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本編
しおりを挟む旦那様が僕を選んだ理由は、僕が彼の方の血縁であり、多少顔が似ているから。
それだけで選ばれたらしい。
彼の方とは旦那様の想い人。
今は隣国に嫁がれている。
血縁って言っても何世代も前で、彼の方の家門の末席にいる私の家は、細々と小さな領地を取り仕切る子爵家にしか過ぎなかった。
旦那様は、侯爵家嫡男で、彼の方は公爵家次男。2人は幼馴染みで、将来は結婚する約束までしていたらしい。
けれど、彼の方は、隣国の王弟殿下に嫁がれていかれた。
旦那様は、25歳を過ぎても誰とも結婚をしようとはしなかった。
周りがうるさいのか、彼の方の血縁の中を探した結果、僕にまで行き着いた。
その頃、僕の領地では、大雨で山の土砂崩れが起き、元々少ない実りもダメになり、貧困に苦しんでいた。
国に納める税金はなんとか交渉の末免除になったが、復興に人手と材料でお金がいる。
旦那様からの支度金として提示された金額が通常より多かったことから、両親は僕を売るように嫁がした。
婚姻したのは、僕が18歳、旦那様が29歳の時だった。
あれから1年が過ぎた。
初夜から旦那様と顔を合わせることはなかった。
初夜の時には、すでに核が用意されていたらしく、使用人の手によって下準備として埋め込まれていた。
初夜は、苦々しい思い出しかなかった。
キスもなく、四つん這いにされ、旦那様がある程度慣らしてから、挿入された。
初めてなのに、優しくもされなかった。
血は出なかったが、終わった頃には後孔は腫れ上がっていた。
『その顔なら遊んでいるかと思ったが、初めてだとは。』
と呟いた声を聞いて、旦那様が出て行った後、僕は声を押し殺して泣いた。
彼の方とは、顔が似ているって言っても、造形が似ているだけで、目元は彼の方は少し垂れ気味で優しい印象だし、僕は吊り目でキツい印象を持たれる。
学園生の時も遊んでいそうと言われたけど、勉強についていくのが精一杯の僕は、恋愛とはかけ離れていた。
だから、結婚に、初夜に夢をみていた。
現実は全く違った。
旦那様と顔を合わせることもなく、使用人には陰口を言われ、体調を崩してしまった。
それで妊娠がわかった。
旦那様に報告されても、顔を合わすことがなく、次第に大きくなっていくお腹に怯えた日々を過ごした。
産気付き、教会に運ばれて一人で出産した。
出産して屋敷に戻ったら、『アルフォンス』と書かれた紙を渡された。
名付けはしてくれていたようだ。
その後は使用人達に手伝いはあるが、1人で育児をしている。
今日は天気が良いからとアルフォンスを抱っこして、庭を散歩した。
アルフォンスは旦那様に瓜二つの顔だった。
最近笑うことが増えてきて、私の荒んだ心を癒してくれる。
蝶が飛んでいるのを見つけると、手を伸ばす。
一緒に蝶の跡を追うように歩いていると、東屋に旦那様と知らない人が話していた。
気付かれないように生垣に隠れた。
そのまま立ち去れば良かったのに、彼の方の話題が出ていたので、聞きたくなった。
『今度、二国間の条約改案で久しぶりに戻られる。』
『短くて3ヶ月、長くて1年はこの国に留まる。』
『久しぶりに幼馴染みに会えると思うと楽しみだ。』
『私も嫡男は作ったんだから、あとは好きにしたい。』
アルフォンスを抱きしめて、走って部屋に戻った。
僕はアルフォンスを産むためだけに嫁いできたんだ、って思ったら、止めどなく涙が溢れた。
薄々わかっていたが、旦那様の言葉で確証を得た。
私はもう何も考えられなくなっていった。
アルフォンスをベッドに寝かせて、フラフラと歩き出した。
行くあてもなく、ただ歩いた。
屋敷に隣接する林の中へと入って行った。
林の中に深い池があるから気をつけるようにと、執事に言われていたのを思い出した。
無性に池が見たくなった。
どのくらい歩いたかわからないけど、池を見つけることができた。
湖面が夕陽で反射して綺麗だった。
もっと近くで観たくなった。
小さい頃、兄と湖で水遊びをしたな、なんて思い出しながら、池に入っていく。
水は澄んでいて、魚はいなかった。
清らか過ぎて、魚が住めないのだろう。
底が見えるから、一歩進めようとした時、腕を引かれて、池から上げられた。
「君は何をしようとしているんだ!」
「…旦那様。」
「入水自殺でもしたかったのか!」
「…自殺?」
「君は正気か?子供もまだ小さいのに!」
「…アルフォンスが産まれたから、旦那様は好きにするって。」
「誰から聞いた!」
「東屋で話されていたのが聞こえました。なら、私もと、」
「君は母親だろ!」
「…私は子供を産む道具でしょ?アルフォンスがいるんだから、私はもういらないでしょ?2人目が必要ですか?まだ道具として私は価値があるんですか?」
「……君は。」
旦那様が私を恐ろしいものを見る目で見て、そのあとは何も言わずに、手を引かれて屋敷に戻った。
使用人達は心配して探してくれたらしいが、陰口を言っているのに、何故探してくれたのか不思議だった。
使用人の手によって湯浴みをさせられて、早々に寝かされた。
私はその夜、小さい頃の夢をみた。
兄と湖で遊んで、帰りに魔獣に遭遇した。
怖くて怖くて、でも兄が僕だけでも逃そうとしてくれた時に、綺麗な魔法師が助けてくれた。
御礼に釣ったばかりの魚をあげたら喜んでくれて、魚の代わりにと小さなガラス細工の鳥を2匹くれた。
『困った時は鳥に助けてって言うと助けてくれるよ。』
と言って、その場から消えた。
家に帰り、両親に話したけど信じてもらえず、兄と2人、夢を見ていたんじゃないか、で終わった。
でも、それぞれの手にあるガラス細工の鳥。
兄と2人で大事に持っていようと話した。
鳥を入れる巾着袋を作り、首から下げるようになったのはこの頃だった。
目が覚めた僕は、巾着袋を探し、チェストの上にあったのを確認して、首から下げた。
巾着袋から取り出した鳥は、色褪せず綺麗なままだった。
巾着袋はもう何回も変えているのに。
鳥を確認して、袋にまた入れる。
寝直そうとした時に、ソファで寝ている旦那様を見つけた。
何故と思いつつ、何も掛けずに寝ていたので、毛布を掛けた。
次はアルフォンスの元に行こうとしたら、腕を掴まれた。
「まだ、熱があるんだ。寝ていなさい。」
「アルフォンス。」
「アルフォンスなら、使用人達がみている。」
「ダメ、アルフォンスは、」
「熱があるんだ、寝ていなさい。」
と担ぎ上げられ、ベッドに降ろされる。
「アルフォンス!」
と、ベッドから這い出ようとするが、旦那様に止められる。
「寝ていろって言っているだろ!」
「いやだ、アルフォンスだけは、」
「使用人達が信用ならないのか!」
「…信用?信用って何?陰口言う使用人を?初夜以降顔を合わせない旦那様を?誰が信用できるの?自分以外誰が信用できるの!」
「……。」
「子供を産む道具から、母親になれって言われたから、その役目を全うしようとしているのに、なんでダメなの!…ねぇ、アルフォンスの母親は違う人にお願いするの?僕は?もう用済み?それともまた子供を産めばいいの?」
「…少し落ち着いてくれ。熱があってアルフォンスの面倒がみれないだろ。」
「僕は落ち着いているよ?」
「熱がある。」
「生きていれば、熱はあるよ?」
「…高熱を出して、2日意識がなかった。」
「…えっ?」
「アルフォンスの面倒をみたいなら、まず熱を下げてからにしてくれ。」
と、僕を押し倒して無理矢理寝かせた。
「水は飲めるか?」
「いらない。」
「少しくらい飲みなさい。」
吸飲みを口にあてられた。
仕方なく、少しだけ飲んだ。
「あとでスープを運ばせる。……それと済まなかった。」
「…それは何に対して。」
「結婚してから、今までのことに対して。」
「…今更だね。」
「…ああ。」
「…すごいね、僕の辛いと思った1年をたった一言でなかったことにするんだ。大人って狡いね。」
「……。」
「僕、まだ20歳にもなっていないんだよ?卒業してすぐに結婚だよ。顔合わせも式当日だよ?絵姿しか見たことなかったのに、結婚だよ。それで、あの初夜。初めてなのに、好きなだけ突かれて、出したらお終い。その後は顔も合わさずで。使用人達には、子供ができれば捨てられるって言われて。ねぇ、旦那様わかっている?全部あなたのした行動の結果だよ。それを『済まなかった』で終わりなの?」
旦那様が苦々しい表情をする。
「妊娠だって怖かった。核の話なんて誰からも聞いてなかった。それが段々とお腹が大きくなっていくんだよ。僕は承諾していないのになんで?って。……アルフォンスは可愛いけど、でも話は違うでしょ?教会は2人の意思を確認してからくれるんじゃなかったの?それとも旦那様の独断?」
「……私が決めた。」
「そう。…もう出てって。僕は寝るよ。」
「……わかった。」
「熱が下がったら、きちんと役目はこなすから。」
「……。」
旦那様は何か言いたそうにしたが、何も言わずに部屋から出ていった。
僕は布団を被り、声を漏らさないように泣いた。
旦那様は、1日1回は顔を出すようなった。
何かと話しかけてくるが、私はどれに対しても言葉を返すことはしなかった。
旦那様は言葉を返さない僕に声を荒げることはなく、淋しそうな顔をして部屋を出ていく。
陰口を言っていた使用人はいつの間にかいなくなっていた。
旦那様が調べ上げ、退職させたのであろう。
どれも僕にとっては今更である。
彼の方が一時帰国をされたのは、あの日から二月が経った頃だった。
王弟殿下も一緒のため、歓迎会なる夜会が開かれることになった。
王宮から夫婦出席での招待状も届いた。
式の後、披露宴をしていないので、夫人として初仕事となる。
旦那様の腕に手を絡め、夫人らしく振る舞う。
少し疲れてきた頃、旦那様は少し離れると言って、どこかに行かれた。
壁際で休んでいると、知らない人達に話しかけられる。
『うまくやったな。』とか、『少し似ているくらいで選ばれた』とか。
どうやら、旦那様に恋をしていた人達のようだ。
全てを聞き流していると、旦那様の姿が見えた。
彼の方と談笑をしていた。
なんか惨めな気分になった。
僕が絡まれているのに、旦那様は久しぶりに会う幼馴染みと笑い合っている。
そんな姿を見たくなくて、気がついたら走っていた。
人がいない庭園にいた。
所々、魔石でライトアップされて、庭園のバラが綺麗だった。
さらに惨めな気持ちになった。
一粒涙が溢れると、次から次へと止めどなく溢れた。
「誰かいるのかい?」
と、落ち着いてきた頃に、庭園を観にきたであろう人達に声をかけられた。
「あ、庭園を観にこられたんですよね。私は失礼します。」
と、立ち去ろうとしたら、
「フェネル、くん?」
えっ?と思い、顔を見ると、魔獣から助けてくれた綺麗な魔法師さんだった。
「綺麗な魔法師さん?」
「やっぱりフェネル君だったね。あ、いつも、鳥を持ち歩いているんだ。ありがとう。」
「アルサスさん、知り合いですか?」
「昔ね。魚のお礼に鳥をあげたんだよ。」
「そうなんですね。あ、私はシオン=ロダンです。」
「…ロダン公爵夫人。わ、私は、フェネル=クレストと申します。」
「あ、クレスト侯爵夫人はあなただったんですね。結婚式はされても、披露宴はしなかったので、大切にし過ぎて見せられないんじゃないかって話があったんですよ。でも、こんなに綺麗な方なら、隠したい気持ちはわかります。」
実際は違うので、僕は苦笑するしかなかった。
「ん~、でも、フェネル君、泣いていた跡があるよ?」
「あ、これは…。」
「きっと、庭園が綺麗で感動しちゃったんだね。」
ロダン夫人は僕にウインクをしてくれた。
きっと僕の心情を読んで、そう言ってくれたようだ。
「綺麗な魔法師さんは、何故ここに?」
「『綺麗な』は、いらないよ。僕はアルサス。普通にアルサスさんでいいよ。僕は隣国で文官をしているんだ。今日は、王弟殿下と一緒にきただけだよ。」
「魔法師じゃないの?」
「うん、本業は文官。でも出会った頃はまだ学園生だったよ。」
