10 / 43
10.???サイド
しおりを挟む
「旦那様、まもなくつきます」
御者の言葉に、馬車の中で書類を眺めていた男は、視線を窓の外へと向けた。
流れていく景色は、どこか懐かしい。
しかし、そのなつかしさは怒りと苦々しさまで同時に思い出させる。
「ここはあまり変わり映えしないな」
そうつぶやく声は低く色気を纏い、そんな声を耳元で囁けば女は一瞬で虜になる。
事実、その声だけで女性をイかせたことがあるとも言われる美声。
ただ、その誰もが虜になるような声音は、今はただ無感動だった。
男の整った容貌は、無表情になると怖いくらいだ。
薄い栗色の髪と同色の瞳はどちらもありふれていながら、その顔のパーツは、神の思し召しなのではないかと思うほど完璧な配置。
母親の似の顔は、端正で在りながらどこか中世的な美しさも兼ねそろえているが、その体躯は堂々として勇ましく男らしい。
長い脚を組む姿はまさに支配者、そんなものを纏っていた。
「旦那様、着きました」
「ご苦労。しばらく待っていてくれ」
馬車の扉を開ける御者に言付けて、男は歩き出した。
その周囲にはまるで男を守るかのように二人の男も付き従う。
「別に付き合わんでもいいんだが?」
「一応仕事ですからねぇ。旦那が強いの分かってますけど、多勢に無勢では一人より三人の方がいいっしょ?」
お調子者の雰囲気だが、強面の男が笑いながらそう言うと、もう一人の若い男がもじもじと言う。
「そうですよ。お一人では危険ですよ……そりゃ僕より旦那様の方が強いけど……」
「卑下すんなって。大丈夫! 旦那の盾ぐらいにはなれるから!」
「ひ、ひどいっすよ、団長!」
「静かにしてくれ……」
男が痛いとでも言うようにため息を吐く。
団長と呼ばれた男がくくくと笑いながら、にやりと笑う。
「で? 今日はなんだってこんなところまでお越しで? ここにはいい思い出などないでしょうに」
「……文句言うなら来るな」
「いやいや、行きますよ。ただ、純粋な興味ですよ」
強面の男は肩をすくめながら答える。
男はちらりと相手を見ると、淡々と言った。
「確認しておきたかったんだ。俺が本当に未練はないのかどうかを」
「そっすか」
それだけであっさりと引く強面の男は、美貌の男の横顔を見ていた。
視線を感じても男は何も言わず、馬車から少し歩いた邸宅前に来て、ひっそりとその邸宅を見上げた。
本当に変わらない。
何もかも。
思い出すのは十五年も前の事。
その思い出は今もまだ、男の中で決着がついていない。
だからこそ、力をつけた。
今度こそ、全てを断ち切るために。
しばらくそうやって邸宅を見て、満足する。
自分の胸に宿る決意は、弱まることはないと。
「邸宅を一周してから帰ろう。もう二度と来ることもないだろう」
男は迷いなく足を踏み出す。
この辺は、貴族の邸宅が立ち並ぶ一等地で、ほぼ十五年前のままだった。
だからこそその地理は男の頭の中にしっかり残っている。
表から裏に入り、塀伝いに歩いて行く。
すでに夜遅く、人気はない。
傍から見れば、男たち三人は非常に怪しい集団だ。
そのため、人目に触れないようにひっそりと足音を消して歩いて行く。
そしてちょうど表門から考えて裏に位置する場所に差し掛かった時、強面の男が行く手を阻み、陰に隠れるように指示を出した。
「静かに――……誰か出てくるぞ」
男の記憶のある限り、この先は使用人の使う扉があるはずだ。
「裏に荷馬車が止められているな……こんな時間に搬入か?」
「ありえない。とくに上級貴族の屋敷では新鮮なものを運ぶのが常だ。こんな時間に何か運び入れることはしない」
「じゃあ、なんでしょうね?」
その時、扉が開き男が出てきた。
今日は月明りでその扉から出てきた男の姿はよく確認できた。
出てきたのは、燕尾服を身にまとった執事と下男二人。
そのうち一人は荷物のように何かを方に担いでいた。
その瞬間、男の脳裏に十五年前の出来事が思い出された。
全身が怒りに満ち、それは我を忘れるほどのものだ。
すぐにそれを察知したのは、強面の男。
体格でいえば男よりも一回り大きく、男の事を羽交い絞めにし、口を覆う。
強面の男の腕の中でもがく男は、その荷馬車が遠ざかるまで、落ち着くことはなかった。
強面の男は、次第に遠ざかる荷馬車を追うように若い男に視線で支持を出す。
出来るなら、その馬車を奪取しろと。
弱いといいながらもその動きは俊敏で、すぐさま若い男は行動する。
――あれは、違う……だが同じだ!
