20 / 309
2章:想い
1 飽和
しおりを挟む
時間が経つのはやはり早いもので、私がれとろでアルバイトを始めてから一ヶ月は過ぎていた。
流石に、一ヶ月も通っていれば仕事も覚えるし、お客さんから顔を覚えられても来た。当然九条さんのこともある程度知れてきた…。
この喫茶店やバーをやっているときは、大体の確率で船瀬さんだということ。大学で会うときは九条さん。それ以外の時は、一条さんであること。そこそこ、区別がつくようになってきた。
そして今日は、講義も午前中で終わり、午後の一三時前から、私はカウンター内に立って、仕事をしていた。どうも、この間静岡でブレンドしたコーヒーが受けたらしく、毎日のようにオーダーが入る。ちなみに、香りをメインに楽しめる様に、キューバ産のクリスタルマウンテンを基調とした、爽やかな逸品になっている。もっとも、クリスタルマウンテンは希少種なため、価格設定も多少高めになっている。
しかし、今日は一四時ころに今井さんが休憩しに来た以降はずっとヒマだった。九条さんも、午後から休講だったらしく、喫茶店の方を手伝いに来てくれた。が、今では、一番奥のテーブル席で、自分で淹れたコーヒーを啜りながら、ファッション誌を読んでいた。
古川マスターは店先にある観葉植物の手入れをしている。
私はというとコーヒーゼリー用のコーヒーを作っていた。
相変わらず静かな店内は今日もジャズ音楽が際立っていた。
「最近、何かと物騒だね、これでひったくり事件も五件目だ…。場所はここからそう遠くないね…。」
雑誌を読んでいたはずの九条さんがいつの間にか新聞に変わっていた。
「香織ちゃんも気を付けてね。」
「九条さんもですよ?」
「はは。僕はバッグとかリュックとか使わない主義だから。」
九条さんが笑いながら答える。
「そういえばそうでしたね。スマホとか財布は全部ポケットでしたね。」
「そ、にしても、暇だね…。」
「私はゼリー作らないといけないので暇ではないですが。」
「香織ちゃん真面目だからね…。人来ないときは休んでても問題ないのに。」
九条さんが柱時計を見た。私も釣られて時計を見た。時刻はまだ一五時前だった。
「そういえば香織ちゃんって、ピアノ弾ける?」
ゼリー用のコーヒーをタッパーに小分けし、冷蔵庫に入れていた時に九条さんが質問してきた。
「弾けないわけではないですが、素人もいいところの腕ですよ。九条さんは弾けるんですか?」
「僕は弾けないよ。だけど、弾くことはできるよ。」
と言い、九条さんが今まで流れていたジャズ音楽を止め、店の端の方にあるアップライトピアノの前に座った。そして、目を閉じた。
五秒位だろうか、静かな店内が更に静まり返る…。ゆっくりと目を開け、鍵盤に指を置いた。
すると、今まで店内で流れていた様なジャズミュージック弾きを始めた。私は、音楽にそんなに詳しいわけではないが、一度聞いただけで分かる。
上手い…。
弾いていた時間は、三分もなかったと思うが、その間、思わず聞き入ってしまった。
「うん、久々のわりには上出来…。」
九条さんだった人がそう呟いた。この話し方は、私の知っている、一条さんでも船瀬さんでもなかった。
「やはり貴方でしたか、柳さん。」
いつの間にか、古川マスターが店内に戻ってきていた。
「お久しぶりです、古川さん。えっと、確か君は…。」
私の方を見て、少し眉を顰めた。
「あ、香織です。宮本香織。」
「あぁ、君が香織さんか。私は柳京一。よろしくどうぞ。」
柳さんが握手を求めてきた。それを握り、
「こちらこそ、よろしくどうぞ…。」
そう返した。
「彼は、音楽の知識と才能に恵まれた人格らしく、取り扱えない楽器はないとのことです。私個人的には、十人の中で一番紳士的かと。」
「いや、何を仰います。古川さんの方が一番紳士じゃないですか。」
しばらくこんな感じの会話が続いた…。
「それにしても、すごいですね。私は弾けないわけではないですが、あんなに上手くはできないです。」
「私は、音楽は上手い下手より、自由が一番だと思うんですよね。香織さんも、別にそこを拘る必要はないと思いますよ。」
柳さんが優しく諭すように答えた。その時、柱時計が一五時を告げた。
「おっと、もう時間ですか…。」
柳さんがそう言うと、目を閉じた。しかし、今回は違った。まるでスイッチが切れたように、椅子にもたれかかった。
「え?」
私は、思わず声を上げた。
古川マスターはさも当然の様に、さっきまで座っていたテーブル席に彼を抱え、移動させた。
「できないことを、できるようにするには本来なら少なからず、練習や訓練が必要です。彼の身体は音楽をする用にはできていません。
ですが、柳さんの様な才能ある人格を使えば、一時的に不可能が可能になります。逆を言えば、普段使わないような筋肉や脳などを強制的に使わせられます。そうすると、当然それなりにダメージが残ります。」
「それ、大丈夫なんですか?」
「ご心配なさらず、五分ほど休めばまた元気になります。」
そういい、古川マスターはまた外に出て行った。
流石に、一ヶ月も通っていれば仕事も覚えるし、お客さんから顔を覚えられても来た。当然九条さんのこともある程度知れてきた…。
この喫茶店やバーをやっているときは、大体の確率で船瀬さんだということ。大学で会うときは九条さん。それ以外の時は、一条さんであること。そこそこ、区別がつくようになってきた。
そして今日は、講義も午前中で終わり、午後の一三時前から、私はカウンター内に立って、仕事をしていた。どうも、この間静岡でブレンドしたコーヒーが受けたらしく、毎日のようにオーダーが入る。ちなみに、香りをメインに楽しめる様に、キューバ産のクリスタルマウンテンを基調とした、爽やかな逸品になっている。もっとも、クリスタルマウンテンは希少種なため、価格設定も多少高めになっている。
