探偵注文所

八雲 銀次郎

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ファイルⅣ:天木涼子の捜査記録

#3

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 私が手を伸ばしたところで、あのフェンスは、乗り越えられそうにない。だが、浩史なら、ジャンプすれば、届くかもしれない。
 「コージ、私がわき道から追うから、あのフェンス、超えて。」
 「解った。」
 私は、一番近くの曲がり角を曲がり、住宅街に入り込んだ。あのフェンスの向こうは、少し行くと河原に出る。猫は水を嫌う為、川とは平行に逃げるはず。浩史が、うまくこちらまで、追い込んでくれれば、先回りできる。
 しかし、この真夏に、ロングスカートはキツイ…。しかも、走っているとなると、尚更。
 まぁ、本来なら今日は、事務仕事で終わる筈だったから、動きやすい服装は、選んできていない…。まぁ、足もとはスニーカーだから、幾らかマシだろう。こういう時の為に、車に積んでいる。
 そうこうしている間に、河原の土手まで来た。浩史が上手くこちらに、誘導しながら走ってくれている。
 猫が全速力で走っているのを、横から飛び出し、何とか捕まえた。じたばたと、腕の中で暴れていたが、暫くすると、大人しくなった。
 猫は、嫌いじゃないが、走った直後に、このモコモコを抱きしめるとなると、流石に熱い…。
 「やりましたね。」

 その直後、頭上で雷が鳴り響いた。さっきまで、あんなに晴れていたのに、今は空一面に、分厚い雲が出来ていた。
 ポツリポツリと、小さな雨粒が地面を叩き始めた。私たちは急いで、近くにあった、公園の東屋に避難した。猫も、流石に雨が降っていては、逃げる気もないらしく、椅子の上で座り込んだ。
 雨足はそれ程強くはないが、暫くは止みそうにない。辺りは、一瞬にして、雨の匂いに支配された。
 「アマキさん、スマホあります?」
 「奇遇だね。私も同じ質問しようと思っていた所。」
 残念ながら、私のスマホは、健康診断の結果を待っているとき、使いまくってしまい、現在は絶賛バッテリー切れだった。
 浩史の方は、先ほどのフェンスを乗り越えた時に、画面が割れてしまったらしく、起動はするものの、操作不可の状態。
 個人用の方は、二人とも、私の車に置きっぱなしだ。
 汗をかいた後、雨に打たれると、体温が奪われる。さっきまで、あんなに熱かったのに、今では、指先や肩が冷えて来た。
 「アマキさん、車のカギ貸して下さい。俺、走るんで。」
 そう言うと、着ていた上着を投げてよこした。デニムのジャケットだったため、多少濡れてはいるものの、羽織れば、多少は温かいだろう。
 「コージってもしかして、紳士?」
 「流石にそろそろ、傷つきますよ…。まぁ、取り敢えず、猫ちゃんと一緒に待っててください。」
 「じゃぁ、事故らないでね。」
 彼は、鍵を受け取ると、雨の中走って行ってしまった。
 車を止めた場所は、ここからはそんなに遠くない。大体、15分もあれば、往復できる。
 彼から借りた、ジャケットを羽織り、猫の隣に腰を掛けた。走って疲れたのか、すやすやと寝ている。撫でようが、触ろうが、お構いなしの所を見ると、人懐っこい性格らしい。

 雨は嫌いだった。あの日の事を思い出すから…。
 学校から帰宅して、玄関を開ければ、家具や食器、家電など、全てが無くなっていた。幸いだと喜ぶべきなのか、それとも悲しむべきなのかは分からないが、私の部屋の物は、手付かずだった。
 それまで、色んな虐めを受けてきたが、これが一番堪えた。そして、その歳で、新たなトラウマが出来た。その日も、雨がしとしとと降っていた…。
 未だに、扉を開けるのが怖い時がある。特に、午後の丁度今みたいな時間帯。
 妹は元気にやっているのだろうか…。それだけが、この八年間、ずっと心残りだった。私と違い、記憶力が少し良いだけで、平均的な頭脳を手にしていた為、虐められる事や、両親たちからの、酷い仕打ちはされなかった。
 さっき話しかけた小学生たちや、楽しそうに友だちとお喋りして帰って行く、学生たちは、見る度に羨ましかった。あの幸せそうな空間に、何故私は入れなかったのか…。
 独りで居ると、こんなにも卑屈になってしまう、自分が嫌いだった。
 小さく溜息を付いた。
 「雨宿り?」
 その声が聞こえたと同時に、視界に黒いヒールが見えた。
 見上げると、マキさんだった。
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