乾坤一擲~権六伝~

響 恭也

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尾張の戦奉行

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 戸をくぐった瞬間脳髄を焼くような強い光にさらされた。目を閉じるが瞼を貫いて輝きが突き抜ける。
 同時に火に焼かれるような痛みが全身を覆う。そして一瞬のち、見慣れた風景の中に立っていた。

「権六、何をボケッとしておるか!」

 火に焼かれたかのような感覚は過ぎ去り、何か大事なことを忘れたような喪失感があった。どこからともなく声が聞こえるがまるで薄靄を通しているようだ。
 左手に残されたほのかなぬくもりが守るべき誰かを思い起こさせた。だがそれも靄の彼方ではっきりと思い出せない。
 再び呼びかけられた怒声で我に返る。

「権六!」
 バシッとほほを叩かれた。じんわりとした痛みを感じ、夢から覚めたような心地になる。目の前に立っていたのはこの上もなく見知った顔で、父親の柴田修理太夫義勝であった。

「すまん、親父」
「おお、貴様立ったまま寝ておったか?」
 親父はあきれた顔で儂を見ている。
 何か違和感はあるが今はそれを
「ああ、うむ。すまぬ」
「まったく。成りばかりはでかくなりくさってもまだまだ童じゃな」
「いや、そういうわけでは……」
「なんじゃ、これからいくさに行くのに寝るとは豪儀じゃのう! わはははははは!」
 
 その時はじめて自分の身の上を思い起こした。親父殿の馬鹿笑いは今に始まったことではないが、いやに懐かしく感じる。
 そして、今日のことはすでに見知っているような気がしてならなかった。

 柴田の家は越後国、新発田より起こった。柴田義勝は修理太夫を自称し、祖は清和源氏につながり、斯波氏の諸流であると言われている。
 曾祖父のころは尾張国、愛知郡一色城に拠っていたというが、今は村上村を治める庄屋に過ぎない。
 此度は父に従い、古渡の城へと向かう途上であった。織田大和守家の戦奉行を務める織田弾正忠信秀より陣触れがあったのだ。

「ふん、目覚めたか。なれば遅れるでないぞ!」
 親父殿は馬にまたがると歩を進める。儂も左手に手綱を引く馬を見上げた。普段見知った顔のはずがなぜか妙に懐かしさがこみあげてくる。
 鼻面を撫でると心地よさげにいななく。鬣を撫で首を撫でた後、鐙を蹴って馬上の人となった。

 軽く馬腹を蹴ると駿馬は並み足で駆け始める。その足は速く、みるみる親父殿の背中に追いつこうとしていた。
 
「若! 足を緩めてくだされませ!」
 親父殿に従う兵の内、年かさのものが息せき切って駆けてくる。背後を振り向くと息も絶え絶えな様子で儂に追いつこうとする姿が見えた。

「お、おう。すまんな」
 思わず詫び言を口にすると、目を真ん丸に見開かれる。
「若、なにやら面差しが変わられましたな」
「ん? どういう意味じゃ?」
「いや、何やら古強者のような貫禄が備わってござる」
「世辞を申すな。儂は儂ぞ」
「うむむ、初陣に気が急いておったように見えておりましたが」
「なれば覚悟が決まったということであろうが」
「いや、これほどの大器が跡取りなら柴田の家は安泰にございますな」
 そういうと兵士、権八は古傷の残る頬をゆがめて笑みを形作った。

「ええい、何をもたくさしとるのだがや!」
 再び親父殿に怒鳴られた。普段なら身をすくめるところだが、今日の儂は何やらおかしうて、胸のあたりがぐっと熱くなるだけだった。

「ああ、すまぬ。今行くぞなもし」
「なんじゃ、権六。貴様年寄りのように落ち着きくさっておるな。まあよい。いくさ場では心を乱したものから死ぬのだからのう。どっしりと構え置けばおのずとせっしょは切り抜けられると言うものじゃ」
「ああ、心得おくだわ」
 素直にうなずいた儂を見て、親父と権八が再び目を丸くする。