しかし、今日は一四時ころに今井さんが休憩しに来た以降はずっとヒマだった。九条さんも、午後から休講だったらしく、喫茶店の方を手伝いに来てくれた。が、今では、一番奥のテーブル席で、自分で淹れたコーヒーを啜りながら、ファッション誌を読んでいた。
古川マスターは店先にある観葉植物の手入れをしている。
私はというとコーヒーゼリー用のコーヒーを作っていた。
相変わらず静かな店内は今日もジャズ音楽が際立っていた。
「最近、何かと物騒だね、これでひったくり事件も五件目だ…。場所はここからそう遠くないね…。」
雑誌を読んでいたはずの九条さんがいつの間にか新聞に変わっていた。
「香織ちゃんも気を付けてね。」
「九条さんもですよ?」
「はは。僕はバッグとかリュックとか使わない主義だから。」
九条さんが笑いながら答える。
「そういえばそうでしたね。スマホとか財布は全部ポケットでしたね。」
「そ、にしても、暇だね…。」
「私はゼリー作らないといけないので暇ではないですが。」
「香織ちゃん真面目だからね…。人来ないときは休んでても問題ないのに。」
九条さんが柱時計を見た。私も釣られて時計を見た。時刻はまだ一五時前だった。
「そういえば香織ちゃんって、ピアノ弾ける?」
ゼリー用のコーヒーをタッパーに小分けし、冷蔵庫に入れていた時に九条さんが質問してきた。
「弾けないわけではないですが、素人もいいところの腕ですよ。九条さんは弾けるんですか?」
「僕は弾けないよ。だけど、弾くことはできるよ。」
と言い、九条さんが今まで流れていたジャズ音楽を止め、店の端の方にあるアップライトピアノの前に座った。そして、目を閉じた。
五秒位だろうか、静かな店内が更に静まり返る…。ゆっくりと目を開け、鍵盤に指を置いた。
すると、今まで店内で流れていた様なジャズミュージック弾きを始めた。私は、音楽にそんなに詳しいわけではないが、一度聞いただけで分かる。
上手い…。
弾いていた時間は、三分もなかったと思うが、その間、思わず聞き入ってしまった。
「うん、久々のわりには上出来…。」
九条さんだった人がそう呟いた。この話し方は、私の知っている、一条さんでも船瀬さんでもなかった。
「やはり貴方でしたか、柳さん。」
いつの間にか、古川マスターが店内に戻ってきていた。
「お久しぶりです、古川さん。えっと、確か君は…。」
私の方を見て、少し眉を顰めた。
「あ、香織です。宮本香織。」
「あぁ、君が香織さんか。私は柳京一。よろしくどうぞ。」
柳さんが握手を求めてきた。それを握り、
「こちらこそ、よろしくどうぞ…。」
そう返した。
「彼は、音楽の知識と才能に恵まれた人格らしく、取り扱えない楽器はないとのことです。私個人的には、十人の中で一番紳士的かと。」
「いや、何を仰います。古川さんの方が一番紳士じゃないですか。」
しばらくこんな感じの会話が続いた…。
「それにしても、すごいですね。私は弾けないわけではないですが、あんなに上手くはできないです。」
「私は、音楽は上手い下手より、自由が一番だと思うんですよね。香織さんも、別にそこを拘る必要はないと思いますよ。」
柳さんが優しく諭すように答えた。その時、柱時計が一五時を告げた。
「おっと、もう時間ですか…。」
柳さんがそう言うと、目を閉じた。しかし、今回は違った。まるでスイッチが切れたように、椅子にもたれかかった。
「え?」
私は、思わず声を上げた。
古川マスターはさも当然の様に、さっきまで座っていたテーブル席に彼を抱え、移動させた。
「できないことを、できるようにするには本来なら少なからず、練習や訓練が必要です。彼の身体は音楽をする用にはできていません。
ですが、柳さんの様な才能ある人格を使えば、一時的に不可能が可能になります。逆を言えば、普段使わないような筋肉や脳などを強制的に使わせられます。そうすると、当然それなりにダメージが残ります。」
「それ、大丈夫なんですか?」
「ご心配なさらず、五分ほど休めばまた元気になります。」
そういい、古川マスターはまた外に出て行った。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
【完結】ブログ日記シリーズ
みゆき
ミステリー
今ではSNSが普及してブログを利用する方は減っています。しかし、ブログが普及していた頃。それは多くの方に利用され、中には日記として使う方もいたものです。
一人の乙女がブログ日記をつける。そこから始まる物語。
ブログ日記シリーズを一つの作品にまとめました。
若干の改変をしながら再投稿していきます。
cafe&bar Lily 婚活での出会いは運命かそれとも……
Futaba
恋愛
佐藤夢子、29歳。結婚間近と思われていた恋人に突然別れを告げられ、人生のどん底を味わっております。けれどこのままじゃいけないと奮起し、人生初の婚活をすることに決めました。
そうして出会った超絶国宝級イケメン。話も面白いし優しいし私の理想そのもの、もう最高!! これは運命的な出会いで間違いない!
……と思ったら、そう簡単にはいかなかったお話。
※全3話、小説家になろう様にも同時掲載しております
【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし
響ぴあの
ホラー
【1分読書】
意味が分かるとこわいおとぎ話。
意外な事実や知らなかった裏話。
浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。
どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる