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第25話
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「ユーキ、いいの。そのまま動かないで」
「リリー……」
早くリリーを助けなければいけないのに、動いたら彼女に危害を加えられてしまう。
突然のことに気が動転してしまい、頭が回らない。
「蜘蛛の場所は?」
「……左の鎖骨の下」
男の問いかけに、リリーは淡々とした口調で答えた。
「協力的だな。せめてもの情けで、お前の願いは叶えてやる」
目当てのものの在り処を知った男は、下種な笑いをこぼした。そして、首元に当てたナイフはそのままに、リリーのブラウスのボタンをひとつひとつ外していく。
「やめろっ……やめてくれっ……!」
この絶体絶命の状況を、切り抜ける策が思い浮かばない。
オレはこのまま、リリーが消滅する姿をじっと見ていることしかできないっていうのか?
「――これだな。お前の蜘蛛は」
男が舌なめずりをして呟く。きっとブラウスのボタンの合わせ目を開いたその場所に、蜘蛛の印を見つけたのだろう。
「でも今からは俺のものだ……!」
手のひらで蜘蛛を隠すように覆った男は、高らかに宣言した。
「っ……ぁあああっ……!!」
リリーの苦痛に満ちた叫び声が響く。その瞬間、刃物で抉られるような激しい痛みが蘇るような気がした。
彼女も今、あの痛みを味わっているのだ。気を失ってしまいそうなほどの強烈な痛みを。
「っ……!?」
どういうわけか、男の手のひらが橙色に光った。燃え盛る炎のようなその光は、五秒も経たないうちに、嘘のように消える。
「マジだ……マジで蜘蛛が俺の身体に移ってる……!」
Tシャツの襟ぐりの下を確認し、左の鎖骨の下に蜘蛛の印を見つけたらしい男は歓喜の声を上げた。
「悪く思うなよ。俺は絶対に生き返るんだ……!」
男はナイフをしまうと、飛び退くようにしてリリーから離れる。そしてオレを一瞥してから、オレたちの進行方向とは逆に走り出した。
「待てっ!」
蜘蛛を取り返さなくては。そう思って男のあとを追おうとする。
「やめてユーキ!」
倒れたままのリリーが発した悲鳴に近い声に、駆け出すつもりの足が引き留められた。
オレは男を追うのをやめ、リリーのもとに歩み寄る。
「……だって、リリーの蜘蛛が」
「いいの。わたしにはあと一匹あるから、それで十分」
――そうか。彼女の身体には二匹の蜘蛛が棲んでいる。消滅を免れるためであれば、一匹いればこと足りるということか。
男のほうも、まさかこんなか弱そうな彼女が二匹も蜘蛛を飼っているとは想像できなかったのだろう。そのおかげでリリーは助かったのだ。
「起きれるか?」
「……ありがと」
リリーに片手を差し伸べると、彼女がその手を取って起き上がった。
「……びっくりした。蜘蛛を奪われるって、あんな感じなんだね」
よほど恐ろしかったのだろう、リリーは笑って言って見せるけれど、その顔は青ざめている。
「ごめん……オレ、何もできなかった」
予測不能な事態に動けなくなってしまった自分が情けなかった。
こうべを垂れて謝るオレを、リリーは責めなかった。ゆっくりと首を横に振る。
「ユーキのせいじゃないよ。わたしがぼんやりしてたから」
ねこちゅーを片腕に抱き留めながら、ブラウスのボタンを下から順に留め直していくリリー。指先が恐怖の余韻で震えていた。
「……ユーキのいうとおり、無理しなければよかったのかも……基地で休んでればよかった。でも……わたし、認めたくなかったの」
言いながら、彼女の双眸には涙が浮かんでいた。
……認めたくない?
