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鶴は舞う
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「申し上げまする! 岡崎の城より今川勢が出撃しております。大将旗は舞鶴に巴! 太原雪斎にござる!」
その報告は陣中に大きな衝撃をもたらした。
太原雪斎の名は今川治部の懐刀として知られる。政治に、軍事に、外交にとできぬことはないかの如く八面六臂の働きを見せ、黒衣の宰相と呼ばれていた。
「してやられただわ。罠か!」
殿はその時点ですべてを察したのだろう。刈谷の寝返りまでは事実。普通ならば刈谷に圧力をかけ寝返りを阻止するのが常道。それをあえて見過ごし岡崎に攻め寄せさせる。
岡崎衆は撒き餌で、それに食らいついて敵中に深く入り込んでしまっているいま、このままでは敵の包囲にあい、お味方はすりつぶされるように全滅するは明白だ。
「退き陣じゃ!」
殿の命に従い使い番が走る。ガンガンと鐘が打ち鳴らされ兵があわただしく走り回り始めた。
「三郎五郎は手負いを守りつつ先にいけ! 孫三郎は坂の上に陣を敷き、追ってくる敵を叩き落とすのじゃ!」
「兄上、お任せあれ」
もっとも厳しい役目を任せられても動じることなく受け入れる。
馬首を返すと坂の登り切ったあたりに街道をふさぐ幅で陣を敷く。
「殿。儂は孫三郎様の陣に加わりたく!」
「権六、おのしゃあ初陣じゃ。苦しからず三郎五郎と共に行け!」
「がはっ! 儂が若年とのお心遣いはありがたく存じますが、儂は殿の家来にてござる。殿は唯お命じくださればよいのじゃ。今川の衆を蹴散らしてまいれと」
ニヤリと笑みを浮かべることはできておるだろうか。鏡がない故わからぬ。
鏡? そもそもうちのような貧乏庄屋にそんなものはあるはずがない。だが鏡に向かう妻の後ろ姿の記憶はある。その妻が夢か幻か、どうともわからなかった。
今は余計なことを考える暇はない。再び無理やりにでも笑顔を作る。
「権六……」
くしゃりと顔を悲嘆にゆがめ、それでも表情を改めた殿が口を開く。
「権六、手柄を立ててまいれ。かなうなら庵原の坊主めの首を持ち帰るがよい!」
「がはははは! 承知仕ってござる!」
「腕に覚えがある者は権六の介添えをせよ!」
殿の呼びかけに旗本小姓衆より声を上げるものが出る。
儂はその者を率いて坂の中腹に陣取る。
中備えが坂を駆け上がり、殿が退く。最も激戦のさなかにいた三郎五郎様の備えもそこに加わり足早に小豆坂を後にする。
「やい、権六! 貴様だけに手柄を立てさせぬぞ!」
中備えの陣にいたはずの佐久間半介が手勢を率いて現れた。
引きつりながらも笑みを見せ、必死に見栄を張るその姿に、こやつは変わらぬなと苦笑いが浮かぶ。
「ふん、そこまで死にたいならともに閻魔にまみえようず」
「殿を守って討ち死になれば武勲は末代まで聞こえようぞ」
握った拳を互いに打ち合わせ笑みをかわす。
そこに使い番がやってきた。
孫三郎様の命は、こちらの陣に合流せよ、と言うことであったが、まずはここで敵の鋭鋒をくじく必要があると伝える。
「敵の先頭に立ってくる者どもを蹴散らせば追撃は緩むであろうが」
「勝ちいくさに怖気るわけじゃの」
「うむ、左様なり」
段取りを決めていると一人の武者がやってきた。
「権六!」
親父殿だ。
「おう、親父」
「おう、ではないわ! お前何を調子に乗っ取るがや!!」
「別に調子にのっとるわけにあらずか。殿が無事に戻ることこそ儂の武功じゃと親父が申したであろうが」
「言うた、言うたがの……」
悲嘆にくれた表情で儂を見る親父。
「なに、こんなところで死にはせん。殿が儂に嫁をくれるというてくれたのでなん。儂の代で柴田の家をつぶすわけにはいかんじゃろが」
「ふん、盛次のところから子をもらえばよかろうが。貴様が死んでも何とかなろうず」
「半介! 貴様はだまっとりゃあせ!」
茶々を入れる半介を親父が怒鳴り、言った本人は肩をすくめる。
