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今から何百年も前のことだけれど、聖女様を各国の王族達が奪い合い戦争が起きた。聖女様はこの世に1人だけだから、権力者達は自分のものにする為に殺し合いを始め、いっときも争いをやめることがなかった。とうとう、その争いに巻き込まれ聖女様が亡くなると、神は怒り天地がひっくり返るくらいの災害を人々に与えた。
火山は噴火し大雨がやまず洪水が起こり、雷は聖女様が亡くなった原因になった王族や貴族達の城をことごとく焼き尽くしたという。それ以来、聖女様が現れることはなく、神は人間を見放したのだと思われていた。
なので、世界中の王族や皇族達が歴史を繰り返さない為に、もしまたこの世に聖女様が現れた時は、どの国も聖女様が望まない限りはどんな干渉もできない、という国際法を作った。そしてこれはこの世界に生きている人間であれば、誰でも学ぶ歴史なのだった。
それをアルノーリ様はカスパー第二王子殿下に、聞き分けのない子を諭すような口ぶりで説明していった。黙ってそれを聞いていたカスパー第二王子殿下は、穏やかな笑顔を浮かべて頷いた。
「もちろん、そのようなことは知っておりますよ。誰もが歴史の授業で教わる話しです」
明るい声でそうおっしゃったけれど、右足のつま先で大理石の床をトントンと踏みならしていた。カスパー第二王子殿下がイライラした時のちょっとした癖だった。それは、よく気をつけて観察していないとわからない些細な癖だ。けれど、アルノーリ様は敏感にそれに気づいたようで、私にちらりと同情の眼差しを向けた。アルノーリ様は大魔法使いだ。きっと全てを察したのかもしれない。
「アンジェリーナ様が聖女様だということは全世界に広めます。貴女は神に最も祝福された存在ですので、誰にも縛られず自由に生きる権利があります。貴女の意に反し、強制的に従わせる者がいたとすれば、全世界の王族を敵に回すことでしょう。どうぞ、御心のままになさってください」
もう一度私に跪き、アルノーリ様がそうおっしゃった。まるでそれはカスパー第二王子殿下を牽制しているようだった。そうして、私は完璧に自由を手に入れたのだった。
私は『パン職人の聖女様』と呼ばれ、世界中の人々が私のパンを食べたがった。だから、私は毎日早起きして心を込めてパンを捏ねる。大好きなパンを焼いて、世界中の人々を幸せにするのが私の使命になった。毎日が充実して楽しくて、私の周りに笑顔が広がると私自身も幸せを感じた。だから、私はこの力に感謝した。私は世界一幸せなパン職人になったんだ。
❁.。.:*:.。.✽.
「またいらっしゃったのですね? このところ毎日ですよ。そんなにお暇ではないでしょう?」
セオドリック王太子殿下が、毎日のように私の元に通ってくるようになった。ウエクスラーベーカリーにお忍びでいらっしゃるけれど、あの美貌では絶対に皆にバレている。アースアイの瞳はとても珍しいのだから。
私の焼いたパンを毎日召し上がりにいらっしゃるセオドリック王太子殿下は、今ではすっかり健康的な体つきになっていた。適度に筋肉も付いてきて、服の上からも逞しい体躯になっているのがわかる。
「ここのパンを食べたお蔭でとても体調が良いのですよ。すっかり健康になって、もう高熱で寝込むことはなくなりました。実はアンジェリーナ様にお願いがあるのですが、わたしの妻になっていただけないでしょうか」
聖女認定の瞬間から、王族や貴族達は私に敬語を使うようになった。だからセオドリック王太子殿下も敬語で私に話しかける。
「すみません、もう一度、おっしゃっていただけませんか?」
「今まで通り、ここでパン職人として働いて構わないので、わたしの妻になっていただけませんか?」
今度はゆっくりとした口調で、私に優しく微笑みながらおっしゃった。
「申し訳ないのですが、お断りします。私は今の自分にとても満足しているのです」
セオドリック王太子殿下に告げたのは、私は一生独身でいたい、ということだった。セオドリック王太子殿下が愛しているのは亡くなった婚約者だけだ。王太子というお立場から私を妻にすることを決めたのに違いない。だって、先ほどのプロポーズには「愛している」も「好き」もなかった・・・・・・
好きな男性と結婚できるのは嬉しい。でも、それは相思相愛の場合だけだ。自分がいくら好きでも相手がそうでなかったら、結局は幸せになれない気がした。セオドリック王太子殿下は私を妹のように思っていらっしゃるだけで、女性としては亡くなった婚約者を想っていらっしゃる。
かつてはあれほどカスパー第二王子殿下ではなく、このセオドリック王太子殿下が婚約者だったら良かったのにと願ったくせに、聖女となった今では心の底から愛してくれる夫でなければ要らないと思ってしまう。私はセオドリック王太子殿下が好きだ。だからこそ、他の女性をずっと想い続けているのに耐えられないだろう。大好きな人の一番になれないなら側にいたって辛いだけだ。
けれど私が断った後も、セオドリック王太子殿下は頻繁に、ウエクスラーベーカリーにいらっしゃった。ある日、セオドリック王太子殿下はとても悲しげな面持ちで、私に提案なさった。
「わたしも生涯独身を貫くことに決めました。心から愛するアンジェリーナ様がいるのに、他の女性を妃に迎えるなんて相手に失礼ですからね。ですから、友人としてこれからも頻繁に、ここにパンを食べにきてよろしいでしょうか?」
「はい? セオドリック王太子殿下は亡くなった婚約者を愛していたから、ずっと結婚しないつもりでいたのですよね?」
