アイリスとリコリス

沖月シエル

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第1章/1-36

7 ▼飛空挺完成記念式典▼

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「どうやったら100万を1日で使いきれるんじゃ!」

レディ・バンカー理事長は両手をぶんぶんと頭の上で振り回す。手が短い。

「すまん」

「スマン、じゃなかろう! どうなっとんのじゃおぬしの金銭感覚!」

「はやくしてくれ」

「よいか、金はタダじゃないんじゃぞ! 説教くれてやる!」

「心配だからとりあえず3倍くれないか」

「聞いとんのかおぬし!」



▼  ▼  ▼



「ルシーダ、いる?」

「…ああ、エリオット」

また来たのか…憲兵と関わるといろいろやっかいなんだが。困っている俺とは裏腹に、エリオットはすごく機嫌がよさそうだ。

「会えてよかった! ね、今日は用事ある?」

「ええと…特に無いけど」

エリオットはにこにこと微笑む。

「ね、今日デートしない?」

「何?…デ?…」

「今日ね、飛空挺の完成記念式典なの。会場まで行かない? きっと楽しいよ!」

「いや、ちょっと」

「いいから!」

エリオットは俺の腕を引っ張って外に連れ出す。外はよく晴れている。



▼  ▼  ▼



ちょっとしたお祭り騒ぎの街を抜けて、式典の会場まで行く。会場は街の中心の辺りのかなり大きい広場で、人がたくさん集まっている。上空に飛空挺が浮かんでいる。側に臨時で作られた鉄骨の塔に繋げられているようだ。あんな大きなものが空に浮かんでいるなんて、ちょっと不思議な感じだ。

広場にはいろいろな店が集まっている。エリオットは俺を引っ張りながら店をのぞいてまわる。

「あ、ちょっと寄って行こ」

気になる店を見つけたようで、中に入る。いや、バーじゃないか。昼間っから飲む気か。

「んーっと、どれにしようかな…」

そうこうしているうちにエリオットはさっさと注文を終えてしまった。最初に会った時も思ったが、けっこう自由な人だよな。顔は本当によく似ているんだが、性格の方は大人しかったオフィーリアとは真逆だ。

「ねえ、ルシーダも飲まない?」

エリオットは手にしていた酒を俺に勧める。きれいな薄い青い色をしている。なんかエリオットによく似合うな。

「俺は飲めないんだ」

「そっか…ほんとに?」

「…ちょっとだけなら」

エリオットからグラスを受け取って、一口。ソーダと仄かな柑橘の爽やかな風味。

…気に入った。

「…同じの頼む」



▼  ▼  ▼



広場に戻る。なにやら大きな声で案内する声が聞こえる。どうやら、今から数時間限定で、飛空挺を繋いでいる鉄骨の塔に昇れるらしい。

「聞いた? ねえ、ルシーダ、塔に行ってみようよ! 昇って飛空挺を近くで見れば、きっとすごいよ!」

エリオットは俺の肩をぽんぽんと叩いて、鉄塔の方を指差す。あれに昇るの? めっちゃ高いやん…下向いたら絶対コワいやん…

「え、高い所はちょっと」

「大丈夫だって! わたしがいるから」



あ。一瞬エリオットにオフィーリアが重なる。そういえばこんなふうに言われた時あったっけ。

エリオットは俺の手を引いて広場を進んで行く。元気だな。

結局俺はエリオットと鉄骨の塔を昇ることになる。臨時で作られたとはいえかなり立派な塔だ。調和のとれたむき出しの骨組みがなんだかおしゃれでいい感じに絵になる。式典のスタッフに案内され、数人の客と一緒にエレベーターに乗り込む。ちなみにこれだけちゃんとした装置は帝国には無い。扉が閉められ、カラカラと歯車が回転し、そのままの姿勢で上昇していく。ちょっと不思議な感じ。てか外の景色が見えるので怖い。

め、目瞑ろうかな…

「…ルシーダ?」

「な、なんだよ」

「今目瞑ってたでしょ」

「瞑ってない」

「こんなにいい眺めなのに、見ないともったいないよ!」

確かに、華やかな王都の風景が一望できる。遠くを見ている分には綺麗なんだけど。

エレベーターの上昇の速度がだんだんゆっくりになり、止まる。着いたようだ。俺たちはエレベーターを降りる。

「わあ、高いね!」

塔の頂上付近まで昇ったようだ。

高い。高すぎる。

「見て!」

エリオットが飛空挺を指差す。近くで見るとけっこう迫力がある。飛空挺の小さなプロペラが、姿勢の安定のためだろうか、数個だけ回っている。

エリオットが心配して話しかける。

「…怖くない?」

「…だ、大丈夫」

実はちょっと怖かったり。

風が吹き抜ける。今日はよく晴れて風のない日だが、空に上るとやはり風があるようだ。でもそれほど強い風じゃない。

エリオットは飛空挺を眺めている。髪がさらさらと風になびいている。

――あなたには、わたしがいるから。

エリオットの横顔がオフィーリアと重なる。思い出した、そう、こんな日だった。オフィーリアと宮廷の屋上で過ごしたあの日も、今日みたいによく晴れていた。エリオットはやっぱりよく似ている。