「えっ、うそ、だって全然変わってないよ?」
「ふふっ、良い子には飴ちゃんをあげよう。」
上着のポケットに飴を入れられた。
「おばちゃんくさいよ?」
「シオン君は、魔法の特別授業を与えよう。」
「それ、私が死ぬヤツだから、却下で。」
「さて、風も冷たくなってきたし、戻ろうか。」
「話逸らした。まあ、フェネル君も戻ろう?」
「あっ、でも、僕、顔が、」
アルサスさんが指で僕の頬をぷにと押したら、温かい魔力が流れてきた。
「これで泣いた跡も、化粧もバッチリ!」
「流石アルサスさん!もう、元通りになったから、戻ろう?」
「アルサスさん、ロダン夫人ありがとうございます。」
「シオンでいいよ。」
「はい、シオンさん。」
アルサスさんとシオンさんに手を繋がれて会場に戻った。
久しぶりに名前を呼ばれて嬉しかった。
旦那様は僕がいなくなったのには気が付かなかったようで、会場に戻ってもまだ談笑をしていた。
シオンさんは旦那様の元に戻り、アルサスさんは僕に一言言って、王弟殿下の元に戻っていった。
【助けてと言えば、いつでも助けるよ。】
夜会から、お茶会の招待状が届くが、夫人の役目は言われてなかったなと思って、どれも断っていた。
旦那様は、段々と部屋に訪れることが減っていった。
わかっていたことだった。
ある晩、酷く酔っ払って帰ってきた時があった。
執事に支えられて、部屋に戻っていった。
水を持っていったら、ベッドに押し倒され、抱かれた。
彼の方の名前を呼びながら、何度も中に精を出された。
翌朝、旦那様が目を覚める前に起き、自分の部屋へと戻った。
身体中に残る鬱血痕、後孔から流れ出る精液。
どれも虚しくなった。
泣きながら、身体を清めた。
それから旦那様は毎晩部屋を訪れるようになった。
何も言わずにただ抱くだけ。
彼の方の名前を呼ばないだけでもマシかと思った。
でも、旦那様が達する時に漏れる言葉は、彼の方の名前だった。
旦那様は気を遣ってか私の陰茎を扱くが、私のそれはピクリとも反応せずにいる。
反応がなければ、触ることもしなくなり、ただ旦那様の欲を満たすだけの人形になっていた。
そんな夜が続いて、1月経つ頃旦那様に聞かれた。
「…君は気持ち良くないのかい?」
「…気持ち良いとはなんですか?」
「最近無表情だし、何も感じてないのか?」
「?」
「まさか、…わからないのか?」
「だから、何がです。」
「アルフォンスの前でも君は笑わなくなっている。」
「アルフォンスには毎日笑いかけていますよ。」
「…君は全く笑わなくなった。」
「…そうなんですか?」
「そう言っている。」
「…もう、母親の役目もできませんか。私の役目はあと何がありますか?」
「役目じゃなくても、君は母親だろ!」
「ああ、旦那様の性処理係ですか?」
「何を言っている!!」
「子供を作るわけでもないのに、毎晩僕を抱く理由ですよ。」
「性処理と思ったことはない!」
「なら何故、達する時に、彼の方の名前を呼ぶのです?」
「はぁっ!?言っているつもりは…。」
「毎日毎日それを閨で聞いている僕は、なんでしょうか?旦那様の奥様と言えますか?違う名前を呼ばれ続けて。」
「……。」
「結婚して名前を一度も呼んでもらったことなんかないのに、…それでも僕はどこか期待をしていたんですかね。」
一度も呼ばれたことのない名前。
「もう、…僕は限界です。これ以上は旦那様のそばにいれば、僕は僕という人間が必要ないように思います。旦那様、離縁してください。」
「ま、待て、私も悪かった。だから、待ってくれ!」
「『私も』?それは僕のどこが悪かったのでしょうか?」
「あ、いや。それは、言葉の綾で。」
「もう待ちません。離縁状は机の上にあります。短い間でしたが、お世話になりました。アルフォンスをよろしくお願いします。」
僕は胸にしまってある巾着袋をぎゅっと握りしめて、『アルサスさん、助けて』と、アルサスさんの元に転移した。
僕は、ロダン公爵邸に転移していた。
突然現れた僕に公爵家の人々は驚いていたが、アルサスさんとシオンさんは優しく受け入れてくれた。
夜会よりも痩せてしまった僕を見て、アルサスさんが怒り、シオンさんに泣かれた。
一応これまでの経緯を話した。
聞いたアルサスさんと公爵様達は更に怒り出し、『ちょっと侯爵家潰してくるわ』なんて、3人で行きそうになったのを、シオンさんと2人でなんとか止めた。
「フェネル君はとりあえず身体を癒そう?それからだよ。」
「今客室を用意してもらっているから、待っててね。」
「急に来たのにありがとうございます。アルサスさんのところだから、隣国に行くと思っていました。」
「いやぁ、魔獣と戦っている時じゃなくて良かったよ。」
「ホントソレ!さっきまで魔法の特訓させられて、戻ってきたところだもの。」
「魔獣よりアルサスさんが怖かった。」
「私は行けなかったけど、そんなにかい?」
「アベルも一度行けばわかる。ギルフォードさんが強いわけがわかったわ。」
「行きたいけど、仕事がなぁ?」
「全然代わるよ!仕事の方が全然マシだもん。」
「よし、カイン君も特訓決定!」
「えぇぇ!」
「「カイン頑張れ!」」
「シオン君もだよ?」
「却下で!」
仲良いなと会話を聞いていた。
久しぶりに楽しい会話を聞いている。
「フェネル君、煩くしてごめんね。」
とカイン様が謝ってきた。
「いえ、聞いているだけ楽しいです。僕、笑ってませんか?」
「いや、全く。」
「…あっ、旦那様にも最近無表情が多いって言われてました。」
「フェネル君、客室の準備できたから、休もうか?」
「はい。」
と、シオンさんに案内され、すぐにベッドで休んだ。
旦那様に夜の行為を迫ってこられる心配がなく、ぐっすりと眠れた。
「フェネル君、ヤバい。」
「腕なんて触っただけで折れそうでした。夜会の時は、まだ肉がついていたのに。」
「2人はどこで知り合ったの?」
「夜会の時に庭園をライトアップにしているからって観に行ったんだよ。そこで彼は泣いていたんだ。あの時はまだ大丈夫そうに見えていたけど。アルサスさんは、昔魚をもらったから、鳥ちゃんあげたって。」
「あの鳥!」
「シオン君のとは違う鳥だよ。まだ試作段階のやつだね。まだ学園生の頃、この国の湖に珍しい百合があるって聞いて採取しにきていたんだよ。そこでフェネル君兄弟が魔獣に遭遇していたから、助けてあげたんだ。御礼に魚をもらったんだけど、湖でもなかなか取れない鱒だったのよ。もらい過ぎかな?って、もう1回だけ助けてあげるって渡したんだよね。でも、大事に今まで身につけていてくれたんだよ。」
「鱒って、あの金色に輝いていて、身は食べると止まらないっていう鱒?」
「うん。美味しかった。皮は、結構なお値段で売れたよ。」
「さすがアルサスさん、余すことなく有効活用している。」
「…しかし、あれは、もう生きることをやめようとしているね。昔の自分を思い出すよ。生きていてもツライことばっかりで、死んだら楽になれるって信じていた。」
「…アルサスさん。」
「アベル君達には迷惑をかけるけど、少しみていてあげて。『助けて』って言われたから助けたいんだ。」
「アベル、カイン、私からもお願い!」
「もちろん、私は良いよ。」
「私も。流石にアレはない。夫の立場から言えば、政略結婚であろうと妻は大事にするって教えられている。」
「うん、ないね。嫡男まで産んでくれたのに、あの扱いはないよ。」
「じゃあ、お願いね。僕は王弟殿下に話して、殿下妃を殴って来るから!」
「いやいや、相手は王族!」
「なんで殴るの!」
「大丈夫、不敬罪にならないから。前陛下に一筆書いてもらってあるから、大丈夫!それに殿下妃がきちんと振らないのが原因でしょ?あの人曖昧な返事しか返さないクセに不利になりそうになると言い逃れするもん。僕、実は結構嫌いなの。」
「…アルサスさん、昔から規格外だった。」
「アルサスさんが嫌いって相当だよ。無関心が多いのに。」
「…条約改案はどうなるんだろうね?」
「シオン、気楽だな?」
「私は今から頭痛がしてきた。」
