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第19話

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「ユーキ、起きてよ、ユーキ」
「うーん……」
 ゆさゆさと身体を揺さぶられて、無理やり眠りの世界から引きずり出される。
 唸り声を上げたオレは無反応を貫くため、まだ寝ていたいとアピールしてみたけれど無駄だった。両手で両目を擦ったあと、観念して瞼を開ける。
「わっ!」
 小さく叫んだのは、リリーのドアップが視界に入ったからだ。薄茶に緑味のかかった綺麗な瞳がいたずらっぽくオレを覗き込んでいる。
「おはよっ。起きた?」
「お、起きた起きた」
 間近で見るリリーの顔は、まさにフランス人形みたいだった。くるんとカールした長い睫毛に、薔薇色の頬。血色のいいピンクの唇。
 普段の天真爛漫すぎるというか……やかましい雰囲気と違って、少しドキっとした。
 おかげで一発で目覚めることのできたオレは、地べたに座り込んでオレを見下ろすリリーの肩を軽く押して上体を起こした。
「悪い、またオレが一番最後か――と、あれ?」
 見ると、アンとリタさんはまだ眠っているようだ。
「釣りに行こうって約束したでしょ。行こっ」
「行こって……今? 昼間でいいだろ」
 滝の向こう側から覗く景色は、まだ薄暗い。
「えー、もうザクロ飽きたよー。いつ最後の晩餐になるかわからないんだから、一刻も早く捕まえたいじゃない?」
 もう我慢の限界と言わんばかりにリリーが口を尖らせた。
「ねっ、朝ごはんに美味しいお魚が出せるように頑張って釣りに行こっ」
「……仕方ないな」
 これはもう、OKを出さないとおさまらないのだろう。
「ちょっとだけ待ってて」
「はーい」
 オレは欠伸をひとつしてから立ち上がった。顔を洗うために滝のカーテンに向かったのだった。

「ねぇユーキ、あの水で顔洗うの気持ち悪くないの?」
 洞窟を出たオレたちは、血の池に向かって歩き出した。
 今日も今日とて、どんよりとした曇り空だ。もう二度と爽やかな朝なんてやってこないのだろうかと気持ちが沈みそうになる。
「気持ち悪いけど、しょうがないだろ。それしかないんだから」
 血のように赤い水に抵抗がないわけじゃないけど、この世界に綺麗な真水が見当たらない以上は我慢するしかない。
「ってか、リリーは顔洗ったりしないのか?」
「しないよー。実体がないから気分だけの問題でしょ。それに、万が一メイクが落ちたりしたらイヤだから」
「……女はそういう悩みがあるから大変だな」
 なるほど。実体はなくとも、水に濡れると化粧が落ちるという情報や経験があればその通りになってしまう可能性があるということか。男はいちいち気にしなくてもいい分、楽でよかった。
「ホントだよっ。メイクもそうだけど、お洋服やねこちゅーちゃんがこれ以上汚れないように気を付けないと」
 基地にいるときは、綺麗に洗った葉っぱの上にねこちゅーを置いているから問題なかったみたいだけど、こうしで出かける際は持ち歩くことにしているようだ。今も片腕で大事そうに抱えている。
「汚したくないなら、置いてくればよかったじゃないか」
「肌身離さず持っていたいの。言ったでしょ、大切なお友達だって」
「……ああ、そういえば」
 何度か聞いた気がする。それに――
「おにいちゃんがリリーにくれたもの、だっけ?」
「何でユーキがそれを知ってるの?」
 一昨日の記憶を辿りながらオレが訊ねると、彼女が足を止めて訊ねた。
「大男に捕まったとき、そんな風に喚いてただろ」
「……そっか、聞いてたんだ」
 気まずそうに視線を逸らすリリー。どうやら、オレがやりとりを耳にしていたとは知らなかったようだ。
「気になってたんだけど、そのおにいちゃんっていうのは過去の記憶か?」
 彼女もオレと同じ、何かをきっかけにして記憶の断片を得ることができたのだろうか。
「んー……」
 イエスかノーかを答えるだけの問いなのに、彼女は曖昧に唸った。
 ……どうかしたんだろうか?
「ユーキ、あの、これ……アンやリタには黙っててくれる?」
「え?」
 いつもは溌剌としすぎているくらいのリリーの表情が珍しく暗い。彼女は言い辛そうにしながらか細い声で訊ねる。
「――うん、言うなっていうなら、そうするけど」
「……ちょっと来て」
 オレが了承すると、リリーは意を決した様子でオレの腕を強く引っ張った。
「あっ、おいっ」
「いいから。……ついて来て」
 突然何だと問い返したかったけれど、思いつめた風のリリーのなすがまま、早足で歩く。
 もうそろそろ、廃屋がぽつぽつと並ぶ場所に差し掛かるはずだ。
 リリーはそのうちの一つを選ぶと、なかに誰の気配もないことを確認してからオレを招き入れた。
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