エリオットは突然俺の方を振り向く。目が合う。

「…ど、どうした?」

うっかり見とれていた。気まずい。エリオットはちょっといたずらっぽく微笑む。

「…ねえ、ルシーダ、キスしよっか?」

!!

この女酔っぱらったな!

「…ななな、何を言い出すんだ!?」

「いいじゃない、ちょっとだけ」

「だ、だめだ!」

「どうして?」

「そういうことは…なんというか、結婚を前提にしないと」

俺は皇子だからな!

エリオットは少しきょとんとして黙った後、笑い出した。

「…ぷっ。あははっ!」

なんか恥ずかしい。

「な、何がおかしいんだ」

「ううん…ごめんね。なんでもない」



▼  ▼  ▼



広場からの帰り道。

「…お!? ここよくない?」

エリオットはまた何か気になる店を見つけたようだ。視線の先にはなかなかおしゃれな店がある。

「…服?」

「見ていこうよ!」

ええ…おしゃれすぎてなんか俺入りにくいよ…と言う暇も無くエリオットは店に入ってしまう。

女物の服屋のようだ。やっぱりおしゃれー。こんなファッションが王都では流行ってるのか。シンプルだったり華やかだったりいい感じ。てか女物の服しかないんだけど。

「ルシーダに服選んであげるね」

待って。

「この中から選ぶのか?」

もうなんか超ガーリーなんだわ。デザインが。

「そうよ! わたしが買ってあげるから」

「いや、俺は金はあるから…」

「ううん、わたしが買ってあげたいの」

エリオットはさっそく服を選びはじめる。よく分からないが、なんとなくこの店価格帯高めのような気がする。給料そんな多くないだろうに。俺のためにあんまり無理はしないでほしいんだが。



そもそも俺、エリオットが選ぶ服を着こなせる自信が無いんですけど。せめて無難なものにしていただけないかしら…

「んー…こういうのとか?」

エリオットがワンピースを一着手に取る。

「これは…体のラインが出ちゃうだろ。丈も短すぎる」

「そう? 脚見えた方がかわいくない? ルシーダ脚綺麗じゃない」

「男が脚出してどうすんだよ」

俺は近くにあった別のワンピースを手に取る。地味だがキレイめ。

「こんなのとか」

「…なんかコンサバ…もっと女の子っぽい方がいいよ」

エリオットがもう一着別のを手に取る。

「ああこれ! すっごくかわいい!」

エリオットは選んだ花柄のワンピースを俺にあてがう。

「…ちょっと女っぽすぎない?」

「それがいいんじゃない! ほら、似合ってる!」



そ、そうかな?

まあ確かに、大きな襟がいい感じ。肩幅を小さく見せられるし、小顔効果も期待できる。

「試着してみようよ」

「えっ?」

エリオットは俺を引っ張って試着室に入る。

あ。

2人で入ってしまった。

「外すね」

エリオットは躊躇無く俺の服のボタンを上から外していく。や、ちょ、なんでなんで!?



!! しまった、待て!!

エリオットは俺の服を脱がす。

「これは…タトゥー?…」

遅かった。ほんの少し。

「見るな!」

つい大声を出してしまう。エリオットは少し驚く。

「…ごめん。見られたくなかったんだ。特に君には」

うっかりしていた。エリオットと一緒に過ごすのが楽しくて、自分が何者なのか忘れてしまっていたようだ。

「…これは、地獄に行く印なのさ」

「地獄?」

「レンブルフォート正教の…」

俺はなんでこんなこと話しているんだろう。

「…わたしこそごめんね」

エリオットは身を寄せる。

「触ってもいい?」

エリオットは俺の左肩の焼印に触れる。屈辱の記憶しかないはずなのに、エリオットに触れられると不思議と心地いい。

エリオットはそのまま俺を抱き寄せる。肌と肌が触れ合う。

エリオットはどこか懐かしい匂いがする。


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