そんな日ごろと変わらぬやり取りに、死地にある自分を忘れかける。
「おう、大丈夫じゃ義父上。儂が権六をかならずや生きて返そう程に」
「婿殿!?」
盛次義兄上までやってきた。
「佐久間衆、手柄の立てどころはここにあり! 鬼の権六が敵を蹴散らすゆえ、楽ないくさ場じゃ! 丸儲けに違いなしじゃ!」
「「おおおおおおおう!!」」
死地に赴くとは思えぬやり取りに、無理やり笑みを浮かべた。
「もう好きにすりゃあええのだわ。権六、死ぬなよ」
「儂は日ノ本一の大将になるのだで。こんな小いくさで死ぬわけがなかろうず」
がははと笑って見せると今度は親父もあきれたような笑みを見せる。
壮丁五〇がせいぜいの土豪が、両軍合わせて万を超える人数がぶつかり合う戦場を小いくさと断じだのだ。そりゃ呆れられよう。
親父が去り行く間際、柴田衆からも兵の一部が志願して儂のもとに残ってくれた。全員はいかん。村が廃れる故な。
「申し上げます!」
物見がやってきた。三郎五郎様が放っていたものであろう。
「ご苦労。何かわかったか?」
貫目で言えば儂より佐久間の義兄の方が上であるが、自然とこの人数の頭は儂になっていた。
「はっ! 敵の総勢は五千あまり! 左右三備えにてこちらに迫っております」
「我らを包囲して一気にすりつぶすつもりにてあらあず。そうはさせんでなん」
こちらの手勢は五百に満たぬ。孫三郎様の兵は八百。まともに戦えば全滅だ。
しかし、死ぬという気は一切せず、五体には力が満ち溢れている。
「今川の弱兵なにするものじゃ! 儂に続けええええい!」
采は持たぬが、抜き放った白刃を敵勢に向け声を張り上げる。
敵は中央備えが二千、両脇に千五百ほどを配している。勝ちに逸っているのか足並みは乱れていた。
「よいか! まん丸になりて脇を固めよ! 我らは一本の槍で一筋の矢じゃ。はぐれたら死ぬるぞ。朋輩助け合って戦うのじゃ。首は取らぬ、ただなで斬りにせよ! わかったかや! わかったなら鬨を上げよ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおう!!!」」」
わずか五百の兵が上げたとは思われぬ力強い喊声に、敵の先陣はたじろぐ。
その刹那を逃さず突撃を命じた。
「かかれ、すわ、かかれえええええええええええええええええええええええええい!」
肺腑を空にする勢いで叫ぶ。戦場すべてに轟けとばかりに張り上げた大音声に兵たちは鬼神と見まがうばかりの気合で敵に突貫していく。
たまたま先頭にいた武者が数人の槍に貫かれ断末魔を上げる間もなく五体四散する。
人体は血の詰まった袋で、叩きつけられた太刀によって破れれば周囲に血煙をまき散らす。
樽を叩くかのような音を立てて腹を槍に貫かれた武者が悶絶する。
小豆坂は再び鉄さびに似た臭いが漂う修羅場となった。
「我こそはがふっ」
悠長に名乗りを上げる騎馬武者は儂の放った投げ槍に貫かれた。
自前の槍はすでに柄が曲がり刃先はササラのように毀れて刃物としては使えない。
敵兵の取り落とした得物を拾い上げては振るう。もはや何人倒したかすらわからぬままに荒れ狂っていた。
「わが名は柴田権六でや! 者ども出会えい!」
陣列の先に立ち敵を蹴散らす。儂を中心に敵兵が下がり遠巻きにする。敵兵の背後では物頭が声を荒げて叱咤している。
「物頭を狙うでや! 三人一組になって狙え!」
兵の指揮を執る頭をつぶされれば配下の兵は烏合の衆となる。敵の物頭を投げ槍で仕留め、周囲を見渡すと脇備えがこちらの側面を突かんと動いてきていた。
しかし、こちらのあまりのすさまじい勢いに兵たちが怖気ついている。
「先手は下がれ! 儂の合図に坂を駆け上がるのじゃ! わき目もふらずに駆けよ!」
疲労の色が濃い先手を先に逃がす。今は気が高ぶっている故に傷の痛みも疲労も感じぬが、一度気が緩めばそれは一気に五体を襲い身動きはかなわないようになる。
「佐久間衆。坂の半ばで槍衾を敷くのじゃ!」
後ろ備えの半介が横に陣を敷き、槍を突き出して敵をけん制する。
