冷遇された妻は愛を求める

チカフジ ユキ

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 アリーシアはどこか諦めの瞳で夫を見ていた。
 いや、諦めというよりも、この時がきたかという思い。
 正直、どちらでもいい。
 アリーシアにとって夫は夫ではないのだから、何を言われようと傷つくことはなかった。
 ただただ、むなしいだけで。
 それならいっそう離婚でも突き付けてくれたらいいのにという気持ちの方が強かったりする。

「今日からマリアを女主人として仕えるように。おい、お前もだ。分かっているか!?」

 たとえ、理屈の通らない命令だとしても、それを受け入れるしかアリーシアにはない。
 この邸宅の主人であり、一族の長である夫、ヘンリー・ルクシオンの下した命令は妻でも従うのがこの家の決まりだからだ。

「かしこまりました……」
「ふん、気の利かない女だ。本来なら、お前から言い出すべきことなのに、口にしないなど嫌がらせでしかない。全く、これだから無知な下級貴族出身の女は困る」
「ヘンリー様? およしになって。仕方ないですわ。上級貴族の礼儀作法を下級貴族出身の方に臨むなんて」
「マリア……君はなんてできた人なんだ――……金をちらつかせて結婚するような女とは違うな。私の最愛の人――本当なら君こそ私に相応しい女性なのに……」

 忌々しそうにアリーシアを見てから、愛おし気にそしてどこか悲しそうにヘンリーはマリアを見つめた。
 マリアはマリアで、全て分かっているわとでも言うように、寂しげにヘンリーの頬を撫でる。

「いいのです。だって、契約ですもの……ヘンリー様は悪くありませんわ……。悪いのは、愛するヘンリー様を支えることの出来なかったわたくしですわ」
「マリア! それは違う! 悪いのは愛する私たちを引き裂いた商人上がりの貴族のせいだ。でも、もう大丈夫さ。なにせ、この女は三年も子をなさなかった。正々堂々君を迎え入れても、誰からも悪く言われはしない」
「ええ、これからはヘンリーをわたくしがしっかりお支えしますわ。女性としての欠陥のある方を娶ることになったのは不幸な事でしたが――そのおかげでこうして今があるのですから。ああ、でも……女性として欠陥のあるかたですからきっと再婚は出来ませんわ。ですから、追い出さないであげて下さいませ」

 ふふふとまるで慈悲深い女神のようにヘンリーを見るマリアに、感動したかのようにヘンリーが言う。

「ああ、なんて素晴らしいんだ。取るに足らない女にさえも優しくするとは――……おい、お前は離れでひっそりと息を潜めていろ。マリアの優しさに縋ってみっともない真似だけはするなよ。ああ、マリア……部屋を案内しよう。今日から本邸は君のものだよ。気に食わないところは全部直してくれていいから――……」
「あら、よろしいのですか? うれしい、ヘンリー様」

 言いたい事だけ言って離れていく二人に、アリーシアは視線を落とした。
 周りの使用人さえも、クスクス笑いながらアリーシアの横を通り過ぎていく。

 執事であり、ヘンリーの教育係でもあったローデンは最低限の礼儀は備えているのか、そんなことはしないが、いつだってアリーシアの事をいない者として扱っている。
 家の事を頼むこともしないし、アリーシアが関わる事さえ嫌がった。

「旦那様はすぐにでもあなたに離れに移ってほしいご様子ですので、お願いします」
「荷物は?」
「私どもの方ですでに運んでおりますので、身一つで移っていただいても大丈夫でございます。お食事も、そちらにお運びいたしますので、くれぐれも本邸に来ることだけはないように」

 ローデンはこの邸宅を取りまとめる、当主、当主夫人に次ぐ地位を持つ。
 そして邸宅内の事は基本的に当主夫人の仕事。
 ただし、アリーシアは当主夫人として認められていなかったので、この邸宅の実質的な支配者はこのローデンだ。
 アリーシアは、ただ頷く事しか求められていない。

「分かりました……」
「マリア様のご意向により、この伯爵家に籍を置いたままにしてくださる寛大な旦那様のために、不愉快なことはされませんようお願い申し上げます」

 アリーシアの名前などこの三年一度も呼んだことのないローデンは、ヘンリーが連れてきた女性の事はあっさりと名前で呼び歓迎している。

――ああ、やはりそういうこと。

 きっと誰もが納得していなかった。
 分かっていた事だ。

 歴史があり名誉ある上級貴族の伯爵家にはふさわしくない身分の花嫁。
 みなそう思っていた。

 歴史ある名家には飛び切りの花嫁を心待ちにしていたに違いない。
 特にローデンはこの家に、夫であり現当主を教育係として子供の頃から育てた人だ。
 人一倍ヘンリーに対し、思い入れもある。
 望まない結婚……しかもお金での結びつきは歓迎できなかったのは良く分かる。
 まだ、愛ある結婚だったら身分が低くても受け入れられていた事だろう。
 
 だからこそ、血筋に欠点のあるマリアなのに、ローデンは当主の幸せそうな顔を見て受け入れた。
 つまり、アリーシアはこの家にとってただの金づる、という認識でしかないのだ。



 
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