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1巻

1-3

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「谷川さんのおかげで今日中の仕事も終わりましたし、そろそろ出ましょうか。あ、ところで」
「はい」
「もうこんな時間ですけど、お腹いてませんか?」

 質問の意図を理解するのに、数秒掛かった。もしかして、と心臓が跳ねる音が、再びわたしの胸の内で聞こえる。

「何か、食べて帰りませんか。遅くまで残ってもらったので、ご馳走ちそうさせてください。もちろん谷川さんの迷惑でなければ、ですけど」
「い、いいんですか?」

 わたしは食い込み気味にたずね返した。
 彼にとっては罪滅ぼしのつもりで、それ以上の意味はないのかもしれないけれど、嬉しいお誘いだった。わたしに断る理由なんてない。
 わかりやすく嬉々とする表情が可笑しかったのか、松田さんは笑いながら頷いた。

「はい。じゃあ、支度して行きましょうか」
「はいっ!」

 声を弾ませて答えると、わたしはデスクの上の整理に取り掛かった。



   3


 出勤前、会社の最寄り駅の中にあるコンビニを覗くのは、入社当初からの日課になっている。
 その日の午前に飲むお茶やコーヒーなどを購入するためと、他の菓子メーカーの新商品をチェックするためだ。
 当然ながら、店舗の面積、菓子売り場の棚の広さには限りがある。あの狭い空間に、各メーカーは少しでも多くの自社商品を置きたいと願っている。
 ゆえに、棚の現状がその時期のメーカーの勢力図になる。このあたりは月に一度、早い場合は二週に一度と、変動がかなり見受けられるので、チェックが欠かせない。
 わたしは無糖のカフェオレを一本持って、菓子売り場の棚のほうへと向かった。
 スナックやクッキーなどが置かれているエリアの先にチョコレート類、さらにその先に袋入りの飴やグミなどが吊り下げて陳列されている場所がある。
 ――あったあった。『ドルチェガミー』の第四弾。
 わたしと松田さんで卸の各社に売り込みをした新商品だ。
『ドルチェガミー』は、吊り下げ棚の上から二段目という、一番目に入りやすい好位置を陣取っていた。うん、条件的には申し分ない。ここのコンビニチェーンに卸してくれているのはクリハマさんだから、大場さんが頑張ってくれたということなのだろう。
 まだ発売して数日しか経っていないけれど、商品自体の評判も、SNS等で検索して調べる限りでは悪くないみたいだ。
 わたしは『ドルチェガミー』を手に取ると、カフェオレとともにレジに持って行った。
 わざわざ購入しなくても、社内に商品のサンプルが山ほどあるのは知っている。けれど、自社製品は応援の意味も込め、目に付いたときに買うようにしているのだ。
 それらが入ったレジ袋を提げ、コンビニを出て、会社への道を歩いていく。
 あっという間に、六月も終わろうとしていた。
 一月の途中に入社したから、転職して五ヶ月ほどが経ったことになる。
 自分ができることをがむしゃらにやり続けた五ヶ月だった。
 だから、正直なところ、まだ半年近く経った実感はないけれど、朝、外に出たときの暖かさや、降り注ぐ日差しの強さで、かろうじて時間の経過を感じることができている。
 駅から続く大通りを真っすぐ歩いていくこと五分。ちょうど交差点に差し掛かる手前の、十三階建てのオフィスビルの中に、青葉製菓が入っている。
 六階と七階が青葉製菓の東京支社で、わたしの所属する営業部は六階にある。エントランスを抜けて、エレベーターホールに向かった。
 上昇ボタンを押すと、二基あるエレベーターの右側が降りてきた。朝の出勤時間、いつもならだいたい同じ会社や、他社の社員と一緒になることが多いけれど、今日はめずらしく独り占めのようだった。

「おはようございます」

 エレベーターを降りると、まず『青葉製菓』と社名の入ったプレートが目に入る。すぐ横にある自動ドアの先にいる経理部の面々に挨拶をして、営業部の自分のデスクにトートバッグとコンビニの袋を置いた。

「おはよう、谷川さん」
「おはようございます、小田おだ課長」

 椅子に座ろうとしたところで、となりの島のデスクに座る小田課長が席を立ち、わたしのほうへ向いた。わたしは彼を見て会釈えしゃくをする。
 小田課長は三十代半ばで、松田さんの直属の上司に当たる営業部第一営業課の課長だ。学生時代にラグビーをしていたらしく、大柄でがっちりした体型で、声が人一倍大きい。いかにも営業、といったイメージの人。