それによって敵の足が鈍って何とか陣列を整える。
背後を見渡し、儂はあることに気づいた。
「してやられただわ!」
庵原の旗がいつの間にか見えなくなっていた。
その報告は陣中に大きな衝撃をもたらした。
太原雪斎の名は今川治部の懐刀として知られる。政治に、軍事に、外交にとできぬことはないかの如く八面六臂の働きを見せ、黒衣の宰相と呼ばれていた。
「してやられただわ。罠か!」
殿はその時点ですべてを察したのだろう。刈谷の寝返りまでは事実。普通ならば刈谷に圧力をかけ寝返りを阻止するのが常道。それをあえて見過ごし岡崎に攻め寄せさせる。
岡崎衆は撒き餌で、それに食らいついて敵中に深く入り込んでしまっているいま、このままでは敵の包囲にあい、お味方はすりつぶされるように全滅するは明白だ。
「退き陣じゃ!」
殿の命に従い使い番が走る。ガンガンと鐘が打ち鳴らされ兵があわただしく走り回り始めた。
「三郎五郎は手負いを守りつつ先にいけ! 孫三郎は坂の上に陣を敷き、追ってくる敵を叩き落とすのじゃ!」
「兄上、お任せあれ」
もっとも厳しい役目を任せられても動じることなく受け入れる。
馬首を返すと坂の登り切ったあたりに街道をふさぐ幅で陣を敷く。
「殿。儂は孫三郎様の陣に加わりたく!」
「権六、おのしゃあ初陣じゃ。苦しからず三郎五郎と共に行け!」
「がはっ! 儂が若年とのお心遣いはありがたく存じますが、儂は殿の家来にてござる。殿は唯お命じくださればよいのじゃ。今川の衆を蹴散らしてまいれと」
ニヤリと笑みを浮かべることはできておるだろうか。鏡がない故わからぬ。
鏡? そもそもうちのような貧乏庄屋にそんなものはあるはずがない。だが鏡に向かう妻の後ろ姿の記憶はある。その妻が夢か幻か、どうともわからなかった。
今は余計なことを考える暇はない。再び無理やりにでも笑顔を作る。
「権六……」
くしゃりと顔を悲嘆にゆがめ、それでも表情を改めた殿が口を開く。
「権六、手柄を立ててまいれ。かなうなら庵原の坊主めの首を持ち帰るがよい!」
「がはははは! 承知仕ってござる!」
「腕に覚えがある者は権六の介添えをせよ!」
殿の呼びかけに旗本小姓衆より声を上げるものが出る。
儂はその者を率いて坂の中腹に陣取る。
中備えが坂を駆け上がり、殿が退く。最も激戦のさなかにいた三郎五郎様の備えもそこに加わり足早に小豆坂を後にする。
「やい、権六! 貴様だけに手柄を立てさせぬぞ!」
中備えの陣にいたはずの佐久間半介が手勢を率いて現れた。
引きつりながらも笑みを見せ、必死に見栄を張るその姿に、こやつは変わらぬなと苦笑いが浮かぶ。
「ふん、そこまで死にたいならともに閻魔にまみえようず」
「殿を守って討ち死になれば武勲は末代まで聞こえようぞ」
握った拳を互いに打ち合わせ笑みをかわす。
そこに使い番がやってきた。
孫三郎様の命は、こちらの陣に合流せよ、と言うことであったが、まずはここで敵の鋭鋒をくじく必要があると伝える。
「敵の先頭に立ってくる者どもを蹴散らせば追撃は緩むであろうが」
「勝ちいくさに怖気るわけじゃの」
「うむ、左様なり」
段取りを決めていると一人の武者がやってきた。
「権六!」
親父殿だ。
「おう、親父」
「おう、ではないわ! お前何を調子に乗っ取るがや!!」
「別に調子にのっとるわけにあらずか。殿が無事に戻ることこそ儂の武功じゃと親父が申したであろうが」
「言うた、言うたがの……」
悲嘆にくれた表情で儂を見る親父。
「なに、こんなところで死にはせん。殿が儂に嫁をくれるというてくれたのでなん。儂の代で柴田の家をつぶすわけにはいかんじゃろが」
「ふん、盛次のところから子をもらえばよかろうが。貴様が死んでも何とかなろうず」
「半介! 貴様はだまっとりゃあせ!」
茶々を入れる半介を親父が怒鳴り、言った本人は肩をすくめる。
そんな日ごろと変わらぬやり取りに、死地にある自分を忘れかける。
「おう、大丈夫じゃ義父上。儂が権六をかならずや生きて返そう程に」
「婿殿!?」
盛次義兄上までやってきた。
