レトロな事件簿

八雲 銀次郎

文字の大きさ
上 下
53 / 309
5章:密か

5 恐怖

しおりを挟む
 また、先程の客と居合わせると厄介だと思い、裏口から忍び込むことにした。普段なら、鍵が掛かっており、外から入ることは、まず出来ない。だが、今回に限っては、まだ、締
まっていなかった。
 なるべく、音を立てない様に銀色の扉を開けた。こういう時、疚しいことは何もしていないが、そういう行動を、取ってしまう。屋には誰も居なかったが、ホールの方から、話し声が聞こえる。声からして、九条さんと藤吉先生だと、すぐ分った。

 少しだけ気になったので、カウンターの方を覗いた。どうやら、男性客の姿は見えなかった。グラスや皿が、片付けられているところを見ると、帰宅したらしかった。
 二人が何を話しているかは、分からなかったが、難しい話をしているみたいだった。
 私は、ロッカー前に行き、探し物をした。基本的に私物はロッカーに仕舞うように、していたため、内心、ここ以外はないだろうと、思っていた。
 しかし、ロッカーの中には、私物のマグカップと、ちょっとした教材があるだけで、スマホらしきものは見当たらなかった。
 確実にバイトに来るときはあったのは覚えている。だから、この建物内にあったのは確実。盗まれていなければの話だが。もしもの事も想定して、棚やテーブルの上を探したが、見つからない。流石に焦り始めた。九条さんに鳴らして貰えば良かったのだろうが、焦っていた所為か、そこまで頭が回らなかった。
 ソファ同士の間を覗いたとき、見つけた。休憩中、弄ることはあっても、必ずロッカーに戻す様にはしている。何故こんなところに…。
 その時だった。急に強い力で肩をつかまれ、その勢いのまま、ソファに仰向けに倒された。
 あまりにも、急だった為、頭の中は真っ白だった。
 「戻って来てくれたんだね。」
 視界に入る現実に、耳から聞こえる声が、さらにその説得力を増していく。
 私は、今、先程の男性客に押し倒された…。
 「え?どうして?」
 そう声を出したはずだが、多分、単語すら言えてなかったと思う。
 そのまま、ソファの横にしゃがみ込み、肩に手を置かれ、上腕、肘、前腕、手首にかけて、舐める様に一撫でされた。思わず、『ヒッ』と声を上げたが、その声すら男には届いていない様だった。
 久々に感じた『恐怖』。いや、恐怖なんか、生温いかもしれない…。
 しかし、お酒の匂いが、その恐怖を強制的に打ち消し、悲鳴を上げる隙さえ与えては、くれなかった。幾らか抵抗はしたが、酔っているとは言え、成人した男には敵わない。殆どされるがままの状態で、両腕をつかまれ、いよいよ、何も出来なくなってしまった。
 何か話しかけている様だったが、私の脳は情報の処理に遅れが出ている。
 覚悟が決まらないまま、髪や頬を撫でられた。身体中がゾワっとした。唯一動いていた、脚にも力が入らなくなってきた。

 「何やってんだ!」
 その声が聞こえた瞬間、身体が自由になった。九条さんが、男性客の両腕を抑え込んでいた。ただ、その状況を理解するのに、かなりの時間を要した。床に伏せられ、暴れている。それをソファから体を起こし、ぼんやりと眺めていた。
 すると、藤吉先生に膝と肩を抱き抱えられ、カウンターを過ぎ、一番奥のテーブル席に下ろされた。先生はもう一度、休憩室に入っていき、数秒で出てきた。出る際に扉も閉めた。手には毛布を持っていた。
 「取り敢えず、落ち着いて。今から警察呼ぶけど、良いね。」
 先生が優しく問いかけた。自分では頷いたはずだったが、身体が動かなければ、声も出ない。先生が電話を掛けている間、先程のことが、フラッシュバックしていた。あのまま二人に気付かれなかったら、今頃、どうなって居たのか。考えたくはないが、頭を過る。
 しばらく忘れかけていた、絶望の感覚が、沸々と湧いてくる。
 「済まない、気付くのが遅れた。」
 いつの間にか、電話をし終えていた、先生が頭を下げていた。
 「い、いえ、先生は悪くないです。」
 大分、落ち着いてきたのか、声が出た。
 「それに、慣れてますから。」
 嘘ではなかった。だが、思わず口走ってしまった事には、気が付かなかった…。意味もなく、先程触られた、腕や肩を自分で摩っていた。
 すると、先生が深いため息をしながら、私の前にしゃがみ込んだ。
 「そういうの、慣れないでくれよ…。」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

セイカイ〜全ての暗号を解き明かせ〜

雪音鈴
ミステリー
制限時間内に全ての暗号を解き明かし脱出する《ゲーム》へと強制参加することになった主人公。その先に待ち受けているものとはーー? 【暗号を解く度に変化していく景色と暗号の解読を楽しみながらも、主人公の行く末を見守ってあげて下さい。また、読者の方々にも、2話目から暗号(という名のなぞなぞもあり。難易度は話数が進むごとに上げていきます)を解き明かしてもらう形式になっているので、楽しんでいただければ幸いです(*^^*)】

臆病者は首を吊る

ジェロニモ
ミステリー
学校中が文化祭準備に活気づく中、とある理由から夜の学校へやってきた文芸部一年の森辺誠一(もりべ せいいち)、琴原栞(ことはら しおり)は、この学校で広く知られる怪異、首吊り少女を目撃することとなった。文芸部を舞台に、首吊り少女の謎を追う学園ミステリー。

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

【キャラ文芸大賞 奨励賞】変彩宝石堂の研磨日誌

蒼衣ユイ/広瀬由衣
ミステリー
矢野硝子(しょうこ)の弟が病気で死んだ。 それからほどなくして、硝子の身体から黒い石が溢れ出すようになっていた。 そんなある日、硝子はアレキサンドライトの瞳をした男に出会う。 アレキサンドライトの瞳をした男は言った。 「待っていたよ、アレキサンドライトの姫」 表紙イラスト くりゅうあくあ様

cafe&bar Lily 婚活での出会いは運命かそれとも……

Futaba
恋愛
佐藤夢子、29歳。結婚間近と思われていた恋人に突然別れを告げられ、人生のどん底を味わっております。けれどこのままじゃいけないと奮起し、人生初の婚活をすることに決めました。 そうして出会った超絶国宝級イケメン。話も面白いし優しいし私の理想そのもの、もう最高!! これは運命的な出会いで間違いない! ……と思ったら、そう簡単にはいかなかったお話。 ※全3話、小説家になろう様にも同時掲載しております

【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし

響ぴあの
ホラー
【1分読書】 意味が分かるとこわいおとぎ話。 意外な事実や知らなかった裏話。 浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。 どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。

導かれるモノ導く者

van
ミステリー
小学生の頃の体験から佳文は、見えないモノが見えるようになってしまった… 見えないモノが見えるだけなら良かったのだが、それは…

処理中です...