「今日の予定は、どうなってる?」
「えっと……十時に松田さんとサンプルの受け渡しで外出して、お昼過ぎに戻ることになっていますが」
「そうか」

 小田課長はひとつ頷いてから続ける。

「君と松田くんに、一柳部長から伝言だ。ふたりに相談したいことがあるから、二時に七階の会議室に来てほしいとのことだ」
「はい、承知しました」
「よろしく」

 小田課長はそう言うと、椅子に座り直してノートパソコンの操作を始めた。
 わたしも椅子に座ると、バッグの中からスマホを取り出した。そして、メッセージアプリを起動する。
 履歴りれきの一番上にある松田さんとのやり取りを呼び出すと、メッセージを打ち始めた。

『おはようございます。今日サンプルの受け渡しのあと、一柳部長が二時からけてほしいとのことでした。予定は大丈夫でしたっけ?』

 送信した直後、既読になるメッセージ。返信は、すぐに返ってきた。

『おはよう。そのあとは社内で資料作成の時間に充てるつもりだったから、問題ないはずだよ』
『なら大丈夫ですね。多分松田さんが出勤したら、小田課長のほうからそういうお話があると思います』

 わたしは口元をほころばせながら手早くそう打ち込むと、再び送信ボタンを押した。
 程なくして松田さんは出勤してくるのだし、わざわざ今メッセージアプリを通してまで伝える内容ではないのかもしれない。
 でも、こうして気軽にやり取りができる関係になったことが嬉しくて、ついついメッセージを送ってしまうのだ。
 松田さんの役に立てていないのではないか、と不安を吐露とろしたあの夜。松田さんは、残業のお礼にと食事に連れて行ってくれた。
 場所は、駅前のイタリアン。決して敷居しきいが高い雰囲気ではなく、仕事終わりに気軽に入れる気取らないお店だった。
 出される料理はどれもかざらなくて美味おいしく、松田さんは外国のビールを、わたしはグラスワインの白を飲んだ。

「この店、たまに会社の飲み会とか他メーカーとの懇親会で使ったりするんだ。安くて美味おいしいし、適当にコースにしてくれたりするから、使い勝手よくて」
「いいですね。わたし、こういうお店大好きです!」
「そう言ってもらえてよかった」

 高揚こうようする気持ちを抑えきれず破顔するわたしに、松田さんは優しい眼差しを向ける。
 わたしたちは店の中ほどにある、窓際のふたり掛けの席に座っていた。奥のソファ席にわたし、手前の椅子に松田さんという形で向かい合っている。
 店内のオレンジ色のやわらかい照明が、松田さんの凛々しくも優しげな顔立ちを照らしていた。会社で見る彼の顔とはちょっと違って見えるのが新鮮で、ぎゅっと胸の奥が苦しくなる。
 松田さんに誘ってもらって、食事をしている。それも、仕事以外の時間で。
 非日常に、わたしは少しはしゃいでいたのだと思う。松田さんは、じっとわたしの顔を見つめた。

「……どうかしました?」
「いや、会社にいるときと少し雰囲気が違うな、と思って」
「そうですか?」

 奇しくも、わたしと松田さんは似たようなことを考えていたらしい。そんな偶然にドキッとする。
 わたしがたずねると、彼がゆっくり頷く。

「会社ではしっかりしてて、落ち着いてる感じなので」
「それって、案外落ち着きがないってことですか?」

 ちょっとうるさくしすぎてしまっただろうか。

「違いますよ。悪い意味に取らないでください」

 松田さんはビールを一口あおると、焦って首を横に振る。

むしろ、逆です。年相応な部分が垣間見えて、安心したというか……ほら、俺の二つも下なのに、仕事に対して真面目で、自分の役割をしっかりこなしてくれるから。こういうところもちゃんとあるんだって知って、嬉しくなりました」

