冷遇された妻は愛を求める

チカフジ ユキ

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 ローレンツに助けられて、あれから一月ほどたった。
 日々穏やかにこの邸宅で養われているアリーシアはここ最近特に心苦しくなってきた。

 当初は身体を動かす事すら困難で、声を出すことも出来ないほど身体が傷つき疲弊していた。
 さらには栄養不足のせいで傷の治りが遅く、度々熱も出していたが、献身的にアリスが介護してくれているおかげか、違和感なく――とまではいかないが、歩いて散歩に行けるほどにはなっていた。

 当初医師の話では、身体中殴られ蹴られた打撲と一番ひどいのが肋骨の骨折で、治るのには数か月かかるとの話だったが、どうやらアリーシアはここでの生活のおかげかかなり順調に治ってきているらしい。
 そうなると、今まで避けてきた話題が心を占める。

 ローレンツはアリーシアにこれまでのことを聞いてこない。
 おそらく、すでに自分がどこの誰なのか分かっているのにも関わらずだ。

 しかも世間の噂話も一切ここには届かず、自分がどういう扱いになっているのか全く分からない。
 あのヘンリーの事だ、きっと騒ぎ立てているに違いないのに。
 しかも離婚するとも言っていた。
 離婚理由のすべての原因がアリーシアにあるように見せかけて。

 通常貴族の離婚にはかなりの時間がかかる。
 お互いにそれが事実かどうか神官が確認していき、最終的には大神官が判断するが、離婚手続きを踏みたくとも、その片割れのアリーシアがここにいるのだからそう簡単ではないはずだ。

 あの晩のことはアリーシアの記憶もどこかあいまいで、どこから真実で、どこから夢なのか分からない。
 分からないからこそ、怖いのだ。

 そして、ここの邸宅の使用人が優しくアリーシアを守ってくれている事実にも申し訳なさが先に来る。
 遠慮はするなと当主のローレンツに言われていても、アリーシアのような厄介者がローレンツに側にいるのは、彼のためにもならない。

 出来るだけ早く、ここを去ると伝えなければならないのに、その話題を避けている。
 おそらくそれはローレンツも。

 彼のような人がアリーシアをここに置いておく理由はきっと何かあるのだろうが、皆目見当もつかない。

 しかも、毎日のように様子を見に来る。
 暇ではないはずなのに、必ずたわいもない話をしていくのだ。
 しかし、大体がこの邸宅の事や使用人の事。今日の天気や、外に咲いている花の事など、重要な話はしていかない。
 ここまで徹底されるとそれが意図している事なのだとアリーシアにだって分かる。

 だから、アリーシアは今日言うつもりだった。
 
 出来るだけ早くここを出る事を。
 その時にきちんと自分の事を話そうと。

 本当は声がきちんと出るようになってから、正式に挨拶するつもりだった。
 しかし、色々と機会を逃してしまっていた。
 でもそれはただの言い訳だ。

 いつの間にか『シア』と呼ばれ親しくなるにつれ、ここにいたいという甘えた気持ちが芽生えてきていたのだ。
 
 優しい人だから、アリーシアが望めばいつまでだっておいてくれるかもしれないが、彼だって貴族に、しかも侯爵になるのならいづれ結婚する必要性がある。
 しかも平民から貴族になったのなら、きっと国王陛下だってそれなりに考えがある可能性が高い。
 社交界で、そして国の重鎮として重用していくのなら、しっかりした後ろ盾のある女性が好ましい。
 
 少なくともアリーシアのような人間はふさわしくない。

 そして、結婚するとなるとアリーシアは邪魔になる。
 相手の女性はいい顔をしない。
 むしろ邪魔者だ。

 助けてくれた人を悪者にしないように、早くここを立ち去る事こそが恩返しの一貫にもなる。

 そう考えて、アリーシアは傷の治りを癒すことに専念してきた。

 そして、ローレンツは今日もアリーシアに会いに来た。
 今日のアリーシアは、散歩がてら庭園に来ている。

 もうだいぶ治った事をアピールするにはちょうど良かった。

「同席しても構わないか?」
「ええ、もちろんです」

 東屋でお茶を飲んでいたアリーシアにローレンツが許可を求めてきた。
 もとよりここは彼の持ち物だ。
 断ることはしない。

 しばらくはゆっくりお茶を飲み、のんびり会話を楽しむ。
 その後なんとなく言葉が途切れ、それを待っていたかのように、アリーシアがまっすぐローレンツを見た。
 ローレンツも何かを感じたように、お茶のカップを置く。

「ローレンツ様、わたくしだいぶ良くなりましたので、近々ここを出ようと思います。婚家にはさすがに戻れませんが、とりあえず実家に身を寄せようかと」

 きっと引きとめられることはない。
 成り行きで助けただけの女なのだから。
 しかし、ローレンツはどこか不満げに急に席を立った。

「あ、あの!」

 何か気分を害したかと焦るも、アリーシアは真っ当な事を言っただけで、失礼な事をいったつもりはない。
 そもそも、身内でもない女性をずっと面倒みている事こそが不自然だ。
 もちろん、相応の礼ができればいいのだが、今のアリーシアには無理だった。

「あの! もちろん落ち着きましたら、相応のお礼は致します。口約束では信用がないかと思いますが……」

 そう言葉を重ねたアリーシアを不愉快気に見て、一言ローレンツは言った。

「しばらくは部屋から出ることも禁ずる。分かったな」
「えっ!?」
「アリス、彼女はまだ完全に回復はしていないようだ。しばらくは部屋の中で養生してもらう」
「……かしこまりました、旦那様」
「ローレンス様! あの、失礼な事を申し上げたのなら謝ります。なぜそのような事を?」
 
 どこから見ても、よくなってきているのに突然の豹変ともいえる態度にアリーシアの方が驚く。
 そもそも、庭園の散歩は医師の許可が下り、ローレンツも勧めてくれたことだ。

「私の勘違いだったようだ。医師にも厳しく言っておく。部屋に戻るぞ」

 そういうと、もう歩けるアリーシアをさっさと抱き上げた。

「ローレンス様!」

 アリーシアが何を言ってもそれ以上ローレンツが口を開くことはなかった。
 


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