上 下
2 / 88

2 クラーク様から身を引きなさい、と言われました

しおりを挟む
「ありがとう。デリア様の婚約者になれるなんて夢みたいです。その赤い髪は、まるで夕焼けのような温かいオレンジから深い紅色まで、多彩な色合いを纏っていますよね。髪が揺れるたびに良い香りがするし、赤い瞳もどんなルビーよりも美しいです」

「ありがとうございます。夕焼けのような髪とは初めて言われましたわ。私は火魔法が使えるので、大抵は炎と関連づけられて言われます。不気味と言う人もいるようです」

「全然、そのようなことは思いませんね。不気味だなんて、どこを見たらそんな言葉がでてくるんだろう。僕はとても綺麗だと思います」

 クラーク様は首を横に振りながら、不気味という言葉をきっぱりと否定してくださった。無邪気な笑顔はとても誠実に見えて、私はますます彼が好きになっていく。



 正式に婚約を結ぶと、クラーク様は週に一回は必ず会いにきてくださった。図書室の本は毎回彼に貸し出され、次の週には簡単な感想とともに私に返された。どの感想も的確で意表をつく要素も感じられて、本について話し合う時間は楽しかった。

 一緒にお茶を飲めばどんな種類の茶葉なのかと特産地を聞かれ、次の週にはその特産地についての楽しい情報を披露してくれる。

「どうやって調べるのですか? 本にも載っていないような情報がたくさんありますわね? その土地の些細な慣習だとか、ちょっとした方言めいた言い回し等は、新聞や雑誌にだって掲載されていませんわ」

「それは秘密です。ただ、僕はデリア様に楽しんでほしくて努力しているだけですから。この頑張りを褒めてくださるだけで良いのです」

 私の婚約者はなんて素晴らしいのかしら! 私を喜ばせるために話題を考え、楽しませるために細かな豆知識的なことを、どこからか仕入れてくるなんて。

「なんというか、14歳とは思えないくらいの気遣いだな」

 お父様も舌を巻くクラーク様の会話スキルが頼もしい。お母様もクラーク様の話題の豊富さに感心したし、グラフトン侯爵家でクラーク様はとても大事にされたわ。お母様は彼が訪ねてくると好物を揃え、私は彼が似合うと褒めてくれた髪型をして、彼の瞳と同じ色のドレスを着た。

 良い方と縁を持てたと喜んだのは私や両親ばかりではなく、グラフトン侯爵家の使用人たちも喜んでいたのよ。

 ところが、クラーク様が15歳になって王都にある王立貴族学園に通いだしてから、なぜかパタリとグラフトン侯爵家にいらっしゃることがなくなった。私の手紙にもお返事が来なくなり寂しく思ってはいたけれど、優秀な彼のことだからきっと学業に励んでいるのだろうと思っていた。

 王立貴族学園は15歳から18歳までの貴族の子女が通う学園で、私も来年からはそこに通うつもりだったので楽しみにしていた。グラフトン侯爵家は王宮の近くに屋敷を構えており、私はそこから学園に通うことになる。高位貴族はタウンハウスという領地にあるカントリーハウスとは別の邸宅を持っているのが普通なのよ。




 ☆彡 ★彡




 やがて、私は15歳になり王立貴族学園に入ることになった。グラフトン侯爵家のタウンハウスは王宮の近くにあるし、王立貴族学園からも歩いていけるほどの距離だった。

 入学式はごく簡単なもので、父兄の出席もない。学園長の挨拶と短いお祝いの言葉を講堂で聞き、各自が振り分けられたクラスに向かった。そのわずかな時間に私の袖を掴む女生徒がいた。

「あなた、クラーク様の婚約者なのでしょう? クラーク様とナタリー・サーソク伯爵令嬢は想いあっていらっしゃるのよ。身を引いて差し上げたらいかがですか?」

 初対面の私にいきなりそんなことを言ってきてびっくりしてしまう。思いがけない言葉に呆然としていると、三人の女生徒たちは二年生の教室の方角に、満足気に笑いながら去って行った。




 ☆彡 ★彡




 グラフトン侯爵家のタウンハウスには、領地のカントリーハウスから、ごっそりと使用人を連れて来ていた。お父様は領地を行ったり来たりするつもりらしく、お母様は私が学園に通う間は、タウンハウスにずっと住むとおっしゃった。

 愛されているな、と実感する。今まで生きてきたなかで、私は寂しい思いを一度もしたことがなかった。

「学園はどうでしたか? 良い友人はできそうですか」

 お母様に聞かれたけれど、今日の出来事をそのまま報告するのはためらわれた。あの女生徒たちの名前もわからなかったし、なにかの人違いということもあるもの。

「すぐには難しそうですわ」

 曖昧に私は言葉を濁すだけだった。

「なにかあったらお母様たちに言うのですよ。私たちはデリアのことを愛しているし、必ず力になります」

 わかっている。お母様とお父様の愛をただの一度も疑ったことなどない。だからこそ、お母様たちを悲しませたり心配させるのが嫌だった。


 それから数日間、学園で過ごすことにより、上級生たちが私について信じている噂を耳にすることができた。それを箇条書きにしてノートに書き留めてみると、嘘ばかりで呆れてしまった。



 ●私は一方的にクラーク様の迷惑も顧みずして婚約を迫った我が儘令嬢である。

 

