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第27話

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「えっ、リリーが……?」
 事情を知ったリタさんの唇から、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。
 横並びで、ザバザバと勢いよく流れる滝のカーテンを眺める。アンと彼女が入れ替わった形だ。
「私も、ちょっと変だなとは思っていたの。でもまさか、そんな……」
 ショックなのは痛いほどわかる。放心したようなリタさんの顔を見ると、胸が苦しくなった。
「何か、助かる方法はないものなの?」
「それが、ないんです。あるとすれば、蜘蛛を三匹集めて『蜘蛛の糸』を掴むことだと、アンが言ってました」
「…………」
 つい先刻のオレとアンの焼き直したようなやりとりだ。答えを聞いたリタさんが絶句する。
 思うことは同じ。どうにかしてリリーを助けたい。なのに、何も手立てがないなんて……。
「これが、この世界のルールなら……仕方ないのかもしれないけれど……」
 彼女の双眸に涙が溢れる。一筋、二筋と頬を伝い、流れ落ちていった。
「……どうにもできないなんて……」
 頼りない、悲痛な声が彼女の唇からこぼれて消える。その間も、彼女の瞳からは嘆きの滴がぽろぽろと伝い落ちて止まらない。
「リタさん……」
 オレは彼女を慰めたい一心で、その震える肩を抱き寄せようと手を伸ばした――
 けれど。
 『――きゃああっ……!!』
 自身で涙を拭おうとする彼女の指先を見て、動きを止めた。
 ネイルアートを見せてもらおうと、リタさんの腕を取ったときに、彼女が激しく抵抗したことを思い出したのだ。
「リタさん、泣かないでください」
 オレは伸ばした手を下ろし、言葉をかけるだけに留めた。
「ごめん……ユーキも辛いの、わかってるし……一番辛いのはリリーだよね。私が泣いたりして、ごめん」
「……いや」
 首を横に振りながら、途轍もない無力感が襲ってくる。
 リリーを助けることもできなければ、リタさんを慰めることもできないんだ。オレは。
「このことは、リリー本人から何か言われるまでは黙っていてほしいんです。本人が知られたくないって言っていたので」
「うん、わかってる」
「今の話は本当か?」
 オレたち以外の、別の誰かの声がして、オレは反射的にリタさんを庇うみたいに、前に一歩踏み出した。
 そこには、話を始める前には確かにいなかったはずの、全身黒尽くめの男が立っている。その目元にはスクエア型の、淡いブルーのサングラス。
「『死神さん』……」
「えっ、死神?」
 オレの肩越しに、リタさんが驚いた声で訊ねる。
「あ、いや……」
 それはリリーがつけたあだ名だった。
「この人は『スパイダー』だ。……『クリミナル』じゃない。もちろん、死神でもない」
「びっくりした。てっきり、蜘蛛を盗られそうになったのかと」
「今の話は本当か? リリーというのは、あのロリータ服の少女だろう?」
 冷静に状況を説明するオレや、それに胸を撫で下ろすリタさんの様子なんてスルーして、『死神さん』がもう一度訊ねる。
「……本当です。もう、結構弱ってるみたいで」
「…………」
 『死神さん』は少なからず動揺しているようだった。大きな声を出したり、露骨に表情を曇らせたりはしていないものの、オレの返事を聞くと黙り込んでしまった。
 その反応が意外で、不思議に思った。リリーと『死神さん』は立場が違えど、それだけ親しかったということだろうか?
 ……いや、そんなことはなかったような。リリーはむしろ、口うるさいからと煙たがっていたように記憶している。
 そうだ。『スパイダー』であるこの人なら、リリーを救う手段を何か知っているんじゃないだろうか。
 オレやアン、リタさんのような『クリミナル』じゃなく、『スパイダー』という監視役のこの人なら――
「リリーが助かる方法はないんですか? 『スパイダー』なら、何か知ってるんじゃないですか」
「お前も一度は聞いただろう。消滅を免れるには、蜘蛛を三匹集めて『蜘蛛の糸』掴むことだ」
「……別の方法はないんですか。リリーは、蜘蛛を集める気はないと言ってるんです」
「もしくは、『スパイダー』になるかだな。そういう奇特なヤツはあまりいないが」
「『スパイダー』に……」
 そうだ。アンは最初からそれの可能性を切り捨てていたけれど、消滅を逃れるという点ではアリなのか。
 ……いや。でもやっぱりそれはダメだ。永遠に監視役をしなければいけないなんていう、それこそ地獄のような立場を勧めるわけにはいかない。
「そうじゃなくて……例えば、タイムリミットまでの時間を延ばしたりするような、そういう方法がいいんですが」
「…………」
 オレの願いも空しく、『死神さん』は首を横に振った。
「悪いが、そんな都合のいい抜け道はない。タイムリミットに個人差はあれど、『クリミナル』はかならず消滅する。そう、かならずな」
「……やっぱり、ないんですね……」
 オレたちの知らない、別の道があるかもしれないという期待は、一瞬で打ち砕かれた。オレは落胆した。気を抜くと膝から崩れ落ちそうなくらいに。
「あの少女はどこにいる。基地のなかか?」
「え、あ、そうですけど――あっ、ちょっと」
 皆まで言い終わらないうちに、『死神さん』は滝のカーテンの隙間から基地である洞窟のなかに入り込む。その慣れた様子を見るに、彼は基地のなかに招かれたことがあるようだ。
 オレとリタさんは顔を見合わせて頷くと、『死神さん』のあとを追ったのだった。
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