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6章:代り
7 色彩
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次に格子戸が動いたのは、二人がオムライスを食べ始めた時だった。
黒い和傘を持った、彰さんだった。二代目が紺色の甚平を着ているのに対して、彼は、濃藍色の浴衣の上に、鳶色の羽織を着ている。
襟の部分には、店名である『華宵園』の文字が描かれている。
厨房に居るときは気が付かなかったが、雨が降り始めていた。
店内に入ると、カラコロと、下駄の足音が響き渡る。
「日曜なのに、仕事?」
「まぁね。それより、美味しそうな物、食べていますね。俺も一つ貰おうかな。」
「その包みは何ですか?」
そう訊ねたのは、彩だった。カウンターに座る際に、カウンターの上に置いたものだった。
鮮やかな紫色の風呂敷に包まれていたのは、四角い木箱だった。
「古川さんに頼まれていた物。漸っと手に入ったんだ。」
自慢気に結び目を解いた。木箱には、達筆な字で、何やら書かれていた。
箱を開けると、柔らかそうな布に包まれた、鼈甲色のコーヒーカップとソーサーだった。
ぱっと見では、店で使っているコーヒーカップと同じ様な質感だが、縁の厚みが若干違う様に感じられる。
「手に入ったといっても、ただ買い手が付かなかっただけなんだけど…。」
「これ、普通のコーヒーカップと何が違うんですか?」
「これ、有田焼のコーヒーカップでね。大して古い物じゃないんだけど、古川さんが気に入っちゃって。
一週間前、買い手が付かなかったら、ただでくれてやるって、じじぃが言っちまいやがって…。」
最後の方は、二代目と同じく、江戸っ子口調になる辺り、普段はそっちが彼の標準語なのだろう…。
「普通に買うとしたら、幾らくらいするんですか?」
「ん~。これくらいの出来なら、高くても、3~5万くらいだと思うよ?
華宵園でも、2.2万くらいで売っていたから。」
それでも、高い方だ…。私が自宅で使っているコーヒーカップは百円ショップで買った、どこ焼きかも分からない、安物だ…。
コーヒー豆も品種や銘柄によって、値段が違うように、器もそれぞれ、それなりの価値がある。
安かろうが、高かろうが、見る人によっては、また価値も変わってくるのだろう…。
寧々が売ったという、機材たちも、ちゃんとした値段で、ちゃんと使ってくれる人の手に渡って欲しい。彼女が大事にして行きたかった分、誰かにしれを引き継いで貰いたい。
「香織ちゃん、話は変わるけど、その溶き卵、早く焼いた方が良いよ。」
「…。」
寧々が到着したのは、私が卵を焼き始めて直ぐの時だった。
傘を持っていなかったのか、肩と髪が濡れている。
「ごめん、遅れた…って、彩も居る…。」
「近くまで来たから、寄ったの。」
「それより、髪乾かしてきな?この間の九条さんみたいになるよ。」
『了解。』とだけ言い残し、休憩室に入って行った。
「彼女が、じじぃが言っていた、寧々ちゃんって娘かい?」
「はい。もう少し早ければ、私のより美味しい物食べられましたね…。」
「ちょっと、嫌な臭いがするね…。」
彰さんが、顎に手を当てて、考え込む様な仕草をした。
「そんなに匂うかな…。」
彩がカウンター越しに、フライパンの辺りを嗅いだ。
焦げては無いはずだが…。
「いや、玉子じゃなくて、彼女の顔だよ。雨に濡れていて、分かりずらかったけど、今、泣いてたね…。」
この時から、少しずつではあるが、嫌な予感を感じ始めていた。
それは、私だけではなく、彰さんも。
仕事では、明るく元気ないつもの彼女だった。だが、一人で居るときや、講義中はどこか、上の空だった。
