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第5話 放浪の旅と安住の地

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 本隊との合流を果たし、俺もガイウスの副官として本陣へ出頭した。皇帝専用の天幕は大きく、豪奢であり権威の発揚に寄与している……のかもしれない。

 俺には単純に成金趣味にしか見えなかった。



 天幕の中に入ると、これまたどっかの宮殿のようになっていた。厚手の絨毯が敷き詰められ、短槍を持った兵が列をなして並ぶ。そして突き当りには玉座がしつらえてあった。



「おお、おお、ガイウスよ。よくぞ予のために戦ってくれた!」

「はっ! 陛下の御為、死力を尽くしてまいりました」



 膝をつくガイウスの前に歩み寄り、その手を取って称賛する皇帝陛下。年齢は四〇ほどと聞いているが、その表情は年老いた賢者のようであった。要するに老けて見えるということだ。

 玉座の横には皇帝の片腕と恃むヴァレンシュタイン伯アルブレヒトが控えている。柔和な笑みを浮かべているが、その眼差しは蛇のように冷たく獲物を狙う雰囲気に満ちていた。

 そう、まるで志尊の座をその手に掴みたがっているかのように。



 ヴァレンシュタイン伯の評判はいい。誰とも柔和に接し、全身全霊を持って陛下に仕えている、と誰もが口にした。皇帝軍を私財をなげうって支えたとも聞いた。

 それでも俺の中にある何かが彼に対して警鐘を鳴らし続けていた。



 これが、後年俺と不倶戴天とまで言われた宿敵、アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインとの初の邂逅だった。



 俺たちはそのまま玉座の横で臣下の列に連なった。俺自身は肩書があるわけでなく、立場上はガイウスの副官であるため、ガイウスの後ろに控える。

 そして戦後の儀式が始まった。オラニエ公が皇帝陛下で土下座に近いような姿勢で平伏したのである。

 その有様に、諸侯からはどよめきが漏れた。



「陛下に置かれましては、ひとたび背いた私めの降伏を認めていただき、誠に……」

 オラニエ公は額の冷や汗をぬぐうことも忘れて口上を述べている。皇帝陛下は玉座に肘をつき、頬杖をついてその口上を聞いていた。

「良い。貴様が予に忠義を尽くすというのであれば、ひとたびは許そう。なれど……次はない。そのことをよく覚えて置くがよい」

「ははっ! ありがたき幸せにございます」

「降伏の条件に付いてはヴァレンシュタインと話せ。なに、悪いようにはせぬ」

「ははっ! 畏まりましてございます」



 オラニエ公爵家は存続を許された。ただし、寄り子の貴族は一度解散され、先ほどの戦いで壊滅的な打撃を受けた家のいくつかはとり潰されることが決まった。後日帝国の直轄領として代官が派遣されたり、もしくはこの戦いで功績をあげた者への褒賞となるのだろう。

 麾下の貴族を守り切れなかったということで、オラニエ公の信望は著しく低下した。これによって東方の盟主の座から転げ落ち、一介の大貴族となった。それでも領土は削られはしなかったし、罰金的な税以外の罰則はなかった。

 干戈を交えたオラニエ公ですらこれほどに寛容な処置であったということ。また皇帝軍の先陣となった軍勢が半数で倍する軍を圧倒したこともあり、反旗を翻すよりは、まだ権力基盤の脆弱な皇帝に取り入って重く用いられた方がよいと考える者も多く、オラニエ公爵家の領都マウリッツには皇帝へのとりなしを願う貴族たちが列をなした。

 敗者となったオラニエ公はここで身を誤らなかった。彼らに恩を着せることもなく、そのままヴァレンシュタイン伯へ右から左へと受け流したのだ。

 これによって、皇帝への心服を示し、同時にヴァレンシュタインへ恩を売ることに成功した。……この行動こそ皇帝とヴァレンシュタインの策であったのだ。

 帝国東部の旗頭であったオラニエ公をその名声ごと取り込んだのである。



 そうして、帝国中央部と東方は平定された。辺境ではまだ面従腹背の諸侯もいる。また北方辺境領では、ホラントを中心にバーデンハイム公ルドルフが帝国からの独立を謀って、王を自称した。ルドルフは一万三千の兵力を自称し、南下の動きを見せ始めたのだ。



「ティリーよ。そなたに一万の兵を預ける。ガイウスを副将としてルドルフめを討つのだ!」

「はっ!」

 オラニエ公との戦いからすでに三か月がたっていた。ティリー将軍は長い軍歴でその実績を積み重ねた名将である。うちの大将をそこに付けたのは、箔付けか?

