レトロな事件簿

八雲 銀次郎

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5章:密か

9 忘物

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 あの事件から数日が経ち、何とかバイトに復帰できた。常連客からも心配と労いの声を幾つか貰った。夜の営業は、暫くの間、休業する事になった。申し訳なく思ったが、九条さんからは、逆に謝られてしまった。
 大学の方では、体調不良と言う事になっていた。お陰で、麻由美には有難いお言葉を貰った。逆に寧々からは、色々と甘やかされてしまった。
 「宮本と遠野。後で、俺の部屋に来い。」
 講義の合間に、四人で談笑して居たところ、藤吉先生に、そう声を掛けられた。
 真由美と寧々は、少々不思議そうな顔をしていた。
 全講義が終わり、教授室に向かった。ノックしたが、応答がなかった。教授室の扉は、鍵が掛かっており、開かない。扉の脇のベンチに腰を下ろし、先生が来るのを待った。話の内容は大体、想像がついている。この間の話だろう…。
 「早いね。」
 階段から、キーボードを背負った彩が下りてきた。キーボードを壁に立てかけ、私と同じようにドアノブを回すが、当然開かない。
 「話って何だろうね。」
 私の隣に腰を下ろしつつ、そう訊ねてきた。売店で買ったのであろう、生どらを食べ始めた。相変わらず美味しそうに食べる…。
 「最近、寧々もバイト始めたんだって。なんか、お金が入用らしくて。」
 他愛もない話だったが、少し引っかかった。彼女については、良く知らない。生活に関しては、裕福でもないが、困っている訳でもない。それは、本人でも言っていた。
 使用している楽器も、中学の時に知り合いから譲り受けた物で、壊れては修理してを繰り返して使っているらしい。
 それに、物欲がなく、消耗品や日用品以外で、買い物に行ったとは、あまり聞かない。
 そんな彼女が、お金が欲しいとは、少し違和感を感じた。

 「待たせたね。」
 先程、彩が下りてきた階段から、先生も下りてきた。
 教授室に入るのは初めてだった。部屋の中はシンプルで、例えるなら、小学生の時の校長室の様な感じだった。ただ、置物のほとんどが、動いていた。イルカがデザインされた振り子。ピラミッド型の時計。宙に浮いて回っている地球儀。静かなのに、凄く賑やかだった。
 先生は自分の椅子に深く腰を下ろし、深いため息を着いた。その後、私たちにも座る様に促した。
 話は、私の予想通りだった。この間あったことを簡単ではあるが、彩に打ち明けた。
 「俺らよりも、同い年くらいの子に気にかけて貰った方が良いと思ってね。」
 「…。」
 彩は何も言わなかったが、無言でこくりと頷いた。
 「香織ちゃんも話を蒸し返して、悪いね。」
 「大丈夫です。幸いトラウマにはなりませんでしたし。むしろ、ありがとうございます。」

 「どうして…。」
 話を聞いている最中も、ずっとだんまりだった彩が口を開いた。拳を握っている彼女の手が震えている。すると、急に立ち上がり、私の前に、仁王立ちした。この感覚は、今まで何回も経験してきた、怒り。でも、これは知らない。彼女の顔は今にも、泣き出しそうな顔をしていた。
 「どうして平気でいられるの!私は今の話聞いて、心臓停まるかと思った。それなのに、お化け屋敷から出てきたみたいに、のほほんとしていられるの?」
 すごい剣幕だった。真由美には何度か怒られた事はあるが、それはどちらかと言うと、注意に近かった。今の彼女の様に、怒鳴られた事は、一度もない。
 「この際だから言うけど、どうして皆といるときは楽しそうなのに、一人の時は楽そうな顔してるの?最初は、そういう娘なのかと思ってた。けど、これではっきりした。他人に接するのが苦手なんじゃなくて、他人に甘えることが苦手…。いや、下手したら知らないんじゃない?」
 正解だ…。私は甘え方を知らない…。人並みにコミュニケーションをとる事も、接客することもできる。だが、いつの間にか、自分の今の感情は、他人に合わせる為の物になっていた。それに気が付いたのは、つい最近だった。
 彼女の頬を伝う滴が、私に移り始める。
 「何が、『大丈夫です』よ。怖かったんでしょ?恐ろしかったんでしょ?声が出ないくらい、驚いたんでしょ?だったらなんで、『助けて』の一言も言えないの。私じゃそんなに頼りない?」
 その質問に首を全力で横に振る。すると、先程まで震えていた小さい手で、私の頭を優しく包んだ。
 「だったら、メールでも電話でも良いから、寄越してよ…。力不足かもしんないけど、力になるから…。」
 私は泣きながら彼女の腕の中で、頷いた。
 いつもは小さいはずの彼女の体が、凄く大きく感じられた。
 「香織、よく覚えておけ。これが、お前の忘れ物だ。」
 藤吉先生の声が、鋭く突き刺さった。
 私はおもむろに、彼女から顔を離し、袖を捲った。
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