ぐるぐるとした思いが脳裏を駆け巡りながら、自分を羽交い絞めにしている男の腕に爪を食い込ませた。
「旦那、落ち着いてくだせい。あいつは足が速い。すぐに追いつくはずだ。冷静になれ、それこそが戦場で生きる道だ。そうだろう? 腕を離すが暴れんなよ、旦那」
男は、暴れなかった。
ただし、強面の男を睨みつけた。
「なぜ邪魔をした!」
「旦那こそ、自分の立場ってものを分かってくだせぇ。こんなところで騒ぎを起こすのは、問題だ。そうでしょ?」
その正論に男は、それ以上何も言わない。
「とりあえず、馬車に向かいましょ。きっとあいつがなんとかしてっから、問題ねぇですよ」
男は無言で踵を返し、馬車に戻る。
そして急いで出発させた。
強面の男は馬に乗り、馬車を先導する。
まるで行く道が分かっているかのような動きだ。
しばらくすると、人気のない道で二人の男が倒れ、その傍に若い男が立っていた。
もちろん荷馬車もある。
「お待ちしてました。結構疲れましたよ、団長。手当お願いするっす」
明るく言い放つその言葉に、男の方が頷いた。
「俺が払う」
「えっ……いいですか?」
面倒をかけさせたのは自分だという自覚がある男が、若い男に言う。
突然の事に、恐縮している若い男を横目に、男が荷馬車に乗り込む。
その中身は大量の酒樽とそれに隠すようにシーツに包まれた荷物。
どこか緊張して、男はそのシーツを手に取る。
そしてそっとシーツを剥ぐと、現れたのはひどく殴られた跡のある女で、その小さな呼吸は虫の息だった。
御者の言葉に、馬車の中で書類を眺めていた男は、視線を窓の外へと向けた。
流れていく景色は、どこか懐かしい。
しかし、そのなつかしさは怒りと苦々しさまで同時に思い出させる。
「ここはあまり変わり映えしないな」
そうつぶやく声は低く色気を纏い、そんな声を耳元で囁けば女は一瞬で虜になる。
事実、その声だけで女性をイかせたことがあるとも言われる美声。
ただ、その誰もが虜になるような声音は、今はただ無感動だった。
男の整った容貌は、無表情になると怖いくらいだ。
薄い栗色の髪と同色の瞳はどちらもありふれていながら、その顔のパーツは、神の思し召しなのではないかと思うほど完璧な配置。
母親の似の顔は、端正で在りながらどこか中世的な美しさも兼ねそろえているが、その体躯は堂々として勇ましく男らしい。
長い脚を組む姿はまさに支配者、そんなものを纏っていた。
「旦那様、着きました」
「ご苦労。しばらく待っていてくれ」
馬車の扉を開ける御者に言付けて、男は歩き出した。
その周囲にはまるで男を守るかのように二人の男も付き従う。
「別に付き合わんでもいいんだが?」
「一応仕事ですからねぇ。旦那が強いの分かってますけど、多勢に無勢では一人より三人の方がいいっしょ?」
お調子者の雰囲気だが、強面の男が笑いながらそう言うと、もう一人の若い男がもじもじと言う。
「そうですよ。お一人では危険ですよ……そりゃ僕より旦那様の方が強いけど……」
「卑下すんなって。大丈夫! 旦那の盾ぐらいにはなれるから!」
「ひ、ひどいっすよ、団長!」
「静かにしてくれ……」
男が痛いとでも言うようにため息を吐く。
団長と呼ばれた男がくくくと笑いながら、にやりと笑う。
「で? 今日はなんだってこんなところまでお越しで? ここにはいい思い出などないでしょうに」
「……文句言うなら来るな」
「いやいや、行きますよ。ただ、純粋な興味ですよ」
強面の男は肩をすくめながら答える。
男はちらりと相手を見ると、淡々と言った。
「確認しておきたかったんだ。俺が本当に未練はないのかどうかを」
「そっすか」
それだけであっさりと引く強面の男は、美貌の男の横顔を見ていた。
視線を感じても男は何も言わず、馬車から少し歩いた邸宅前に来て、ひっそりとその邸宅を見上げた。
本当に変わらない。
何もかも。
思い出すのは十五年も前の事。
その思い出は今もまだ、男の中で決着がついていない。
だからこそ、力をつけた。
今度こそ、全てを断ち切るために。
しばらくそうやって邸宅を見て、満足する。
自分の胸に宿る決意は、弱まることはないと。
「邸宅を一周してから帰ろう。もう二度と来ることもないだろう」
男は迷いなく足を踏み出す。
この辺は、貴族の邸宅が立ち並ぶ一等地で、ほぼ十五年前のままだった。
だからこそその地理は男の頭の中にしっかり残っている。
表から裏に入り、塀伝いに歩いて行く。
すでに夜遅く、人気はない。
傍から見れば、男たち三人は非常に怪しい集団だ。
