アイリスとリコリス

沖月シエル

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第1章/1-36

33 ▽レイモンド・キタムラ▽

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夜。

「…じゃ、こんだけ。約束の分な」

ニキータが守衛に賄賂を渡す。守衛はランタンで照らしながら札束を数え始める。

「よっしゃ、こんで準備は全部オッケーだ」

ニキータが親指を立てて微笑む。

「…じゃ、行きましょうか、クロノスさん」

「ああ…しかし驚いたな。ここはレンブルフォート皇帝の墓地でよかったよね?」

「そうです。正確にはレンブルフォート・アイリス帝の墓です」

僕とニキータ、クロノスの3人はレンブルフォート・アイリス帝の墓地を進む。敷地の中央に皇帝の大きな墓がある。墓を取り囲む塀には、伝説上の神や英雄をかたどった群像彫刻が施されている。

クロノスはランタンで墓の装飾を照らす。

「…立派な墓だね」

「まあアイリス帝ですから、見栄だけは一流です」

「おやおやこれは手厳しい」

僕は塀の隅まで行き、少し土の被った所を探す。

「…そんな所に隠してあるのか?」

「そうさ…あった」

錆び付いた取っ手を見つける。最近何者かに触られた形跡は無い。良かった。僕は取っ手を思い切り上に引き上げる。扉が開いて、地下へと続く階段が現れる。

「…おお! 入り口か! なんかワクワクするな」

「少し狭いね…しかし本当にあるとは」

「僕も本当に久しぶりです。では、行きましょうか。僕について来てください」

僕は階段を下りて行く。



▽  ▽  ▽



しばらく暗い洞窟のような通路を進む。空気がひんやりとして少し肌寒い。

「…まさか、こんな所だったとはなー」

ニキータは辺りをきょろきょろしている。何もないが。

「暗いから気をつけてね。所々濡れて滑りやすくなってるから」

「ああ…」

「…それにしても、うまく考えたものだ。リコリス皇鉱石が、まさかアイリス皇帝の墓地にあるとは誰も思わないだろう」

「僕もそう思います」

「でもアイリス皇族はなぜこの場所を知らなかったんだい?」

「ここはもともとリコリス皇族にとって神聖な土地、特別な場所だったんですよ。そこを政争に勝ったアイリス皇族が接収したんです。リコリス皇鉱石があるということは伏せたままで。その後どういう経緯か皇帝の墓地が建てられたんですが、彼らにしてみれば余計に分かりにくくしてしまったんですね。つまり偶然にも絶好の隠し場所になってしまったということです」

「偶然か…」

「仮にこの通路が王国軍に見つかったとしても、アイリス皇帝の墓地に関係する何らかの施設と考えるのが妥当でしょう。それは彼らの最優先事項じゃない。彼らは他の場所へリコリス皇鉱石を探しに行きます」

「それで君はリコリス皇鉱石が見つからないことに自信があったわけだね。ただそれも時間の問題だと思うが? 最深部に行けばリコリス皇鉱石は手に入るのだろう?」

「最深部に辿り着いたとしても、最後の扉は簡単には開けられません。そこにはリコリス皇族の英知、『血の鍵』がかかっていますから」

「…『血の鍵』?」

「そうです。何か物理的に、戦車か大砲でも使えば扉そのものを破壊することもできるかもしれませんが、この狭い通路を通って大きな武器を運ぶのは困難です。そもそもその扉自体、最高に頑丈なので、ちょっとやそっとの爆撃ではびくともしません」

「なるほどね…」



▽  ▽  ▽



広い空間に出る。

「…ええっ!? なんだここ、すげーな!」

水の流れる音。

「そんな…明るいじゃないか。アナスタシア君、これは?」

二人は少し驚いた様子だ。

上下に広い空間には、水の流れる水路が縦横に張り巡らされていて、そのいたる所にたくさんの水車が設置され、水力で回転している。その大きさや水量によって、それぞれが速く回転していたり遅く回転していたりしていて、眺めていると楽しい。ちょうど時計塔の中の歯車を見ているようだ。