「よし、明日から頑張ろう!」
「おう!」
「「…。」」
2人についていけないアベルとカインは、とりあえず成り行きを見守ることにした。
翌日からシオンさんから甲斐甲斐しくお世話をされるようになった。
公爵様は王宮へ行き、公爵補佐様は自宅にいるが、領地経営をされている。
シオンさんに3人の子供のレオンハルト君を紹介された。もう1歳を過ぎていて、歩くのヨチヨチしていて可愛かった。
アルフォンスを思い出し、静かに泣いてしまった。
アルサスさんにまずはしっかりご飯が食べれるようになったら、それから先のことを考えようと言ってくれた。
日中はシオンさん達と過ごすようになって、少しずつ笑えるようになってきた。
一月経つ頃には、体重も少し増えていた。
「フェネル君、王宮に行かないか?」
と、アルサスさんに話を持ちかけられた。
「王宮?」
「そう。どうも、侯爵は君を探しているらしいよ。だから、きっちり話し合って、離縁してこよう。大丈夫、僕も付き添うし、なんならアベル君もつけるよ。」
「話し合い。」
「何事もさ、けじめをつけないといつまでも引き摺るでしょ。しっかり離縁状を叩きつけて慰謝料をもぎ取ってこよう。」
「慰謝料。」
「うん、ちょっと調べさせてもらった。フェネル君に何も悪いところなんてなかった。寧ろ、あっちが悪過ぎる。」
「…調べたんですか。」
「断りもなく、ごめんね。でも調査してないと、何を言われるかわからなくて。それにフェネル君だけだと、有耶無耶にされて、君は諦めてしまいそうで。」
「そうですね。」
「という事で明日王城に行きます。」
翌日公爵邸の使用人に整えられて、アルサスさんとアベル様と王宮に行った。
通された部屋には、旦那様と王弟殿下と殿下妃が既にいた。何故か国王陛下もいた。
旦那様が立ちあがって僕に駆け寄ろうとしたが、王弟殿下に止められていた。
アベル様が僕を紹介してくれて、話し合いが始まった。
「フェネル殿はクレスト侯爵との離縁を望んでおられます。しかし、クレスト侯爵からは未だ離縁状の提出がされておられませんでしたので、こうして話し合いの場を設けさせていただきました。こちらは、フェネル殿が婚姻されてからの生活が記されております。どうぞ、お読みください。」
と、アベル様が陛下に報告書を渡した。
「それで、なんで私達が呼ばれるんですか?」
と、殿下妃が問う。
「そもそも、あんたがきちんと侯爵を振らなかったのが原因でしょ。未練たらたらで、あんたに顔が似ているってだけで結婚させられたんだよ。」
と、アルサスさんが言う。
殿下妃にあんたって言うなんて、すごいなぁと思った。
「そんなことは私は知らないわよ!それに全然似ていないわよ!」
「当たり前だ!フェネル君があんたにそっくりだったら、そもそも助けないわ!」
うわぁと思いながら話を聞いている。
旦那様とアベル様は唖然としている。
「2人とも落ち着きなさい。…カランシア、私は言ったよね。周りを身綺麗にしてから嫁いでもらいたい、と。」
「…はい。」
「それがどうしてこんな事になっているんだい?口約束とは言え、2人は結婚をする約束をしていたのは、私も知っていた。だから、そう言ったんだよ。」
「でも、まさか、マクスがいつまでも私のことを思っているなんて、知らなくて。」
「…カランシア。夫の前で幼馴染みを愛称で言い続けるているは、わざとかな?」
「あっ、すみません。でも、本当に知らなくて。」
「うわぁ、でたよ。知らないでまた通すの?あっちこっちに粉かけておいて、そんなことはしてないって言い張るの、いい加減に辞めたら?」
「何よ!アルサスは関係ないでしょ!」
「あるから言っているんでしょ。ちなみに名前呼び許してないよ。気安く呼ばないでよ。」
「私は殿下妃なのに、さっきから『あんた』呼びじゃない!それこそ不敬よ!」
「…王弟殿下。」
「私は説明したよ。…睨むな。カランシア、何度も言っているが、アルサスに不敬罪は適用できないと言っている。前陛下の王命を逆らう事になる。それこそ君が牢屋行きだ。」