「佐久間衆、手柄の立てどころはここにあり! 鬼の権六が敵を蹴散らすゆえ、楽ないくさ場じゃ! 丸儲けに違いなしじゃ!」
「「おおおおおおおう!!」」
死地に赴くとは思えぬやり取りに、無理やり笑みを浮かべた。
「もう好きにすりゃあええのだわ。権六、死ぬなよ」
「儂は日ノ本一の大将になるのだで。こんな小いくさで死ぬわけがなかろうず」
がははと笑って見せると今度は親父もあきれたような笑みを見せる。
壮丁五〇がせいぜいの土豪が、両軍合わせて万を超える人数がぶつかり合う戦場を小いくさと断じだのだ。そりゃ呆れられよう。
親父が去り行く間際、柴田衆からも兵の一部が志願して儂のもとに残ってくれた。全員はいかん。村が廃れる故な。
「申し上げます!」
物見がやってきた。三郎五郎様が放っていたものであろう。
「ご苦労。何かわかったか?」
貫目で言えば儂より佐久間の義兄の方が上であるが、自然とこの人数の頭は儂になっていた。
「はっ! 敵の総勢は五千あまり! 左右三備えにてこちらに迫っております」
「我らを包囲して一気にすりつぶすつもりにてあらあず。そうはさせんでなん」
こちらの手勢は五百に満たぬ。孫三郎様の兵は八百。まともに戦えば全滅だ。
しかし、死ぬという気は一切せず、五体には力が満ち溢れている。
「今川の弱兵なにするものじゃ! 儂に続けええええい!」
采は持たぬが、抜き放った白刃を敵勢に向け声を張り上げる。
敵は中央備えが二千、両脇に千五百ほどを配している。勝ちに逸っているのか足並みは乱れていた。
「よいか! まん丸になりて脇を固めよ! 我らは一本の槍で一筋の矢じゃ。はぐれたら死ぬるぞ。朋輩助け合って戦うのじゃ。首は取らぬ、ただなで斬りにせよ! わかったかや! わかったなら鬨を上げよ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおう!!!」」」
わずか五百の兵が上げたとは思われぬ力強い喊声に、敵の先陣はたじろぐ。
その刹那を逃さず突撃を命じた。
「かかれ、すわ、かかれえええええええええええええええええええええええええい!」
肺腑を空にする勢いで叫ぶ。戦場すべてに轟けとばかりに張り上げた大音声に兵たちは鬼神と見まがうばかりの気合で敵に突貫していく。
たまたま先頭にいた武者が数人の槍に貫かれ断末魔を上げる間もなく五体四散する。
人体は血の詰まった袋で、叩きつけられた太刀によって破れれば周囲に血煙をまき散らす。
樽を叩くかのような音を立てて腹を槍に貫かれた武者が悶絶する。
小豆坂は再び鉄さびに似た臭いが漂う修羅場となった。
「我こそはがふっ」
悠長に名乗りを上げる騎馬武者は儂の放った投げ槍に貫かれた。
自前の槍はすでに柄が曲がり刃先はササラのように毀れて刃物としては使えない。
敵兵の取り落とした得物を拾い上げては振るう。もはや何人倒したかすらわからぬままに荒れ狂っていた。
「わが名は柴田権六でや! 者ども出会えい!」
陣列の先に立ち敵を蹴散らす。儂を中心に敵兵が下がり遠巻きにする。敵兵の背後では物頭が声を荒げて叱咤している。
「物頭を狙うでや! 三人一組になって狙え!」
兵の指揮を執る頭をつぶされれば配下の兵は烏合の衆となる。敵の物頭を投げ槍で仕留め、周囲を見渡すと脇備えがこちらの側面を突かんと動いてきていた。
しかし、こちらのあまりのすさまじい勢いに兵たちが怖気ついている。
「先手は下がれ! 儂の合図に坂を駆け上がるのじゃ! わき目もふらずに駆けよ!」
疲労の色が濃い先手を先に逃がす。今は気が高ぶっている故に傷の痛みも疲労も感じぬが、一度気が緩めばそれは一気に五体を襲い身動きはかなわないようになる。
「佐久間衆。坂の半ばで槍衾を敷くのじゃ!」
後ろ備えの半介が横に陣を敷き、槍を突き出して敵をけん制する。
それによって敵の足が鈍って何とか陣列を整える。
背後を見渡し、儂はあることに気づいた。
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