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1巻
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しおりを挟むプロローグ 可愛くなければ価値がない?
私の名前はグレイス・フラメル。フラメル商会を営む商人の長女だ。
フラメル商会はかつてとても儲かっており、勢いのある商会であったというが、それは祖父の代までだった。
父の代になってからは衰退する一方で、父はそれを他力本願で挽回しようとしていた。それはつまり娘に玉の輿を狙わせ嫁ぎ先から資金を得ることだった。
妹のベリンダはとても可愛い容姿でピンクの髪に澄んだ青空を切り取ったような瞳は、それだけでとても目立つ。髪は縦巻きツインテールで前髪はパッツンと切り下げていた。「小柄で可愛い子にしかできない髪型よ」と、ベリンダは得意気に自慢した。
丸顔で大きなぱっちりした目に小さな鼻、唇は厚めでぷっくらとしたアヒル口。眉尻が少し下がったあどけない顔立ちには誰もが庇護欲をそそられたし、微笑むとバラ色の頬にエクボが浮かんだ。確かにこれほど可愛い子は珍しいかもしれない。ベリンダはたくさんのリボンやフリルのついた服を好み、お父様達はベリンダにねだられるままに服や装飾品を買い与えた。
それに比べて私の髪はミルクティーのような色合いのブラウンで、瞳も同じような色だった。平民の多くがブラウン系の髪色と瞳なので、両親の関心はベリンダに集中した。
べリンダは私の髪色を〝枯れ葉色〟とか〝落ち葉〟のようだと表現していたわ。確かに傷んでパサパサになっている髪は色あせて見える。私は自分でそれを三つ編みにしていた。フラメル家のメイドはベリンダのツインテールをいかに可愛く仕上げるかに全力を使い、私まで手が回らなかったからだ。
私の目は切れ長で冷たく見えたし、鼻筋はすっと高かったが、両親からは愛らしさに欠けて陰気に見えると言われた。ベリンダを虐めたこともないのに虐めたことになっていたり、自分で転んだベリンダを私が突き飛ばしたことになっていたりも度々あり、ベリンダの上手な嘘を両親はすっかり信じていた。
誤解を解こうとしても、ベリンダの言うことしか信じない両親には、かえって私が嘘をついていると思われ、余計に嫌われた。
私は服を新調してもらうこともなく、一歳年下のベリンダのお下がりを着る羽目になった。私の身長はベリンダよりもだいぶ高いので、それを着ると不格好でひどく滑稽に見えた。
このスバール国の子供達は身分を問わず、七歳から十七歳まで学園に通う。準男爵や男爵の子女は領内の学園に通い、子爵以上の子息令嬢が王都のマッキントッシュ学園に通うことになっていた。
私達家族が住んでいる領地はフィントン男爵領で、フィントン学園のほかにも数校あり、平民の私達はその経済力によって通う学園を選んでいた。一番授業料が高いのはフィントン男爵家が経営するフィントン学園だったから、フィントン家の子女とお金持ちの平民の子達は大抵そこに通っていた。
ベリンダが学園に通う年齢になったある日のこと、家族が寛ぐ居間でお母様はベリンダに猫撫で声で話しかけた。
「可愛いベリンダや、よくお聞き。あなたが素敵な男性と出会えるように、お金持ちの子達が通うフィントン学園に通わせてあげましょうね」
「わぁーー! 嬉しいわ。フィントン学園は、そのご子息も通う学園でしょう? 大商人の子達も皆そこに通うのよね?」
「そうですよ。学費はとても高いけれど、ベリンダにはそこに通ってほしいのよ」
「そうだとも。授業料はかなりの負担ではあるが、ベリンダはフィントン学園に通い、必ずや将来有望な男性を射止めてほしい」
両親はますます可愛く成長していくベリンダが玉の輿に乗ることを期待していた。
「お父様、お母様。私もフィントン学園でなくても良いので通わせてください」
私は遠慮がちに両親にお願いをしてみる。
けれどその答えは冷淡なものだった。
「ベリンダはフラメル家の希望なのよ。グレイスはお姉ちゃんなのだから我慢してちょうだい。学校なんて行かなくても女の子は大丈夫よ」
お母様はベリンダも女の子なのに矛盾することをおっしゃった。
「そうとも。グレイスは可愛げがないし性格もねじ曲がっている。どうせそのへんのつまらない男としか結婚できないだろうから、お金のかかる教育はいらない。読み書きぐらいは家でも学べるし、それで充分だろう」
お父様は私の将来はたかが知れていると決めつける。
