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元亀騒乱ー叡山焼き討ちー
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元亀二年春。尾張、美濃、伊勢の兵を率いて信長は願正寺征伐に向かった。折からの強風と豪雨に軍は乱れ、一揆勢の奇襲を受けてしまう。九鬼水軍の支援も受けられずなすすべなく退却した。殿軍を率いた柴田権六が負傷するも、ほかは大きな損害は免れる。
秀隆は搦手からの攻略を決意した。先年三河一向一揆が鎮圧された。その時に三河の大寺は焼き払われたが、家康に話を通したうえで秀隆が追い出された坊主を受け入れていた。秀隆と信行は相談の上、尾張、伊勢の税率を下げる。そして願正寺の組している農村に、もと三河一向宗の坊主を送り込み、彼らの支持基盤である農民層からの調略を始めた。
「尾張、伊勢一円の租税は五公五民である。さらにその税の一部は村に備蓄され、災害や凶作の時は備蓄した食料を村長の判断で配分してもよいと聞くぞ」
「なんじゃと、坊主どもは7割以上をもっていくぞ」
「おぬしら、この世の地獄を生き抜いたとて極楽に行けるか知れたものではないぞ。極楽に行けたとて、そこにはまた坊主どもが幅を利かしているに違いなし」
「おぬしら、坊主を追い出して織田に降れば同じ税で生活が約束されるぞ。織田の殿様は慈悲深いからの」
「本当か。このままじゃ娘を売らねば我らは飢え死にするかもしれぬ」
「そのような憂き目を見てまで信心してなにがある」
「そうじゃそうじゃ、まず現世の幸せじゃ!」
秀隆は願正寺以外の小規模な寺にもその手を伸ばす。
「願正寺の坊主どもの横暴で我らの寺領が横領されているのです」
「織田はおぬしらに役目を与え、それを果たせたならば扶持米を支給する」
「どのようなお役目で?」
「まずは、戦で親を失った子供を保護せよ。その経費は織田が持つ」
「はい???」
「それでだな、住職殿は読み書きと算術はできるかね?」
「はい、一通り修めております」
「なれば、子供に読み書きと算盤を教えてほしい」
「は、はい???」
「それらをこなしている寺に扶持米を出しておるのだが」
「あ、あ、あああああ」
住職はうめき声をあげ号泣していた。
「いかがされた?」
「拙僧は、税を搾り取れとか、兵を供出させよとかそういったお役目と思っておったのです」
「はっはっは、そういう役割は織田から役人を出すが、税は先刻伝えた通りじゃ」
「其れはまことにござるか?」
「まあ、疑う気持ちはわかろう程に。なんなら尾張に赴くがよい。信頼のおけるものを出してもよい。それでも信じられぬなら儂の書付を出そうかね」
「では、誠にぶしつけながら書付をいただいてもよいでしょうか?」
「いいだろう。では…花押を書いてと、よし。これを授ける。改められよ」
「はは、ありがたき幸せにございま……えええええええええええ!?」
「なんじゃ住職、なんか問題でもあったかね?」
「これはご無礼を。織田の御舎弟殿とは露に知らず」
「ああ、気になさるな。兄上の手伝いできておってな」
「それは弾正忠様で?」
「いや、武蔵の方じゃ」
「津田の勘十郎様ですか」
「いかにも」
「北伊勢は兄者の領分によってな」
「は、はは」
「そうそう、住職よ。お主の伝手をたどって今の話を広めてくれぬか? 証はその書付じゃ。うまく願正寺の手足をもぎ取ることができれば住職の功は多大じゃの」
「いえ、褒美はいりませぬ。が、人々が仕合せに生きることが、拙僧の本願にござる。粉骨の覚悟で当たらせていただきます」
「うむ、住職、願正寺から兵を差し向けられるようなことがあったら織田を頼るがいい。お主は死なすには惜しい。ぜひ、この地の民を導いてやってほしい」
「ありがたき、ありがたきお言葉にございます」
「拝むな、儂は仏ではない。儂とて迷うておるよ。なればこそ進むのだ」
「はは、ありがたやありがたや…」
「そうそう、面白い言葉を知っておるか?」
「はあ…?」
「信じる者と書いて信者だ。この字を一文字にするとだな…ほれ、儲けるとなる。これが本願寺の心理であろうよ」
「今のお言葉、誠にとんちがきいてござる。一休宗純もかたやでございますな」