一度、何かあったのか訊ねてみたが、疲れているだけ、としか言わなかった。
気が付けば、彼女の髪の色も、落ち着いた色に戻っていた。
黒い和傘を持った、彰さんだった。二代目が紺色の甚平を着ているのに対して、彼は、濃藍色の浴衣の上に、鳶色の羽織を着ている。
襟の部分には、店名である『華宵園』の文字が描かれている。
厨房に居るときは気が付かなかったが、雨が降り始めていた。
店内に入ると、カラコロと、下駄の足音が響き渡る。
「日曜なのに、仕事?」
「まぁね。それより、美味しそうな物、食べていますね。俺も一つ貰おうかな。」
「その包みは何ですか?」
そう訊ねたのは、彩だった。カウンターに座る際に、カウンターの上に置いたものだった。
鮮やかな紫色の風呂敷に包まれていたのは、四角い木箱だった。
「古川さんに頼まれていた物。漸っと手に入ったんだ。」
自慢気に結び目を解いた。木箱には、達筆な字で、何やら書かれていた。
箱を開けると、柔らかそうな布に包まれた、鼈甲色のコーヒーカップとソーサーだった。
ぱっと見では、店で使っているコーヒーカップと同じ様な質感だが、縁の厚みが若干違う様に感じられる。
「手に入ったといっても、ただ買い手が付かなかっただけなんだけど…。」
「これ、普通のコーヒーカップと何が違うんですか?」
「これ、有田焼のコーヒーカップでね。大して古い物じゃないんだけど、古川さんが気に入っちゃって。
一週間前、買い手が付かなかったら、ただでくれてやるって、じじぃが言っちまいやがって…。」
最後の方は、二代目と同じく、江戸っ子口調になる辺り、普段はそっちが彼の標準語なのだろう…。
「普通に買うとしたら、幾らくらいするんですか?」
「ん~。これくらいの出来なら、高くても、3~5万くらいだと思うよ?
華宵園でも、2.2万くらいで売っていたから。」
それでも、高い方だ…。私が自宅で使っているコーヒーカップは百円ショップで買った、どこ焼きかも分からない、安物だ…。
コーヒー豆も品種や銘柄によって、値段が違うように、器もそれぞれ、それなりの価値がある。
安かろうが、高かろうが、見る人によっては、また価値も変わってくるのだろう…。
寧々が売ったという、機材たちも、ちゃんとした値段で、ちゃんと使ってくれる人の手に渡って欲しい。彼女が大事にして行きたかった分、誰かにしれを引き継いで貰いたい。
「香織ちゃん、話は変わるけど、その溶き卵、早く焼いた方が良いよ。」
「…。」
寧々が到着したのは、私が卵を焼き始めて直ぐの時だった。
傘を持っていなかったのか、肩と髪が濡れている。
「ごめん、遅れた…って、彩も居る…。」
「近くまで来たから、寄ったの。」
「それより、髪乾かしてきな?この間の九条さんみたいになるよ。」
『了解。』とだけ言い残し、休憩室に入って行った。
「彼女が、じじぃが言っていた、寧々ちゃんって娘かい?」
「はい。もう少し早ければ、私のより美味しい物食べられましたね…。」
「ちょっと、嫌な臭いがするね…。」
彰さんが、顎に手を当てて、考え込む様な仕草をした。
「そんなに匂うかな…。」
彩がカウンター越しに、フライパンの辺りを嗅いだ。
焦げては無いはずだが…。
「いや、玉子じゃなくて、彼女の顔だよ。雨に濡れていて、分かりずらかったけど、今、泣いてたね…。」
この時から、少しずつではあるが、嫌な予感を感じ始めていた。
それは、私だけではなく、彰さんも。
仕事では、明るく元気ないつもの彼女だった。だが、一人で居るときや、講義中はどこか、上の空だった。
一度、何かあったのか訊ねてみたが、疲れているだけ、としか言わなかった。
気が付けば、彼女の髪の色も、落ち着いた色に戻っていた。
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