「そうよ。お姉様はいつも私を虐めるような性格の悪い人だし、学園に通うなんて贅沢ですわ。私がお姉様のぶんも素敵な女性になって親孝行しますね」
べリンダは胸の前で手を合わせて、大きな瞳を潤ませた。あどけない顔で上目遣いに見るその可愛らしい表情に、両親はすっかり心酔している。
「なんて親孝行で健気な子でしょう。愛らしいベリンダはきっとフィントン学園でも人気者になるわ」
お母様はベリンダの頭を愛おしげに撫で、お父様は頬を緩めた。
けれど、今のままのフラメル家の経済状態では、授業料の高いフィントン学園に通わせることは難しい。そのため、お父様達はメイドとコックを解雇し、お金を捻出した。
そのしわ寄せは、一気に私にきた。
「これからはグレイスがメイドとコックの仕事をしなさい。簡単な部屋の掃除と料理ぐらいはできるわね? 学園に行く必要もないのだから時間はたっぷりあるでしょう?」
「……はい」
お母様の言葉に、私は沈んだ声で返事をした。
同じ両親から生まれてきたのに、どうしてこれほどの差をつけられるのだろう。
可愛くない私にはなんの価値もないの?
「うふふふ。お姉様、お互い頑張りましょうね」
べリンダは優越感を浮かべた笑みで私を見つめながらそう言った。
ベリンダが七歳、私は八歳になっていた。
第一章 家からの追放と新しい生活
ベリンダが十三歳になった頃、彼女は両親の期待通りに玉の輿に乗った。デリク・フィントン男爵令息の心を射止め、婚約者に望まれたのだ。
デリク様はフィントン男爵家の長男で家督を継ぐ方だという。同じ学園に通うなかで芽生えた恋で、デリク様の方がベリンダに惚れ込み、婚約者にとフィントン男爵夫妻を説得したらしい。
「さすがは私達の娘だぞ。まさか領主様の長男を射止めるなんて思わなかったわい」
「うふふ。お父様達の期待は決して裏切りませんわ。ところで、お姉様。明日はフィントン男爵夫妻がこちらにいらっしゃり、婚約契約書を交わしますの。ですから家にいないでくださいね。不格好な姉の姿なんてお見せしたくありませんもの」
「あぁ、確かにそうだな。午後はこの家を出ていなさい」
お父様達は私に、午後はいつも隣の領地まで食材の買い出しに行くように命じてきたことを忘れていた。
そんな命令を改めてしなくても、私は午後の早い時間に家にいることは滅多にないのに。
そもそも私がフィントン男爵領から、わざわざ隣のポールスランド伯爵領の商店街や市場まで買い出しに行くのはフラメル家の体面を保つためだ。
妹がフィントン学園に通うために、姉の私が普通の学園にも行けず、家の手伝いをしていることを近隣の方々にバレたくないのだ。だから私は歩いて往復三時間もかけてお買い物に行かされていた。
それでも、そこでいつもお買い物をするうち、八百屋のおばさんにはお金の勘定(算数)を、文房具屋と本屋のおじさんには読み書きを教えてもらうようになった。
ちなみに両親は私が実の娘だということさえ途中から忘れているようだ。掃除や料理に文句をつける以外、私に話しかけることはなくなっていった。
そのかわり、ポールスランド伯爵領の市場や商店街の人々は、今では家族よりも身近で大切な存在になっていた。
ベリンダの婚約者になったデリク様は頻繁にフラメル家を訪れるようになった。
その際、おもてなしをするお菓子を買いに行くのはもちろん私の役目だった。必ずポールスランド伯爵領にある、王都でも流行のお菓子を買ってこい、とベリンダに命じられるのだ。
この日は午後のお茶の時間にデリク様がいらっしゃるということで、私はいつものようにポールスランド伯爵領の商店街を目指していた。
ポールスランド伯爵領に入るとすぐに川があり、その前をいつものように横切ると、なんと猫と女の子が流されて今にも溺れそうな場面に出くわした。
泳ぎには自信があったから迷わず飛び込み、女の子と一匹の猫を救い出す。
その後すぐに、複数の女性達がバタバタと駆けつけてきた。
「大丈夫ですかー? お嬢様ー! まぁ、あなた様が助けてくださったのですね? ありがとうございます! 服がすっかり濡れてしまっておりますね。ぜひ屋敷までお越しいただいてお着替えを……」
必死に引き留めて礼をしようとする人達に、私は急いでいるからと断った。
ベリンダは我が儘だし、お目当てのお菓子が買えなかったら大騒ぎする。
「ごめんなさい。とても急いでいるのです。ラファッシニのマカロンとパルミエを買わないと困ったことになるので……お礼には及びません。当たり前のことをしただけですから」
「助けてくださってありがとうございます。お名前だけでも教えてください」