「明日は槍でも降るのかのう?」
 やれやれと肩をすくめる親父に、付き従ってきた兵たちが大笑いしている。
 
「若、一番槍は俺がもらいますぞ!」
 自分と同年代の若武者が気勢を上げる。
 儂はこれから戦場に赴くとは思えないほどにぎやかな心持で、古渡の城の門をくぐった。

 古渡の城に兵たちを残し、儂と親父殿は清須の城に赴く。ここは尾張守護である武衛様の御座所だ。

 評定の間の末席に座る。村上村からは30名の兵が付き従っている。大身とはいいがたい家柄で、末席とはいえ評定の間に入ることができたのは……。

「皆の者、大儀!」
 武衛様が上座につき、集まった者どもに声をかける。
 そしてその隣には、戦奉行に任じられた織田弾正忠信秀様が膝立ちで控える。

「弾正忠、あとは任す」
「はっ」
 武衛様の言に従い、スッと立ち上がった信秀様は歴々衆の目線に負けぬ眼光で評定の間を睥睨した。

「此度のいくさだが、三河刈谷城の水野がこちらに寝返った。余勢を駆って三河に攻め入り、岡崎を取り抱えるのじゃ!」
「「おおおおおおう!!」」
 信秀様に近い武者たちが鬨を上げ、その勢いが評定の間を満たす。それこそ普段は反目しておる小守護、坂井大膳もこぶしを握り締めておる。
 天性の将器とでも呼ぶべきか。武者どもを励まし、兵たちの意気を上げるだけのちからが備わっている。
 編成が告げられ、我ら柴田衆は信秀様の直下に配せられた。

「ではこれにて評定を終える。皆、油断なく相務めるがよい。わが斯波武衛家の宿願たる遠州を奪い返す第一歩となるを願っておるぞ!」
 武衛様の一言で評定は終わり、それぞれの兵の元へと戻る。親父殿を探して周囲を見渡すと、見知った顔がこちらに気づき、近寄ってきた。

「おう、権六。そなたも来ておったか」
「これは義兄上。父に従ってまいりました」
 儂に声をかけてきたのは、姉婿である佐久間盛次殿だった。
「おう。息災か?」
「はっ、おかげさまを持ちまして」
 すると義兄上も儂をまじまじと見る。
「ふむ、そなたも武家の者にふさわしき落ち着きを持ち始めたか。よきよき」
 ニッと相好を崩して儂の頭を撫でようとする義兄上。

「ぐぬう。お前は図体ばかりでかくなっておるなあ……」
 儂の頭に手が届かなかった義兄上は苦笑いする。

「ま、あれじゃ。此度のいくさはそこまで危なくはなかろう。四千もの大軍じゃ」
 味方が大勢となれば意気は上がる。岡崎を治める松平宗家も一族から離反者が出てこちらの半数も兵を集められないという見込みだ。
 
「今川の援軍が来るまでに岡崎を抜くのじゃ! さすれば今川治部とてこちらに早々と掛かることは出来まい。それにのう。河東で北条が出張ってきておるそうじゃ」

 義兄上の言葉は戦況を楽観視するものだった。松平の後ろ巻きに今川が出てくることはほぼ確実であろう。ただ、駿河東方の戦況から、こちらに回せる兵はわずかであるとの見通しはそこまで甘いものでもなかった。
 西三河はいまだ今川の領土ではない。東三河では今川に降る者も多いと言われるが、それとて松平よりも弱小の豪族どもだ。
 少なくともあやつらをまとめる頭が必要になる。
 そしてその旗頭になりうるが松平宗家の広忠だが、嫡男の竹千代をこちらが抑えておる以上、こちらに強く出ることはできぬ。

 だが、奇妙な胸騒ぎがおさまらなかった。
 
 これより赴くいくさはのちに小豆坂の戦いと呼ばれることになる。
 織田家の岐路となる大いくさであった。
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