「はっはっは、ようやく笑ったの。そうじゃ、笑う門には福来る。民を笑顔に導いてくだされよ」
「はは、肝に銘じまするぞ」
こういった調略はすぐに効果が出るものではない。だが、秀隆のまいた種は徐々に眼を出し、根を張り、宿木のように願正寺という大木を蝕んでいった。
伊勢の調略がひと段落突いたあたりで信長に呼び出された。馬を飛ばして岐阜へ向かう。
「兄上、何かございましたか?」
「おう、叡山だがどうしたものか?」
「寺門領の替地を与え、移すが上策。寄進を与え、宥めるが下策」
「どちらも現実味がないな」
「されば、あれを城に見立て攻め滅ぼすもありです」
「…やはりそうか。お主の知る先々で、儂はいかようにふるまっていた?」
「兄上は兄上らしく果断でしたぞ」
「であるか…」
「坂本在番の明智十兵衛に書状を届けよ。一応だが降伏勧告を行う」
「上々かと」
「ふん」
叡山を攻めるとなるとそれ相応の反応があるだろう。天皇家と都を脅かす鬼門に対する備えとして、平安の世からそこにあるのだ。京の民にとってその守りがなくなれば今日は衰亡の一途をたどる。信長自身も悪鬼羅刹のように思われるであろう。だが、悪名から目を背けることを良しとしなかった。
叡山を焼き払う覚悟を決め、尾張、美濃に動員令を出す。建前は摂津の三好攻めであった。
岐阜を出立した信長は横山城に寄り、秀吉の手勢を加える。佐和山からも長政の陣代として浅井正之が加わる。軍をさらに進め、南近江に点在する拠点から兵を加え、総勢は3万にも届いた。
大津を抜け坂本に入る。そこで明智十兵衛が復命した。曰くやれるもんならやってみろ(意訳)であった。
足利義政のひそみに倣い、悪僧はびこる叡山を攻める。仏罰が当たるのであれば信長はこの戦で死ぬであろう。信長が無事であるならば、それは仏がやつらに罰を下したのだ。
信長の激しい主張に諸将は沈黙で答えた。そして池田勝三郎が意見を出す。
「殿、夜襲となれば夜陰に紛れて逃亡するものも出ましょう。払暁よりふもとより火を放ち、徐々に追いつめるが上策と存じます」
「恒興の言やよし、明朝より叡山に攻め上る!」
「「「はは!」」」
9月12日払暁、明智十兵衛の手勢1500は先陣となって叡山に攻め寄せた。抵抗してくる僧兵を自慢の鉄砲隊で薙ぎ払い、なで斬りとする。ふもとからの僧坊に火の手が上がり、銃声と剣戟の音が響き渡る。街道は織田軍によって封鎖され、徐々に山の上まで僧兵たちは押し上げられていった。もともと狼藉を働くことしかできない僧兵は、戦往来を重ねた織田の精鋭に全く歯が立たなかったのである。
信長公記には以下の記載がある。
九月十二日、叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社哀れなれ、山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、取物も取敢へず、悉くかちはだしにして八王子山に逃上り、社内ほ逃籠、諸卒四方より鬨声を上げて攻め上る、僧俗、児童、智者、上人一々に首をきり、信長公の御目に懸け、是は山頭において其隠れなき高僧、貴僧、有智の僧と申し、其他美女、小童其員を知れず召捕り
根本中道を始め、伽藍は火の手に包まれ経典ひとつ残らず焼き払われた。僧兵とその家族らは取るもとりあえず裸足で山上に逃げ伸びたが、織田勢に徐々に追いつめられ斬殺され、首を信長の前に供された。高僧、名僧、学徒の区別なく、見目麗しい女子供も数知れず捕らえられた。という内容である。信長の怒りは自らのことにしか目を向けず、衆生を救うといった仏の道にも反したものに向けられていた。彼らの行いを改めさせられなかったのならば、いかに高僧や名僧と言われても同罪である。
叡山から上がる火の手は洛中を始め、琵琶湖の対岸からも見て取れた。叡山を攻め滅ぼしたことにより、信長の悪名は天下にとどろくこととなる。
真意としては、近江から京に入る街道を制圧できる拠点として叡山があり、そこから上がる商業利益と純軍事的に京への経路を確保することにある。利益が対立した敵勢力を滅ぼしたというのが実情であり、叡山の横暴については正親町天皇からのお言葉もあり、急速に動揺は収束した。
叡山を焼き払ったことは口実に過ぎないだろうが、ついにあの男が動いた。甲斐の武田信玄である。遠江から侵攻し、徐々に浜松に迫っていると徳川からの早馬が届いた。