「楽しいな! こんなアトラクション作るなんて気がきいてるなー」

「これは発電しているんだよ」

僕は壁に設置された電灯の一つを指し示す。

「この明かりは、水車の動力で発電した電気で光っているんだよ」

「なんだそれ」

「驚いたな…レンブルフォートの地下にこんな大きな設備があるとは」

「ふふ…では進みましょうか」

「まだ行くの? そんな潜って大丈夫なのかよ…戻って来れるのか」

「ハハ…怖くなってきた?」

「だっ、誰が!」

「ごめんごめん、冗談だよ。大丈夫、僕が案内するから。この辺りはちょっと迷路だから、はぐれないようにちゃんとついて来てね」

僕たちは水路の空間の通路を通ってさらに地下に下りて行く。

細い通路を渡って、向こう側の壁へ。眼下は深い闇で底が見えない。一応手すりがあるが、とにかく通路の幅が狭いので歩きにくい。

「落ちたら死んじゃうから、気をつけてね」

「わ、分かってるよ! ビビらせんな!」

ニキータがけっこうビビッている。

壁に辿り着き、分かれ道を、まず右へ。

いくつかの壁側に空いた入り口のうちの1つに入り、曲がった階段を下りて行き、もとの水路の空間に戻る。

さらに通路を渡る。

左へ。

右へ。

壁の入り口へ。

階段を下りる。たまに上る。

ちなみに1回でも正しいルートを間違えると、さんざん遠回りさせられた挙句初めの位置に戻ってしまう。

初見ならまず間違いなく迷ってしまう。

「…なあ、本当に合ってんのか? 適当に進んでないだろな?」

「大丈夫だよ。あと少しだから」



▽  ▽  ▽



水路の空間を抜けて、大きな扉のある場所までたどり着く。最深部だ。

「…着いたよ」

「でかい扉だなー」

ニキータはランタンをかざして、扉の全体を照らす。

「…確かにこれは相当頑丈そうだね。君の言った通りだ」

クロノスも扉を見上げている。

…懐かしい。何年ぶりだろうか。

僕は扉の横にある窪みの所まで歩み寄る。

『血の鍵』だ。

「…ニキータ、ちょっと君の短剣を貸してくれないかな?」

「あ?…ああ」

ニキータは腰にいつもさげている短剣を手に取ると、僕に手渡す。

「悪いね。君の愛用のものを借りちゃって」

「構わないけど、丁寧に頼むぜ」

僕はニキータの短剣の切っ先で、右手の薬指の指先を軽く刺す。血が少し滲む。このくらいなら別に痛くない。

僕はその右手を壁の窪みの指定の場所にあてがう。目の前のモニターに、表示が浮かび上がる。杯の形をした記号の中身が、20%ほど埋まっている。これを100%までしないといけない。

…血が足りない。

仕方ない。もう少し傷を深くしなければならない。

「…ニキータ、お願いがあるんだけど」

僕は右手の手のひらをニキータに差し出す。

「ここの、薬指の先を、横にスッと、切ってくれないかな?」

「ええっ?」

僕は短剣をニキータを手渡す。

「い、いや…なんで? いいのか?」

「扉を開けるために必要なんだ。僕の血が、鍵になっているんだよ」

「そういうことなら…てか自分で切れよ」

ごもっとも。

「その…自分で切るの、怖いんだよ」

「オレだってお前切りたくないよ」

「じゃあ、私が切ろうか?」

クロノスが提案する。にこにこしている。

「…いや。オレが切る」

「ありがとう」

僕もほっとする。なぜだか分からないが、クロノスにだけは切らせてはいけないような気がする。

「…じゃ、切るからな?」

ニキータが短剣の先を僕の薬指にあてる。僕は目を瞑る。



――ピッ!

痛!

ニキータが僕の薬指の指先を素早く切る。医者のような手際の良さ。彼に頼んで良かった。

ゾクッ。

一瞬、痛みが快感に変わる。気持ちいい…あ、ヤバいコレ、クセになるかも…普段はあまりこういうことはないんだけども、なぜだろう? ニキータだったからだろうか…

傷口から血がじわりと滲み出て滴り落ちる。これだけあれば十分だ。

「…すまん。少し深かったか?」

「いや。完璧だよ。ありがとう」

僕は先ほどの壁の窪みに、もう一度手をあてがう。モニターが解析中の表示になった後、少しして杯の記号が100%充填された表示になった。

…ガシャン!

扉の鍵が開く音。

「…さ、これで入れるよ」

「これが『血の鍵』か、本当に君の血が鍵になっているとは。これなら外部の人間が開けることは簡単ではない、確かに高いセキュリティが期待できそうだ。リコリス皇族はおもしろい技術を持っているんだね」

「血液に含まれる遺伝情報を解析している…とかいうふうに聞いたことはあります。僕も詳しくは知りませんが。レンブルフォート皇族の血液でのみ開錠することができて、今現在なら僕とルシーダの血液だけってことになりますね」

「しっかし、開ける度に怪我しなきゃいけないなんて、不便な鍵じゃない?」

「それはつまり…」

僕はニキータに向かって微笑む。

「滅多に開けるなってことさ」

僕は扉の前まで行く。

「待って」

ニキータは僕の近くまで来ると、僕の右手を手に取り、持っていたガーゼと包帯で僕の薬指の怪我の手当てをしてくれる。あいかわらず医者のような手際の良さ。ちょっと嬉しい。

「…優しいんだね」

「こんなの当たり前だろ」

ニキータは僕の顔を少し不思議そうに見ている。

「アナスタシア、ちょっと顔赤くない?」

!!