 全軍の半数の指揮権を与えられ、事実上の将軍待遇だ。ついにここまで来た、とガイウスは柄にもなく浮かれているようだった。



「好事魔多しという。気を付けて」

「どういう意味だ?」

「うまく物事が運んでいるときこそ落とし穴がある。足元をおろそかにしてはいけない、という意味合いだ」

「なるほど、心しよう」



 こうして、俺たちは出撃した。出撃したとなると、やることは膨大にある。陣借り者の配置や、食料の手配。斥候の派遣とその報告とりまとめ。

 兵同士のけんかの仲裁なんかは多すぎてあほらしくなった。なんで戦場にたどり着く前に刃傷沙汰で兵力をすり減らすのか。

「喧嘩両成敗としよう。理由の如何を問わず重罪として扱うんだ」

「……仕方ないな。今まではみんな顔見知りだったが、知らない顔も増えている。間者の可能性もあるな」

 ガイウスの表情はさえない。兵を手足のように扱ってきただけに、大部隊の統率には思いもよらないことが多かったのだろう。



「ガイウス殿。敵の布陣予想位置はここじゃ」

 ティリー将軍の指先は地図の一点を示していた。川を前に少し小高い丘の上だ。一つに気なったのが、一万以上の軍勢を配置するには若干狭いことだ。ということは別動隊がいる可能性がある。

 ティリー将軍が別動隊の可能性を示唆し、自軍を正面から渡河するように見せかけ、側面からガイウス軍が襲撃を仕掛ける案を示してきた。

「アル、どう思う?」

「……別動隊がいたとして、本隊の方に食らいつく可能性が高いな」

「そうなのだ。俺に有利過ぎる」

「ただ、断るという選択肢はない。備えだけはしておこう」

「そうだな、予備兵の指揮はお前に任す。一千を預ける」

「わかった」



 戦いは静かに始まり、平凡に推移した。方陣を組んだ敵軍に、L字型の陣で半包囲をかける。予想通り敵の別動隊が現れ……ガイウス軍の横を突いた。

 これによって起きた混乱はひどいもので、踏みとどまっているのは傭兵団の連中だけである。

 そしてティリー将軍はこちらの軍の混乱をよそにさっさと撤退していた。



「ずる賢い兎がいなくなったら猟犬は用済みってことか」

「……ひどい例えだがその通りだな。さて、アル。お前は逃げろ」

「……どういうことだ?」

「お前は俺の部下じゃない。客人で、友人だ。うちの手勢を少しでも引き連れていけ」

「了解した。っと、ひとつだけ頼みがあるんだが?」

「聞こう」

「死ぬな」

「無茶言うなよ。これほど飛び切りの死地はそうそうないぞ?」

「あんただから言うんだ。理解しろ」

「ふっ、まあ、最善を尽くすさ。死んだら報酬はもらえないのが傭兵の掟だからな」

 ニヤリと笑みを浮かべた後、ガイウスは手元に残った兵を率いて陣を敷く。

 そして俺は負傷兵を中心に撤退を開始した。



 半月後、何とか追撃を振り切り、辺境領に潜伏することができた。

 帝国はルドルフを王として認め、従属関係とした。結局あの戦いは出来レースだったわけだ。

 皇帝自身の意思かはわからない。ただ、少しでも反抗的な諸侯はとり潰しにされ、それによって反乱がおきるというある意味救われないサイクルに陥り始めていた。

 皇帝軍はヴァレンシュタイン伯とティリー伯の両頭体制で動いている。要するに彼らはガイウスを恐れて蹴落とした、ということだろう。



「アル、いや隊長。これからどうします?

「帝国は未だ分裂している。帝都周辺はまとまっていても、辺境はまだまだ混乱している。そこで何とか生き延びるしかないな」

 ガイウスと共に殿に残ったはずのケネスは、軽い負傷だけであの修羅場を潜り抜けて来た。呆れた運の強さだ。

 ガイウスが討たれたという情報はないが、生死不明である。

 残党の傭兵たちは俺を隊長と呼び始めた。ひとまず帝国の西方をめざす。ここは最も帝都から離れ、さらに小規模な諸侯が入り乱れている場所だった。

 帝国はこの地から興り、東方を制覇したためでもある。要するに伝統とかが幅を利かせていて、もともと皇帝家とは同格だったとか、初代の盟友だったとかの理由で無駄に誇り高い連中が多いのだ。

 案の定、皇帝の勢力もまだ及んでいなくて、それでいて小競り合いも続いていたので傭兵団の仕事はたくさんあった。基本的には不幸なことだけれども。

 そして、俺は副官になったケネスと共に、山中に砦を築いて潜伏を開始するのだった。

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