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北からの使者と災厄の種

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 早朝、ノックの返答がないため、恐る恐る執務室のドアを開けた文官は短い悲鳴を漏らした。死屍累々、そう呼んで差し支えない有様であったのだ。執務机に突っ伏すように寝こけているのは彼らの主君たるレイル王で、その足元に大の字になっているのは、実質この国のナンバー2に収まっている賢者スカサハであろう。そして、様々な案件をその場で確認し、書類の書き直しや計算などをしていた文官たちがまとめて横たわっていた。いびきをかいていなければただの惨殺現場である。
 その若い文官は、報告に行った者が戻ってこないので、様子を見るように上司に命じられたのである。まさかこんな凄惨な現場を目の当たりにするとは思っていなかった。そして彼は主君のうめきを耳にして慌てる。とりあえず口元に耳をもっていって言葉を必死に聞き取ろうとした。まさかこれが遺言とかだったら厄介ごとになるだろうとか考えながら。そしてその内容を把握して彼は崩れ落ちた。レイルの言葉はただ一言。「腹減った」であったからだ。
 彼は厨房まで全力で走った。自分にこれほどの体力があったのかと不思議に思いながら。そして、大き目の野菜が放り込まれたスープをひと鍋持ち込んだ。
 効果は劇的だった。料理人が心血を注いで取った出汁と、煮込まれた野菜の香りが漂うと、死んだように眠っていたレイルほかの人間が動き出す。ゾンビがいたらこんな感じなのかなーってくらいぎこちない動きであったが。文官が給仕のメイドに目配せすると、湯気の立つスープを皿に盛り、レイルに手渡した。
「う、ま、い、ぞおおおおおおおおおおおお!!!」
「生き返る…」
「これを作った料理人に褒賞を与えよ!」
「ははっ!」
 大げさなと彼は思ったが、主君の言葉である。そしてふと気づいて答えた。
「料理人に褒賞を与える手続きの書類を作成いたします」
 その一言を聞いてレイルは再び崩れ落ちた。

 ヤサグレてサボっていた執務を何とか圧縮してこなし、通常営業モードに持ち込めたのは1週間後だった。
「クリフォード候からの使者家、ご苦労」
「はは、わが主より陛下への親書にございます」
「いただこう…ふぁっ!?」
「陛下、使者の前でそのような声を出しては…はあああぁ?!」
「使者殿、これはどういうことか?」
「は、わが主クリフォードにつきましては、レイル陛下に臣従を望んでおります」
「勢力は対等だが?」
「そうおっしゃられると予想し、主より言葉を賜っております」
「聞こう」
「我が武略は陛下に及ばず、我が知略は陛下に及ばず、今現在所領は拮抗しているが、戦えば1年も我が領は持たぬ。なれば、今まだ対等のうちに高く売りつける。以上にございます」
「おいおい…過大評価しすぎだろ…?」
「レイル殿、渡りに船かと」
「…わかった、その話、受けよう」
「おお、誠に喜ばしい、ありがとうございます」
「ああ、クリフォード候にはよしなに」
「は、かしこまりました。して、もう一つ。クリフォード候には妹君がおられまして」
「んだとコラァ!」
「スカサハ、落ち着け、使者殿の前だ!」
「あー、話を続けてよろしいでしょうか…?」
「ああ、すまない」
「えー、では、本題に入ります。スカサハ殿の次、第二夫人として迎えていただけないかと…」
「いいでしょう」
「ちょ!? 待てスカサハ、俺の意思は??」
「この上もなく強大な見方を得る、それを上回るメリットがありましたら示していただけますか?」
「っく、外堀は埋まっているといいたいのか?」
「うふふ、陛下、素敵な言葉をお待ちしておりますわ」
 そう微笑むスカサハは非常に魅力的だった。レイルはその顔を真っ赤にして言葉を失うくらいに。

 クリフォード軍がレイルの指揮下に入ったが、基本的に独自行動をしてもらうこととなった。現在レイルの本拠はトゥールに置いている。クリフォードはロンディニウムに本拠がある。連携して動くには距離がありすぎるのだ。大まかな方針はすり合わせたうえで、ともに東進する方針だけは決まった。
 レイルは次の目標をかつて数回の大戦が行われたシレジエンに定めた。そこにはオズワルド王国の大部隊が駐屯している。再び舞台は大きく動こうとしていた。

「レイル殿の意気地なし…」
 スカサハが代わりにヤサグレていた。レイルは問題を先送りするために進軍を決めたことを見透かしていたためである。そして、北から騒乱の種は近づいて来るのだった。
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