溺れていた子は天使のような顔をしており、綺麗な声で私に尋ねた。
たくさんの使用人を従えていたし、光沢のある生地を使ったワンピースの襟元には真珠が縫い付けられていたから、きっとお金持ちのお嬢様なのだろう。
「私の名前はグレイス・フラメルです。もう川に落ちないように気をつけてね」
「はい。猫を助けようとしたら自分も溺れちゃったの」
「そう、この猫ちゃんはあなたの猫なの?」
「いいえ。でも、これから飼ってあげようと思います」
嬉しそうに話す女の子の純真なキラキラ光る瞳は綺麗な黄金色だった。
王都でも有名な菓子店であるラファッシニで、一番人気のマカロンとパルミエ(バターを何層にも織り込んだパイ生地をオーブンで焼いたお菓子)は、私が着いた頃には売り切れていた。
「申し訳ありませんが、本日の焼き上がりぶんはほんの少し前に完売しました。また明日にでもお買い求めください」
申し訳なさそうに謝る女性店員に私は力なく頷いた。
困ったわ。きっとベリンダは烈火のごとく怒るわね。
仕方がないので、代わりにマドレーヌとサブレを買って帰路を急ぐ。デリク様がいらっしゃる前に帰って、お茶の支度をしないと両親に叱られてしまう。
できる限りの急ぎ足で帰ったけれど、着いた頃にはフィントン男爵家の馬車がすでにフラメル家の前に停まっていた。少女と猫を助けたことで思いがけず時間がかかり、おまけに助ける時に川底に足を引っ掛けたせいで親指の爪が剥がれかかっていて、とても歩きにくかったのだ。
あたりはすっかり日が落ち暗くなっていた。
「なんでこんなに遅いのよ! お菓子を買いに行くだけでいつまでかかっているの?」
フラメル家の居間で、ベリンダに怒鳴られた。そこにはお父様やお母様にデリク様もいらっしゃって、皆ソファで寛ぎながら私を睨み付けていた。
「ごめんなさい。川に落ちてしまった女の子を助けていたら時間がかかってしまったのよ。でも、その子を助けられて本当に良かったわ」
「は? 嘘なんてつかないでよ。私に嫉妬してわざと川に落ちたふりして遅れて帰ってきたのでしょう? 本当に性格が悪いのね。さぁ、買ってきたマカロンを出して!」
「マカロンは売り切れていたわ。だから代わりの物を買ってきたの」
ラファッシニの袋から取り出したお菓子にベリンダが顔をしかめた。
「マドレーヌとサブレ? こんなつまらないお菓子なんていらないわよ! 一番人気のマカロンが食べたかったのよ。せっかくデリク様とお茶をするのに、こんなのじゃ話にならないわ」
「マドレーヌもサブレも美味しいと思うわ。なぜこれではダメなの? それに嘘なんてついていないわ」
「マドレーヌもサブレもマカロンほど見た目が可愛くないからよ。お菓子も人間と同じで見た目が重要なのよ。お姉様のように可愛くない女は価値がないのと一緒だわ。それに、女の子を助けたことが本当なら、お姉様をお父様に叱ってもらわなければならないわ。だって可愛い妹のお願いより、他人の女の子を優先したのでしょう? 家族に対する裏切りだわ」
ベリンダは私が少女を救ったことをなじりながらニヤリと笑った。
お父様は呆れたように私に説教する。
「なんで関係のない少女などを助けたのだ? なんの得にもならないし、時間の無駄だぞ。大事なデリク様をもてなすお茶の時間にも遅れるなんて、もうこんなくだらないことはするなよ!」
「まったくその通りですよ。フラメル家になんの得にもなりません。かえってデリク様の機嫌を損ねて大変なことになるじゃないの? 本当に役立たずね」
お母様の意見も同じだった。
「お前は勉強が嫌いだから学園に行くのを拒んだそうだな? やはり教育とは大事だな。物事の優先順位もわからないとは。いいか? その助けた少女というのは、どうせそのへんの平民の子だろう? 俺はフィントン男爵家の長男だぞ。お前の住んでいる土地の領主になる男だ。俺の食べる菓子を優先して買いに走らなければならないのは、どんな小さな子供でもわかる話だ」
デリク様はもの覚えの悪い子供を諭すように私に話しかけた。
「変わり者なのですわ。服だってお母様が買ってあげようとしても、私のワンピースが良いらしくて勝手に盗るし、私に意地悪はするし、本当に厄介者なのですよ」
「ふーん。今から縁を切っておいた方がいいのではないか? ベリンダは未来の俺の妻、フィントン男爵夫人になるのだから、こんなお荷物はいらないだろう」
「ふっふっふ。そうですわね。お姉様、私の姉でいたいならもっと賢くなってくださいね」
妹達の発言を聞いて私はぐっと拳を握りしめた。
もう、我慢の限界だわ!
