アイリスとリコリス

沖月シエル

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第1章/1-36

18 ▽奴隷館、初仕事▽

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「…さ、着いたぜ」

僕らを乗せた馬車は、ニキータの指示通りに走って、帝都の郊外の町に到着する。僕らは馬車の荷台を降りる。少し無理をして走らせたせいで、だいぶ揺れた。ちょっと腰が痛い。辺りはもうすっかり暗くなっている。

「…ここが、ニキータの住んでる町?」

「いいとこだぜ。今は王国軍に占領されちまってるけどな。気をつけてくれ」

「小僧、馬を少し休ませたいんだが、この場所で大丈夫か?」

「ああ。もちろんだ」

イスカールが馬を労わる。

「…じゃ、じいさんはちょっと休んでてくれ。近くに小屋があるから、そこ使ってくれ。じゃ、俺たちは館に向かうか」

「館?」

「オレの働いてる店さ。ま、行けば分かる」

イスカールを残し、僕はニキータに連れられて、町のはずれにある一画に向かう。酒場などの娯楽施設が軒を連ねていて、人も多く、とても賑やかな雰囲気だ。

「いいとこだろう? 夜になったら毎日こうさ。ここめあてで遠くからでも客が来るんだぜ」

僕らは通りを歩いて行く。やはり王国兵が多い。店の明かりが華やかだ。

「ここだ」

一番賑やかな通りから少し離れて、少し暗い区画まで来る。やや特徴的な形の、似たような建物がいくつか立ち並んでいる。これが館か。正面の入り口に、いかつい守衛の男が立っている。ちょっと恐い…

「ここは奴隷館。みんな館って呼ぶけどな」

「奴隷!?」

「そうさ…あんまり大きな声で言えないんだけどな、オレは奴隷なんだ。本当は勝手に抜け出したりしちゃまずいんだが、そうはいってもやってらんないだろ、奴隷としての一生なんて。だから盗みやってんのさ。悪いな、最初に言わなくて」

「いや、構わないけど…そうだったのか」

「ここは簡単に言うと、容姿のいい奴隷が客にもろもろの接待をする場所だ。一緒に酒を飲んだり、触りあったり、エトセトラ。1番館から10番館は女の奴隷が働く館。俺たちが働く11番官は後からできた館で、男の奴隷が女の奴隷と似たようなサービスをする」

「そう…って、え?」

「大丈夫、別に本当の奴隷じゃなくても働けるから。今のお前の格好なら誰も疑わないさ。まあお前は事情がちょっと特殊だから、説明するのも面倒だしとりあえず奴隷ってことにしておくといい」

「いやそうじゃなくて」

「この町は王国軍に占領されたばっかで、この館は実は今めちゃ景気がいいんだ。帝国人の代わりに、毎日王国兵の相手ばかりやってんのさ。ま、相手が変わっても奴隷のやることは変わらないな。戦争ってなんなんだろな」