織田は近江と摂津、河内の戦線に兵を貼り付けている。尾張衆を中心に、秀隆を大将として副将に佐久間信盛ほか5000の兵の派遣が決まった。
秀隆は搦手からの攻略を決意した。先年三河一向一揆が鎮圧された。その時に三河の大寺は焼き払われたが、家康に話を通したうえで秀隆が追い出された坊主を受け入れていた。秀隆と信行は相談の上、尾張、伊勢の税率を下げる。そして願正寺の組している農村に、もと三河一向宗の坊主を送り込み、彼らの支持基盤である農民層からの調略を始めた。
「尾張、伊勢一円の租税は五公五民である。さらにその税の一部は村に備蓄され、災害や凶作の時は備蓄した食料を村長の判断で配分してもよいと聞くぞ」
「なんじゃと、坊主どもは7割以上をもっていくぞ」
「おぬしら、この世の地獄を生き抜いたとて極楽に行けるか知れたものではないぞ。極楽に行けたとて、そこにはまた坊主どもが幅を利かしているに違いなし」
「おぬしら、坊主を追い出して織田に降れば同じ税で生活が約束されるぞ。織田の殿様は慈悲深いからの」
「本当か。このままじゃ娘を売らねば我らは飢え死にするかもしれぬ」
「そのような憂き目を見てまで信心してなにがある」
「そうじゃそうじゃ、まず現世の幸せじゃ!」
秀隆は願正寺以外の小規模な寺にもその手を伸ばす。
「願正寺の坊主どもの横暴で我らの寺領が横領されているのです」
「織田はおぬしらに役目を与え、それを果たせたならば扶持米を支給する」
「どのようなお役目で?」
「まずは、戦で親を失った子供を保護せよ。その経費は織田が持つ」
「はい???」
「それでだな、住職殿は読み書きと算術はできるかね?」
「はい、一通り修めております」
「なれば、子供に読み書きと算盤を教えてほしい」
「は、はい???」
「それらをこなしている寺に扶持米を出しておるのだが」
「あ、あ、あああああ」
住職はうめき声をあげ号泣していた。
「いかがされた?」
「拙僧は、税を搾り取れとか、兵を供出させよとかそういったお役目と思っておったのです」
「はっはっは、そういう役割は織田から役人を出すが、税は先刻伝えた通りじゃ」
「其れはまことにござるか?」
「まあ、疑う気持ちはわかろう程に。なんなら尾張に赴くがよい。信頼のおけるものを出してもよい。それでも信じられぬなら儂の書付を出そうかね」
「では、誠にぶしつけながら書付をいただいてもよいでしょうか?」
「いいだろう。では…花押を書いてと、よし。これを授ける。改められよ」
「はは、ありがたき幸せにございま……えええええええええええ!?」
「なんじゃ住職、なんか問題でもあったかね?」
「これはご無礼を。織田の御舎弟殿とは露に知らず」
「ああ、気になさるな。兄上の手伝いできておってな」
「それは弾正忠様で?」
「いや、武蔵の方じゃ」
「津田の勘十郎様ですか」
「いかにも」
「北伊勢は兄者の領分によってな」
「は、はは」
「そうそう、住職よ。お主の伝手をたどって今の話を広めてくれぬか? 証はその書付じゃ。うまく願正寺の手足をもぎ取ることができれば住職の功は多大じゃの」
「いえ、褒美はいりませぬ。が、人々が仕合せに生きることが、拙僧の本願にござる。粉骨の覚悟で当たらせていただきます」
「うむ、住職、願正寺から兵を差し向けられるようなことがあったら織田を頼るがいい。お主は死なすには惜しい。ぜひ、この地の民を導いてやってほしい」
「ありがたき、ありがたきお言葉にございます」
「拝むな、儂は仏ではない。儂とて迷うておるよ。なればこそ進むのだ」
「はは、ありがたやありがたや…」
「そうそう、面白い言葉を知っておるか?」
「はあ…?」
「信じる者と書いて信者だ。この字を一文字にするとだな…ほれ、儲けるとなる。これが本願寺の心理であろうよ」
「今のお言葉、誠にとんちがきいてござる。一休宗純もかたやでございますな」
「はっはっは、ようやく笑ったの。そうじゃ、笑う門には福来る。民を笑顔に導いてくだされよ」
「はは、肝に銘じまするぞ」
こういった調略はすぐに効果が出るものではない。だが、秀隆のまいた種は徐々に眼を出し、根を張り、宿木のように願正寺という大木を蝕んでいった。
伊勢の調略がひと段落突いたあたりで信長に呼び出された。馬を飛ばして岐阜へ向かう。
