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 伯爵という事は、上級貴族だ。
 しかも上級貴族の階級が上がるというのは歴史の中でしか知らない。
 
 平民が下級貴族に叙勲されるのとは訳が違う。
 そもそも、上級貴族は過去に国に貢献した者だけが与えられる称号だ。
 昔、まだ国が成り立ってすぐの頃は階級制度もあってないようなものだったが、平和になり国として確固たる地位を築くと、建国時に貢献した者が上級貴族の地位に就いた。
 そして、そこから国に貢献した者には上級貴族として伯爵以上の位を国王から賜ることになる。
 ただし、もう十年以上上級貴族は増えていない。
 というのも、国に貢献したとしてもそう簡単に貴族会議で上級貴族の爵位を与えられなくなったのだ。
 そして、更に爵位が上がることは本当になくなった。
 アリーシアの記憶のある限り、一番直近でも百年は前だ。

 つまり、アリーシアのしてみれば、知り合うことすらありえないような上位の存在。
 アリーシアはまさかそんな人に助けてもらったとは思っておらず、身体が固まった。

 アリーシアを助けた男性――ローレンツは、そんなアリーシアの様子に軽く言った。

「そんなに身構えないでくれ。そもそも、俺が伯爵位を賜ったのは、つい最近だ。まあ、いきなり侯爵位になるよりはと、とりあえず順序を踏むことになったが元は平民だ」

 アリーシアは、幼い頃より上級貴族に嫁ぐために貴族図鑑の貴族家名を覚えさせられていた。
 派閥や血の繋がりなども。
 その記憶にベッカーという家名は無かった。

――平民……それこそ、すごいわ。

 平民が上級貴族に成り上がる。
 そんなの、本当に夢のまた夢。
 ありえない事。

――この人は、本当に力のある人なのね……

 見せかけだけの貴族とは違う、実力だけでのし上がった人。
 だからなのか、アリーシアの夫であるヘンリーや他の上級貴族とは格が違って見えた。
 
 醸し出す空気が違うのだ。
 すべてを従える人。
 こういう人が本当の支配者なのだとアリーシアは感じた。

「国王と王太子にも言われたが、なかなか礼儀作法というものは難しい。それこそ産まれてからの教育というものがいかに大事かという事を思い知らされた。正直、貴族階級の人間やそいつらに付き従っている奴らの事を見下していたが、こればかりは見直してやってもいい」

 どうやら相当に、苦戦しているらしい。
 こんな立っているだけで女性の視線を独り占めしそうな偉丈夫でも、礼儀作法についてはいまいちなのを知ると少しだけ親近感が沸いた。

 雲の上のような人だが、こうして話していれば普通の一人の人なのだ。
 
「ああ、長々と話してしまったな……。この邸宅を管理している執事や女中に知られたら大目玉だ」

 元平民だからなのか、使用人とはまるで家族のように気安い関係の様だ。
 貴族や金のある商人の家に仕える使用人は、基本的に主のいう事には忠実に従うように躾けられる。
 唯一、主人格に苦言を言えるのは家の事を仕切っている執事位なものだ。
 
 しかし、話を聞いていると、主人である彼に文句も苦情もくる。
 
 正直言えば、これはあまりいい傾向ではない。
 こんなことが他家に知れたら、馬鹿にされるどころの話ではない。
 主人として使用人に文句や苦情を言われているという事は当主として、主人格として認められていないという事になる。
 貴族社会において、鼻で笑われ貴族としては認めてもらえず、つまはじきになる行為。
 そして、使用人もまた大きく出て、主人を貶める。

 貴族として教育されてきたアリーシアは、実家でも婚家でも主人格として認められていなかった。
 そのせいでみじめな思いをするしかなかく、どうすれば主人として認められるのか、勉強しても分からなかった。

 それなのに、彼はどうだろうか。
 言葉の端々からこの生活を楽しんでいる様子がうかがえた。
 使用人を恐れているわけではなく、自然と主人としてきちんと認められている、そう感じた。
 
 こんな関係、普通ならありえない。
 それでもアリーシアはうらやましく思った。
 
「とりあえず話はここまでにしておこう。詳しい事はまた今度話す。ここには君を傷つける者はいない。だからゆっくり休んでくれ」

 その言葉に、あれは夢ではないのだと確信した。
 手を握り、涙を拭いてくれたあれは、夢だと思っていたのに。

 聞いたことのある声だと思ったのは、夢の中ではなく現実で。
 みっともなく子供の様に泣いたことも現実だと思うと、成人した淑女であるのに情けなくなった。

「また、明日来る」

 忙しいだろうにわざわざアリーシアのために時間を割いてくれている。
 そんな気遣い必要ないはずだ。
 使用人に面倒を見させればいいだけなのに、アリーシアを助けたからなのか律儀な人だ。

――優しい人……

 一見すると冷たく怖そうなのに、話してみるとそうではない。
 人の印象というものは見た目だけでは分からないものだ。

 ヘンリーの様に。

 アリーシアはヘンリーの事を思い出し、同時に振るわれた暴力に身体が震えた。
 しかし、すぐにローレンツの声がアリーシアを守ってくれた。

 ここは彼の領域。
 誰からも傷つけられない。
 ローレンツとは初対面なのに、なぜかそれが信じられた。
 きっとアリーシアが望むだけ、ここで守ってくれるだろう。

 だからこそ、アリーシアは自分を戒めた。

――必要以上に甘えては迷惑になるわ。なるべく早くここを出なければ……

 と。



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