「待って待って、そんなこと聞いてないよ」

「どうせやることないだろ? なにすぐ慣れるさ。嫌なことは無理しなくてもいいしな。それより、稼げるぞ」

「…おい! ニキータ!」

突然話しかけられて、ニキータは振り向く。館の正面に立っていた守衛の男が声をかけたようだ。

「…お前、こんな所で何をしているんだ? 仕事はどうした?」

「ああ、今行くよ」

「お前また抜け出したらしいな。館長がかんかんだったぞ。ストレス溜まるのは分かるが、女遊びもほどほどにしとくんだな。そのうち本当に処分されるぞ」

「ああ、すまんすまん。でもとっておきのみやげがあるんだ。大丈夫だよ」

「…何だその女は」

ニキータは得意そうに言う。

「今回の戦利品さ」



▽  ▽  ▽



「新しい奴隷連れて来たぜ」

僕はニキータに連れられて11番館の館長室に通される。館長はグレーヘアの初老のおばさんだ。縁の細い眼鏡をかけていて、かなり厳しそう。女性なのはちょっと意外だ。

「…また女か。お前はよく釣ってくるな! それより、ニキータ、今回の減給はでかいぞ!」

「それがな、驚くぞ、男なんだ」

「は?」

館長が眼鏡をずらして僕を見る。この人も怖い…

「…ふん、男?…確かによく見るとそうみたいだね。でも女みたいだね。なんか普通の男と違うね?」

「…僕は、去勢されているので…」

「去勢?…そうなのか。いくつん時?」

「10歳です」

「奴隷になったのもその時?」

「はい」

適当に話を合わせておく。後で矛盾しないように気をつけないとな。

館長は僕の話を聞いて何か書類に書き込んでいく。

「…ちょっと脱いでみな」

「え?」

僕はきょろきょろして辺りを見回す。周りはみんな僕を見ている。

「…仕方ないだろ、そういう仕事なんだから」

ニキータがひそひそ耳打ちする。

しかたない、ぬ、脱ぐしかない…

上の服を脱ぐ。

「…!? それは?」

館長が僕の右肩の大罪の印を見る。

「これは…えっと、これも奴隷になった時に」

「…そうか」

館長はまた書類に書き込む。

「…まあいい。少し傷物だが、とにかく悪くない。上物だよ」

館長はニキータの方を向く。

「合格だ。ニキータ、元の持ち主の連絡先を教えとくれ。買い取る」

「それがな、こいつフリーなんだ」

「何?」

「元の持ち主に捨てられて行き倒れてたところを、オレが拾ったってわけ」

館長は少しの間ニキータを睨む。

「…まったく、いつも見え透いた嘘をつきやがって。まあいい、どうも素性が知れないが、持ち主に代金を支払わなくていいのは都合がいい。こっちはちゃんと働いてくれればそれでいいからね。じゃ、準備しな」

「…え? 今からですか?」

「そうだよ。今日は少しやって慣れるだけだ。ニキータ、案内してやってくれ」

ニキータが嬉しそうににこにこしている。あいかわらず美形。

「じゃ、行くか。着替えはあっちだ」

悪魔の美形。



▽  ▽  ▽



楽屋に案内され、そこで少し露出度の高い服に着替えて、さっそく接客させられる。完全に女性用のドレス。こんなの着て大丈夫なのだろうかと思ったけど、特別に作られているようで、鏡を見てみても、自分で言うのもなんだけど違和感は無いように思う。大罪の印がしっかり見えてしまうが、しかたない。

「…じゃ、君、向こうの席について」

スタッフに指示され、言われるがまま席に着く。数人の男性客が座っている。全員王国兵のようだ。

「…君、かわいいねー」

隣に座っている男が僕の肩に腕をまわしてくる。

どうしてこんなことに。

「ど、どうも…」

何をしたらいいか分からない。とりあえず話をあわせる。

「肌も綺麗だし」

肩を撫でられる。ぞわわ。

あ、やっぱり無理かも…

「この後どう?」

「む、無理です…」

「そんなこと言わないでさー」

男は顔を近づける。

「いいだろ?」

「や、やめてください…」

「よし決まりだな!」

「…イヤァーーー!!」

ドゴッ!!

「ぐうっほおっ!?」

男が後ろに倒れこむ。

!!

しまった! グーで殴ってしまった!

「…だははははっ!」

周りの男たちが爆笑する。

「やっぱ男…って、テメエッ!」

「ご、ごめんなさい!」

「ごめんじゃねえだろ! どうなってんだよ!」

男が怒って、僕の髪を掴む。イタタ。

「ちょっと、オニーサーン?」

男の後ろで声がする。

ニキータだ。

美しい。

化粧をしていて、いろいろなアクセサリーで着飾っている。真っ赤な口紅がとてもよく似合っている。

「この子さあ、今日初めてなんだよねえ。許してやってくんない?」

「許すもなにもねえだろ!」

「まあまあ、そう言わずに」

ニキータが男の隣に座る。金色の大きなイヤリングが褐色の肌によく映えて揺れている。自分の見せ方をよく分かっている。あと、やはり真っ赤な口紅が本当によく似合っている。

「今日はオレが相手してやるからさ」

ニキータが男の顔に手をそえる。男の鼻の下が伸びる。

「…そ、そうか?」

「おい! そいつも男だぞ!」

周りの客がはやし立てる。ニキータが言い返す。

「おいそこ! さっきから男男うっせえぞ!」



▽  ▽  ▽



…はあ…疲れた…

仕事終わり、館の外の階段で休む。ここ絶対無理だ…

「よ」

背後で声がして、振り向く。ニキータだ。

「飲めよ」

2つ持っていたコップの1つを、僕に差し出す。

「…ありがとう」

コップを受け取る。暖かい。カカオの香りがほっとする。ココアのようだ。

「…それにしてもお前、おもしろいよな。初日からやらかしてさ」

「…こんな話聞いてないよ」

「すまんすまん」

ニキータは軽く笑う。化粧しているせいでいつもの数倍美形だ。なんだか怒る気が失せてしまう。

「…さっきは助けてくれてありがとう」

「ああ、全然。気にすんな」

ココアを飲む。おいしい。久しぶりに甘い栄養のあるものを飲んだ。

なんだか変な方向に進んだな。どうなることやら。

空が少し白みはじめている。

もうすぐ夜が明ける。


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