「え? まさか! 亡くなった婚約者からわたしは嫌われていましたよ。自分を嫌っている女性を愛するのは難しい。だから正直に言えば彼女を苦手に思っていました」
セオドリック王太子殿下から思いがけない言葉が飛び出したのだった。
火山は噴火し大雨がやまず洪水が起こり、雷は聖女様が亡くなった原因になった王族や貴族達の城をことごとく焼き尽くしたという。それ以来、聖女様が現れることはなく、神は人間を見放したのだと思われていた。
なので、世界中の王族や皇族達が歴史を繰り返さない為に、もしまたこの世に聖女様が現れた時は、どの国も聖女様が望まない限りはどんな干渉もできない、という国際法を作った。そしてこれはこの世界に生きている人間であれば、誰でも学ぶ歴史なのだった。
それをアルノーリ様はカスパー第二王子殿下に、聞き分けのない子を諭すような口ぶりで説明していった。黙ってそれを聞いていたカスパー第二王子殿下は、穏やかな笑顔を浮かべて頷いた。
「もちろん、そのようなことは知っておりますよ。誰もが歴史の授業で教わる話しです」
明るい声でそうおっしゃったけれど、右足のつま先で大理石の床をトントンと踏みならしていた。カスパー第二王子殿下がイライラした時のちょっとした癖だった。それは、よく気をつけて観察していないとわからない些細な癖だ。けれど、アルノーリ様は敏感にそれに気づいたようで、私にちらりと同情の眼差しを向けた。アルノーリ様は大魔法使いだ。きっと全てを察したのかもしれない。
「アンジェリーナ様が聖女様だということは全世界に広めます。貴女は神に最も祝福された存在ですので、誰にも縛られず自由に生きる権利があります。貴女の意に反し、強制的に従わせる者がいたとすれば、全世界の王族を敵に回すことでしょう。どうぞ、御心のままになさってください」
もう一度私に跪き、アルノーリ様がそうおっしゃった。まるでそれはカスパー第二王子殿下を牽制しているようだった。そうして、私は完璧に自由を手に入れたのだった。
私は『パン職人の聖女様』と呼ばれ、世界中の人々が私のパンを食べたがった。だから、私は毎日早起きして心を込めてパンを捏ねる。大好きなパンを焼いて、世界中の人々を幸せにするのが私の使命になった。毎日が充実して楽しくて、私の周りに笑顔が広がると私自身も幸せを感じた。だから、私はこの力に感謝した。私は世界一幸せなパン職人になったんだ。
❁.。.:*:.。.✽.
「またいらっしゃったのですね? このところ毎日ですよ。そんなにお暇ではないでしょう?」
セオドリック王太子殿下が、毎日のように私の元に通ってくるようになった。ウエクスラーベーカリーにお忍びでいらっしゃるけれど、あの美貌では絶対に皆にバレている。アースアイの瞳はとても珍しいのだから。
私の焼いたパンを毎日召し上がりにいらっしゃるセオドリック王太子殿下は、今ではすっかり健康的な体つきになっていた。適度に筋肉も付いてきて、服の上からも逞しい体躯になっているのがわかる。
「ここのパンを食べたお蔭でとても体調が良いのですよ。すっかり健康になって、もう高熱で寝込むことはなくなりました。実はアンジェリーナ様にお願いがあるのですが、わたしの妻になっていただけないでしょうか」
聖女認定の瞬間から、王族や貴族達は私に敬語を使うようになった。だからセオドリック王太子殿下も敬語で私に話しかける。
「すみません、もう一度、おっしゃっていただけませんか?」
「今まで通り、ここでパン職人として働いて構わないので、わたしの妻になっていただけませんか?」
今度はゆっくりとした口調で、私に優しく微笑みながらおっしゃった。
「申し訳ないのですが、お断りします。私は今の自分にとても満足しているのです」
セオドリック王太子殿下に告げたのは、私は一生独身でいたい、ということだった。セオドリック王太子殿下が愛しているのは亡くなった婚約者だけだ。王太子というお立場から私を妻にすることを決めたのに違いない。だって、先ほどのプロポーズには「愛している」も「好き」もなかった・・・・・・
好きな男性と結婚できるのは嬉しい。でも、それは相思相愛の場合だけだ。自分がいくら好きでも相手がそうでなかったら、結局は幸せになれない気がした。セオドリック王太子殿下は私を妹のように思っていらっしゃるだけで、女性としては亡くなった婚約者を想っていらっしゃる。
かつてはあれほどカスパー第二王子殿下ではなく、このセオドリック王太子殿下が婚約者だったら良かったのにと願ったくせに、聖女となった今では心の底から愛してくれる夫でなければ要らないと思ってしまう。私はセオドリック王太子殿下が好きだ。だからこそ、他の女性をずっと想い続けているのに耐えられないだろう。大好きな人の一番になれないなら側にいたって辛いだけだ。
けれど私が断った後も、セオドリック王太子殿下は頻繁に、ウエクスラーベーカリーにいらっしゃった。ある日、セオドリック王太子殿下はとても悲しげな面持ちで、私に提案なさった。
「わたしも生涯独身を貫くことに決めました。心から愛するアンジェリーナ様がいるのに、他の女性を妃に迎えるなんて相手に失礼ですからね。ですから、友人としてこれからも頻繁に、ここにパンを食べにきてよろしいでしょうか?」
「はい? セオドリック王太子殿下は亡くなった婚約者を愛していたから、ずっと結婚しないつもりでいたのですよね?」
「え? まさか! 亡くなった婚約者からわたしは嫌われていましたよ。自分を嫌っている女性を愛するのは難しい。だから正直に言えば彼女を苦手に思っていました」
セオドリック王太子殿下から思いがけない言葉が飛び出したのだった。
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