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豪奢な神官服を纏い邸宅を訪れたのは、明らかに階級が高そうな神官だった。
事前に神官が話を聞きに来るとは聞いていたが、こういう使い走りみたいなことは下級神官あたりの仕事だと思っていたアリーシアは少し驚く。
隣に座っているローレンツは当然のことのように受け止めていて、さらにいえば、正面に座っている神官はどこかひきつった笑みを浮かべていた。
「ええと……それでは少し話を伺いたく思いますが……伯爵様は少し席を外していただいてもよろしいですか?」
「それは無理だ。なにせ、この件には俺も深くかかわっている。彼女にはすべて聞いているので今さら何も隠すことはない」
「しかしながら、夫婦関係というものは他人には分からないことも多いモノでして……」
「それこそ、だったらお前も他人で人の家庭事情に首を突っ込む不届きものだな」
「私は神官です。公平な信徒として、客観的に判断を下す立場です」
「金の亡者が面白い事を言ってくれる。大神官自ら出向いて来るとは、寄付金を多く支払ったかいがあったというものだ」
皮肉気にローレンツは笑う。
その横でアリーシアはハラハラしていた。
まるで喧嘩を売るような口調に、止めた方がいいのか、それとも止めない方がいいのか分からない。
「伯爵閣下……我々は敵対関係ではありません。私は、我が神殿が祝福を行った夫婦がこのように些細なすれ違いから仲たがいしてしまい、最悪な結果を導き出し歩きだす前になんとかしたいと考えているんです。この事前の話会いもそのためのものです」
「形式的なモノだが、金の力でいくらでも買えられることくらい、子供だって知っているがな」
「このような得るものなき討論は止めましょう、伯爵閣下。当初の目的に移るほうがお互い建設的ではありませんか?」
辛抱強い大神官が、ローレンツの皮肉を終わらせた。
ローレンツの方もそれ以上何か言う事もなく、ふんと鼻息荒く返すだけにとどまった。
「さて、早速ではありますが、あなた様のご夫君より離婚訴訟が提示されました。この離婚理由は正しいものでしょうか?」
色々遠回しに書かれてはいるが、ようはアリーシアが当主を侮辱し浮気をしたという事が書かれている。
もちろん、アリーシアはそのような事は一切していない。
「馬鹿馬鹿しいことが書かれていて面白いものだな」
「伯爵閣下、この嫌疑に関してはあなた様も関わっていることをご存じですか?」
「もちろん。どこかのアホどもとは違うんでな」
「では、このような状況になっている一旦は伯爵閣下にもあるとお認めに?」
「多少は。ただし、俺は彼女に指一本触れていないことは誓う。保護しただけだ」
ローレンツはさらりと嘘を吐きながら、真実を語る。
「俺が彼女を保護したときは、虫の息だった。いつ死んでもおかしくないほどの暴力痕があり、ここまで回復するのにかなりの時間も要した。今だって完治したとは言い難い。医師の診断書は提出したはずだが?」
「確かに、提出されています。とても痛ましい事件ではありますが、彼女のご夫君からのお話では、そもそも全ての原因はご婦人の浮気であり、それが発覚し逃げ出した結果、痛ましい事件に巻き込まれたのだとおっしゃっております」
「証拠もないのに、全くひどい話だ」
「証拠? 私の目から見ても、どうやらご婦人は伯爵閣下にとても大事にされているようにお見受けします。とても、赤の他人で保護しただけの存在には見えないのですが……」
アリーシアはその含みのある言い方に、ぎゅっと机の下で手を握った。
そうではないと言ったところで、結局証拠は互いにない状態。
印象だけで決めつけられてしまう事はどうにもできない。
しかし、ローレンツは大丈夫だと言うように、そっとアリーシアの手に自分の手を重ねた。
「俺は下賤な生まれだと散々蔑まされては生きたが、どうやらお前たちも下劣な考えしかないようだ。公平と謳いながら、自分の見た印象だけで決めつけるとは嘆かわしい限りだ」
「伯爵閣下、お言葉が過ぎるようですが?」
「ふん、どうだか。それで? まだこの話を続ける気か?」
論戦では勝ち目がないと思ったのか、大神官が息を一つ吐く。
「では、話をまとめますと、怪我をしたご婦人を伯爵閣下がお助けになった、そういう事でよろしいか?」
「よろしいな。ついでに言えば、彼女と会ったのはその時初めてだ。それ以前から関係があったはずだとたくましい想像に関心するが、そもそも俺はつい最近まで戦場と王都を行ったり来たりだ。そんな中で彼女と知り合う時間は皆無だ。きっと国王陛下も王太子殿下もその点については保証してくださることだろう」
二人の名前を出せば、大神官は押し黙る。
ローレンツの言葉を吟味しているように見えるが、どちらに付いた方がより有利かと考えているようにも見えた。
「結構です。伯爵閣下が何もかも話して下さっているのですが、ご婦人は何か言いたい事ありますか?」
そこか投げやりな発言だ。
アリーシアはローレンツのただの操り人形だとでも思っている。
きっと、ここでアリーシアの意見は聞いていないだろう。
しかし、アリーシアはそれに対し、ずっと考えていたことを口にした。
それは、口にすれば名誉も何もかも地に落ちる言葉かも知れない言葉。
ただ少なくとも、これでローレンツがアリーシアと関係を持っていないことが証明できるから。
「わたくしは、白い結婚による婚姻関係の白紙を求めたいと思います」
その瞬間のローレンツは、今まで一番衝撃を受けたような顔をしていた。
事前に神官が話を聞きに来るとは聞いていたが、こういう使い走りみたいなことは下級神官あたりの仕事だと思っていたアリーシアは少し驚く。
隣に座っているローレンツは当然のことのように受け止めていて、さらにいえば、正面に座っている神官はどこかひきつった笑みを浮かべていた。
「ええと……それでは少し話を伺いたく思いますが……伯爵様は少し席を外していただいてもよろしいですか?」
「それは無理だ。なにせ、この件には俺も深くかかわっている。彼女にはすべて聞いているので今さら何も隠すことはない」
「しかしながら、夫婦関係というものは他人には分からないことも多いモノでして……」
「それこそ、だったらお前も他人で人の家庭事情に首を突っ込む不届きものだな」
「私は神官です。公平な信徒として、客観的に判断を下す立場です」
「金の亡者が面白い事を言ってくれる。大神官自ら出向いて来るとは、寄付金を多く支払ったかいがあったというものだ」
皮肉気にローレンツは笑う。
その横でアリーシアはハラハラしていた。
まるで喧嘩を売るような口調に、止めた方がいいのか、それとも止めない方がいいのか分からない。
「伯爵閣下……我々は敵対関係ではありません。私は、我が神殿が祝福を行った夫婦がこのように些細なすれ違いから仲たがいしてしまい、最悪な結果を導き出し歩きだす前になんとかしたいと考えているんです。この事前の話会いもそのためのものです」
「形式的なモノだが、金の力でいくらでも買えられることくらい、子供だって知っているがな」
「このような得るものなき討論は止めましょう、伯爵閣下。当初の目的に移るほうがお互い建設的ではありませんか?」
辛抱強い大神官が、ローレンツの皮肉を終わらせた。
ローレンツの方もそれ以上何か言う事もなく、ふんと鼻息荒く返すだけにとどまった。
「さて、早速ではありますが、あなた様のご夫君より離婚訴訟が提示されました。この離婚理由は正しいものでしょうか?」
色々遠回しに書かれてはいるが、ようはアリーシアが当主を侮辱し浮気をしたという事が書かれている。
もちろん、アリーシアはそのような事は一切していない。
「馬鹿馬鹿しいことが書かれていて面白いものだな」
「伯爵閣下、この嫌疑に関してはあなた様も関わっていることをご存じですか?」
「もちろん。どこかのアホどもとは違うんでな」
「では、このような状況になっている一旦は伯爵閣下にもあるとお認めに?」
「多少は。ただし、俺は彼女に指一本触れていないことは誓う。保護しただけだ」
ローレンツはさらりと嘘を吐きながら、真実を語る。
「俺が彼女を保護したときは、虫の息だった。いつ死んでもおかしくないほどの暴力痕があり、ここまで回復するのにかなりの時間も要した。今だって完治したとは言い難い。医師の診断書は提出したはずだが?」
「確かに、提出されています。とても痛ましい事件ではありますが、彼女のご夫君からのお話では、そもそも全ての原因はご婦人の浮気であり、それが発覚し逃げ出した結果、痛ましい事件に巻き込まれたのだとおっしゃっております」
「証拠もないのに、全くひどい話だ」
「証拠? 私の目から見ても、どうやらご婦人は伯爵閣下にとても大事にされているようにお見受けします。とても、赤の他人で保護しただけの存在には見えないのですが……」
アリーシアはその含みのある言い方に、ぎゅっと机の下で手を握った。
そうではないと言ったところで、結局証拠は互いにない状態。
印象だけで決めつけられてしまう事はどうにもできない。
しかし、ローレンツは大丈夫だと言うように、そっとアリーシアの手に自分の手を重ねた。
「俺は下賤な生まれだと散々蔑まされては生きたが、どうやらお前たちも下劣な考えしかないようだ。公平と謳いながら、自分の見た印象だけで決めつけるとは嘆かわしい限りだ」
「伯爵閣下、お言葉が過ぎるようですが?」
「ふん、どうだか。それで? まだこの話を続ける気か?」
論戦では勝ち目がないと思ったのか、大神官が息を一つ吐く。
「では、話をまとめますと、怪我をしたご婦人を伯爵閣下がお助けになった、そういう事でよろしいか?」
「よろしいな。ついでに言えば、彼女と会ったのはその時初めてだ。それ以前から関係があったはずだとたくましい想像に関心するが、そもそも俺はつい最近まで戦場と王都を行ったり来たりだ。そんな中で彼女と知り合う時間は皆無だ。きっと国王陛下も王太子殿下もその点については保証してくださることだろう」
二人の名前を出せば、大神官は押し黙る。
ローレンツの言葉を吟味しているように見えるが、どちらに付いた方がより有利かと考えているようにも見えた。
「結構です。伯爵閣下が何もかも話して下さっているのですが、ご婦人は何か言いたい事ありますか?」
そこか投げやりな発言だ。
アリーシアはローレンツのただの操り人形だとでも思っている。
きっと、ここでアリーシアの意見は聞いていないだろう。
しかし、アリーシアはそれに対し、ずっと考えていたことを口にした。
それは、口にすれば名誉も何もかも地に落ちる言葉かも知れない言葉。
ただ少なくとも、これでローレンツがアリーシアと関係を持っていないことが証明できるから。
「わたくしは、白い結婚による婚姻関係の白紙を求めたいと思います」
その瞬間のローレンツは、今まで一番衝撃を受けたような顔をしていた。
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