極上パイロットに甘く身体を搦めとられそうです

ichigo/小日向江麻

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1巻

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 冬が差し迫った十一月の週末。
 私――熊谷くまがいきょうは、馴染なじみの大衆居酒屋の、年季の入った木の引き戸をガラリと開けた。賑やかな話し声に交じり、「いらっしゃい!」と元気のいい女性スタッフの声が耳に飛び込んでくる。

「予約してる熊谷です」
「はーい! お連れさまもういらっしゃってます! 上の奥の個室ですね」

 自分の名前を告げると、別の席へ料理を運んでいる途中だったらしい彼女が、入り口すぐ横の階段を示して言った。
 その先に二階席があることを、常連の私は知っている。
 お礼を告げ、ギシギシときしむ階段をテンポよく上がっていく。その先の細い通路を行き止まりまで進み、扉代わりのすだれまくった。

「やっぱりかみだったかぁ」

 一足先に、四人掛けのテーブル席にかけていたその人物――氷上あおいの顔を見て、私は笑い交じりに言った。

「俺も次に来るのは熊谷かなって思ってた」

 彼のほうも私を見るなりふっと表情を緩ませて微笑ほほえむ。私は彼の正面の席に移動すると、トートバッグを椅子の背もたれに置いて座った。

「いつものパターンだもんね。私たちが早めに着いて、すずむらどころが遅刻スレスレっていうの」
「田所に至っては、大遅刻っていうのも十分にあり得るしな」
「仕事とかちゃんとやれてんのかな。たまに本気で心配になる」
「わかる。ま、要領はいいからなんとかなってるんだろ」

 席は十九時からの予約だ。スマホを見ると、待ち受けには十八時五十七分、と表示されている。これからやってくるだろうふたりの話をしながら、私たちは声を立てて笑い合った。
 私と氷上、そして鈴村と田所は高校の同級生で、もう付き合いは十年以上になる。
 高校卒業後、それぞれ違う大学や専門学校に進学しても付き合いは続き、日々他愛のない連絡を取り合いつつ、最低でも半年に一度は顔を合わせてお酒を飲む関係だ。
 私以外の三人は男性だけど、グループ内で自分だけが異性であると意識する場面はほぼない。
 というのも、私自身が元来、単純でうそがつけない性格ということもあって、本音と建て前のある女性同士の友人関係に悩むことが多かった。加えて趣味こうなども女性よりも男性と合致することが多く、話が盛り上がりやすいのだ。
 もちろん女友達もゼロではないけれど、男友達には気を遣わなくていい分気が楽。取り分け、氷上たち三人の前では自然体でいられて、居心地がいい。

「なんだかんだ久しぶりだね、四人で飲むの」

 直近で集まったときには桜が咲いていた気がする。そのときの光景を思い出して口にすると、氷上は首をひねりながら笑った。

「って言っても、熊谷とは定期的に会ってるし、全然久しぶりって感じではないよな」
「私たちふたりはそうだよね。なんなら三週間前も会ってるか。ほら、映画観に」

 三人のなかでも、氷上とは特に仲がいい。彼とは好きなものや面白いと思うコンテンツが似通っているので、個人的に誘い合って出かけることも多いのだ。
 社会人になると、特定の友人と頻繁に会う機会がぐっと減る。にもかかわらず、なんだかんだ月に一度は会っている計算になる。
 いわゆる『親友』になるのだろう。お互いに言葉で確認したことはないけれど、私はそう思っている。

「……だから新鮮味に欠けるなぁ、とか考えてる?」

 まさか不満に思っているわけじゃないよね。そんな意思を込めてジト目で見つめてみると、氷上は「その目」とおかしそうに噴き出して緩く首を横に振った。

「そんなこと一言も言ってないだろ」
「顔に書いてある気がして」
「被害妄想だ」

 なおも同じ目で氷上を凝視し続けてると、彼の笑いのツボに入ったらしい。「やめろ」と言いながら、喉奥を鳴らして楽しそうに笑っている。
 ――氷上って、本当にきれいな顔をしているよね。
 彼の笑顔を眺めつつ、本人には気恥ずかしくて絶対に言えない言葉を、心のなかでしみじみとつぶやく。
 彼の容姿のよさは、高校のころから光っていた。
 ただでさえ身長は百八十センチを超えていて目立つのに、とにかく顔がイイのだ。真っ直ぐ伸びた凛々りりしい眉に、くっきりとした二重ふたえの目、スッと伸びた鼻筋、薄めの形のいい唇。それらが、まるで芸能人みたいにキュッとした小顔にバランスよく配置されている。センターパートのマッシュウルフヘアも、緩くかかったパーマのニュアンスがセクシーで素敵だ。
 スタイルだってよくて、手足が長い。今日も白いニットを膨張感なくサラッと着こなしている。
 そういえば氷上は昔から白がよく似合っていたな、と、高校時代を思い出す。夏服のワイシャツのとおった白さは、彼のさわやかなイメージを際立たせていたっけ。