「そうですか。人の命よりあなた方のつまらない我が儘を優先しなきゃいけないのなら、もうベリンダの姉でいたいなんて思わないわ!」
ずっと我慢をしてきたし、この家を出たら生きていけないと思っていた。
でも、少女の命よりお菓子を買ってくるのを優先しろ、などと言う両親や妹に嫌悪感を覚えた。
勉強は好きだから学園には通いたかったし、ベリンダの服を盗んだことなどない。服を買ってもらえなかったから、ベリンダが飽きて捨てようとしたワンピースをお母様から渡された。それしか着る物が与えられなかったのに、盗んだと言われるのは納得がいかない。
「俺の愛しいベリンダに歯向かうな。この無礼者め!」
デリク様に頬を思いっきり殴られてその勢いで壁に叩きつけられた。
口の中が切れたのか錆びた鉄のような味が広がる。
「デリク様を怒らせるなんて、なんと恐れ多いことをするのだ。お前などこの家の娘ではない。出ていけ!」
お父様もお母様も憎悪の表情を浮かべ、ベリンダは意地の悪い目つきを向けながら口角を上げた。ここに私の居場所はなく、自分が両親達にとってどうでも良い存在だと、ずっと気づいていたのに認めたくなかった。
それを認めてしまえば自分があまりにも惨めで、生きていくことさえ辛くなってしまうから。
虚しさと惨めさを抱えながら家を飛び出し、あてもなく歩き出す。暗い通りをぼんやりと照らす街灯が涙で滲んだ。
なんで生まれてきたのかな? 可愛くない私は生きていちゃいけないの?
神様は意地悪だ。とても生きにくい状況に私を追いやる。
お祖父様とお祖母様は私が生まれる前に亡くなったけれど、もし今でも生きていれば私に優しい言葉ぐらいはかけてくださったのかしら?
身内に味方が誰一人としていない私は、凍えるような孤独を感じていた。
どこに行けば良いのかわからなくてしばらく街頭の下に佇んでいると、通りの向こう側から豪奢な馬車が走ってくるのが見えた。
「ちょっと、そこの君! グレイス・フラメル嬢の家を知っていたら教えてほしい」
馬車から降り立った美しい青年は、輝くような金髪に黄金の瞳をしており、私の名前を口にした。
「グレイス・フラメル……それは私ですけれど、どのようなご用件でしょうか?」
この男の人って天使様かな? 教会の壁画に描かれている大天使様にそっくりで、とても綺麗……もしかして、私いつのまにか死んじゃった?
「君がグレイス? 会えて良かった! わたしはコンスタンティンという。今日はわたしの妹、エリザベッタを助けてくれてありがとう。お礼を言いたくてね。それにこれを渡したかった」
綺麗な包装紙にリボンがかけられた物を私の手にそっと置いた。
「これは?」
「ラファッシニのマカロンとパルミエだよ。これを買わないと困ったことになると、エリザベッタの専属侍女達に言ったよね? だから持ってきたのさ。店の者に聞いたらずぶ濡れの女の子が買いに来て、売り切れと聞き、とてもがっかりして帰っていったと言っていたからね」
あの人気店で売り切れだったものをなぜこの方は買えたのかしら?