そのため、人目に触れないようにひっそりと足音を消して歩いて行く。
そしてちょうど表門から考えて裏に位置する場所に差し掛かった時、強面の男が行く手を阻み、陰に隠れるように指示を出した。
「静かに――……誰か出てくるぞ」
男の記憶のある限り、この先は使用人の使う扉があるはずだ。
「裏に荷馬車が止められているな……こんな時間に搬入か?」
「ありえない。とくに上級貴族の屋敷では新鮮なものを運ぶのが常だ。こんな時間に何か運び入れることはしない」
「じゃあ、なんでしょうね?」
その時、扉が開き男が出てきた。
今日は月明りでその扉から出てきた男の姿はよく確認できた。
出てきたのは、燕尾服を身にまとった執事と下男二人。
そのうち一人は荷物のように何かを方に担いでいた。
その瞬間、男の脳裏に十五年前の出来事が思い出された。
全身が怒りに満ち、それは我を忘れるほどのものだ。
すぐにそれを察知したのは、強面の男。
体格でいえば男よりも一回り大きく、男の事を羽交い絞めにし、口を覆う。
強面の男の腕の中でもがく男は、その荷馬車が遠ざかるまで、落ち着くことはなかった。
強面の男は、次第に遠ざかる荷馬車を追うように若い男に視線で支持を出す。
出来るなら、その馬車を奪取しろと。
弱いといいながらもその動きは俊敏で、すぐさま若い男は行動する。
――あれは、違う……だが同じだ!
ぐるぐるとした思いが脳裏を駆け巡りながら、自分を羽交い絞めにしている男の腕に爪を食い込ませた。
「旦那、落ち着いてくだせい。あいつは足が速い。すぐに追いつくはずだ。冷静になれ、それこそが戦場で生きる道だ。そうだろう? 腕を離すが暴れんなよ、旦那」
男は、暴れなかった。
ただし、強面の男を睨みつけた。
「なぜ邪魔をした!」
「旦那こそ、自分の立場ってものを分かってくだせぇ。こんなところで騒ぎを起こすのは、問題だ。そうでしょ?」
その正論に男は、それ以上何も言わない。
「とりあえず、馬車に向かいましょ。きっとあいつがなんとかしてっから、問題ねぇですよ」
男は無言で踵を返し、馬車に戻る。
そして急いで出発させた。
強面の男は馬に乗り、馬車を先導する。
まるで行く道が分かっているかのような動きだ。
しばらくすると、人気のない道で二人の男が倒れ、その傍に若い男が立っていた。
もちろん荷馬車もある。
「お待ちしてました。結構疲れましたよ、団長。手当お願いするっす」
明るく言い放つその言葉に、男の方が頷いた。
「俺が払う」
「えっ……いいですか?」
面倒をかけさせたのは自分だという自覚がある男が、若い男に言う。
突然の事に、恐縮している若い男を横目に、男が荷馬車に乗り込む。
その中身は大量の酒樽とそれに隠すようにシーツに包まれた荷物。
どこか緊張して、男はそのシーツを手に取る。
そしてそっとシーツを剥ぐと、現れたのはひどく殴られた跡のある女で、その小さな呼吸は虫の息だった。
25
お気に入りに追加
3,727
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る
新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます!
※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!!
契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。
※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。
※R要素の話には「※」マークを付けています。
※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。
※他サイト様でも公開しています
一年で死ぬなら
朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。
理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。
そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。
そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。
一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる