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ベッカムはいらない

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「なぜ、そんなところに通うの? ベッカムは私のお婿さんになるのでしょう? だったら、騎士科ではなくて普通科に通えばいいじゃない? そんなに頑張ることないのよ」

「頑張ることないだって? エレノアは私が君の婿になって、遊んでいればいいと言うのかい? 私には昔からの夢がある。放っておいてくれないか」

「つっ……そんな言い方ってないわよ。こっちは心配しているのよ。ベッカムはそれほど身体が丈夫じゃなかったでしょう? 普通科が嫌なら芸術科にしたら? あなたは絵を描いたり楽器を弾くのも上手だわ。宮廷楽士になってもいいと思うの」

 エレノアは説得するように続ける。

「爵位はエジャートン公爵家を継げるのだし、事業は私がお父様から引き継ぐから、ベッカムは優雅に楽器を弾いていれば良いのよ」

「……私はエジャートン公爵家の婿養子にはならないっ!」

「えっ……ちょっと待ってよ。ベッカム。なんで怒るのよ? 待ってったら」

 エレノアがどんなに引き留めても、ベッカムは無視してそのままノールズ伯爵家に帰ってしまった。


 
 エジャートン公爵家のエレノアは、両親に溺愛されるひとり娘である。幼い頃から、エレノアは遠縁のノールズ伯爵家の次男ベッカムとよく遊んでいた。ベッカムは銀髪に紫水晶の瞳の麗しい男の子だ。周囲からは金髪碧眼の華やかな容姿のエレノアとベッカムはお似合いだと思われていた。そのため、エレノアもすっかりベッカムが婚約者になるのだとばかり思い込んでいた。その後、ベッカムは一度もエジャートン公爵家に姿を現さず、エレノアは普通科にベッカムは騎士科に通い出す。
 
 

 王立学院には三つの科が存在する。普通科、芸術科、そして騎士科だ。普通科は二階、騎士科は四階に位置し、各科のカリキュラムは異なるものの、共通の科目も設けられている。そのため、共通科目の授業は、普通科、芸術科、騎士科の生徒が同じ大教室で受けることになっていた。ちなみに芸術科は三階で、一階には共用スペースとしてカフェテリア、図書館、休憩エリア、講堂などがある。

 エレノアはベッカムとすれ違うたびに話しかけようとするが、彼はなぜか無視を続けていた。共通科目の授業中も、彼は離れた席で騎士科の男子たちと座っており、エレノアが声をかける隙はまったくなかった。
 共通科目とは、普通科、芸術科、騎士科の生徒が共通して学ぶべき科目であり、語学、歴史、自然科学などがこれに該当する。

(なによ……ベッカムなんて嫌い! そっちがその気ならいいわよ。私は他の男の子と婚約してやるわっ)

 エレノアの初恋の相手はベッカムだった。学園で彼に無視され、一時は深く落ち込んだものの、公爵令嬢としての誇りが彼女を支えていた。エレノアは気持ちを切り替え、過去に縛られず、新たに婚約者としてふさわしい相手を見つけると心に誓った。

(私はエジャートン公爵家のひとり娘よ。幼なじみに振られたからって、いつまでもくよくよなんかしないんだからっ)



「私の婚約者には、ベッカム以外の方をお願いします!」
 エレノアは、学園に通い始めてから三ヶ月ほど経ったある日のこと、父の執務室でこう宣言した。

 ちなみに、この国の女性は爵位を継承することができないため、エジャートン公爵夫妻は当初からノールズ伯爵家のベッカムを婿養子にすることを決めていた。

「エレノアにはベッカムがお似合いだと思っていたが、なぜそんなことを言い出したのかね?」

「最近、ベッカムがこの家に寄りつかないことに気づいていますか? 彼は私を嫌いになったのです。最後に会ったとき、彼は『私はエジャートン公爵家の婿養子にはならない!』と言いました」

「ただの口げんかではないか……エレノアは昔からベッカムが好きだったろう? 家格も申し分ないし、ベッカムは実に優秀だ。騎士団に入るために自ら騎士科へ進学し、己の力で地位を築こうとしている。その根性は評価に値する。理想的な婿だと思うのだが」

「お父様は、私が不幸になっても構わないのですか? 私は自分の婚約者を自分で選びたいのです!」

 エジャートン公爵は、娘を溺愛するあまり、深いため息をつきながらその訴えを受け入れた。ノールズ伯爵家との間では、すでにベッカムの婿入りの話が決まっており、彼も承諾していた。しかし、公爵はエレノアの意志に逆らってまでその婚約を強いるつもりはなかった。

「いいだろう、エレノア。お前の好きなようにしなさい。誰を選んでも、私は反対しないよ」

 そう言うと、エジャートン公爵はノールズ伯爵家に婚約の話を白紙に戻す旨の手紙を書いたのだった。
 
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