「――でもまぁ、四人でってなってくると、予定も合わせづらくなるよな」

 知らず知らずのうちに氷上に見とれていると、彼が話題を巻き戻した。

「私はいわゆる普通の会社員だから、土日はけっこう頑張れるけどさ」

 保育園の運営会社で事務職をしている私は、よほどのことがない限り残業もなく、有休も取りやすい。
 それに比べて――

「氷上の仕事はハードそうだよね」
「勤務中は、まあそうだな」

 たぐいまれな優れた容姿を持つこの男の仕事は、なんと航空会社のパイロット。少し前、副操縦士になったと聞いた。
 あまり航空会社のあれこれには詳しくないけれど、勉強のできた氷上は一流私大を卒業したあと航空大学校というパイロット養成機関に入学。卒業時に資格を得て、『航空』という日本を代表する大手航空会社に就職した。本人いわく、ここまではかなり順調なペースで来ているらしい。
 神さまは残酷だ。世のなかに、こんな不公平を作るだなんて。
 ルックスも頭もいい上に、パイロットだなんて誰もがうらやむ華々しい職業に就くとは、私が同じ男だったら絶対にひがんでしまう。

「いちばん最近はどこに行った?」
「クアラルンプール。マレーシアな」
「それってどれくらいかかるの?」

 海外旅行に憧れはあるけれど、実は日本国内を出たことがない私は、目的地までのだいたいの時間を想像するのが難しい。

「成田から直行で七、八時間」
「けっこうかかるんだ。……いいなぁ。私も東南アジア旅行したい」

 だいたい一般的な会社員の勤務時間と同じくらいか。
 かなり長時間に思えるけれど、氷上によれば、旅客機の座席には暇をつぶせるアイテムもあるし、食事などの機内サービスも充実していて、きゅうくつななりに快適とのこと。時間とお金があったら、ぜひ乗ってみたいものだ。

「俺は仕事しに行ってるんだけど」
「そうだった」

 すかさず突っ込みが入ったので、私は「あはは」と声を立てて笑った。

「ねぇ、今度マレーシア行ったとき、お土産買ってきてよ。旅行した気分だけ味わうから」

 東南アジアのなかでマレーシアにはこれという印象がなかった私は、いい機会だとばかりにねだってみる。

「お前な、仕事で行ってるって言ったろ」
「でも空港ウロウロしてるわけだから、お土産買う時間くらいはあるでしょ」
「不審者みたいに言うなよ。……まあ、空き時間はあるけど」
「え、買ってきてくれる感じ? やった、ラッキー! パイロットさまに敬礼」

 無茶ぶりにこたえようとしてくれるところが氷上だ。私がよろこびの声を上げて敬礼のしぐさをすると、彼は「なんだそれ」とおかしそうに笑う。
 ……でも本当、氷上はすごいな。高校のころは一緒にふざけてバカやったりしていたのに、いつの間にか大勢の乗客の安全をになう仕事に就いているんだから。
 未だに、それを不思議に思うときがある。
 彼が別世界の住人になってしまったようでちょっと寂しく思っていると、氷上が「でも」と首をひねりながら口を開いた。

「――さっきの話で言うと、予定に関しては俺は合わせやすいほうだと思うんだよ。月間の飛行時間って決まってるから、稼働日数で言うと二週間とか、下手すると十日くらいになる月もあるし」
「確かに氷上って意外と空いてる日、多いよね。乗ってないときは休みってこと?」
「もちろんイレギュラーの出勤を頼まれたりする場合はあるけど、基本的には」

 なるほど。じゃあフルタイムの会社員よりは空き時間が多い、という話になるのか。
 言われてみれば、鈴村や田所からは「平日の十八時半とかで飲み会を組まれるのはツラいって」とボヤかれがちだけど、氷上からは聞いたことがなかったかも。

「まあでも、一回一回のフライトにそれだけ神経使ってるってことだもんね」

 月間の飛行時間が定められているのは、それだけ負荷が大きいからなんじゃないだろうか。だから安易に「勤務時間が短いからうらやましい」とは言えない。その重責ゆえ、きっと、私の知らない苦労をいくつも抱えているに違いない。