「そ、そうかな?…な、なんでもないよっ」

ヤバ、恥ずかしい。



さて。気を取り直して。

「…じゃあ、中に入ろうか。『彼』が待ってる」

僕は扉に手をあて、静かに押す。扉がゆっくり開く。



▽  ▽  ▽



僕たちは部屋の中に進む。

中央正面の壁、大きな鋼鉄製のエンブレムが飾られている。上下逆さまの大罪の印だ。その意味するものは、黙示録の爆煙。

そのエンブレムの前、腕を組み直立する、影のように真っ黒な巨人。身長は3メートルはあろうか。規格外の隆々とした筋肉。鍛え上げられた鋼の肉体の大男といった形だが、人間でないのは明らか。

「…成長したな。デル・リコリス」

影の巨人は不思議な金属的な響きの声で話しかける。

「久しぶりだね…こんな大きかったっけ」

「最後に会ったのは、お前が大罪の焼印を押された時だったな。お前はあの時まだ10歳の子供だった。覚えているぞ」

「こいつ何だ!?」

ニキータが叫ぶ。動揺するのも無理はない。

「私はレイモンド・キタムラ。私の開発者の名前を借りてそのまま名乗っている。リコリス皇鉱石の『帝位の棺』だ」

「バケモンが喋ってる!!」

「心外だな、名乗ったばかりだというのに化け物とは」

「…おおお、素晴らしい!」

クロノスが思わず叫ぶ。

「これがレンブルフォートか!」

僕はクロノスをふり返る。

「リコリス皇族の実力、分かっていただけましたか?」

「もちろんだ! 詳しく知りたい」

「私から少し説明しよう」

レイモンド・キタムラはクロノスに対して説明を始める。

「私の心臓部にはエネルギー物質である皇鉱石が収められている。レンブルフォートの皇帝の証である2つの皇鉱石のうちの1つ、赤いリコリスの皇鉱石だ。私はこれを動力源にしている。もう1つの青い皇鉱石、アイリスの皇鉱石の『帝位の棺』はただの金属の箱だが、私は見ての通りそれとは別物だ。私は金属の箱であると同時に、いくつかの集積回路と制御プログラムを内蔵された機械だ。今は失われたかつてのレンブルフォートの技術だ」

時折、レイモンド・キタムラの体の一部に、黄金色に発光する細かな模様が浮かび上がる。知らない古代の文字のような不思議な模様だ。ゆっくりと明滅するものもあれば、すばやく体の表面を駆け巡る光もある。機械であることの証拠だ。

「…機械であることは明白だが、しかしまだ信じられない…なぜ人間のように会話できるんだ?」

「私の言葉はプログラムだ」

「演算の結果の出力のみだと?…どうみても意思があるように思われるが」

「意思。お前達がそう呼びたいのなら、私は可能だと判断する」

「それはどういうことだ?」

「意思が人工で可能かという問題は、技術の問題ではなくて、今回の場合、概念と言葉の問題だ。そもそも意思とは何か? 私のプログラムは、お前達の持つ意思とは違うが、しかしそのように働き機能する。お前達の持つ意思のみが意思であるならば、私には意思は無いが、しかし意思として働く別の意思のような何かの機能を持っているもの、という定義になる。無駄があり、洗練された定義ではない。新しい技術の開発によって新しい概念が必要となったのだ。つまり私には意思があるとも言えるし、ないとも言える。私の意志は、いわば新しい意思だ。これをどう呼ぶかはお前達の新しく発明する概念と言葉に委ねよう」

クロノスは顎に手をあてて聞き入っている。

「…あ、終わったか?」

ニキータはあくびをしていた。

「で、バケモンじゃなくて、すんげー機械なんだってことらしいが、なんでコイツ、マッチョなんだ?」

「よく聞いてくれた。退屈な質問が多くて困っていたが、良い質問だ」

「そーなの?」

「私の姿は私の開発者、レイモンド・キタムラの姿に似せて作られている。頭脳と肉体、双方極めて優れた人物だったそうだ。私は開発された後も、この場所で単独で自己増殖強化プログラムの改良を続け、開発当初よりもさらに優れた強靭な筐体を手に入れることに成功しているのだ。これは現在も進行中だ」

「何言ってんだ?」

「ここで一人で筋トレしてマッチョになったっていうことじゃない? レイモンドはそういう人さ」

「…ホント? アナスタシア、なんか、はしょってない?」

「そんなことはない。概ね合っている」

「あそう…」

「一緒に筋力トレーニングに付き合ってくれる同志を紹介してくれないか?」

「あオレムリムリ」

「デル・リコリス、どうだ?」

「こっちのお願いを聞いてくれたら、考えとくよ」

「何だ? 言ってみろ」

「レイモンドの心臓、リコリス皇鉱石を、こちらの人に分析させてほしい」

僕はクロノスの方を見る。クロノスがレイモンド・キタムラに対して口を開く。

「…私に、ぜひ貴方の心臓を分析させてくれないか」

レイモンド・キタムラの返答に少し間がある。演算に時間がかかるような案件じゃないと思うけど…なんか機械なのに考えてるみたい。

「良かろう。私の心臓を分析することを許そう」

まさかのあっさり。もうちょっと面倒くさいかと思ったのに。

「おお! ありがたい」

クロノスは笑顔になる。ちょっと狂気が混じっている。

「…じゃ、クロノスさん。約束は以上です。僕の方のお願い、覚えておいでですね? よろしく頼みますよ」

クロノスは眼鏡に手をやって、ズレを直す。レンズがキラッと光る。

「…もちろんだ。了解した」


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