「兄上、何かございましたか?」
「おう、叡山だがどうしたものか?」
「寺門領の替地を与え、移すが上策。寄進を与え、宥めるが下策」
「どちらも現実味がないな」
「されば、あれを城に見立て攻め滅ぼすもありです」
「…やはりそうか。お主の知る先々で、儂はいかようにふるまっていた?」
「兄上は兄上らしく果断でしたぞ」
「であるか…」
「坂本在番の明智十兵衛に書状を届けよ。一応だが降伏勧告を行う」
「上々かと」
「ふん」
叡山を攻めるとなるとそれ相応の反応があるだろう。天皇家と都を脅かす鬼門に対する備えとして、平安の世からそこにあるのだ。京の民にとってその守りがなくなれば今日は衰亡の一途をたどる。信長自身も悪鬼羅刹のように思われるであろう。だが、悪名から目を背けることを良しとしなかった。
叡山を焼き払う覚悟を決め、尾張、美濃に動員令を出す。建前は摂津の三好攻めであった。
岐阜を出立した信長は横山城に寄り、秀吉の手勢を加える。佐和山からも長政の陣代として浅井正之が加わる。軍をさらに進め、南近江に点在する拠点から兵を加え、総勢は3万にも届いた。
大津を抜け坂本に入る。そこで明智十兵衛が復命した。曰くやれるもんならやってみろ(意訳)であった。
足利義政のひそみに倣い、悪僧はびこる叡山を攻める。仏罰が当たるのであれば信長はこの戦で死ぬであろう。信長が無事であるならば、それは仏がやつらに罰を下したのだ。
信長の激しい主張に諸将は沈黙で答えた。そして池田勝三郎が意見を出す。
「殿、夜襲となれば夜陰に紛れて逃亡するものも出ましょう。払暁よりふもとより火を放ち、徐々に追いつめるが上策と存じます」
「恒興の言やよし、明朝より叡山に攻め上る!」
「「「はは!」」」
9月12日払暁、明智十兵衛の手勢1500は先陣となって叡山に攻め寄せた。抵抗してくる僧兵を自慢の鉄砲隊で薙ぎ払い、なで斬りとする。ふもとからの僧坊に火の手が上がり、銃声と剣戟の音が響き渡る。街道は織田軍によって封鎖され、徐々に山の上まで僧兵たちは押し上げられていった。もともと狼藉を働くことしかできない僧兵は、戦往来を重ねた織田の精鋭に全く歯が立たなかったのである。
信長公記には以下の記載がある。
九月十二日、叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社哀れなれ、山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、取物も取敢へず、悉くかちはだしにして八王子山に逃上り、社内ほ逃籠、諸卒四方より鬨声を上げて攻め上る、僧俗、児童、智者、上人一々に首をきり、信長公の御目に懸け、是は山頭において其隠れなき高僧、貴僧、有智の僧と申し、其他美女、小童其員を知れず召捕り
根本中道を始め、伽藍は火の手に包まれ経典ひとつ残らず焼き払われた。僧兵とその家族らは取るもとりあえず裸足で山上に逃げ伸びたが、織田勢に徐々に追いつめられ斬殺され、首を信長の前に供された。高僧、名僧、学徒の区別なく、見目麗しい女子供も数知れず捕らえられた。という内容である。信長の怒りは自らのことにしか目を向けず、衆生を救うといった仏の道にも反したものに向けられていた。彼らの行いを改めさせられなかったのならば、いかに高僧や名僧と言われても同罪である。
叡山から上がる火の手は洛中を始め、琵琶湖の対岸からも見て取れた。叡山を攻め滅ぼしたことにより、信長の悪名は天下にとどろくこととなる。
真意としては、近江から京に入る街道を制圧できる拠点として叡山があり、そこから上がる商業利益と純軍事的に京への経路を確保することにある。利益が対立した敵勢力を滅ぼしたというのが実情であり、叡山の横暴については正親町天皇からのお言葉もあり、急速に動揺は収束した。
叡山を焼き払ったことは口実に過ぎないだろうが、ついにあの男が動いた。甲斐の武田信玄である。遠江から侵攻し、徐々に浜松に迫っていると徳川からの早馬が届いた。
織田は近江と摂津、河内の戦線に兵を貼り付けている。尾張衆を中心に、秀隆を大将として副将に佐久間信盛ほか5000の兵の派遣が決まった。
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