レトロな事件簿

八雲 銀次郎

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1章:香り

7 真実

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 車は一般道から高速道路へと移った。
 それまで、会話がほとんどなかった。車内にはクラシック音楽が流れており、時たま、眠くなってくる。
 何か、話さなきゃ。そう思いながらも、会話のネタが思い浮かばない。コンビニで買った、缶コーヒーを一口含んだ。
 
 「そのコーヒー美味しい?」
 九条さんが訊ねてきた。
 「はい、香りもいいですし、何より、味のバランスもいいです。」
 「流石だね。僕は滅多に缶コーヒーは飲まないからなぁ…。」
 「そういえば、九条さんっていつからレトロで働いてるんですか。」
 私も質問してみた。
 
 「三年前からだね。最初は僕も君と同じく、マスターの下で、カフェ店員として始めた。で、一年半前に、バーもやってほしいと、とある常連に言われてね、始めた。」
 「そうですか。」
 「僕も聞いていい?香織ちゃんのコーヒー好きのきっかけは?」
 九条さんが、自分で淹れてきたというコーヒーの入った、蓋つきタンブラーに口を付けた。
 「私は、高校生の時、友だちに勧められて…。そこから、のめり込んでしまって…。」
 「なるほど。じゃぁ僕も昔話して良いかな?」
 「ええ、構いません。」
 「ありがとう」

 九条さんは、胸元にかけていた、サングラスをかけた。
 「君には隠していたわけでもなかったけど、いずれ知られてしまうなら、教えてしまえと思って…。」
 また、コーヒーを一口含む。
 「れとろは、唯の珈琲喫茶でもバーでもない。実は僕、昔から頭がよくてね。自慢でもないよ。今から話すのは、僕とれとろの闇の部分です。」
 
 「…。それ、話していいですか?」
 私は、聞き返した。私も気付いていなかったわけではい。一週間ほど通っていれば、自ずと知ることも多かった。
 れとろにやってくる客層は、警察関係が多かったこと。その彼らの目的のほとんどが、“篠崎龍哉”と男だった。
 「その口ぶりだと、何となく気付いてる、って感じかな?」
 「はい、何となく…。篠崎さん?と関係ありますか?」
 「それも踏まえて話そうか…。」
 さらに一口コーヒーを飲む。
 「僕は実は、多重人格者です。」
 少し間が開いた。
 
 「多重…人格…。」
 「そう。僕の中には、複数の人格が存在します。君も薄々気付いてたとは思うけどね。」
 唐突のことで、呆然とする。
 「篠崎龍哉っていうのは、僕の複数ある人格のうちの一つです。九条という名前も本当の僕でもありません。僕の場合、十人ほど、人格が存在するらしい。
その中でも、常時的に表れるのが僕、九条哲也です。そして、さっき言った、頭がいい話は篠崎の話です。」
 嘘…。話についていけず、そう思うのが精いっぱいだった。しかし、九条さんのハンドルを握る手が震えているのが、それが真実だと教えていた。
 
 「このことは、マスターと今井さんも知っている。ただ、篠崎の人格はその頭の良さを、いろんな分野に向けて行った。
 数式の解読。医療や法律の知識。事件事故の捜査。プロファイリング。それはもう様々な知識や経験、理解力を身に着けていった。
 この間の菊池刑事の件もピンと来たでしょ。」
 車は都心を離れ、田園風景を映していた。
 「ただ、その篠崎、昼はおとなしく、ほとんど出てこない。あ、ちなみにそれぞれの人格の記憶は共有できないけど、ある程度コントロールが可能です。」
 「でも、古川さんはあの時、篠崎さんのこと知らないって…。それに…。」
 私は質問してみた。内容は理解できたが、聞きたいことがたくさんあった。
 
 「それも、今から話します。その、篠崎って人格は、コーヒーが苦手ならしく、コーヒーを飲んでる間だけでなく、匂いもダメらしく、近くにコーヒーがあれば、絶対篠崎は出てきません。」
 また、コーヒーを一口含む。
「このコーヒーも実は、ただのコーヒーじゃありません。僕が特別にブレンドしたもので、香りが強いもの。」
 タンブラーをフルフルと少し振った。
 確かに、車に乗ったときからコーヒーの意香りがした。
 「ここで、香織ちゃんに一つお願い。」
九条さんが、右手の人差し指を立てた。
「諸事情でその篠崎という人格を隠さなければならなくてね。その理由はいずれ話します。篠崎龍哉と言う名前は、知らないものとしてほしい。」
 「…知らないふりをするのは、構いません。でもなぜ、それを今私に?」
 私は一番聞きたかったことを質問した。
 「それは、僕は君に嘘をついたから。そして、君も僕に嘘で返したから。僕が君に嘘をついたのは、君の裏を知ってしまったから。」
 そう言って、かけていたサングラスをとってまた、胸元に変えた。
 横からでははっきりとわからなかったが、彼の目が少し、潤んでいる気がした。
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