「――私の仕事はさ、悲しいけど、正直誰でも代わりが利いちゃうっていうか。氷上みたいに、選ばれし者しかできない業務と違うから。本当、いつも尊敬するよ」

 私は小さくため息を吐きながらつぶやいた。半分冗談で、半分本気の
 事務の仕事は、他の仕事に比べればアクシデントは起きにくい。波風立たないよう、淡々と仕事をこなしたいと常々思っている私には向いている業務だけれど、華々しい氷上の仕事と比較すると、わかりやすい達成感ややりがいはないのかもしれない。

「選ばれし者って、伝説の勇者かよ」
「それに近いものはあるよ」

 彼は笑い飛ばしているけど、容姿もステータスも完璧な氷上は、自身がいかに希少な人種であるか、自覚がないのだろうか。

「そういう訓練を積んだだけだよ。てか、誰でも代わりが利くとか、そんなことないと思うけどな」

 この男は謙虚なところがまた憎らしい。みんながうらやむ要素をすべて持っているにもかかわらず、それをひけらかしたり、偉ぶったりするような真似は昔から絶対にしないのだ。
 それから、氷上は私の目をじっと見つめた。それまでよりも幾分真剣なまなざしを向けられてドキッとする。

「俺は熊谷の仕事、ざっくりしか知らないから詳細まではわからないけど……熊谷なりに、仕事がスムーズに回るためにかけてる手間とか、気配りとかがあるはずだろ。そういうのって代わりが利きにくいし、けっこう大事なところなんじゃない?」

 彼に指摘されてハッとした。……思い当たるふしがあったからだ。
 私自身も、系列の保育園のなかで仕事がやりやすい園長、やりにくい園長というのがいる。やりやすいと思うのは、周囲に対する気配りや配慮にけている人だ。彼女たちの背中を見て、自分も同じように思われる人間でありたいと思い、園への連絡や報告は細かくマメに伝えたり、書類等の進捗が遅れていそうな園長の仕事を率先して手伝ったりしている。
 これだって、最初からできたわけじゃなかったことを忘れていた。
 すぐに代わりが利く仕事なんて、実はそこまで多くないのかもしれないな。

「……ありがと」

 私は小さな声でお礼を言った。きちんと告げるのは、なんとなく気恥ずかしかったから。
 氷上は薄く笑んで首を横に振る。
 彼のこういう、さりげない優しさが好きだ。オーバーにならない程度に鼓舞しながら的確なアドバイスをくれる。私の胸には心地よく響いたし、楽になった。

「久しぶりー」

 そのとき、個室のすだれが勢いよくまくられた。
 グレージュ色の明るいカラーのヘアが目立つ、鈴村りゅうだ。美容師をしている彼は、スーツではなく上下黒のセットアップと白いスニーカーというスタイリッシュな格好でやってきた。

「おつかれ~!」

 その後ろから顔を出したのが、鈴村よりも頭ひとつ分背の高い田所きょうすけ。ネイビーのスーツに、同色系のレジメンタルストライプのネクタイを合わせている彼は健康食品の営業マンだ。清潔感のあるツーブロックヘア。整髪料でセットした前髪には、この時期だというのにうっすら汗がにじんでいる。
 ふたりは同じタイミングでやってきた。

「――おっ、ぴったり十九時。遅れてないからOKだよな」

 田所はスーツのポケットからスマホを取り出し、はぁはぁと息を切らしながら時刻を確認する。

「なんで田所、息切れてるの?」
「コイツ、めちゃくちゃ走ってきたから」

 私が鈴村にたずねると、鈴村は田所を指差したあと、両手を振って走る真似をしてみせた。

「やっぱ遅刻しそうになってるじゃん」
「言うて間に合ってるし。てか、鈴村と同時だし」

 氷上が噴き出すと、田所が不服そうに反論した。

「俺はオンタイムに着くように計算してるから。お前はだいぶあやうかったろ」

 一緒にするなとばかりに鈴村がさらに言い返す。
 私と氷上からすればどうでもいいことなのだけど、毎回似たようなやり取りがあるのを見るに、本人たちにとっては重要な問題なのかもしれない。