 ●私はクラーク様を蔑ろにし意地悪をし、恥をかかせることすらある。



 ●クラーク様が私と婚約破棄しようとすると、グラフトン侯爵家の身分を笠に着て私が脅す、または私が泣いてすがりつく。



 ここまで書いて、私の頭は疑問符でいっぱいになった。
 まったく身に覚えがなさ過ぎるからよ。




 ☆彡 ★彡




 入学5日目の私は、放課後に学園の裏庭で先日と同じ三人の女生徒たちに囲まれていた。


「初日にも言いましたよね? クラーク様を解放してください、と。あの二人は尊敬すべき生徒会のメンバーなのですよ。クラーク様とナタリー様は尊い書記をしていて、文字もとてもお上手でお似合いなのですわ」

「クラーク様の文字・・・・・・普通だと思いますけど。それに、生徒会の書記さんってどのくらい尊いのですか?」

「さすがに悪役令嬢ね! 性格が悪すぎて呆れるわ。だから婚約者に嫌われて、婚約破棄したいだなんて愚痴られるのよ。生徒会に所属する方々は学園内では神に等しいのよっ!」

 今までどこか人ごとのような気分でいた。きっとなにかの誤解でこのような噂になっていて、クラーク様もこの状況を困っていらっしゃるのではないかと解釈していた。でも、この上級生たちの話を信じれば、大嘘を広めているのはクラーク様本人のようだった。

 クラーク様、どうして?

 感情がじわりと押し寄せ、涙が目の奥からこみ上げてくるのを感じた。裏切られた思いと失恋のショックと、いろいろな思いがぐちゃりと混じり合う。けれど、ここで泣いてはいられない。

 幼い頃からグラフトン侯爵家を継ぐ者としてお父様から教育されてきた私は、溺愛はされながらも、このような場面でうなだれて涙を流したら負けだ、と言い聞かされて育ってきた。また、お母様からも貴族社会で理不尽なことを言われたら、きっちりと言い返すように諭されてきたわ。

 卑怯な人間に弱みを見せたら、とことん舐められる。
 だから、泣くのは後回しよ。ぐっと我慢して涙をこらえた。
 それに、生徒会を神と同視するなんて神への冒涜よ。
 しかも、悪役令嬢ってなに?
 よしっ! 反撃開始だわ。


「ご機嫌よう、良いお天気ですわね。私はデリア・グラフトンですわ。そちらはなんとおっしゃるの? 右から順番に自己紹介してくださらない?」

「は? ショックで頭がいかれてしまったのかしら? いきなり天気の話なんてバカみたい。しかも自己紹介なんかし始めて、あなたの名前なら初めから知っているわよ。そんなニンジンみたいな髪の生徒なんてあなただけだもの!」

「身分が上の者が名乗ったら、必ず自分も名前を告げてからご挨拶するというマナーは貴族の基本的な心得ですわよね? さぁ、家名を言いなさい!」

 私は背筋を伸ばして彼女たちの目をしっかりと見つめて尋ねたのだった。
しおりを挟む
感想 264

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

【1/23取り下げ予定】あなたたちに捨てられた私はようやく幸せになれそうです

gacchi
恋愛
伯爵家の長女として生まれたアリアンヌは妹マーガレットが生まれたことで育児放棄され、伯父の公爵家の屋敷で暮らしていた。一緒に育った公爵令息リオネルと婚約の約束をしたが、父親にむりやり伯爵家に連れて帰られてしまう。しかも第二王子との婚約が決まったという。貴族令嬢として政略結婚を受け入れようと覚悟を決めるが、伯爵家にはアリアンヌの居場所はなく、婚約者の第二王子にもなぜか嫌われている。学園の二年目、婚約者や妹に虐げられながらも耐えていたが、ある日呼び出されて婚約破棄と伯爵家の籍から外されたことが告げられる。修道院に向かう前にリオ兄様にお別れするために公爵家を訪ねると…… 書籍化のため1/23に取り下げ予定です。

[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで

みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める 婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様 私を愛してくれる人の為にももう自由になります

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】元婚約者であって家族ではありません。もう赤の他人なんですよ?

つくも茄子
ファンタジー
私、ヘスティア・スタンリー公爵令嬢は今日長年の婚約者であったヴィラン・ヤルコポル伯爵子息と婚約解消をいたしました。理由?相手の不貞行為です。婿入りの分際で愛人を連れ込もうとしたのですから当然です。幼馴染で家族同然だった相手に裏切られてショックだというのに相手は斜め上の思考回路。は!?自分が次期公爵?何の冗談です?家から出て行かない?ここは私の家です!貴男はもう赤の他人なんです! 文句があるなら法廷で決着をつけようではありませんか! 結果は当然、公爵家の圧勝。ヤルコポル伯爵家は御家断絶で一家離散。主犯のヴィランは怪しい研究施設でモルモットとしいて短い生涯を終える……はずでした。なのに何故か薬の副作用で強靭化してしまった。化け物のような『力』を手にしたヴィランは王都を襲い私達一家もそのまま儚く……にはならなかった。 目を覚ましたら幼い自分の姿が……。 何故か十二歳に巻き戻っていたのです。 最悪な未来を回避するためにヴィランとの婚約解消を!と拳を握りしめるものの婚約は継続。仕方なくヴィランの再教育を伯爵家に依頼する事に。 そこから新たな事実が出てくるのですが……本当に婚約は解消できるのでしょうか? 他サイトにも公開中。

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

公爵令嬢の辿る道

ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。 家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。 それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。 これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。 ※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。 追記  六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。

やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。 落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。 毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。 様子がおかしい青年に気づく。 ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。 ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 最終話まで予約投稿済です。 次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。 ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。 楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。

処理中です...