きっとすごくお金持ちなのね。
「……ありがとうございます。でも、もう必要なくなりました」
殴られた頬はじんじんと痛むし、きっと私は酷い顔をしているわ。こんな綺麗な方に惨めな私の顔を見られたくない。
俯いて唇を噛みしめ泣くのを堪えた。早くここから立ち去ってほしい。
「どうしたんだ? グレイス嬢、よく顔を見せてごらん。……頬が腫れているよ。エリザベッタの命の恩人を殴った奴は誰だい?」
美しい顔が途端に曇り、私の頬を気遣わしげに見つめた。
「……殴られてはいません。ただ自分で転んだだけですから」
妹に逆らったから、その婚約者に殴られたなんて恥ずかしくて言えない。
だって、それを許容する両親の話もしなければいけないし、その話をすれば私が家族から虐げられて、少しも愛されていないことがわかってしまうから。
自分が家族の誰からも愛されない存在だなんて言いたくない。惨めで恥ずかしいことだもの。
「転んだ……家はどこ? 送っていこう」
「家には戻りたくありません」
「だったら、わたしと一緒においで。エリザベッタの命の恩人だからね」
私に差し出したほっそりとした指はとても美しかった。
その手に自分の手を重ねた途端に憂いを帯びた表情に変わる。大天使様は私のアカギレした手をじっと見つめていた。
「ごめんなさい。私の手が汚かったですか?」
「違うよ。うちの下働きのメイドより手が荒れているから少し驚いた。可哀想に。屋敷に戻ったら手に塗る香油をあげよう。これじゃぁ、きっとずいぶん痛かったろう?」
香油はホホバオイルやアーモンドオイル等に、ローズやベルガモットの香りのするエッセンシャルオイルを少しだけ混ぜたものだ。流行っているけれど、とても高価で私には手が届かない高級品。
「そんな貴重なものはいただけません。だって当たり前のことをしただけですから」
「その当たり前のことをできない人間はけっこう多いと思う。君は素晴らしいよ。わたしはとても感謝している。さぁ、乗って」
フィントン男爵家の馬車なんて比べものにもならないほど贅沢な馬車で、中に乗ればふかふかの座席に身体が沈み込むような感覚がした。
この方はとても綺麗だ。キラキラ光る黄金の目は二重のアーモンド形で、高い鼻梁に形の良い唇は絵に描いた大天使様のように整っている。
両親もベリンダもデリク様を美しいと褒めていたけれど、この方の美しさには遠く及ばない。
これはきっと夢よ。このような方が私なんかに優しくしてくださるわけがないし、私がおとぎ話に出てくるような馬車に乗れるわけがないもの。
ゆっくりと走り出した馬車は心地良く揺れて……瞼が自然と下がっていく。
「……これが夢なら……どうか覚めないで」
私は無意識にそんなことを呟いていた。
「……に着いたよ。目を覚まして」
男性のバリトンボイスが心地良く響く。すごく優しくて甘い声だ。
「素敵な声、この声すっごく好き……」
私は声のする方角に手を伸ばす。
きっとこれは夢の続きね。とても良い夢を見ていた。大天使様と一緒に乗った馬車の座席はふかふかでとても居心地が良かったわ。
「お願い。起こさないで……まだ夢から覚めたくないの」
「そうか。それじゃぁ、仕方ないね。わたしが抱き上げて運ぶからそのまま眠っていなさい」
私の身体がいきなり宙にふわりと浮いた。
「え? え? ちょっ……待って、待ってください」
目を開けると夢に見た男性が私を腕に抱いていた。
夢じゃなかったんだ!
「わたしの声が好きと言ってくれてありがとう。褒めてくれたから、もう少し寝ていてもいいよ。このままポールスランド伯爵邸に運んであげよう」
寝言を聞かれたのも恥ずかしかったけれど、ここがどこなのかを知らされて戸惑った。
「……嘘……ここはポールスランド伯爵邸なのですか?」
「そうだよ。わたしはポールスランド伯爵家の長男、コンスタンティンだ。よろしくね。ちなみに年齢はまだ十八歳だけれど、いつももっと年上に間違われるよ」
十八歳? 確かにもっと年上の方だと思っていた。落ち着いた物腰とそのバリトンボイスのせいかしら? 伯爵家の方だったらデリク様よりずっと身分が高い方だわ。
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