「まずは乾杯しよう、乾杯」

 私は肩で息をする田所と鈴村に席に座るよううながしつつ、ファーストドリンクをオーダーすることにした。


 四人で集まるときはこの店か、この周辺にある焼肉店が定番になっている。今日は田所が「飲みたい気分」とメッセージを入れていたので、この居酒屋に決まったわけだ。
 最初の話題は田所の「飲みたい気分」について。合コンで知り合った女の子といい感じになっていたのに、突然連絡が途絶えたとか。ようは失恋してヤケ酒したかったらしい。
「もうだめだ」「生きる気力を失った」とネガティブ発言を連発していた田所だけど、鈴村の「俺の知り合いの女の子、紹介するよ」の一言によって瞳が輝き出したのには笑った。生きる気力を取り戻したようでなによりだ。

「しかし氷上ってマジですごいよな。イケメンの上にいい大学出て、パイロットになって、もう副操縦士に昇格か……あぁ、こんな不平等が許されていいのか」
「はいはい、どーも。その話、三回目だぞ」

 失恋話でビールが進んだ田所はさっきからずっと、となりの席の選ばれし者・氷上に絡んでいる。氷上は軽く受け流しつつも、若干面倒くさそうな様子だ。

「そういや、氷上はなんでパイロットになろうと思ったわけ?」

 氷上と同様に話題のループにうんざりしていたのが、私の横でちびちびとハイボールを飲んでいた鈴村だ。ふと思いついたようにたずねると、氷上は手にしていたビールジョッキを机に置いて、ちょっと考えるようなしぐさをしてから口を開く。

「月並みな理由だけど……昔から空を飛ぶ仕事に憧れがあったんだよな。それでも一度はそのまま別の業種で就職しようかなとも考えたんだけど、人生一度きりだし。せっかくならチャレンジしてみようって決めたんだ」
「子どものころからの夢を叶えたってことか」

 鈴村の言葉に氷上がうなずく。
 ――すごいなぁ。私も子どものころはいくつか夢を持っていたけど、夢は夢で、それを叶えようってところまでは考えなかった。氷上はそれをきちんと実現させたんだ。
 ビールの苦みを味わいながら感心していると、話を聞いていた田所が「かー」とおじさんっぽくうなった。

「お前みたいなド級のイケメンが言うと破壊力ヤバいな。『人生一度きりだし、せっかくならチャレンジしてみようって決めたんだ』……オレが女なら確実にれてるわ」

 わざわざ氷上の言い方を真似る田所を、私と鈴村が「似てない」と突っ込みを入れ面白がる。

「別に女じゃなくても、れてくれていいんだけど」
「やめろよ、オレそっちの趣味じゃねーわ」

 氷上が軽口を叩くと、田所はぶるぶると震えるそぶりを見せて首を横に振った。

「気が合うな、俺もだ」

 にっこりと微笑ほほえみつつ田所に断言する氷上。その応酬に、私と鈴村は声を立てて笑った。

「――あ、あと……」

 言い忘れた。――そんな雰囲気で、氷上がなにかを言いかけて、視線をこちらに向ける。

「……いやなんでもない」

 口からこぼれかけた言葉を、彼はどうしてか引っ込めてしまった。そしてなにごともなかったかのように、ビールをあおる。
 ……? 今一瞬、こっちを見たような……? 気のせい?

「高校のときでさえ女子人気すごかったからな。パイロットになった今、さらにモテてるだろ」
「そんなことない」

 なんだろうと考えているうちに、田所が再び氷上に絡んだ。氷上が苦笑すると、田所は眉をひそめて氷上を指差す。

「うそつけ。お前、高二のバレンタインのときだって『全然もらってない』とか言っといて、でっかい紙袋に入れてチョコ持って帰ってただろ。それ以来、オレはお前を信用しないことにしてる」
「あーそんなことあったな~。休み時間のたびにいろんな女の子が来てたよな。俺ら、次に来る子の髪が長いか短いか当てるゲームやってなかったっけ」
「しょうもないことしてるなぁ」

 いい思い出風に語る鈴村に、私は苦笑した。
 確かにそんなゲームが成立してしまうくらい、ひっきりなしに氷上を訪ねてくる女子がいた。にしても、不謹慎な遊びだ。

「……てか、そうか。氷上には熊谷がいるもんな」

 すると突然、ビールジョッキをドンと机に置いた田所が、合点がいったと言いたげに両手を叩いた。

「なんの話よ?」
「お前ら今でもけっこう頻繁に遊びに行ってるんだろ? ふたりで」

 当時から私と氷上はふたりで行動することも多く、それはもちろん鈴村や田所の知るところだ。社会人になって以降も、四人のメッセージグループ内で氷上と出かけたことを、特別に隠し立てすることなく話題にしている。