殿下妃は悔しい顔をして黙った。
本当にアルサスさんて何者?って思った。
「さて、話が逸れましたが、クレスト侯爵。離縁を認めてくれませんかねぇ。」
「…認められません。何故、私に弁解の機会を与えてくれないのですか?」
「弁解の余地など与えるわけないだろう。フェネル君が僕に助けを求めてきた時は、精神状態は最悪で、何も食べていない状態だった。診断書は、その報告書にあります。公爵家の侍医に診てもらいました。間違いはないはずです。そこまで追い詰めておきながら、離縁はしないって頭おかしいんじゃない?」
「アルサス、ここでは不敬罪になる。口を慎め。」
「なりませんよ。その為に陛下に来てもらったんですから。で、陛下、お読みいただけましたか?」
「これは、…実際の話なのだな?」
「嘘の報告してどうするんですか?あ、次は王弟殿下に渡してください。」
「クレスト侯爵。…この結婚は、私は認めるべきではなかったよ。」
「陛下!」
「君はその年まで何を学んできた。真面目な仕事振りには期待していたが、妻に対してこれは流石に私でも苦言を呈したい。」
「……。」
「もう子供がいるから、婚姻を白紙にはできない。だが、フェネル殿には何の瑕疵もない。それは私が認めよう。この先フェネル殿の悪い噂が立てば、流した者には罰を与えよう。」
「…国王陛下、ありがとうございます。」
僕は、陛下の優しい言葉に感謝をした。
「ア、アルフォンスはどうするんだ!最近、話し始めてきたんだ。つかまり立ちもするようになった。アルフォンスは可愛いだろ?!」
「…アルフォンスと離れるのは寂しいです。それでも、僕は旦那様と離縁したいです。」
「なんで!」
「…僕はもう閨で『カラン』と呼ばれたくないです。僕はフェネルです。『カラン』ではありません。」
周りは、僕の言葉でドン引きした。
「ないわ、ないない。」
「ありえない。」
「えっ、気持ち悪い。」
「カランシア、君は彼とそういう関係だったのか?」
「ないわよ!1度もそんな事したことはありません!」
「夜会の時も、旦那様の信奉者に絡まれていたのに、旦那様はずっと殿下妃とお話されていました。僕はとても惨めに感じました。道具扱いされ、性処理扱いされれば、心は傷つきます。…ねぇ、旦那様、僕はいつまで心を殺し続ければいいのですか?それとも、お金で買われた身だから、何をしてもいいと思われましたか?」
「……。」
旦那様はもちろん、みんなが押し黙る。
「いただいた支度金分働いていないというなら、働いて少しずつ返します。だから、どうか離縁してください。」
僕は頭を下げた。
旦那様が認めてくれるまで頭を下げ続けるつもりだった。
「はぁ、…クレスト侯爵、いつでも認めないようなら、王命を発令する。」
「…わかりました。離縁を認めます。」
旦那様は苦しげな表情をしながら言った。
「では、決まったところで、こちらが慰謝料の請求書になります。ちゃんと殿下妃分もありますよ。個人資産から払ってくださいね。議会で案を出されても絶対に通しませんから。」
「わかっているわよ。」
「…王弟殿下?」
「きちんと確認する。」
「頼みました。フェネル君はアベル君のところで引き続き療養する。身体が元通りになったら、その先のことを考えよう?」
「アルサスさん、本当にありがとうございました。」
「どういたしまして。さて、帰りますか。」
「アルサス、午後から条約改案の会議だろ?勝手に帰るな。」
「いや、フェネル君を送らないと。」
「王宮から馬車を出すから。フェネル殿はゆっくり養生するがよい。」
「国王陛下、何から何までご配慮痛み入ります。」
「よいよい。そうそう、一つ聞き届けてもらいたいのだが。」
「何でございましょうか?」
「其方の故郷の湖に金色の鱒がいるそうだが、取れたら献上してもらいたい。」
「わかりました。必ずや献上させていただきます。」
公爵邸に戻り無事に離縁になったことを伝えた。
シオンさん達は喜んでくれた。