 そこまで言うと、松田さんはハッと顔色を変えて、それから、きまり悪そうに再度口を開く。

「……あー、嬉しくなるって、ごめん、なんか気持ち悪いですよね」
「そんなことないです」

 わたしは即座に否定した。気持ち悪いどころか、嬉しいくらいだ。自然と頬が緩む。

「松田さんがわたしの個人的な部分に目を向けてくれたっていうだけで、ありがたいですっ」
「ありがたいって」

 大げさだという風に松田さんが噴き出す。

「それはそうですよ。松田さんは尊敬する上司ですから、認められたいって気持ちはどうしてもあります」

 小皿に取り分けられたベビーリーフのサラダを口に運びながら言った。
 美味おいしいし、楽しい。この空間にいると、そのつもりがなくてもお酒が進んでしまう。

「もうとっくに認めてますよ。さっきも言いましたけど、谷川さんは俺の信頼する後輩です」
「わたし、それについてはまだ納得してません」

 話しながら、頭の中のスクリーンに男性社員がふたり、急に飛び出してきた。そう、松田さんと仲のいい後輩男性社員の、あのふたり。

「わたしも、彼らと同じように接してもらいたいです」
「同じ?」
「女性だからって、気を遣わないでください。彼らと立場は変わらないんですから、もっとフランクに接してほしいですよ」
「フランクにですか……」
「わたし、勤務年数で言ったら彼らよりもずっと後輩ですし、仰る通り松田さんの二つも年下ですよ。それでも、ダメですか?」

 さっきは核心を突くことはできなかったというのに、今それが叶っているのは、この非現実な空間のせいか。はたまたお酒が入って気が大きくなっているからか。わたしにもわからない。
 でも、このチャンスを逃してしまったら、もう永久にそれを追及するきっかけを失ってしまうような気がした。
 さっきの、オフィスでの真剣なやり取りがあって。そのあと、こうやってお互いプライベートな時間の中で、構えずに話をしている今だからこそ、訊いても許される気がした。

「俺、そんなに一線引いてる感じしますか?」
「します」
「うーん、そうですかね……」

 困惑の表情を浮かべる松田さんに、昨日の別れ際を思い出す。わたしが口を滑らせたときも、彼はこういう顔をしていた。

「二ヶ月この感じだったので、いきなり直すのは難しいんですが」
「そこをなんとか」

 しばらく渋い顔をしていた松田さんだったけれど、あまりにも強固な訴えに、ついに折れたらしい。

「わかりました」

 と、心を決めた様子で頷いた。

「――相手に自分の要求を呑んでもらうには、結局、熱心かつストレートに粘るのが一番効くんですね。客先で使わせてもらいますよ」

 まるで、普段の営業活動の参考にしようと言わんばかりの言い方に、今度はわたしが噴き出した。

「……谷川さんが望むなら、こういう感じでどう、かな」

 言いながら気恥ずかしいのか、少しはにかんで笑う松田さん。

「っ……い、いいと思います。それでお願いします!」

 顔が熱くなったのは、お酒を飲んでるからだけじゃないのは明白だった。わたしは左手で火照ほてった頬を覆った。
 可愛い。彼のその照れた言い方が妙にドキドキする。
 普段はキリッとして頼りがいがある松田さんなのに、困ったような、微笑むような――庇護ひご欲をき立てられる表情を見せてくるなんて、反則だ。

「急に全部直すのは無理かもしれませんが――いや、無理かもしれないけど。そのうち、慣れるよね」
「ありがとうございます、期待してます」

 早速いつもの癖が出てしまったのを訂正している彼だけど、定着させようと頑張ってくれる姿が嬉しい。

「――わたしも松田さんが早く慣れてくれるように、いっぱい話しかけますね」

 わたしは、彼のその表情を独占している喜びに頬を緩ませ、そう言った。
 あまり考え過ぎずに言葉の応酬おうしゅうができるのも、お酒のいいところだ。
 とはいえ、多少は残っている冷静な部分が「さすがにこれは馴れ馴れしいかも」と警笛を鳴らす。友達じゃないんだから、図々しすぎるだろうか、と。

「……じゃあ、ええと、うん」

 ところが。予想外にも彼は、少し言いよどんだあと、小さく笑みを浮かべた。
 それから、ほんの少しだけ視線を彷徨さまよわせたあと、わたしの瞳を真摯に見つめる。

「早く慣れるように――話しかけてくれると嬉しい」

 一瞬、周囲の雑音が遠のいた。
 まるでこの場にわたしと松田さんのふたりだけになったかのように、特別な空気が流れるのを感じる。
 わたしはその雰囲気に呑まれながら、微かに震える声で「はい」と返事をするのが精いっぱいだった。
 心臓が壊れてしまったんじゃないかと心配になるくらい、早鐘を打っている。その音は、今後わたしと松田さんに訪れる何かに対する期待に満ちていた。
 松田さんが「よろしく」と言いながら、手にしていたグラスを前方に差し出したのを見て、わたしもそれにならい、慎重にワイングラスを近づける。
 ドリンクが到着したときにも一度乾杯を交わしたけれど、そのときとはまったく意味合いが違う。勝手に、彼との距離が縮まったような気がした。
 実際、「気がした」だけではなく、その日を境にわたしと松田さんの距離はかなり近くなっていった。仕事の面でも、以前よりも気軽に相談できるようになったし、ふとした拍子に、松田さんも何気ない会話を振ってきてくれるようになった。
 仕事の会話の延長とはいえ、メッセージアプリで連絡を取ることも増えた。
 松田さんは、マメな性格なのか時間をけずに必ず返事をくれるタイプの人なので、やり取りの頻度も自然と多くなる。それがまた嬉しかった。
 そして、仕事帰りにふたりで食事をして帰ることも珍しくなくなった。
 とはいえ、八割方は仕事の話で、「明日は何処どこの商談だからどういう作戦でのぞもうか」とか、「今度の新商品の販促用資料だけど、うたい文句をどうしようか」とか、そんな内容だけど。
 それでも、松田さんと一緒に過ごす時間が増えたのは、わたしにとって飛び跳ねたいくらい喜ばしいことに変わりなかった。
 多分ただの自惚うぬぼれじゃなく、客観的に見ても、ただの上司と部下から仲のいい上司と部下にランクアップできたと思う。理由は、わたしが嫉妬しっとしていた松田さんの直属の部下ふたりと話したときに、「松田さんって、谷川さんのこと頼りにしてますよね」と言われたから。
 きっかけは松田さんに丁寧語をやめてもらったことだけど、距離を詰めることができた本当の理由はそこではなく、彼がわたしに何処かしら構えていた部分が上手い具合に崩れたからなのだろうと思う。
 松田さん自身が、わたしに辞められないように丁重に対応していたと言っていたから、そういう意味で気を遣い過ぎていたのかもしれない。
 ……欲を言えば、いつか、まったく仕事の話をせずに彼と過ごしたい。
 営業戦略だとか、顧客獲得だとか、そういう話を抜きに、彼と何かを共感したり、笑い合ったりできたらいい。
 特別な理由がなくても彼の傍にいられる権利が欲しい。近頃は、デスクで彼の横顔を眺めながら、そんなことを夢想している。


「おはようございます」

 メッセージをやり取りしているうちに、いつもとなりの席から聞こえてくる声がした。松田さんの声だ。経理の島に朝の挨拶をしたあと、自分のデスクの前までやってきて、営業の面々に同じ言葉を繰り返す。

「おはようございます」

 メッセージアプリで先に交わしていた挨拶を、わたしは顔を上げ、彼の姿を視界に映しながら再び繰り返す。

「おはよう」

 彼もまた、メッセージアプリのやり取りをなぞるように繰り返した。
 もちろん、周囲にそれを悟られないようにではあるけれど、小さな秘密を共有している気持ちになって、わたしはちょっとだけ得意になってしまう。

「おはよう。松田くん、ちょっといいか」

 小田課長は松田さんの姿を見つけると、早速声を掛けた。松田さんは「はい」と返事をしながら、彼のデスクの前へと足を向ける。

「一柳部長から伝言だ。二時に会議室で話があるらしいが、予定は問題ないか?」
「取引先から帰ってきている時間なので、大丈夫です」
「そうか。じゃあ、けておいてくれ。谷川さんにも同席してもらうそうだ」
「承知しました」

 わたしがあらかじめ伝えていたことをそっくりそのまま告げられた形だったので、松田さんは決まっていた台詞せりふを読み上げるみたいにそう返事をしていた。

「じゃ、確かに伝えたからな」

 小田課長は最後にそう吐き捨てるように言うと、視線をパソコンの画面に戻した。不機嫌さを隠さない言い方が引っかかる。
 松田さんもおそらく同じことを思ったのだろう。小田課長の様子を不思議がって、首をひねっていたけれど、その違和感には目をつむることにしたらしい。程なくして、自分のデスクに戻って来る。

「一柳部長が話って、なんだろう」

 席に着いた松田さんが、わたしにだけ聞こえる声でささやく。

「そうですね」

 私も小さな声で返すと、彼は思い出したように目をみはってから、

「ごめん、企画部からまだ今日渡す分のサンプルのパッケージを受け取ってなかった。悪いけど、取りに行ってもらっていい?」

 と、すまなそうにたずねた。

「はい、もちろん。行ってきますね」

 企画部はひとつ上の七階にある。快く言うと、わたしは立ち上がってエレベーターホールへと向かった。


     ◆ ◇ ◆


 社内の会議室は、縦長の机がロの字型に組まれている。一柳部長、そしてわたしと松田さんは、角を挟んで座った。

「悪いな、時間を作ってもらって」
「いえ、とんでもないです」

 一柳部長の言葉に、松田さんが答える。
 時刻は午後二時過ぎ。サンプルの受け渡しを終えたわたしたちは、一柳部長に呼ばれて、七階の入口近くにある会議室に移動した。
 片肘を立て、軽くにぎった拳の上にあごを乗せた一柳部長が、おもむろに口を開く。