「前に、『死神さん』に教えてもらったの。身体が朽ちて消滅しそうな『クリミナル』はどうなっちゃうのかって」
「……うん」
確か『死神さん』は、リリーがサングラスの『スパイダー』につけたあだ名だったっけ。
「現実世界で人間が死ぬときと同じように――衰弱して、起き上がれなくなって、眠り続けながらそのうち呼吸が止まって……そして消えてしまうんだって」
「……まさか」
オレは頭をガツンと殴られたときのような衝撃を受けた。怯えた表情のリリーが小さく頷く。
「わたし……もうすぐ消滅しちゃうんだと思う……」
「リリー……」
早くリリーを助けなければいけないのに、動いたら彼女に危害を加えられてしまう。
突然のことに気が動転してしまい、頭が回らない。
「蜘蛛の場所は?」
「……左の鎖骨の下」
男の問いかけに、リリーは淡々とした口調で答えた。
「協力的だな。せめてもの情けで、お前の願いは叶えてやる」
目当てのものの在り処を知った男は、下種な笑いをこぼした。そして、首元に当てたナイフはそのままに、リリーのブラウスのボタンをひとつひとつ外していく。
「やめろっ……やめてくれっ……!」
この絶体絶命の状況を、切り抜ける策が思い浮かばない。
オレはこのまま、リリーが消滅する姿をじっと見ていることしかできないっていうのか?
「――これだな。お前の蜘蛛は」
男が舌なめずりをして呟く。きっとブラウスのボタンの合わせ目を開いたその場所に、蜘蛛の印を見つけたのだろう。
「でも今からは俺のものだ……!」
手のひらで蜘蛛を隠すように覆った男は、高らかに宣言した。
「っ……ぁあああっ……!!」
リリーの苦痛に満ちた叫び声が響く。その瞬間、刃物で抉られるような激しい痛みが蘇るような気がした。
彼女も今、あの痛みを味わっているのだ。気を失ってしまいそうなほどの強烈な痛みを。
「っ……!?」
どういうわけか、男の手のひらが橙色に光った。燃え盛る炎のようなその光は、五秒も経たないうちに、嘘のように消える。
「マジだ……マジで蜘蛛が俺の身体に移ってる……!」
Tシャツの襟ぐりの下を確認し、左の鎖骨の下に蜘蛛の印を見つけたらしい男は歓喜の声を上げた。
「悪く思うなよ。俺は絶対に生き返るんだ……!」
男はナイフをしまうと、飛び退くようにしてリリーから離れる。そしてオレを一瞥してから、オレたちの進行方向とは逆に走り出した。
「待てっ!」
蜘蛛を取り返さなくては。そう思って男のあとを追おうとする。
「やめてユーキ!」
倒れたままのリリーが発した悲鳴に近い声に、駆け出すつもりの足が引き留められた。
オレは男を追うのをやめ、リリーのもとに歩み寄る。
「……だって、リリーの蜘蛛が」
「いいの。わたしにはあと一匹あるから、それで十分」
――そうか。彼女の身体には二匹の蜘蛛が棲んでいる。消滅を免れるためであれば、一匹いればこと足りるということか。
男のほうも、まさかこんなか弱そうな彼女が二匹も蜘蛛を飼っているとは想像できなかったのだろう。そのおかげでリリーは助かったのだ。
「起きれるか?」
「……ありがと」
リリーに片手を差し伸べると、彼女がその手を取って起き上がった。
「……びっくりした。蜘蛛を奪われるって、あんな感じなんだね」
よほど恐ろしかったのだろう、リリーは笑って言って見せるけれど、その顔は青ざめている。
「ごめん……オレ、何もできなかった」
予測不能な事態に動けなくなってしまった自分が情けなかった。
こうべを垂れて謝るオレを、リリーは責めなかった。ゆっくりと首を横に振る。
「ユーキのせいじゃないよ。わたしがぼんやりしてたから」
ねこちゅーを片腕に抱き留めながら、ブラウスのボタンを下から順に留め直していくリリー。指先が恐怖の余韻で震えていた。
「……ユーキのいうとおり、無理しなければよかったのかも……基地で休んでればよかった。でも……わたし、認めたくなかったの」
言いながら、彼女の双眸には涙が浮かんでいた。
……認めたくない?
「前に、『死神さん』に教えてもらったの。身体が朽ちて消滅しそうな『クリミナル』はどうなっちゃうのかって」
「……うん」
確か『死神さん』は、リリーがサングラスの『スパイダー』につけたあだ名だったっけ。
「現実世界で人間が死ぬときと同じように――衰弱して、起き上がれなくなって、眠り続けながらそのうち呼吸が止まって……そして消えてしまうんだって」
「……まさか」
オレは頭をガツンと殴られたときのような衝撃を受けた。怯えた表情のリリーが小さく頷く。
「わたし……もうすぐ消滅しちゃうんだと思う……」
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