71 / 309
6章:代り
13 感覚
しおりを挟む
寧々には何度も謝られた。
「実は、あの時の会話聞こえてて…。寧々が必死で止めるから、きっと大事な物なんだと思って…。」
大事な物を失う辛さは、痛い程知って居た。だから、どうにかしなきゃならない。そう思ったら、自然と体が動いていた。
あの縫いぐるみを失ってから、私は物に執着しない様にしていた。大事にすればするほど、愛着が湧き、失ったときのショックは、計り知れない。
値段と言うのは、公平な価値。捨てるはずだった古本も、私にとっては、宝物だった。
物を大事にするのは、良い事だと思うが、それは時として、良くも悪くも、人の性格を変える程、大きい事だ。
寧々は『そんな事』と、思うかもしれないが、私には耐えられなかった。
価値観は違えど、大事な人から貰った物。自分で努力して、漸く手に入った、ずっと欲しかった物。
他人に何と言われようが、それが自分にとって、かけがえのない物ならば、お金には換えられない。
「彰も悪かったな。閉店に間際に慰め役頼んで。」
「タダ酒できたから、俺は儲けもんだがな。」
その時、格子戸が勢いよく開いた。入ってきたのは、今井さんだった。普段の彼女からは、想像できない様な、鬼の形相だった。
無言のまま、私の前まで来たかと思うと、左頬に、強い衝撃が走った。殴られたと気付いたのは、隣に居た寧々も同じ様に頬を摩っていたからだ。
「何でこうなる前に、あたしたちに相談しないの!親元を離れたからって、あたしたちからすれば、あんたたちはまだ子ども!」
打たれた左頬が、ヒリヒリと痛み出した。
腕の時は、ただただ、恐ろしかった…。痛いという感覚よりも、恐ろしい感情の方が大きかった…。
だけど、今回は違った。普通に痛みがあった。怖いというよりは、申し訳なく感じた。
「悲しむ人が居ない?あたしは心配したよ!あたしだけじゃない!古川さんも、彩ちゃんも皆心配した!」
心配した。そんな言葉、今まで、一度も言われた事は無かった。小学低学年の時は、少なからず、担任や周りに親からは、心配されていたのかもしれない。
だが、それを口にする者は、誰一人いなかった。
だから、こんな、胸が締め付けられる様な、感覚は、初めてだった。
「確かに、香織ちゃんは特殊かもしれない。そんな環境で育って、そんな事を言ってしまう様な状況に落ちてしまったのは、大人たちの責任かもしれない…。
ずっと独りぼっちで、声を上げられなくなる様な、あたしたちじゃ、想像もつかない様な、地獄の様な日々を過ごしてきたのかもしれない…。」
一瞬にして、今までの十六年分の記憶が、走馬灯の様に、頭を駆け巡った。
十六年。生まれた赤子が、高校に入学するほどの時間。私には少し長すぎた。その癖、思い出せるほどの記憶は殆どない。
「でも、今は独りじゃない。最低でもここに居る全員は、香織ちゃんが居なくなって、喜ぶ人は誰一人居ない。」
ずっと、その言葉が欲しかった。今まで、誰にも言われた事も、思われた事もなかった。
何度も、自分の人生を恨んだことも、生まれた事を後悔した事もあった。
怒られているのに、凄く、嬉しかった。この歳になって、ちゃんと目上の人に説教されるのは、初めてだった。
理不尽ではなくて、ちゃんと何が悪いのか、それが、どういう事なのか、教えてくれる人は、今井さんが初めてだった。
「香織ちゃん、聞いてる?」
俯きながらも、ついにやけてしまっていた。慌てて、表情を戻した。
「す、すみません…。こうして、叱られてのが、その…初めてで…。
今までは、怒鳴られるか無視されるかのどっちかで…。ちょっと変かもしれないですけど、それが、嬉しくて…。
怒られるって、こんなに切ないんだなと思って…。」
文章に成っていたかは分からないが、思ったことを、全部言った。しんと静まり返る店内…。寧々か彩かは分からないが、鼻をすする音が聞こえる…。すると、カラコロと下駄が地面を叩く音が、私の方に近づいて来た。
「実は、あの時の会話聞こえてて…。寧々が必死で止めるから、きっと大事な物なんだと思って…。」
大事な物を失う辛さは、痛い程知って居た。だから、どうにかしなきゃならない。そう思ったら、自然と体が動いていた。
あの縫いぐるみを失ってから、私は物に執着しない様にしていた。大事にすればするほど、愛着が湧き、失ったときのショックは、計り知れない。
値段と言うのは、公平な価値。捨てるはずだった古本も、私にとっては、宝物だった。
物を大事にするのは、良い事だと思うが、それは時として、良くも悪くも、人の性格を変える程、大きい事だ。
寧々は『そんな事』と、思うかもしれないが、私には耐えられなかった。
価値観は違えど、大事な人から貰った物。自分で努力して、漸く手に入った、ずっと欲しかった物。
他人に何と言われようが、それが自分にとって、かけがえのない物ならば、お金には換えられない。
「彰も悪かったな。閉店に間際に慰め役頼んで。」
「タダ酒できたから、俺は儲けもんだがな。」
その時、格子戸が勢いよく開いた。入ってきたのは、今井さんだった。普段の彼女からは、想像できない様な、鬼の形相だった。
無言のまま、私の前まで来たかと思うと、左頬に、強い衝撃が走った。殴られたと気付いたのは、隣に居た寧々も同じ様に頬を摩っていたからだ。
「何でこうなる前に、あたしたちに相談しないの!親元を離れたからって、あたしたちからすれば、あんたたちはまだ子ども!」
打たれた左頬が、ヒリヒリと痛み出した。
腕の時は、ただただ、恐ろしかった…。痛いという感覚よりも、恐ろしい感情の方が大きかった…。