「だってそれは、氷上とは趣味が合うから」

 言い訳っぽくなってしまうのは――私の心の内側にずっと存在する、誰にも告げたことのない、ある想いを悟られないようにするためだ。

「氷上、今、付き合ってる子いるの?」
「いないよ」

 四杯目のビールで早くも田所の目はわっている。彼の問いかけに、氷上は短く答えた。

「熊谷は?」
「い……いないけど。それがどうかしたの?」

 なんとなくいやな予感を覚えつつ返事をすると、田所はものすごい発明をしたみたいな誇らしい顔で、こう言い放った。

「なら付き合っちゃえばいいじゃん!」

 予感は当たった。
 とはいえ、十年来の付き合いの仲間から、まさかそんな提案をされるとは思っていなかったのですぐには反応できない。私はただ、田所が得意げに立てている人差し指を凝視することしかできないでいた。

「鈴村もそう思わん?」
「確かにさ、はたから見てるとお前ら夫婦みあるんだよね。長年連れ添って気心知れてる感じの」
「そうそう!」

 私が固まっている隙に、田所は鈴村に話を振って盛り上がっている。
 ――この流れはまずい。どうにか、話題を変えないと!

「ちょ、ちょっと、勝手に決めないでよ。私と氷上はそんなんじゃないから!」

 思うより先に、強めの否定が口から飛び出た。そうでなければ、氷上との関係を根掘り葉掘り突かれそうで怖かったのだ。

「そうだよ。熊谷だけは絶対にないから」

 次の瞬間、氷上の口から冷静に放たれた言葉に、後頭部をバットで思いっきり叩かれた心持ちになる。

「氷上お前、そんなはっきり言う~?」
「じゃないと田所は延々と言い続けそうだからな」

 楽しげな田所と困惑気味の氷上の会話が、ずいぶん遠いところで交わされているように思えた。まるで扉を一枚へだてているかのように、くぐもって聞こえる。
 ――私だけは絶対にない、か。
 ……予想はしていたけど、実際に言葉にして言われるとなかなかこたえるなぁ……

「熊谷も同じ感じ?」

 鈴村にたずねられて、私は慌ててうなずく。

「そ、そうそうっ。氷上とはそういうところも気が合うなぁ! わ……私も、氷上だけはないから安心してっ」

 動揺を悟られないようにしなければ。私は極力明るい口調でそう言った。
 対面の氷上の顔が見られない。その横の田所の顔に視線を向け無理やり笑顔を作ったのだった。


 以降、その飲み会の記憶は、田所のお酒に酔った赤い顔しかない。氷上に恋愛への発展の可能性を全否定されたのが、想像していた以上にショックだったらしい。
 実際、帰り道ではあのときの氷上の台詞せりふばかりが頭のなかをぐるぐると回った。
 ――そっか。私だけは絶対にないのか。……私だけは。
 高校のころからずっと、私は氷上とたくさんのものを共有してきた――つもりだった。
 おすすめの推理小説。ミステリー・サスペンスの映画やドラマ。少年漫画。ロックバンド。ほかにもたくさん。
 私のお気に入りを紹介して好きになってくれるのがうれしかったし、氷上のほうからも「熊谷が好きそうだったから」と私の知らないものやことを教えてもらえるのがありがたかった。
 ふたりでいくつもの「楽しい」や「共感」を味わううちに、氷上のさりげない優しさや思いやりにときめくことも多かった。
 例えば高校二年の秋、当時お互いが大好きだった人気バンドのチケットを苦労して私の分まで押さえてくれたとか。
 高校三年の冬、ふたりが好きな推理作家の新作が出たとき、氷上は推薦で大学が決まっていたから時間がたくさんあったにもかかわらず「一緒に犯人を当てたいから、熊谷が受験終わるまで俺も待つよ」と言ってくれたとか。
 氷上がどんな男性かを説明するとき、多くの人はまず彼の容姿を称賛するだろう。そしてステータス。一流大卒のパイロットというだけでも、社会的信用度はかなり高くなる。
 そんな顔やステータスも氷上の魅力のひとつではあるけれど、私には彼の優しさや思いやり、感性や波長なども含めて、すべてが同じように素敵だと感じられる。
 彼のことを、いつの間にか……好きになってしまっていた。
 自覚したのは大学に入学してすぐだ。進学先が別々だったから、どうしてもそれまでより会ったり連絡を取り合ったりする時間が減ってしまった。
 次に会ったとき、この本を紹介しよう。この映画を一緒に観に行こう。この曲を聴いてもらおう。


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