「で、肝心の内容なんだが……あ、その前に」

 松田さんとわたしを交互に見遣みやりつつ、わたしと目を合わせたとき、一柳部長は何かに気が付いた風に言う。

「谷川さんは、レイハンスのクリスマスブーツのことは知ってる?」
「はい」

 わたしは小さく頷いた。
 レイハンスとは、有名なアニメ制作会社だ。レイハンスの制作するアニメは子どもを中心に人気で、アニメ制作会社といえば真っ先に思い浮かぶ。

「そうか。なら、レイハンスがクリスマスブーツを作っていて、毎年協力メーカーを募集していることも知ってる?」
「はい」

 わたしはもう一度頷いた。
 詳しいことはわからないけれど、レイハンスは自社で制作したアニメの人気キャラを使って、クリスマスブーツを販売している。その際、二、三の菓子メーカーとコラボしているらしく、どのメーカーかはその年によって違っている。

「あれは毎年、レイハンスから声の掛かったメーカーがクリスマスブーツの内容を企画提案して、最終的にレイハンス側が気に入った案を選んでるんでしたよね?」

 松田さんは経験が長いためか、よく知っているみたいだった。彼の言葉に、一柳部長が大きく頷く。

「そうだ。ようは、菓子メーカー同士のプレゼンになるわけだ。自社商品とレイハンスの商品を使って、より購買意欲をそそられるものを提案したメーカーが選ばれる。レイハンスのクリスマスブーツは毎年確実に売れるから、各メーカーの垂涎すいぜんの的だ。ブーツに詰め込んだ自社製品を売り込む絶好の機会だからな」

 なるほど。普段の購買層じゃないところに訴求できるいいチャンスということか。
 一柳部長は一度咳払いをすると、改めて松田さんとわたしに目をくれる。

「――で、だ。今年、ついにレイハンスからわが社に声が掛かった。クリスマスブーツの企画提案に参加してほしいと。これはなかなか珍しいことだ。そうだろう、松田くん?」
「はい」

 松田さんが反射的に頷いたけれど、わたしはいまいちよくわかっていなかった。
 青葉製菓はキャンディ類に限定すれば知名度の高いメーカーだ。道行く人を適当に何人かつかまえて、好きな飴のメーカー名を三つ教えてもらう調査でもしてみたら、ほとんど全員がそのうちのひとつに青葉製菓の名前を挙げるだろう。
 そういう、菓子の一ジャンルを牽引けんいんしているメーカーだからこそ、声を掛けてもらえるのではないか。

「クリスマスブーツにはある程度の量の菓子を詰めなければいけないから、キャンディ類は向いてないんだよ。ほら、飴はどうしてもサイズが小さいものが多くて、パッケージを満たすには結構な量がるし、そもそも飴ばっかりたくさん入ってても購買層は喜ばないから」

 わたしが納得していない表情をしているのを察知したらしい松田さんが、その理由を解説してくれた。

「だからうちみたいなキャンディメーカーは、そういう売り方はしないんだ。だけど、最近『ドルチェガミー』とかが当たってることと、それがきっかけでうちの小田とつながりができたことで、今回初めてそういう話を持って来てくれたってわけで」

 そこまで話すと、一柳部長は松田さんをじっと見つめた。

「企画は、俺が企画部で当たりを付けてる人間がいて、そいつに任せてある。で、松田くんと谷川さんにお願いしたいのは、そのプレゼン用の資料の作成と、レイハンスでのプレゼンだ」
「えっ、プレゼンですか?」

 ビックリし過ぎて、わたしは心の声をつい、言葉にしていた。

「企画は来週末までに完成してもらうことになってる。そこから資料作成とプレゼンまで一週間くらいある。俺としては、君たちふたりに任せるのが一番安心だと思ってるんだが、どうかな。引き受けてはくれないか?」

 わたしは思わず松田さんの顔を見た。それに気付いた彼が一瞬わたしに視線を向けたけれど、彼の瞳はすぐに一柳部長の眼差しを捉えた。

「承知しました。では、企画部から内容を詰めたものが届き次第、取り掛かります。谷川さん、ちょっと忙しくなるけどよろしくお願いします」
「あっ、はいっ」

 松田さんは、顔色ひとつ変えずに了承した。わたしが短く返事をすると、一柳部長はホッとした表情を浮かべて立ち上がる。


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