫌だって断ったぐらいだし。君が誘ったら喜んで行くだろうけど」
「そうですかね……」
 気弱にそう言いながらも、几帳面にスマホのメモアプリに幸里の話を打ち込んでいる斑目。その様子を見て、幸里はニンマリ笑う。
「斑目くん、もう一つ、いいことを教えようか?」
「……なんですか?」
「これ、本当はサプライズの予定だから、商店街の関係者以外には内緒なんだけど──」
 そう前置きした幸里の口から語られたその内容は、たしかに最高のサプライズで。
「──その日まで、映画って公開されてます?」
「ん。されてるよ。だから、あいつと映画を観た後、商店街によるといい。あいつ、こういうの本当に好きらしいから」
 斑目の心は、すぐに浮かれてしまう。
 
「あの、幸里さん」
「ん? なんだ?」
「──『ふわふわした美人』と、名前を伏せていた意味ってないっすよね?」
「あ。そうだったな、『あいつ』ではなく『ふわふわした美人』だったな。そのふわふわした美人と一緒に──」
「誰? ふわふわした美人って」
 斑目と幸里の身体が飛び上がる。
 年季の入ったおもちゃのごとく首を動かすと、その先には仕事終わりの須応が立っていた。

「──」
「……」
「……?」
 みるみるうちに顔が真っ赤になる斑目。
 硬直したままの幸里。
 状況が呑み込めないままの須応。
 先に動いたのは、もちろん斑目だった。
「お、俺! 帰りますさようなら!」
 脱兎のごとく部屋を飛び出す斑目に、須応はただただ首をかしげるだけだった。
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