上 下
12 / 29

第11話

しおりを挟む
 この地獄という謎の空間で過ごす初めての夜を迎えた。
 洞窟内に点在する篝火を一つに減らすと、周囲を仄かに照らす程度のぼんやりとした明かりに変わる。それは、隠れ家的なバーの雰囲気を連想させた。もっとも、そんなオシャレな場所でないのは明白なのだけれど。
 サバイバルの命綱である火を消すなんて心許なくはないのかと思いきや、『精神世界』を生きているオレたちは暖をとらなければいけないわけではないし、火を利用して飲み水や食事を確保する必要もない。求めているのは『照明』だ。
 翌日、一つ残った篝火を他のそれに移して再び数を増やせばいいし、万が一残りの一つが消えてしまったとしても、アンがジッポライターを持っている。それを使えばいい。

 洞くつの奥から、リタさん、リリー、アン、オレの順に横になっていた。
 リリーとアンは、大きめの葉などを集めてシーツ替わりにしていたようだ。 特に洋服を汚したくないというリリーは、毎日違うものに取り換え、水辺で洗い、よく乾かすという徹底っぷりだ。
 オレとリタさんは手のかかった貴重なそれらを譲り受けて地べたに敷き、仰向けに寝転がる。
 と、早くもリリーのすやすやとした寝息が聞こえてきた。それを追いかけるようにリタの、更にはアンの――と、それぞれさっさと眠りの世界に入っていってしまう。
 片や、睡魔はなかなかオレのもとにやってこない。寧ろ、寝ようと思えば思うほどどんどん目が冴えてくる感じさえする。
 寧ろ、何で他のみんなはそんなに暢気に寝てられるんだろうか。
 リリーとアンは、もう慣れてしまったのかもしれない。「生きて現世に帰る」ということを諦めてしまっているみたいだし、もうどうにでもなれ状態で開き直っているのだとしたら、まあそういうこともあるのか。
 でも、リタさんは?
 リタさんはほぼオレと同じタイミングで此処へやってきた。まだ気持ちの整理なんてついていないはずだ。リリーに誘われ、四人で行動を共にして――やっと一人で考える時間ができたというのに、素直に眠っていて大丈夫なのだろうか。
 ……いや。今は他人の心配をしている余裕なんてないか。『オレが』どうするかを考えていかなければ。
 どうするかって言っても……選択肢は二つしかないんだったな。
 アンやリリーのように蜘蛛集めを諦め、自分の身が朽ちるのを待つか――『蜘蛛の糸』を掴むか。
 『蜘蛛を奪い合い、もとから飼っていた蜘蛛を含め三匹集めることができた「クリミナル」は、現世へ戻ることが出来るって言われている』
 平原で出会ったとき、アンはオレにそう言った。
 オレは首筋の、蜘蛛の模様が浮かんでいる辺りにそっと触れる。
 その話が本当であれば、三匹――つまりあと二人分の蜘蛛を手に入れることができたら、オレは現世に帰ることが出来るのだ。当然、失くした記憶も戻ってくるだろう。
 オレは視線だけアンのほうへ向けた。
 此処にはオレの他に三人いる。全員寝ているし、男のアンから狙いを定めれば、蜘蛛を手に入れることはそこまで難しくないだろう。
 でも、蜘蛛を奪うということは、その相手を消滅させてしまうことを意味する。
 昼間に見掛けた中国系の女の悲痛な叫びが耳にこびり付いて離れない。
 瞑った両瞼に思わず力を込めた。……そんな恐ろしいこと、オレはしたくない、と。
 『どうせ朽ちるなら、ジタバタしたってしょうがないじゃん? だから、蜘蛛を奪い合う連中とは一線引きつつ、お互いを尊重しながら、ひっそりと終わりのときが来るまでを過ごそうって決めたんだ』
 『ね、よかったら、リタとユーキもそうしない?』
 歓迎会のときの会話を思い出しつつ――ならばやっぱり二人の言う通りに、蜘蛛を諦めるべきだろうか、との思いが頭を過る。それなら誰かと争わなくてもいいし、静かな気持ちで死を迎えることができる。
 だけど、それでいいのだろうか?
 後悔しないのだろうか――自分が誰で、どういう罪を犯して此処にやってきたのか。それらをろくに知ることができないまま、その『自分』としての一生を終えるなんて。
 『此処で悔むのよ――あなたのその身が朽ちるまで。犯した罪を、ね』
 能面女が言っていた――そう、これは罰なのだから。でも、自分の罪を知らなければ、悔やむことも、反省することもできないじゃないか。
 本当は、まだ自分が犯罪者だったなんて認めたくはないし、仮にそうだったとしても最期のときくらいは静かに迎えたいと思う。
 けど、それが正しいことなのだろうか?
 オレが罪人で、犯した罪を心から詫びるなら、その記憶が必要だ。
 ならば――どちらにしろ『蜘蛛の糸』を掴む努力は続けないといけないんじゃないだろうか?
 他人を消滅させて、自分が生き長らえるだなんて恐ろしいことだけど……それがこの世界のシステムだというなら、不本意でも従わなければいけないんじゃないだろうか?
 そこまで考えを巡らせて、オレは音を立てないように上半身を起こした。
 頼りない明かりが、寝入る三人の姿をうっすらと照らしている。
 オレは、自分の手のひらを枕代わりに規則正しい呼吸を繰り返すアンを眺めた。
 右も左もわからないオレを、一度ならず二度までも助けてくれたアン。この人から蜘蛛を奪うのはとても気が引けるし、出来ればそんなことはしたくないのだけれど……。
「…………」
 それでも、チャンスは今しかないと思った。
 この先どうなるかはわからないのだ。こうして、無防備なアンと接触する機会はもう訪れないかもしれない。
 なら、此処で奪うしかない。
 彼が蜘蛛に固執していないのが幸いだ。ならばきっと生にも固執していないだろうから。少しだけ罪悪感が薄れる気がする。
 ――早く。今だ。奪ってしまえ。
 頭の中で、もうひとりのオレが囁くように指示をする。オレはごくりと唾を呑むと、ゆっくりと膝立ちの体勢に変える。
 そして、意を決してアンの喉元に、震える手を伸ばした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう

まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥ ***** 僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。 僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...