身体が元通りになった頃、僕はレオンハルト君の従者になった。
時々アルサスさんと陛下で釣りを行くようになった。
兄に頼んで鱒を献上してもらったが、陛下が釣りをしたいと言い出して、僕が釣りを教える事になった。
旦那様とアルフォンスとは、会うことがなかった。
噂すら聞かなかった。
多分公爵邸のみんなが僕に気を遣ってくれたのだろう。
アルサスさんの話では、殿下妃は本国の夜会に若い素敵な男性に手を出そうとしたところを王弟殿下に見つかり、そのまま幽閉されたそうだ。
レオンハルト君から始まり、4人の子供の従者を務め上げた時には、40歳間近になっていた。
もう、あれから20年も経っていた。
国王陛下が退位する際に、子供達の従者を務め上げたら、私の元に来ないか?と誘われていた。
私ももう小さい子をみる体力もなくなってきているので、その話を受けた。
次は陛下の従者か、と思っていたら、プロポーズだった。
王妃様は、10年前に流行病で崩御されており、陛下は独り身だった。
側室もいなかった。
「私は其方の穏やかな気質を好いておる。終の時間は、其方と過ごしたいのだ。」
「…陛下。」
「フェネル、俺を選べ。これから先ずっと2人で過ごそう。」
「…陛下、はい。よろしくお願いします。」
こうして僕は2度目の結婚をした。
アルサスさんやシオンさん達も喜んでくれた。
現陛下にも祝いの言葉をいただいた。
本当に身内だけの披露宴をした。
陛下…ではなく、旦那様となったシリウス様の離宮で開かれた。
「フェネルさん。」
レオンハルト君に呼ばれ、振り向くと懐かしい顔を見た。
「……アル、フォンス?」
「私のことはもう忘れていると思っていましたが、覚えていてくれましたか?」
「忘れたことはありません。」
「はい。母上、お会いしたかったです。」
「僕もです。抱きしめても?」
「はい。」
アルフォンスを抱きしめる。
僕に抱かれていた小さなアルフォンスは、今は僕よりも背が高く、体格もよい。
「立派になりましたね。侯爵様は大事にしてくれましたか?」
「はい、父上は、大事に育ててくれました。」
「良かった、それだけが心残りでした。」
「…また、会えますか?」
「それは、…やめておきましょう。僕はアルフォンスを捨てた身です。もう会うことは叶わないと思っていました。それに、会う機会が増えれば、僕も侯爵様も昔の悪いことを思い出します。それは良いことではありません。」
「…わかりました。でも、私は母上に会えて本当に嬉しいです。結婚おめでとうございます。」
「ありがとう、アルフォンス。僕はいつまでもアルフォンスの幸せを祈っているよ。」
「母上、…ありがとうございます。」
レオンハルト君達のサプライズだったようだ。
学園で共に過ごすようになり、僕の話をレオンハルト君を通して、アルフォンスは聞いていたらしい。
侯爵様は離縁の話をアルフォンスにしたようだ。
アルフォンスに何度も謝っていたって。
シリウス様と初夜を迎えた。
閨は無理にとは言わないが、初夜だけはして欲しいと願われ、僕は了承した。
キスから始まり、優しく愛撫をされる。
初めての経験で、恥ずかしくて、気持ちが良かった。
繋がる時は何度も『怖くないか?』『痛くないか?』と、聞いてくれた。
僕は『大丈夫』『繋がれて嬉しい』と答えた。
繋がれたことがとても嬉しかった。
シリウス様は僕を大事に抱いてくれた。
その後は、穏やかな毎日を過ごした。
シリウス様と社交界に出ることも年に1回あるかないかなので、気は楽だった。
「フェネル。お茶にしようか?」
「はい。シリウス様。」
シリウス様は、趣味の油絵を描き、私は傍らで読書をする。
夜は同じベッドで眠る。
いつも、同じ時を刻む。
それが今の私の日常である。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。心から感謝します。
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