だけど、今回は違った。普通に痛みがあった。怖いというよりは、申し訳なく感じた。
「悲しむ人が居ない?あたしは心配したよ!あたしだけじゃない!古川さんも、彩ちゃんも皆心配した!」
心配した。そんな言葉、今まで、一度も言われた事は無かった。小学低学年の時は、少なからず、担任や周りに親からは、心配されていたのかもしれない。
だが、それを口にする者は、誰一人いなかった。
だから、こんな、胸が締め付けられる様な、感覚は、初めてだった。
「確かに、香織ちゃんは特殊かもしれない。そんな環境で育って、そんな事を言ってしまう様な状況に落ちてしまったのは、大人たちの責任かもしれない…。
ずっと独りぼっちで、声を上げられなくなる様な、あたしたちじゃ、想像もつかない様な、地獄の様な日々を過ごしてきたのかもしれない…。」
一瞬にして、今までの十六年分の記憶が、走馬灯の様に、頭を駆け巡った。
十六年。生まれた赤子が、高校に入学するほどの時間。私には少し長すぎた。その癖、思い出せるほどの記憶は殆どない。
「でも、今は独りじゃない。最低でもここに居る全員は、香織ちゃんが居なくなって、喜ぶ人は誰一人居ない。」
ずっと、その言葉が欲しかった。今まで、誰にも言われた事も、思われた事もなかった。
何度も、自分の人生を恨んだことも、生まれた事を後悔した事もあった。
怒られているのに、凄く、嬉しかった。この歳になって、ちゃんと目上の人に説教されるのは、初めてだった。
理不尽ではなくて、ちゃんと何が悪いのか、それが、どういう事なのか、教えてくれる人は、今井さんが初めてだった。
「香織ちゃん、聞いてる?」
俯きながらも、ついにやけてしまっていた。慌てて、表情を戻した。
「す、すみません…。こうして、叱られてのが、その…初めてで…。
今までは、怒鳴られるか無視されるかのどっちかで…。ちょっと変かもしれないですけど、それが、嬉しくて…。
怒られるって、こんなに切ないんだなと思って…。」
文章に成っていたかは分からないが、思ったことを、全部言った。しんと静まり返る店内…。寧々か彩かは分からないが、鼻をすする音が聞こえる…。すると、カラコロと下駄が地面を叩く音が、私の方に近づいて来た。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
時計仕掛けの遺言
Arrow
ミステリー
閉ざされた館、嵐の夜、そして一族に課された死の試練――
山奥の豪邸「クラヴェン館」に集まった一族は、資産家クラレンス・クラヴェンの遺言公開を前に、彼の突然の死に直面する。その死因は毒殺の可能性が高く、一族全員が容疑者となった。
クラレンスの遺言書には、一族の「罪」を暴き出すための複雑な試練が仕掛けられていた。その鍵となるのは、不気味な「時計仕掛けの装置」。遺産を手にするためには、この装置が示す謎を解き、家族の中に潜む犯人を明らかにしなければならない。
名探偵ジュリアン・モークが真相を追う中で暴かれるのは、一族それぞれが隠してきた過去と、クラヴェン家にまつわる恐ろしい秘密。時計が刻む時とともに、一族の絆は崩れ、隠された真実が姿を現す――。
最後に明らかになるのは、犯人か、それともさらなる闇か?
嵐の夜、時計仕掛けが動き出す。
【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし
響ぴあの
ホラー
【1分読書】
意味が分かるとこわいおとぎ話。
意外な事実や知らなかった裏話。
浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。
どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
セイカイ〜全ての暗号を解き明かせ〜
雪音鈴
ミステリー
制限時間内に全ての暗号を解き明かし脱出する《ゲーム》へと強制参加することになった主人公。その先に待ち受けているものとはーー?
【暗号を解く度に変化していく景色と暗号の解読を楽しみながらも、主人公の行く末を見守ってあげて下さい。また、読者の方々にも、2話目から暗号(という名のなぞなぞもあり。難易度は話数が進むごとに上げていきます)を解き明かしてもらう形式になっているので、楽しんでいただければ幸いです(*^^*)】
可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~
蒼田
青春
人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。
目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。
しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。
事故から助けることで始まる活発少女との関係。
愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。
愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。
故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。
*本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる